夢ならばどれほどよかったでしょう。戻らない幸せがあることを、最後にあなたが教えてくれた(米津玄師 | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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「いやいや、自分にはそんな深い絶望も無ければ、怒りも、衝動もない、、、、、」というのは、本当でしょうか?

 

 

何の話かと言えば、昨日の記事でヒーラーとして独り立ちする人の多くは、気功を学び始めたころに、自分の親(ちか)しい人を亡くしているという話をしました。

 

c.f.われらはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した〜私達は死を賭した お前は何を 2019-01-01

 

これはオンラインメンターという講座のコンテンツ冒頭での忌々しい「予言」でもあります。

多くのプロのヒーラーが伏せている公然の事実でもあります。

 

気功によってなんとかその親しい人をなんとか癒やしたいと思い、それが半ば成功した時もあり、手応えも感じているのに、最後は力及ばずで、手のひらから砂がこぼれるように、命を失ったという経験です。

自分の無力を痛感し、気功の無力を痛感し、取り返しのつかいないことに長いこと絶望する経験です。それは怒りであり、哀しみであり、絶望であり、無力感であります。やりようのない感情に身を焦がすでしょう。

 

でも「そんな経験がない自分には、ヒーラーとして本気で独り立ちするのは無理なのでしょうか?」、と悩む人も多いでしょう。

 

しかし、それは本当なのでしょうか?

 

自分にはそんな経験が本当にないのでしょうか?(まあ、これからかもしれないということはありえますが)。

いや、嘘をついているのではなく、忘れているだけなのかもしれないということです。

 

 

 

 

お釈迦様の言葉を思い出します。よく知られている物語です。

 

幼い娘を亡くして泣いている母親に向かってお釈迦様はこう言いました。

 

母の名はウッピリー、亡くした娘の名はジーヴァーです。

 

火葬場で泣くウッピリーに対して、お釈迦様は強烈な声がけをします。

 

 

(引用開始)
母よ。
そなたは「ジーヴァーよ!」といって、林の中で叫ぶ。
ジーヴァーという名の八万四千人の娘が、この火葬場で荼毘(だび)に付せられたが、それらのうちのだれを、そなたは悼むのか?
(引用終了)(『尼僧の告白』p.19)

 

ジーヴァーという名の八万四千人の娘がこの火葬場で荼毘に付せられたが、それらのうちのだれを悼むのか 2017-08-15

 

 

もちろん、ここで母が悼むのはもちろん自分の娘に決まっているのですが、しかし、ここで他の8万4千人のジーヴァーが意識に上がるのです。自分の娘と同じ名を持つ8万4千人の娘がこの火葬場で荼毘に付せられ、そしてその後ろにはその数倍の嘆く遺族の姿がいて、その数倍の友人知人がいたはずなのです。

 

哀しみの最中(さなか)には、自分だけしか見えなくなりますが、抽象度が上がると、自分と同じ哀しみと苦しみを経た多くの家族が見えてきます。

 

 

 

 

余談ながら、僕はここで「星の王子さま」の痛切な叫びを思い出します。

 

ぼくは、この世に、たった一つという、めずらしい花を持ってるつもりだった。

ところが、じつは、あたりまえのバラの花を、一つ持ってるきりだった。

(サン=テグジュペリ『星の王子さま』)

 

子供の読者には非常に分かりにくいのですが、王子様の星にいたこのツンデレのバラの花は星の王子さまが愛した花です。愛する人と考える方が近く、その愛する人との無邪気な傷つけ合いからの逃避行の途中に地球に降り立ちます。

 

地球という巨大な星でバラの花園を見て、上記の悲痛な叫びとなります。

 

@星の王子さまミュージアム

*星の王子さまが住んでいた星は本当に小さな星でした。

 

 

この悲痛な叫びに対して、キツネが(あの「かんじんなことは、目には見えないんだよ」と教えてくれるキツネどんが)全く違う解決を与えます。与えますが、この叫びの持つ地平もまた重要かと思います。

 

*「星の王子さま」(サン=テグジュペリ著)

 

キツネはこう言います。

もう一度、バラの花を見にいってごらんよ。あんたの花が、世のなかに一つしかないことがわかるんだから」と。

見に行くバラの花とはもちろんバラの咲き誇っている庭のバラたちです。

ここでわかるのは、星の王子さまが愛したバラとは「あたりまえのバラの花」であり、一方で「世のなかに一つしかない」バラの花なのです。

 

@星の王子さまミュージアム

 

 

閑話休題(話を戻して)

 

釈迦は「どのジーヴァーを悼むのか?」と母親に聞きます。

僕には鬼畜の所業に感じますがw

 

 

これは同じく別の釈迦の言葉を思い出せます。

 

同じ子供を亡くした母親の悲痛な物語であり、芥子(けし)の実を巡る物語です。

 

死んだ幼子を抱えたまま、この子を生き返らせて欲しいと狂わんばかりのゴータミーに対して、釈迦は「芥子(けし)の実」を持ってくるように言います。

しかし、その芥子の実はこれまで一度も死人を出したことのない家からもらってくるように、と。

 

芥子の実はありふれていますが、(だからこそゴータミーはぬか喜びしたのでしょうが)、死もまたありふれているのです。

 

芥子の実も死もありふれていることに対して目を閉ざしていたのが、釈迦の言葉とそれに促されたゴータミーの行動によって、目を開かれるのです。

 

死がありふれているように、同じく絶望(なり「壁」というもの)もまた本来はありふれているのです。

それがどのようなカタチを取るかは別としてありふれているのです。

 

そしてそれを見ないふりをすることもまたありふれています。

 

 

 

絶望や苦しみや哀しみやグロテスクな自分の姿に蓋をして、その蓋にもまた蓋をして、そこにまた蓋をすることで、自らの凡庸さを演出しています。演出していることにも蓋をして、無限後退していきます。

 

 

でも、たまに射し込む光によって、我々はその蓋の蓋の蓋の底にある何かに気付かされます。

 

 

たとえば、いま話題の米津玄師さんの「Lemon」に感涙した人がいたとしたら、それは自分の中の盲点が外れたのです。

その哀しみは「ジーヴァー」と叫ぶウッピリーの哀しみであり、幼子の突然の死に半狂乱になるゴータミーの哀しみです(たぶん)。

 

我々は音楽や物語ではじめて現実の奥にあるリアリティに触れることができます。

c.f. 「俺の弟は去年、撃ち殺されて、その時も俺は泣かなかったんだけど〜悲劇の入れ子構造とカタルシス 2017-11-22

 

夢ならばどれほどよかったでしょう

未だにあなたのことを夢にみる

 

戻らない幸せがあることを

最後にあなたが教えてくれた

 

*余談ながら、米津玄師さんの活躍を見ると、村上隆さんが「劣悪な社会こそが芸術家には「いい環境」と言えるのかもしれません」とおっしゃっていたことを思い出します。日本の音楽シーンのことは分かりませんが、村上さんはこう言います。

 

日本の音楽シーンが発展しているのは悪い時代のイギリスと同じ状況になっているからではないでしょうか。

経済はズタボロで外交は目茶苦茶で誰も政府のことを信じていない・・・・・・イギリスもヤバくなるほど音楽がよくなりましたもんね。

日本の音楽が世界的にいいところにいっているなら日本がズタボロであることの証拠になるかもしれません(p.219 村上隆『芸術起業論』)

 

 

 

ヒーラーでもヒーローでも、シナリオは決まっています。

 

平凡な人間の平凡な日常に突如降って湧いたような事件があり、絶望の淵に追い落とされ、そこで自分を見つめ直して、「自分にはこれしかない!」というものを発見して、仲間や師やライバルのおかげでその強みを磨き、いろいろな裏切りや絶望を繰り返しながら、艱難辛苦汝を玉にすを地で行き、そして最後に偉大なことを為す(かもしれない)、と。

 

 

自分の最大の敵は自分自身〜どんな歩みにも意味がある(ミッション・インポッシブル/フォールアウト) 2018-08-17

 

(ブログからの引用開始)

思い出すのは、マーベルの重役のインタビュー映像の言葉です。

 

彼いわく、ヒーローというのは、完全無欠な存在ではなく、普通の人がとんでもない環境に巻き込まれて、そこで生き延びることだと(すなわち我々の誰にでも起こることであると)(逆に、そこに共感を持ってもらうことで、ヒーロー物語が生き延びているということでもあります)。

 

シンプルに言えば、環境が変わることで、自我が変わるのです。

自我を変えても仕方ないので(ってか、変わらないので)、環境を変えましょう。(ブログからの引用終了)

 

 

しかし、我々はいつもウッピリーやゴータミーなのです。

 

単にヒーローの種やヒーラーの素(もと)を抑圧しているだけであり、心に幾重にも蓋をしているだけです(そのパンドラの箱を開けることが本当に幸せかは別として。蓋は必要があって、されているので)。

 

その蓋を開けるには、一筋の光だけで十分なのです。

 

 

 

【書籍紹介】

 

*なんか狂った値段になっていますが、、、リンク先では真っ当な値段みたいです。

*今回の記事とは何の関係もないのですが、書籍紹介と書くとなぜかまっさきに紹介したくなります。

 

 

*お馴染み「ジーヴァーよ」と叫ぶ母を含め、後に尼僧となる女性たちの物語です。

 

 

*著作権が切れて、いろいろな訳が出ていますが、昔なじみで言えば内藤濯さんの翻訳ですね。

 

 

*上記の引用は単行本からです!

*非常に面白いです!

 

 

【動画紹介】

米津玄師さんはデザインというかCDのジャケットなどの絵も描きますが、ダンサーでもあります(って、何者??)。

 

 

 

というわけで、告知関連です!

 

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