先日、厚生労働省は2020年の人口動態統計の年間推計を行わないと発表しました。
平たく言えば死亡数が大幅に減少しているので(他に婚姻数や離婚数、死産数なども考慮して)、年間推計をしないそうです。
死亡数が大幅に減少しているのが理由です(他にも3つありますが)。
厚労省としては「年間推計を機械的に算出した場合には、算出した推計値が実態と乖離することが想定されるため」だそうですが、それが推計をしない理由となるのかどうかよく分かりません(推計値を出した上で、このような理由のため実態と乖離していると想定されますとでも言えば良い気もします)。
いくらもっともらしい理屈をつけたとしても、なんというか「理屈と膏薬(こうやく)はどこへでもつく」と言いたくなります。
この件で思い出したのは、エマニュエル・トッドのことでした。
エマニュエル・トッドはフランスの歴史人口学者です。
乳児死亡率の上昇からソ連の崩壊を予測したことで一躍有名になり、その後も同様の手法で一期目のトランプ当選やイギリスのEU離脱なども予言しています。
という書き出しでブログ記事を書こうと思ったのですが、内なる検閲官によって急ブレーキがかかったので、書くのを止めますw
エマニュエル・トッドはソ連の崩壊を乳児死亡率の上昇から予測しました。
ソ連は乳児死亡率があまりに上昇したせいか、その後、発表を取りやめました。
日本の場合はむしろ良い兆候であるべきなのですが、なぜか忖度があり発表を取りやめました。
それをちらっと見た若きエマニュエル・トッドはソ連の崩壊を予見します。トッドいわく、自分にとって乳幼児死亡率というのはただのデータではなく、リアルな現実です。リアルに苦しむ赤ん坊と死んでいく子どもたち、そして悲しむ親兄弟たちの姿が見えたのでしょう。そして社会の崩壊も。
そしてこの手法を一貫させて、現在に至るまで次々と予言をものにしています。
私は、これまでの研究人生の中で、ソ連の崩壊やアラブの春、トランプ大統領の誕生などについて予測し、それらは今日(こんにち)まで割と適切な予測であったと思います。(エマニュエル・トッド)
エマニュエル・トッド自身は謙虚にも、この予測の正確さをアナール学派の功績としていますが。
で、冒頭の方向性で進むのは気が引けるので(自己検閲で忖度してw)、別の道を進みます。
僕自身は天才のワザというのに非常に興味があり、どのようなドラマがそのバックヤードにあるのかが気になります。
特に乳児死亡率の上昇とソ連の崩壊というのは繋がらなそうな点と点です。
もちろん本質的にはエマニュエル・トッドの頭の中にしか無いのでしょうが、それでもその光景を眺めるのは面白いです。
少し解説じみたものを引用します。
エマニュエル・トッドの文章です。
とはいえ、普通であれば乳児死亡率の上昇を示す数値を見たからといって、すぐにソ連が終わるんだという直感を得ることはないでしょう。私がその発見の意味に気づくことができた背景には、やはりそれまでの蓄積が関係しています。
強烈な直観というか、ひらめきのことをトッドは「ブレイク」と言っています。
ブレイクには15秒もいらない、と。
ただし、このブレイクに至るまでに何年もの蓄積が必要なのです。
書き換えも似ていますね。
書き換えは一瞬です。
でもその一瞬を待つ永遠にも感じる時間の忍耐が必要なのです。
そしてその一瞬が来るまでは、ひたすらに蓄積が必要なのです。
修練が必要です。練習が必要であり、現場での実践が必要です。
それをエマニュエル・トッドはルパンを引いてこう言いました。
「まだ十分に材料が揃っていない。とりあえず考える前に進まなければならない」
と。
(引用開始)
ルパンがあるときこう言うのです。「まだ十分に材料が揃っていない。とりあえず考える前に進まなければならない」と。これにはハッとさせられました。つまり、考え始めるにはまだ早いということなんです。(引用終了)
トッドにおける「進む」というのは資料を読み込み、学び続けることです。
考える前にまずインプットが大量に必要ということです。
その鍛錬や修行の時期が終わると、収穫の時期がやってきます。
トッドの場合は歴史人口学の蓄積です。
何があったかというと、まずは歴史学者としての経歴です。歴史人口学で学んだ基礎があったため、ほぼ直感的に、乳児死亡率とは何を意味するのを理解できたのです。そして、このデータの裏には人間の生活があるということも知っていました。乳児死亡率というのは0歳から一歳の子どもの死亡率を指します。ですから、世界中で乳児死亡率が低下しているなかで、それが逆に上昇してしまう社会には何か問題があるというわけです。(引用終了)(同上「思考地図」)
そしてその瞬間というのはランダムにやってきます。
でも偶然という運は準備しているものにしか幸運を運んできません。
c.f.偶然は準備された精神にしか微笑まない(パスツール) 2014年02月10日
その瞬間というのは、トッドの言うブレイクの瞬間、我々が最近使う言葉で言えばビジョンが観える瞬間です。真のゴールが見つかる瞬間と言っても良いかもしれません(言い過ぎかなw)。
ケンブリッジで博士論文を書き上げ、タイトルの承諾が下りるのを待っている時期に、フランス国立人口研究所の図書館(のちに私はこの図書館長を務めることになるのですが)に行ったときのことです。私は、そこにある統計書をパラパラとめくっていました。そしてWHOの世界年鑑を立ち読みしていたとき、ソ連のなかでも特にロシアとウクライナで乳児死亡率が高まっていることを示す数字を見つけたのです。その後ある時点でーー確か一九七四年だったかと思いますがーー、ロシアはその数値の公表をやめました。このとき私は、特に何かを考えていたわけでも、何か目的があったわけでもなく、たんに好奇心から眺めていてこれを見つけたのです。
図書館のひんやりとした空気すら伝わってくるような文章です。
*画像はイメージですw
僕らがどんなにホッとしても(ケンブリッジで博士論文を出せても)、好奇心からWHOの世界年鑑を立ち読みしたりはしなそうな気がしますが、歴史人口学を修めているので、無機質なデータの羅列も彼らには豊穣な意味が引き出せるのでしょう。
そして実際にそこからソ連の崩壊を見事に予言し、成就させました。
この論文の発表が1976年です。ソ連の崩壊の予兆すら無かった時期です(実際にソビエト連邦の崩壊は1991年)。10年から30年以内の崩壊を人口統計学的に予言し、実際に実現しました。
*というわけでビートルズでBack in U.S.S.R.です!(U.S.S.R.はソビエト連邦)
何が言いたいのかと言えば、、、(何が言いたいんだろう、、、w)
何か情報を読み取りたい、自分の能力の輪を知りたい、気が読み取れるようになりたい、解剖直観を手にしたい、、、そういう特殊な能力を手にしたいと思ったら、とりあえず考える前に進まなければならないということです。
*鍛える前にゆるめるように。
ともかく身体を鍛えること(筋肉は裏切りません( ー`дー´)キリッ)、頭を鍛えること(勉強しすぎることはありません)、実戦経験をたくさん積むこと(実戦ほど学べる場はありません)ですね。
下手な考え休むに似たりと言います。考える前に、まずやるべきことをやることです。
そしてやらなくて良いことをやめる勇気も是非!(たとえばSNSとかネットニュースとかを最小限にするとか)。
で、終わりにしようと思ったのですが、蛇足をひとつふたつ、、、。
以下はとても極端な話だと思いますが、、、たとえば「まといのば」で真摯に学びたいと思うのであれば、OnLine MenTorやOnLine ReCordでも何でも良いので、動画教材を24時間ずっと聞き続けると良いです。狂ったように聞いていると、ある瞬間に耳が開きます。これは文字通り耳が開くような経験です。
はじめて言葉が意味をもって聞こえてくるのです。
これまでも真剣に聞いていたのに、全く分かっていなかったということが分かる瞬間が来ます。
これを「耳が開く」と言っています。
そうすると、他の教材も含めて、全く意味が異なって聞こえます。
Clubhouseにハマって毎日数時間費やすならば(それもまた良いですが)、具体的に自分の未来に関わる教材を死ぬほど聞いた方が良いです。
その「耳が開く」瞬間が来ると、「今まで自分は何を聞いていたんだろう」と落ち込みたくなりますが、落ち込む必要はありません。
トッドの言うとおり、これまでの蓄積があってのユーレカ体験であり、ブレイクであり、耳が開く体験だからです。
学び始めてすぐというのは何でも質問したくなるものですが(もちろん質問していただいてOKですが)、質問をスマホのメモ帳でも、物理的なノートにでも書き留めて、しばらく置いておくと、動画教材が答えをくれたりします。これも「脳に質問を投げておく」というメソッドです。
質問を投げておくと、、、耳が開くのです。なぜなら重要性が変わるからです。
教師から聞いた答えよりも、自分で発見した答えのほうが長持ちします(ですので、良い教師は質問に対して、謎で答えたりしますね)。
*こんな感覚で動画教材に向き合うのは方法です。一度聞いたら二度と再生できないと勝手にルール化して。
もう少し付け加えると、さんざん聞いたあとに、他人に何かを話すときについ「まといのば」の話し方で話してしまうと思います。内容も外見もです。
でも、それはそれでOKです。パクリだと思うでしょうが、気にせずに。
それに大事なのは、パクリか否かというよりは、きちんと役割を果たせるか、目の前のクライアントの役に立てるか、です。
繰り返し、話している中で、コピーを抜け出て、オリジナルになっていきます。
そのとき自分ではなく、自分ではない誰か(密教で言う遮那仏)が話しているような気がします。
自分を超えた何かがです。
で、気功師やヒーラーやコーチ、メンターというのは本来はそういうものです。
語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である。(マタイ10:20)
というわけで、追儺(ついな、おにやらい)も終わりましたし、新しい暦でもがんばりましょう!