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トッド・ガルシアの素晴らしいメスさばきに感動しました!

 

トッドガルシアは解剖の名手です。アナトミートレインで有名なトーマス・マイヤーの懐刀というか、ラボ(解剖教室)のディレクターですね。

 

猛烈に解剖が上手とは聴いていましたが、実際に目で見るとその凄まじさに驚かされます。

 

圧倒的な存在に触れる体験は重要です。

 

*本当に彼には身体が透けて見えています。そして手もまたミギーのように意思を持っているかのようです。

 

名手であるトッドガルシアの解剖を彼の肩越しに(設置されたカメラによって)、間近で観ることができました。解剖ではほとんどありえないウェビナーのおかげです。

 

実際に、今回のパンデミックのおかげで、面白い試みがたくさんできるようになり、面白いことがたくさん起きるようになりました。

 

たとえば、「猛暑なのにマスク」とか

 

いわばこれらは壮大な社会実験ですし、面白いなと最近は積極的に考えるようにマインドセットを切り替え中です。というか、この大騒ぎはリンディ効果によって、どんどん寿命が伸びています。少なくともあと半年は続くでしょうし、そこからまた折り返して2年とか続くのかもしれません。

庶民はしたたかですので、どんどん適応していくでしょうが(いまや、デパートも鬱陶しい検温とか消毒を省略しつつあります)。

 

公務員たちは自分たちの愚かさを、さも賢そうにひけらかしています。専門家は自分たちの愚かさを(以下略)。

本当のところを知らなければ(ソーシャルディスタンスが保たれていれば)敬意を示せていたのですが、緊急事態にあって、すべては日の下に明らかになるのです(黙示録かっ)。

そうすると、公務員や専門家や(政治家)に対する庶民のリスペクトは静かに失われます(大きなメデイアに対するリスペクトも)。

 

これは良いことです。

 

機能しないものは、社会から退場してもらうしかないのです。それがより良い社会を作り出す基礎となります

 

(「公務員や専門家は社会に必要だ!」という意見もあると思いますが、、、実は、僕もそう思います。

でも、それは人でなくてもいいのです。AIで良いのです。

かつてコンピューターとは職業の名称でした。

 

同様にエキスパートやビューロクラシーは、かつて職業やそのシステムの名称だったのです)

c.f.歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として 〜軍艦島、インセプション、エストニア〜 2019年02月25日

 

 

 

話を戻しますと、人体解剖というのは本当に一回きりの体験です。人生をかけて作り上げた肉体を、後戻りもやり直しもできない形で、バラバラにしていく作業です。

そしてその体験は本当に限られた人しか行うことができません(たとえば医師の卵たちなど)。

(いわゆる司法解剖はまた違います。ここで想定しているのは、学習のための解剖です)。

 

そして、解剖は上手下手が明確に出るので、上手でなければ切りすぎてしまい、その組織を損傷してしまいます。

 

メスで切るのは表皮(角質)だけです。残りは剥がすのです(特にハワイ大学では手で組織を分離させていくことを薦めています。もしくはハサミで切るのではなく、ハサミで剥がすのです。普通とは逆向きに使います)。

トーマス・マイヤーはメスをナイフではなく刷毛(はけ)のように使うと言いましたが、まさにそのとおりだと思います。本当に見事に解剖していく手腕に感動しました。

 

ハワイ大学では、「組織は分かれたがっている」と言います。

 

これには僕は痛く感動し、のちに「ロゴスは分岐したがっている」と勝手に情報空間に応用しました(嘘です、、、、いや、嘘でもないのですが、、、

 

実際に情報空間はベタッと一枚岩に見えるのですが、丁寧にそっと触れると、勝手に分かれていくのです。論理は分節化したがるのです。しかし乱暴にメスをふりかざすと、組織は壊れ、その神秘は永遠に失われます)。

 

そうやって観ていく貴重な身体(ご献体)によって、数少ない解剖実習者が貴重な知識を手に入れます。

 

この知識というのは、厄介なものです。

この情報化社会にあっても、その知識だけはほとんど複製が不可能なものだからです。平たく言えば圧倒的に希少なのです

 

今回のように見事なメスさばきの動画をサーバーにアップロードして、ミームのように拡散すればいいじゃないかと思うかもしれませんが(もちろんドネーションの問題がありますが)、、、、結局それは視覚でしかないのです。

 

じゃあ、実際に現地に行って、トッドガルシアのメスさばきを見れば良いのか?(あ、ちなみにハワイ大学の講師陣も本当に神業のように素晴らしく正確に切り開いていきます。もう絶望したくなるほど凄いです。でも彼らが本気で解剖することはほとんどありません。そこでなぜなら解剖するのはあくまでも僕らだからです)。

 

繰り返しますが、そういう神業を間近で見れば良いのか、、、

いや、そういうことじゃないんです。

 

結局、解剖は自分でやるしかないのです。

自分でご献体を前にして、真っ青になりながら、頭をフル回転させてメスで切っていくしかないのです。

真っ青になるのは、それが生涯でほぼ始めてとなる屍体を観るからではありません(それもあるかもしれませんが、秒で慣れてしまいます)。

自分が切ってしまったらもう取り返しがつかないのです。正確に切らなくてはいけないし、急いで切らなくてはいけません(時間がタイトなのです)。

その切迫感は歌や踊りと似ています(文章を書くのとは似ていないかもw)。

 

(ここで急いで一足飛びに結論に行くならば、クライアントを目の前にしたときに、同じ絶望感を抱いて欲しいということです。「私は分からない」という絶望感を。でも手を動かしていくしかないのです。最低限わかるところから、手を動かしていき、少し見えてきたところを手がかりにより深く入るしかありません。

これはメンターでも同じです。

この絶望感を持つ者だけが、見える世界があります)

 

で、何が言いたいかと言えば、その自分の手を動かして頭をフル回転させた経験が、まさに知識の源泉なのです。ですから複製ができず、加工ができず、配ることもできないのです。

自分だけの知識であり、自分だけの経験です(もちろん客観的なものに根差し、その意味では共有可能な知識ですが)。

 

身体系の仕事をされている人にとっては、解剖実習というのは必須科目だと思いますが(もちろん、ほとんど履修されることがありませんがw)、解剖実習を一度受けた人は繰り返し受けたくなります。なぜなら、いかに自分が知らないかを知るからです。そして知ってしまったらもう後戻りはできないのです。

 

教科書がいかに嘘を書いているか、本当のような顔をしたツルッとした嘘が書かれています。でも荒唐無稽ではなく、真実に寄り添った嘘なために一層都合が悪いのです(洗脳と似ていますね。フィクションや詐欺は99パーセントが事実で構築されています)。

 

教科書や解剖書の嘘が透けて見えると、真実の世界が透けて見えてきます。そうすると、当たり前ですが、圧倒的に力がつくのです。解剖をすれば、レベルアップできます。

でも、解剖をして気づくのは、、、、もっと勉強しておけば良かったと後悔しながら、、、、自分の知識が圧倒的に足りないと気付きます。

ですので、「また来年、解剖したい!」というモチベーションにつながります。

これは知識の世界と同じで、知っている人はますます知ることができて、何も知らない人は何も知ることができないからです。

(僕自身はそれほどこの業界を知りませんが、数少ない経験から考えても、、、、失礼な言い方をしますが、その価値がない人が解剖をしており、そして何も持ち帰れずに終わっています)。

 

だからこそ、「まといのば」主催の解剖実習では事前学習をきっちりやりたいと思っています(思っているだけで、なかなか進みませんが、、、ただ、たとえば4月に解剖スクールを開催しました!)。

 

今年の10月の解剖実習はパンデミック禍によって、残念ながら延期となりましたが、その10月に何か解剖絡みのスクールをしたいと思っています。

 

というのも僭越(せんえつ)な言い方ですが、解剖実習によるスコトーマというのがあります。

解剖をしてしまうと、その体験を絶対化しがちなのです。

解剖というのは、本質的には、薄皮をはぐように、Fasciaのレイヤーを剥がす作業です。

 

また余談ながら、トッドガルシアが、表皮と皮下組織である脂肪層を分けて解剖した手腕には本当に驚かされました。もちろん時間がかかってしまうので、そのエキシビジョンは脚部だけで、腕や腹部は通常のように皮下組織から剥がされていましたが(僕らもそうします)。

 

ちなみに、またまた余談ながら、これはトーマス・マイヤーがおっしゃっていましたが、解剖の教科書は深筋膜を剥がしたところから始まるが、実は表層こそが大事だ、と。

たとえば、、、、桃を観て、種が桃だと思ってしまうような感じです(むしろ分かりにくいw)。

 

 

まあ、それはともかく、10月は「生きた解剖学」スクールを開催します!

それも解剖実習のプロコトルに沿って、、、、って無茶な設定で!

ですので、気功整体や身体操作の指導もうまくなるし、、、、解剖実習の予習にもなるようなスクールを開催予定です!(春にやった解剖スクールの受講生は何らかの割引を用意するかもです。でも全然違う内容です)。

 

長くなったので、ここらへんで唐突に終了します!

 

本稿では、トッドガルシアの神業を枕にして、本当は「香水」という楽曲の話をする予定でした。

僕の趣味ではないのですが、耳に残ります(というか、多くの人のカバーが気になって仕方ないw)。

 

というか、カバーなり「歌ってみた」ってとても大事ですね。素晴らしい文化です。

 

ピカソも自分のパクリをするやつにこう言います。そのパクリで収益も上げているので、画商からその贋作を裁判で訴えるように言われます。それに対してピカソはこう返答します。

 

 

(引用開始)

どうしてそんなことを? 私にはできない。どういうことになるかわかりきっている。私が予備裁判に行ったら、犯人が手錠をはめられて入ってくるだろうが、それは私の友人のひとりだろう」(pp.158-159)(引用終了)

c.f.こうして我々の虚栄心、我々のうぬぼれが、天才崇拝を助長する(ニーチェ) 2017年01月03日

 

ピカソの贋作者はピカソにとって「友人」なのです。

 

(ちなみにこれに関連して僕が深く感動するのはビリー・アイリッシュが自分のカバー曲に対して感想を言うシーンです)

[Billie Eilish Watches Fan Covers on YouTube | Glamour - YouTube]

(社会に背を向けて、命を削っている同士でしかシェアできない世界があるのです)

 

 

というわけで、、、瑛人さんの「香水」です!

 

 

 

この歌はかつてふられて失恋したダメ男くん(がまた3年ぶりに誘われて、ほいほいとついていっている非モテっぷり)の歌に聞こえますが、、、、ひねくれて聞こえる僕らには、ヒーラーが社会にどう受容されているかの詩にも感じます。

 

でも見てよ今の僕を
クズになった僕を
人を傷つけてまた泣かせても
なにも感じ取れなくてさ

 

僕らの世界で成功するとか、成長するということは、社会的には「クズ」になるということと近しいです(たぶん)。

 

というか、家族や親戚や友人からは、落ちぶれたなと思われることでしょう。

落ちぶれただけではなく、ひとでなしになったと感じられることもあるでしょう。

 

(「ひとでなし」って「人ではない」という意味でしょうが、実際にヒーラーはその意味で「ひとでなし」になっていきますよね。上手に社会的知性のマントをまとってください)

 

 

ヒーリングしていても、コーチングしていても、

 

人を傷つけてまた泣かせても
なにも感じ取れなくてさ

 

ってなります。

 

傷つけても、泣かせても、情動は動かないので、なにも感じ取れないのです。

相手のホルモンの分泌は感じますが、それだけです。

 

そうであっても、力もなく無知なのに、何でもできると思っていたあの頃には戻りたくないのです。

 

あの頃僕たちはさ
何でもできる気がしてた

 

「こういう感覚を、幼児的全能感とか万能感って言うよねーっ」て思うのです(で、テレビに囲われて、ワイドショー教に洗礼されている人はこういう万能感と、裏に圧倒的な無力感に襲われますね。それってゾンビです)。

 

ですから、この詩は祝祭なのです(多分)。

 

D&Gをこれだけダサく紹介して逆プロモーションするのもまた新しい時代の現れかと(ハイブランドもまた進化して、次の時代に適応するものもあるでしょうが)。

 

 

という話もまた一つのパラグラフでさらっとまとめた上で、本当の本題はYOASOBIの「夜を駆ける」でした。ヘビロテしている人も多いでしょう。

 

これは小説(というか超ショートショート)の「タナトスの誘惑」からインスパイアされた楽曲です(小説から歌をつくるという集団です!)

 

(小説)タナトスの誘惑

 

 

この小説も歌も、文字通り「タナトスの誘惑」です。

 

タナトスというのは、「エロスとタナトス(性と死)」のタナトスです。

エロスとタナトスというのはどちらも神様です(エロスはキューピットでもありますね)。

ギリシャ神話ですね!

 

 

ちなみに、この小説の中で、

 

世の中には2種類の人間がいるという。

生に対する欲動──「エロス」に支配される人間と、

死に対する欲動──「タナトス」に支配される人間。

 

とありますが、これは明らかな間違いだと思います(笑)

それにエロスは生ではなく、性でしょうし。

そしてどちらもがどちらにも通底するでしょうし。

 

まあ、そんなくだらない批判はどうでも良くて、この曲は素晴らしいです。

 

 

とは言え、本当に小説は先に読むべきですね(おしらさんが薦めていたので、僕も読みました)。

というかネタバレが無いと、深く感動できません。

(というか、MVも歌詞もすべてネタバレなのですが)

ネタバレというか、カラクリですね。

 

ちなみに小説というとドストエフスキーを思い描いてしまう方は、ご心配なく。秒で読めます。

2000字程度ですし、携帯小説のようなものなので、最も多い文字がスペースという現代風のショートショートです。

 

タナトスの誘惑

 

First TakeのソーシャルディスタンスバージョンであるThe Home Takeでは、少し違うアレンジで歌われています。

 

 

もう嫌だって疲れたんだって 
がむしゃらに差し伸べた僕の手を振り払う君 
もう嫌だって疲れたよなんて 
本当は僕も言いたいんだ

*全世界のヒーラーたちが、、、「本当は僕も言いたいんだ」って思っていますよね〜。

 

で、この楽曲というか、この物語の中の彼らの選択に対して敬意を表しつつも、別な道もあるし、別なテクニックもあるはずだという話をする予定でした。

 

でも、一緒に闇にも落ちるし、一緒に冥界にも落ちるよという覚悟は、ヒーラーには本当に必要ですね。

逆にそう思えない相手とは仕事をしないことです。

 

というわけで、気が向いたら、また書きます!

 

 

 

【美肌プロ養成スクール 〜透き通る肌の向こう側〜】
【日時】 8月22日(土)13:00〜18:00

     8月23日(日)13:00〜18:00

【場所】 四ツ谷のセミナールーム(丸ノ内線四谷三丁目駅、都営新宿線曙橋駅が最寄り)
【受講料】  230,000円(PayPal決済可能です。請求先アドレスを記載してください)

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【受講資格】 「まといのば」の開催するスクール修了生(もしくはメンター生・修了生)
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【お申し込み】お申し込みはこちら!!

 

 

 

〜8月、9月、10月のスクール予定〜

 

 【美肌プロ養成スクール 〜透き通る肌の向こう側〜】(受講料23万円 8月22日(土)13時から、8月23日(日)13時から)


 【メンター養成スクール 〜脱洗脳とゴール設定〜】(受講料23万円 9月19日(土)13時から、9月20日(日)13時から)

 

10月はハワイ大学解剖実習のコロナ延期を受けて、「生きた解剖学」スクールの開催です!

 

10月に予定しておりましたハワイ大学医学部解剖実習はコロナ禍の影響のため、延期です!!

【まといのば主宰「ハワイ大学医学部解剖実習スクール」(受講料396,000円、10月2日(金)、3日(土)、4日(日) 〜ハワイ大学医学部現地集合、現地解散。飛行機やホテルの手配は別途必要です!)

スクールお申し込みはこちら

(解剖実習のみは定員のため、キャンセル待ちを受け付けています)。

 

*10月のハワイ大学医学部解剖実習はアメリカ本土のコロナ禍を受けて、延期です。

ただいずれにせよ開催はしますので、お楽しみに!

(具体的には、ハワイが渡航制限を7月15日に再延長したこと。ハワイから帰国した際に2週間の隔離を強制されること。そしてハワイ州の指導により、解剖実習室でも密を避けねばならないため、一献体あたり3名から4名で解剖という、、かなり無茶な状況があります。10名でもハードなのに、4名では不可能です。現状ではもっと少ない人数で解剖すると言われています)