24時間、気を出し続けるってどういうことですか? | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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「24時間、気を出して下さい」と言われて、途方に暮れます。

でも日常生活もありますし、仕事もあります。いつも手から気を出すわけには行かないでしょう。

ましてや手を動かせないシチュエーションもありますし、瞑想を24時間維持できるのは山に篭った人だけでしょう(出家者ということではありません。彼等は朝から晩まで非常に忙しいです。しかし彼等の多くは瞑想を維持していますが) 。

ではどうやって俗世に生きる我々は24時間「気を出し続ける」ことができるのでしょう(「俗世」というのは洒落です。意味はありません)。

これは真剣に考える価値はあると思います。
ご自分なりの結論が出てから、そしてそれを試されてから、これ以降の議論を読まれると良いかもしれません。

なぜなら第一に人それぞれのやり方がある、ということ。第二に(これはかなり重要なポイントですが)、人は自分が見出だしたもの以外を「重要」と認識しないからです。

方法論コレクターの問題点はここにあります。様々な手法を熟知し、理論を知っていて、次々と新しい方法論を学んでも、一歩も先へ進まないと感じることはないでしょうか?

コレクションはどれだけ集めても、身につかなければガラクタでしかありません。塵(ちり)も積もってもゴミにしかなりません。

情報も同じです。素晴らしい情報を集めても、収集している本人のスコトーマが外れなければ、それは無意味です。

逆に膨大に勉強してきた人が、ある小さなきっかけを理由に、全てが有機的につながり、「ユーリカ(分かった!!)」という状態になることがあります。
それまで「言葉」でしかなかったことが、「肉体」を持つ瞬間です。「なるほど、そういうことか」と納得したとき、人は「学ぶ」のではなく、「見出だす」のです。自分の中に「見出だし」ます。

人は与えられたものは、簡単に投げ出しますが、見出だしたものは大切にします。ライナスは自分の見出だし「毛布」以外は、どれほど肌触りがよく、温かく、臭くなくても、見向きもしないでしょう。

重要なのは「学ぶ」ことではありません。それは2番目であり、1番目は自分の内側から何かを「見出だす」ことです。
何かとはかつては「真理」と呼ばれたような何らかの本質的な情報です。本質的なのは本人にとってです。ロジックとかカラクリと我々が呼ぶものです。

「まといのば」の講座では、その「見出だす」ための「気付き」の瞬間を提供できたらと思います。座学で勉強できることは、ブログなり書籍で一人で学んで欲しいと思います。用語や理論はリテラリーに学べる分は学んであると、お互いに時間と空間を共有できる機会を有効に利用できます。


さて、では24時間「気功を続ける」コツとは何でしょう?
これは大きく分けて2つの方法があります。

ひとつめはシンプルです。

まず気を出します。手を使い「気を出す」訓練を繰り返し行います。その上できちんとフィードバックを取ります。

ある程度習熟したら、手を使わないで「気を出して」みます。
実際に手を使わずに、イメージで手を使います。すなわち手を使っているかのようにイメージして、気を出します。
もしくは「目から出す」なども良いかもしれません。その時もきちんとフィードバックを取ります。

いずれにせよ「手を使わない」で気を出すことを覚えます。
それに習熟したら、寝ても覚めてもその状態を維持します。

周りから少しおかしな人に見えるかもしれません。
でもそれくらいで良いと思います。

その状態の維持に慣れたら、今度はそれを寝ても覚めてもに移行します。24時間「気を出す」ようにイメージする感じです。

段階を踏めばできるようになります。重要なのは、24時間維持したいという強烈なwant toであり、ゴールです。「維持」しないと死んでしまうくらいの強烈さが必要です。

そうすれば、同じく「維持しない」と死んでしまう「呼吸」のように、ホメオスタシスとなり普通にできるようになります。


もう一つの方法はもっとシンプルです。

自分と自分の身の回りの物理的現実世界をいつも「ゆらがせる」ことです。自分も周囲も情報に過ぎないとリアルに思うことです。いわば映画Matrix(マトリックス)と同じリアリティです。

全ては脳幹に差し込まれたプラグから入ってきた情報によって見せられただけと認識することです。物理的現実世界と我々が認識しているのは、バーチャルリアリティに過ぎないと本気で確信します。しかしバーチャルリアリティとは言え、そこにはアルゴリズムが存在し、ミスれば身体は物理的に傷つくし、ひどければ死んでしまうこともあります。それがマトリックスの世界でした。バーチャルリアリティとは言え、傍観者になれるわけではないのです。


ちなみにマトリックス的世界観を否定する根拠は実際はありません。そして脳の立場で言えば、物理的現実世界であろうと、マトリックス的世界であろうと同じです。

目の前の現実世界はバーチャルでしかないという確信を持ち、「情報に過ぎない」と見なすことです。それを24時間維持するだけです。

いわばマトリックスの主人公である「ネオの目」を持つことです。

実際、その「目」を持つ人々が世界を変えていると言っても過言ではないと思います。



*Apple社の有名なCM「Think different」はそのことを巧妙に描いています。