苫米地先生のライブに行った方からフィードバックを頂きました。
音が共感覚で聞こえてくる体感についてです。
(引用開始)
もう一つ報告があることを思い出しました。ライブの効果かも、と思うことが昨日もありました。
久しぶりに、オーケストラを聞きに行きました。
協奏曲3つという豪華版だったのですが、最初のメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲は、3つのうちの最初のせいか、演奏者が少し緊張している感じがあって少し演奏が走っている感じで、気持ちよく寝てしまいました。
二つめのドヴォルザークのチェロ協奏曲では、ドヴォルザークがアメリカ滞在の最後に書いた曲ということが頭にあったせいか、アメリカ大陸や地球を感じました。
これも少しだけ寝てしまいました。
そして最後の、ラフマニノフのピアノ協奏曲は、宇宙を感じることができました!
この曲は良く知っているということもあって、一睡もしませんでした〔笑)!
土曜日に博物館で感じたように、自分が今までとは確かに違った感じ方をしている、と思いました。
これもドクターのライブのお陰!と思って、またまた嬉しくなっています。
武満徹氏が、作曲について「音は宇宙に存在していて、自分はそれを見つけるだけ」というようなことを言っていた、ということも思い出しました。
ところで、演奏も「緩む」ことがキーワードだと思いますが、若く可憐なピアニストの美しい音を聞きながら、「練習を怠ると指が細くなる」と言っていたピアニストがいたことを思い出し、それって「筋トレピアノ」だったかも、30年も前の話だからしょうがないか、なんて思っていました。
(引用終了)
共感覚と言うのは、感覚に目覚めて、適切に訓練すればきっちり開発できるものです。コツの一つは自分の共感覚に気付き、自覚することです。フィードバックであり、Rゆらぎです。
共感覚の訓練方法は苫米地先生の書籍でも繰り返し取り上げられています。
まさに音は情報宇宙に存在していますね。
「見つけるだけ」というのは非常に示唆深いと言えます。
モーツァルトにせよ、ピカソにせよ、天才と呼ばれる人達の共通点でもあります。
彼等は自分で「作り出した」というより、「目の前にあるものを、持ってきた」という感覚が強い気がします。
自分が生み出したというより、「神」や「宇宙」や「潜在意識」が自分にもたらした、という感覚です。それを「インスピレーション」と呼んだり、「啓示」と呼んだりします。
「ユリーカ」とアルキメデスが叫んだときは、その情報空間にアクセスできた瞬間です。当然ながら、非常な快楽を伴います(なぜでしょう?)。
逆にその状態(「情報空間」)にアクセスできれば、アイデアの泉が尽きることはありません。ではどのようにアクセスすればいいのでしょう?
なぜモーツァルトはあれほど多作だったのか、なぜピカソは?と疑問は尽きませんが、それに対する答えを我々は手にしています。
ここでは詳述しませんが、変性意識だけでは不十分です。
*武満徹は96年に亡くなった日本を代表する世界的な現代音楽家。
「私は音を組立て構築するという仕事にはさして興味はもたない。
私は余分を削って確かな一つの音に至りたいと思う」
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