そういうどこか不器用で歪(いびつ)で、ねじ曲がったような闇があるからこそ、それがゴールになる | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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アディトレマスタースクールが無事に終わりました。

 

今回はいろいろな意味で強烈なスクールでした。

 

あまりに強烈だったので部外秘にしたいので(笑)、ヴァーチャル受講の申込みはこれをもって終了とします!(これまで申し込まれている方にはもちろん配信します!お楽しみに!)

 

 

おそらくいろいろな意味で、記憶に刻みつけられるスクールになると思います。

 

また、ここから羽ばたく方は多いでしょう。楽しみです。

 

 

 

 

 

たとえば、、現代医学の狂っている点は、栄養という視点がないことです。栄養学の軽視などではなく、栄養がスコトーマになっているのです。

 

 

食べたものが身体になるにも関わらず、栄養が健康と関わりないか、もしくはあまりにも影響が少ないかのように考えています。

 

 

「薬食同源」や「汝の食事を薬とし」(ヒポクラテス)という視点が抜け落ちています。

 

また「すべての病気は腸から始まる」(ヒポクラテス)も同様です。

 

 

ここ数年で紹介してきた全ての概念を有機的に連関させながら、頭の中で論理的に展開する能力をまず得ます。

 

たとえば副腎疲労はリーキーガットと強く関連しますし、リーキーガットは腸内細菌叢の問題があります。

 

その機序を正確に理解すると、逆手に取ってハッキングができます。

(しかしハッキングだけでは不十分です)

 

 

 

いわゆる常識のほとんどがいかに間違っているかをつらつらと眺めていくと、脱洗脳の風景が見えてきます。

ここには書けないような利権の数々が、我々の認知を歪め、そして健康を害していきます。

情報が先、物理があとなのです。

 

現代医学の裏にあるのはベルカーブなので、平均値が基準とされます。

しかし健康は平均値ではなく、いわば異常値なのです。

 

 

現代医学の「治療」なる行為はいわば平均値に向かって移動する作業なので、全体の健康が害されていると、その平均値は不健康ということになります(たとえば生物としての過体重が平均値で「健康」とされるような狂った自体が起こります)。

 

ごちゃごちゃ書いていますが、言っていることはシンプルです。

 

たとえば、多くの人が肥満になっている世界では、生物としての適切な身体(と体重)は「痩せすぎ」と判断され、治療の対象となりかねないということです。なぜならその平均値は「肥満」なのに「健康」と見なされるからです。

 

そんなことあるはずがないと思うかもしれませんが、これは海水モデルと同じで、分かりやすいモデル化です。

 

これだけ見れば間違いに見えるでしょうが、これはモデルでわかりやすさを優先させただけです。

 

たとえば、海水を飲み続けて死ぬ人はいません(いや、いるかもしれないですが)。

 

 

 

また砂糖水だけを飲み続けて肥満になる人もいません(砂糖水なんてたくさん飲めるものではありません)。

 

しかし巧妙に仕掛けを何重にもすることで、その不可能なことが可能になるのです。

 

ですから、肥満なのに健康、痩せすぎなのに不健康で治療の対象というモデルも同じです。

 

巧妙な仕掛けを何重にもすることで、健康を罰する世界が来ているのです。

 

 

そして、3人に1人が癌で死ぬという狂った世界が到来しているのです。

これは現代医学の失敗なのですが、現代医学のCapitalismな視点から見たら大成功なのです(おそらく)

また、最近の感染症に関しても同様です。薬屋さんの最後のバブル到来なのでしょう。

 

ムーアの法則という半導体の集積率が1年半で2倍になるという経験則があります。法則という名前ですが経験則であり、それに従う理由はないのですが、しかし現実はそれに従っているという不思議な法則です。

 

 

Mooreをひっくり返したのが、ERoomの法則です。

 

過去60年間のアメリカの製薬の歴史をたどると、認可される新薬の数が9年ごとに半分に減ってきているという話です(研究開発費10億ドルあたり)。

逆に言えば、新薬開発コストが9年で倍になるという悪夢です。

 

ということは必然的に限界が来ます。というか、もう来ているのでしょう。

 

現代医学の選択肢は、基本的に手術かお薬です。そして「テスト、テスト、テスト」です。
(PTやOTの立場やリハビリの現状を知っている人は、そこが現代医学の主戦場ではないことは理解しているでしょう。また病院食を知っている人は、現代医学が食について軽視しまくっていることも)

 

テストの結果としては2つです。

工場のベルトコンベアーに載せられるか、もしくは「経過観察」という名の放置プレイとなります。

 

 

これが狂っていると思えれば、幸いですが、多くの人は普通のことと思ってしまいます。思わされているだけであり、これは文化的な洗脳です。

 

なぜ狂っているかと言えば、たとえばユナニ医学(古代西洋医学)、たとえば中国医学、たとえばアーユルヴェーダのようなインド医学を考えると分かります。

 

未病というのは東洋医学(中国医学)の言い方ですが、その未病の状態で病気になることを予防するという視点が欠落しているのです。「経過観察」ではなく、そこで病気として治療が必要な状態にしないように防ぐという観点が完全に欠落しています。

 

食事も運動も休息も、です。

 

 

 

しかし欠落している部分を補完するだけでは、不十分です。

 

次のパラダイムを観なくてはいけません。次のパラダイム、次の医療の形は分かりませんが、それを推定することはできます。温故知新です。

 

古きをたずねると、現代医学の狂気がうっすらと見えてきます。我々の認知の歪みも。

 

 

ここで、スクールのフィードバックを紹介します!

 

 

(引用開始)

アディトレマスタースクールありがとうございました。

2日間盛り沢山で、最後は先生に直接ヒーリングをしていただき、本当にありがとうございました。

今日は、夕方までほとんど動けず、寝ていました…(夜にはセッションだったのでなんとか復活しました 汗)

色々と心身ともに書き換えが進んでいる感じがするので、ゆっくり休みながらペースを戻していきます。

今回先生に「力のわりに認められていないと感じる悔しさがあるでしょ」と言っていただいて、まさにそれだと感じました。

正確には、自分の中のそういう悔しさみたいなものすら、忘れかけていました。(なんというか、忘れることで自分を守っていたように思います。)

いやむしろ、その悔しさだけでは進めなかった時期が長くて、いつしかそういうものを置いておいて、でも、久しぶりにそういう悔しさのようなものが自分のコアというか、猛烈なwant toだったよなということが改めて再確認できました。

そういうどこか不器用で歪で、ねじ曲がったような闇があるからこそ、それがゴールになるのだなということが改めてわかった気がします。

これを引き出せとイエスが言ったあの言葉が少しだけ、改めて身体でわかった気がしました。

今回も濃い2日間ありがとうございました。

 

(引用終了)

 

 

ここで言及されたイエスの言葉とは、、、

 

(引用開始)
 イエスが言った、「あなたがたがあなたがたの中にあるものを引き出すならば、それが、あなたがたを救うであろう。あなたがたの中にあるものを引き出さなければ、それは、あなたがたを破滅させるであろう」 (引用終了)(トマス福音書45:29−33)

 

のことです。なぞなぞのような言葉ですが、「まといのば」のメンバーにはおなじみでしょう。

 

 

実際にアディトレマスターとしては、この「あなたがたの中にあるもの」を引き出すことが最重要の役割となります。

 

ほかはあとからいくらでも着いてくるのです。

 

ただそのためには最低限の知識と論理は必須です。

 

c.f.あなたがたがあなたがたの中にあるものを引き出すならば、それが、あなたがたを救うであろう(イエス) 2020年03月13日

 

 

c.f.「自らの中にある黒い炎に名前をつけるため、自らの煩悩の正体を知るため(最澄)」 2015年08月16日

 

 

 

 

 

その上で、なぜイエスが思い煩うなというかも知る必要があります。

 

それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
(6章25節、26節)

 

c.f.炭水化物が良くないわけでも、糖質が良くないわけでもない、良くないのは... 2014年02月26日

 

 

 

 

その上で、アディトレマスターは、それぞれの人生の物語を紐解き、謎を解くことです!

 

大枠としてのガイドラインはあっても、国民皆保険制度のような一律の処方は存在しません。多様性と複雑性が重要です。それはまさに自然そのものです。内なる自然に対する処方は外なる自然です。そして自然に委ねることが大事なのです。