偶然は準備された精神にしか微笑まない(パスツール) | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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「金持ち父さん(貧乏父さん ロバート・キヨサキ)」というのは不動産バブル万歳という話で、むしろトランプのThinkBigを読んだほうが学べるような気がします。カラクリとしては、不動産は稀少財なので持っている値上がりしかしないということです。

それよりは、不動産というのは見えないものを見る作業であり、未来を描くことであり、夢があるんだということは、ドナルド・トランプのほうが伝わります。ロバート・キヨサキは、シャロン・レクターという綺麗な公認会計士と組むことで、本もできたし(キヨサキだけだとガラクタでしかなかったものをレクターがまとめあげたので)、ベストセラーになったものの、不思議な会計啓蒙書の感じが強くなりました。会計が特殊な言語であり、読める人は読めない人を支配するというのは事実です。しかし、それは法律もそうですし、コンピュータプログラムも、科学も哲学も楽譜も同様です。現代のベートーヴェンは楽譜が読めなかったそうですが、ビートルズも楽譜は読みも書きもできません。
クワドラントも一見すると画期的ですが、So what?という以上のものではありません。同じテーマの「チーズはどこへ消えた?」などのパンフレットのほうが時間も短縮できます(いや、一言、「変化に備えよ」でいい気もしますが。世の中、もうすでに存在しないチーズを追い求めている人ばかりという話です)。

とは言え、金持ち父さんの話の中で、僕が唯一気に入っている話があります。
さすがに金持ち父さん関連の本はすべて捨ててしまったので、いま引用することができないので、記憶から引用します。

とは言え、おそらくこれです↓です。いまUsedで取り寄せました(その引用だけ確認したいので、その点でKindle化されていると便利です。数秒で買えて、数秒で引用部分をチェックして、あとはサーバーに棚晒しできるので。いや翌日に配送してくれるのも夢のようですが)

金持ち父さんの投資ガイド 上級編―起業家精神から富が生まれる/筑摩書房

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ベトナム戦争から帰還したロバート・キヨサキが、金持ち父さんとその息子の元へ行きます。
彼らは楽しそうに新しい投資案件について語っています。

そこへキヨサキが参加しようとすると、彼らは話を止めます。

聞く所によると、その案件は100%確実に大きな儲けが出るらしい(何事も100%など無いですが、ほぼ確実なことはあります。たとえば「明日が来る」ということはほぼ確実です。外れるのは人生でほぼ一度だけです)。

しかし、その案件にキヨサキが参加しよとすると、彼らはよそよそしい。

「なぜなんだ!」とキヨサキが憤ると、金持ち父さんは言います。

「お前にはまだ早い」と。

このシーンが好きです。

そこから数年かけて(多分)、フィナンシャルリテラシーを身に付けて、金持ち父さんの実の息子との遅れを取り戻してから、キヨサキは、無事にはれて同じような「確実な」投資案件に乗ることができます。金持ち父さんは、静かに「サルでも稼げる」案件など無いと言っているのです。


僕らも似たようにことをよく思います。

いまの状況や悩みを一瞬で解決し、お釣りが来るほどの情報というのは存在します。

しかし、「まだ早い」のです。


それを情報なり機会(チャンス)を渡す側から(金持ち父さんの側から)見ると、

聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。
マタイ7章6節

となります。


準備ができていないときに、レッド・ピルを渡すのは劇薬すぎて、命すら失う危険があります。
(モーフィアスも時を待ちました)

じゃあ、いつ準備ができていることが分かるのか、それを判断するのは誰か?

「金持ち父さん」で言えば、それを判断するのは金持ち父さんでした。師匠です。

しかし、我々はパスツールではないですが、幸運は準備されたものに微笑えむことを知っています。我々に師はいないのです(いや、いますけど。そういうことではなく)。

観測科学では、 偶然は準備された精神にしか微笑まない。
Dans les sciences de l'observation, le hasard ne sourit qu'à l'esprit préparé

Wikiquote
*このパスツールの言葉は、アインシュタインの「理論がない限り観測はできない」を思い出させます。「覚えているかね、我々の肉体は思考そのものであって、それ以外のなにものでもないんだということを」の最後の文献紹介を参照してください。


ですので、ひたすらに準備をすれば良いのです。

「準備が終わったものに、神が微笑む」というメタファーは、準備ができたら目の前にあったことに気付くという事実を示しています。平たく言えば、IQが無ければ目の前のものは見えないことがある、ということです(いや、「そんなはずはない」という人は、ポアンカレ予想でもフェルマーの最終定理でも原論文がネットに落ちているので読んでみればいいです。目の前にあるのに見えません。しかしIQが上がれば、目の前にあるものがお菓子のお家であるかのように楽しいと思います。まあ、お菓子の家が楽しいかどうかは別として)。

ひたすらに準備をすることを、「まといのば」では釣り竿を垂らすと言います(これは昨年亡くなられた山口昌男先生のパクリです)。大量に誠実に釣り竿を垂らすことです。

結果を求めずにひたすらに準備を積み重ねれば、機が熟したものから開花していきます。ハイデガーではないですが、時熟(Zeitigen)です。時が熟せば、勝手に果実は得られます。我々は果実を求めているのではなく、そのプロセスに幸せを見ます(というとスピっぽいですが、まあ事実は事実なので)。

だからこそ「一にも二にも勉強」であり、Yogaで身体を鍛えつつ、原典を読みましょう。


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