ペガサスの翼

 

第四部

 

 

砂嵐

 

シャリシャリと機体を打つ音が響く。辺り一面茶色い世界だ。上空1000mまで巻き上がった砂嵐は地上の全てのものをその分厚いカーテンでくるんでいた。何も見えない。何時収まるとも分からないこの大自然の気まぐれを静観する余裕は、今の朱羽煌雀にはなかった。

愛すべき白布衣日夜子が、自らのブラックホールにより時空の彼方に飛ばされて明日で3ヶ月。彼女の身を守る電磁シールドのエネルギーはもう切れかかっているだろう。紗端は確実にここにいる。気配がそれを教えてくれる。すぐにでも決着をつけて、時空への未知の冒険に飛び込まなければ・・・

計器類は全く役に立たない。視界もゼロ。朱羽煌雀は目を閉じて感覚を研ぎ澄ませていた。蒼鱗龍娯と玄蘒武炫と白牙虎鉧、見えないテレパシーのやりとりが彼らの居場所を教えてくれる。彼らは朱羽煌雀を信じて、その間隔だけを保って飛行していた。

《砂漠を飛ぶと蒼鱗に受けた飛行訓練を思い出すよ。もっともこんなひどい砂嵐で飛行したことはないがね。》

朱羽煌雀が笑みを浮かべながらテレパシーを送る。

《遠い昔の気がするけど、3ヶ月も経ってないんだよね。あの頃は良かったよ、朱羽がまだよちよち歩きでさ。いじめがいがあったもの。》

蒼鱗龍娯が笑いながら答えた。

《今じゃ逆にいじめられる立場だよな。どうあがいたって朱羽にはついて行けなくなっちまった。限界速度が違いすぎるさ。》

白牙虎鉧の声だ。

《朱羽は決して特殊能力を使ってるわけじゃないぞ。俺たちの鍛錬と度胸が足りないのさ。資質の差もあるだろうが、それを認めるのは悔しいしな。それよりこの砂嵐の中をフィルターもなく飛行して、よくこいつはいかれないものだ。》

玄蘒武炫が感心する。

《悪食だからね、こいつは。何でも食って消化しちまう。》

白牙虎鉧がおどけたように言う。

《多少消化不良を起こしてるよ。推進器に必要なのは陽電子、単純な元素ほど取り出しやすいからな。吸い込んだ砂のほとんどは単にさらさらに分解されて放出されるだけさ。思ったように加速していかないだろう?》

朱羽煌雀が説明する。海中で夢を見て以来、推進器の仕組みが自分の体の一部のように手にとるように分かる。朱雀の感覚だろう。そして今や光速へのゆるぎない自信もあった。

 

《フライングシャトーは本当にこんなところにいるのかね。》

蒼鱗龍娯が疑問を投げかけた。もしここにいなければ、この捜索が徒労に終われば、日夜子は永遠に消滅してしまう。

《ねえ朱羽、ブラッククロスやラプトルはあたしたちに任せて、あんたは時空へ移動することを考えたらどうだい?日夜子さんが気が気でないよ。》

《日夜子の元へ一刻も早く行きたいのは確かだ。行けるかどうかも確証がない。だが・・・この地球を紗端の魔の手から確実に救うのが第一だ。》

朱羽煌雀は自分に言い聞かせるように答えた。

《それに・・・やつらはほぼ確実にここにいる。さっきから凄い気配を感じてるところだ。》

低速で砂嵐の中を飛行すること15分。低速とは言っても音速はゆうに超えている。既に砂漠を一回りしようとしていた。

『!!』

朱羽煌雀は突然脳天を突き刺すような気を感じた。

《ここだ!止まるぞ!》

4機の高速飛行物体は空中に浮遊するように停止する。

《感じないか?すぐ傍だ。》

(ビュウゥゥゥゥゥ・・・・)

激しい風の音が機体を揺らす。朱羽煌雀は目を閉じ、全身の毛穴を開いて、ラプトルの押し殺した気を探る。次の瞬間、機体に凄まじい衝撃が襲った。

(ドン!!)

思わず声を上げそうになった。恐ろしい形相のラプトルの顔が薄いキャノピー1枚を隔ててそこにあったのだ。ラプトルは口の端をニヤリと歪めると鉤爪を振りかざす。それが振り下ろされる間際に朱羽煌雀は機体を左に揺すった。バランスを崩したラプトルの体が鏡水で磨かれたSuzakuの表面から滑り落ちる。キキーとガラスを引掻くような音も虚しく、ラプトルの爪はダイヤモンドの硬度を持つ機体に活路を見出すことは出来なかった。ラプトルは滑りながらSuzakuの機体を強く蹴って飛んだ。砂のカーテンの向うにチラリと黒い三角翼が見えた。ラプトルは鉤爪をブラックデルタから伸びたフックに引っ掛ける。再び砂嵐が朱羽煌雀の視界を遮った。

《どうしたの朱羽、何があったの?》

蒼鱗龍娯がテレパシーを送る。他の3機からは全くSuzakuの様子が窺えないのだ。

《お客さんのお出ましさ。》

朱羽煌雀が答えるや否や、蒼鱗の悲鳴が頭を揺るがした。

《キャーーー!!》

何が起こったかは明らかだ。ラプトルの次の標的に選ばれたのだ。だがいくらラプトルが仕掛けようとSouryuの鉄壁の殻を破ることは出来まい。

《ラプトル・・いや紗端!無駄なことはよせ。》

朱羽煌雀が強い思念波を送った。

《ギャアッハッハッハ、無駄はお互い様だ。そんなものに乗ってる限り俺様の身のこなしに付いては来れまい。時間が立てば振りになるのはどちらだ?小娘の悲痛な断末魔が聞こえるようだぜ、ギャアッハッハ》

悔しいがその通りだった。この砂嵐では高速で飛ぶSuzakuからラプトルの姿を捕えることは出来ない。向うは特殊な感知機を持っているのだろう。この視界の中、正確にこちらの位置を掴んでいるようだ。

《一旦着地して俺は降りる。》

意を決したように朱羽煌雀が言った。

《な、何言い出すんだよ、朱羽!》

《冷静になれ、自棄は止めろ!》

《そうだよ、生身でラプトルに立ち向かう気かい?自殺行為だぜそいつは!》

3人が口々に朱羽煌雀を諌める。

《奴の言う通り、このままでは為す術がない。今はもう一刻の猶予もないのだ。》

朱羽煌雀はSuzakuをゆっくりと下降させると砂丘の間に着地させた。キャノピーを開けると目も開けられないほどの砂塵が襲い掛かる。全身をオーラで包み、朱羽煌雀は身構えた。

《さあ、来い!決着をつけようじゃないか、紗端。》

人類の、地球の命運を賭けた壮絶な戦いの火蓋が今切って落とされようとしていた・・・。

 

 

戦いの火蓋

 

赤茶けたベールの向うに、黒いシルエットが浮かび上がる。尖った口、長い尻尾、身の丈は人間とさほど変わりないが、そこからほとばしる異様な殺気はとてつもない威圧感となり、その姿をより大きく感じさせる。

「フシュルルルル・・・・ブフン!」

激しい鼻息が風音を切り裂いて聞こえてくる。

《朱羽煌雀・・再び相対することが出来て嬉しいぞ。お前をこの場で葬り去ることを考えただけで身震いする。ファッハッハッハ》

背筋が凍りつくようなテレパシーに頭の芯が痺れる。

《生きた化石は大人しく土に帰れ。さもなくば時空の彼方へ送るのみ。》

朱羽煌雀はゆっくりと身に纏ったオーラを回転させ始める。体中の血液がそれに呼応して磁力を強める。オーラの回転は竜巻のように速くなり、朱羽煌雀の周りの磁場を歪めていく。突然目の前のラプトルが飛んだ。鉤爪がスローモーションで迫り、(ブン!)という空気の振動と共に朱羽煌雀の衣服が裂けた。太腿からうっすらと血が滲む。

《ファッハッハよく直撃を避けたな。そうあっさりと決着がついてはつまらん!グフフフ・・・》

朱羽煌雀は愕然とした。ラプトルの恐るべき瞬発力、普通の人間ならその動きを見る事すらできぬ間に体を貫かれていただろう。だが普段の自分なら造作なくかわせるはずだった。磁場を歪めて時間の流れを遅らせても、この砂嵐が抵抗となりまるで水中にいるように体が思うように動かないのだ。再びラプトルが動く。今度は強力な尻尾を鞭のようにしならせながら疾風のごとく近寄ってくる。前後左右どこに避けても尻尾の直撃が待ち受けている。朱羽煌雀は一瞬身を屈め、ジャンプした。ラプトルの尾は軌道を変え上に跳んだ自分を追ってくる。ラプトルの動態視力は朱羽煌雀の動きが見えるのだ。そしてそれに対応する反射神経!地上に現存するいかなる生物をも凌駕する最強の肉体。

『!』

朱羽煌雀の秘められた力が呼び起こされる。オーラを勢い良く噴射すると体が宙に浮いた格好になった。手足を丸め、できるだけ小さくなる。ラプトルの尾は丸めた足の下で空を切り、反動で朱羽煌雀の体はフワリと風船のように舞い上がった。5000年の昔、富士の樹海の木々の天辺に浮いた記憶が蘇る。この感覚だ。宙を行く精霊達と交した挨拶が昨日のことのように思い出された。

ラプトルがジャンプする。宙に浮いた朱羽煌雀の目の前に恐ろしい顔がアップになる。

「ギャオォォォォォォォォォ・・・・・ン」

凄まじい咆哮が耳を劈く。朱羽煌雀は反射的に体の周りのオーラの密度を高める。ラプトルは太い後ろ足で朱羽煌雀の体を包むように押さえつけ、身動きを封じた。口が大きく開き、朱羽煌雀の視界を暗く遮る。間近に鋭い牙から糸を引いた唾液が不気味に光るのが見えた。

(ガキン!)

ラプトルは噛み切ったはずの朱羽煌雀の頭に思わぬ歯ごたえを感じた。朱羽煌雀の周りに密集したオーラが金色に輝き、強固なバリアを形成していた。オーラの具現化。これまでエネルギーとして操ってきたオーラが物質を撥ね退ける硬い盾に変貌したのだ。自分が元来持つ力もあるだろう、だが身を犠牲にして自分と一体化した老師宗陰の力が働いている事を朱羽煌雀は感じていた。

身動きできない体勢で朱羽煌雀はラプトルの背後に精神を集中する。ボワーと漆黒の球体が発生し、キラキラ光を放ちながら砂嵐を吸い込み始めた。そのままブラックホールを自分に向けて引き寄せる。ラプトルを背後から飲み込むように・・・。

ラプトルは口を開き、後ろ足を離し、朱羽煌雀を尻尾で撥ね飛ばした。その反動を利用して自らも横に飛ぶ。ブラックホールは無人となった空間にしばし漂い、中心に向けて縮むように消えた。

 

 

紗端の結界

 

《小癪な、やはり力ずくでは無理なようだな・・・》

紗端のテレパシーが語りかける。ラプトルの目が赤く光り、全身から赤いオーラが揺らめきだした。オーラは次第に炎のように天空に向けて舞い上がり、何かの形を成していく。砂が引き寄せられ、固められ、砂岩の巨大な像が空中に浮かび上がった。馬の頭・・・。岩の瞼が開かれる。赤く燃えさかった目が現れると、馬の頭はザッと音を立てて膨張する。形が一瞬くずれた後、砂は再び寄せ集まり今度は牛の頭となった。赤い目が開き、形が崩れる・・・。3度目ははっきりした形にはならなかった。吊り上った赤い目、大きく裂けた赤い口、尖った顎に逆立つ毛、曲がった2本のツノ・・・。誰もが知っているその姿、人の心の深層を鷲掴みにする恐怖感・・・悪魔と呼ばれる偶像だ。紗端のオーラは裂けた口を大きく開くと朱羽煌雀を飲み込むように迫ってきた。空中に浮遊しながら後ずさりする朱羽煌雀。だがその退路はいつの間にか出来た砂の壁に阻まれる。紗端の顔は崩れ、砂を纏った赤いオーラは朱羽煌雀を囲むように四方を塞ぐ円となり、八方を塞ぐ球となった。

赤い景色に囲まれた朱羽煌雀の頭に呻き声が木霊する。

《うう・・・》

《ぐぐっ・・・》

《ぐぉぉぉ・・・がっ!》

言葉にならない訴えが津波のように押し寄せ、心を揺さぶる。消滅した大都市東京、瞬きする間もなく閃光と高熱に肉体を失い、爆風で灰さえも塵と化した人々。爛れた皮膚と肉に喘ぎながら水を求め、放射能の餌食となっていった人々。行き場の無い魂だけが怒りと憎しみと未練を抱え、重たい雲の垂れ込めた廃墟を彷徨った。ラプトルに宿った紗端がそれさえも貪り食い、上質のエネルギーとして利用しているのだ。

突如砂が鋭いツララのような無数の刺になり、中央の朱羽煌雀に焦点を合わる。次の瞬間内側を向いた海胆の針が一斉に朱羽煌雀に襲い掛かった。空間が一挙に塞がれ、尖った針が朱羽煌雀の体を突き刺しながら交差した。砂が全てを押し潰し何も見えなくなる・・・。

押し固められたいびつな砂の球体。空に浮遊する3m程の俄か衛星のコアに串刺しにされているはずの朱羽煌雀は、腕組みをして空中に浮かび、砂の衛星を抉った1m程の穴を静かに見つめている。殆ど反射的に作ったブラックホールが開けた脱出口だ。砂の粒さえもきれいに半分消し去った鏡面の切り口が、砂嵐の隙間から差し込む光に艶やかに輝く。

囚人の投獄に失敗した砂の球体は砂嵐に溶け込むようにサラサラと消えた。再びラプトルと朱羽煌雀が互いに睨み合うように正対する。

 

《アキヒコ・・・》

不意に高野良子の声が朱羽煌雀の耳元に届いた。奥底に眠るアキヒコの心が僅かにそれに反応した瞬間、砂嵐が消え穏やかな春の野原のイメージが広がる。やや離れた所に優しく微笑む高野良子が立っていた。

《アキヒコ、無事に日本に帰って来たのね。良かった。》

幻とは思えない。目の前にいるのは正しく本物の高野良子なのだ。

《よお、アキヒコ。ご無沙汰じゃないか。》

横を振り向くと人懐っこい三隅の笑顔があった。

《アキ、おまえ世界一の称号を手に入れながら姿晦ますもんだからみんな大騒ぎさ。目立つの嫌いだもんな。》

ミッチが背後から声をかけた。アキヒコの心が片目を開き、戸惑いと動揺に疼く。

『紗端の作り出した幻想だ。だが本人達の波長を感じる・・・廃墟で吸い取られたオーラに彼らも入っていたのか・・・』

朱羽煌雀は自分の内部に波立つ感情のうねりを静めるために冷静に分析する。既に紗端のサイコキネシスの術中に引き込まれている。アキヒコの心の咽元に鋭い鉤爪が突き立てられているのだ。迂闊に動けば心の中から破壊され、生ける屍と化そう。

幻想の青空が俄かに曇ると辺り一面が赤く染まり、ジリジリと熱気を帯びた渦が蜃気楼を醸し出す。良子と三隅とミッチの3人は急にソワソワと何かに怯えだした。

ズン!

地響きのような振動の後、目を眩ますような閃光が3人を襲った。一転して暗闇の後、燃え盛る劫火に包まれた。朱羽煌雀は目を閉じて幻想を打ち消そうとした。脳を直接刺激する紗端のイメージは実際に肌に軽い火傷を作っていく。

《ギャアアアアア!》

凄まじい悲鳴がアキヒコの心を激しく揺さぶった。母良子の断末魔の声だ。その瞬間、反射的にアキヒコが目覚めた。目を開き、良子の姿を探す。赤い炎と黒い煙に閉ざされた中、肉の焦げる異臭が鼻を突いた。息を止め、煙を掻き分けて異臭に向けて歩む。

そこには炎に身を包まれた人影があった。人であった物と言った方が正しいかもしれない。皮膚も肉も赤黒く見るも無残に焼け爛れ、とても正視できたものではない。

《苦しい・・・熱い・・・助けて・・・アキヒコ!》

良子の救いを求める声が直接頭に響いてきた。アキヒコは炎の熱さをものともせず、今にも崩れ落ちそうな良子に手を差し伸べた。

「母さん!ほら、この手に掴まって!」

炎の中から爛れた骨のような手が伸びた。アキヒコは更に一歩前へ進んでその腕を握ろうとした。突然焼け焦げた腕が鋭い刃物のように変化し、アキヒコの腕を貫く!刃物は更に伸びてアキヒコの頭に迫った。朱羽煌雀がアキヒコを制して後ろに飛び退く。

 

《ギャーハッハッハ・・・》

燃え盛る空間に紗端の笑い声が響き渡った。

《自分の無力さを思い知れ!こいつらは俺様のエネルギーとして有意義に使わせてもらおう。もちろんお前を倒すためにな、朱羽煌雀。》

《た・す・け・・》

高野良子の意識が歪むようにして消えた。

《お前はもう既に俺の中に居る。このままもがき苦しめ。ギャハハハ》

朱羽煌雀の貫かれた腕から血飛沫が飛び散る。歯を食いしばって激痛に耐えると真っ赤に染まった腕を高く上げ、そこに気を集中させた。オーラが腕を包み、黄金に輝き出す。光が弱まると傷口は殆ど目立たないくらい綺麗に塞がれていた。

『母さん・・かすみ・・俺は誰一人守る事は出来ないのか?・・・』

呼び覚まされたアキヒコの意識がやり場のない悲しみと怒りに満ちていく。怒りは急激に増幅され、紗端の結界の中で赤色のオーラを放ち出した。

『止めろ、アキヒコ!紗端の思う壺だ!』

朱羽煌雀がもう一人の自分を制するように頭の中へ呼びかけた。何とも奇妙な感覚だ。テレパシーとも違う。自分の脳の中に今はっきりと二人の人格が存在していた。

アキヒコの怒りはもう誰にも抑えることは出来なかった。人間の、いや動物の感情の中で最も強いもの、空腹や眠気を忘れさせ、身を守る本能さえ上回るノルアドレナリンの強烈な魔力がアキヒコの意識を前面に押し出した。目が吊り上り、髪が逆立ち、全身から紅蓮の炎が噴出す。

《ギャアッハッハッハ、やったぞ!朱羽煌雀、これでお前も俺様の支配化となったな!》

紗端の興奮したテレパシーが赤い世界に木霊した。

 

 

霊魂の浄化

 

アキヒコの怒りのオーラは紗端の結界の壁に吸収されていく。壁が生き物のように脈打ち、外へ外へと膨張しだした。紗端の喜びに震えた笑い声が閉ざされた空間に響き渡る。

《そうだ・・いいぞ・・怒れ、もっと怒れ!全て出し尽くせ!ハーッハッハッハ》

三隅が、ミッチが、紗端の作り出した幻影の炎に焼かれ、聞くに堪えない悲鳴を上げる。それがアキヒコの怒りをさらに増幅する。アキヒコの全身から噴出すオーラは結界の壁に吸われながら一体化し、境界線が無くなっていった。空間に紗端とアキヒコの赤きオーラが充満し、良子や三隅やミッチのオーラを飲み込んだ。3人の苦しみと怒りはオーラの核にある朱羽煌雀の意識に触れると嵐が過ぎ去るように消え、役目を終えたように穏やかな感情に変わっていった。赤きオーラはさらに結界の壁から人々の苦しむオーラを取り込んでいく。10人、20人、50人、100人・・・。

 

上空を旋回するSouryu、Genbu、Byakoの3機は下方に広がる冷気に不安を感じていた。背筋を凍らせる感覚は一度味わったら忘れない紗端のものだ。朱羽煌雀の存在感が消えて数分は立つ。

《朱羽は負けたのかしら・・紗端に》

蒼鱗龍娯が誰もが感じながらも口に出来なかった言葉を吐いた。

《まだ・・・希望を捨てるのは早い。人類が、地球が、そう簡単に終わって堪るか!》

玄蘒武炫が自分を奮い立たせるように言った。だが、その言葉に力強さはない。

《あ、あれは何だ!》

白牙虎鉧が叫んだ。気が付けば砂嵐の中に黒雲が成長していた。直径100mはあろうか。雲は見る見る成長を続け、低空を飛行する3機に迫ってくる。普通の雲でないことは明らかだ。大体砂漠の真中にこれだけの雲を発生させる水分など存在しない。雲は次第に気流に影響を及ぼし始め、その周囲の砂嵐が止まった。まるで台風の目のようにぽっかりと不気味な凪ぎが生まれた。

 

黒雲の中ではアキヒコの意識が次第に薄れつつあった。いまや紗端と一つに成りかけたオーラは、結界の壁から彷徨える怒りを吸い出して放物線の如く急激に巨大化していった。紗端の込み上げる喜びに呼応するように黒雲の鼓動が脈打つ。真っ赤なオーラに包まれた空間で、アキヒコの薄れ行く意識が正対してゆっくりと歩み寄るラプトルの姿を見やる。裂けた口が不気味に歪み、仕留めかけた獲物を値踏みするように舌なめずりしていた。今や敗北を覚悟した時、異変は起きた。

赤い空間にそれは蛍の光のようにちらちら浮遊し始めた。結界の壁から引き剥がされた人々の彷徨える苦しみが、朱羽煌雀の魂で浄化され、青白いオーラの小玉として憎悪の海に新たな産声を上げたのだ。無数の小さな息吹たちは油に混じった珠玉の水玉のように出会っては結合し、次第に大きさを増していった。水玉は居場所を求めるように一方向に流れを整え、渦を形成していく。渦はやがて核を見つけ、安堵したように傾れ込む。その渦の中心には、蹲るアキヒコの体があった・・・。

青白いオーラの小玉はアキヒコに密着すると黄金の光と化した。赤黒い澱んだ空間に突如広がる幻想的な光のパレード。アキヒコにとどめを刺さんとしたラプトルが思わず後退りする。黄金の光はアキヒコの怒りを鎮め、朱羽煌雀の意識と合体した。紅蓮のオーラは黄金色のコロナとなり、結界の空間を太陽の如く照らし出す。その光はとてつもなく眩しく、閉ざされた闇の世界を光の国に変え、ラプトルの網膜を焼いた。

 

結界の壁はラプトルに憑いた紗端の精神力が作り出したバリアだ。その内部に充満した黄金のエネルギーは取り囲む壁を極限まで膨張させてなお勢いを増していた。直径1kmにも広がったバルーンは最早暗黒とは言い難く、黒いランプシェードの如く中の光を漏らしていた。バルーンの周りには強い磁場ができ、大気は乱れ、砂漠の上空に雷雲を呼んでいた。

膨張したランプシェードが遂に破れる。レーザーのような光が漏れ、次々と本数を増やしていった。凝視出来なくなった結界は、瞼の裏を痛くするような凄まじい閃光を最後に音もなく破裂した。辺りに薄暗さが戻った時、失われた結界の中央にキラキラ輝く何かがあった。

 

 

ラプトルの断末魔

 

砂漠の空に雷鳴とともに稲妻が走ると、絶乾の世界にぱらぱらと大粒の雨が舞い降りる。雨粒はすぐに密度を増し、白いスコールのカーテンが視界を奪った。

《なに?今の光は・・・》

《分からない。まるで太陽が爆発したような感じだった。》

蒼鱗龍娯と玄蘒武炫がテレパシーを交わす。

《それより何だい?このスコールは。砂漠だろ?ここは。》

白牙虎鉧がキャノピーを激しく叩く雨粒に悲鳴を上げる。

《朱羽はどうなったんだろう・・・》

蒼鱗が3人の不安を代表した。

《ここからじゃ全く分からない。とにかく近くへ行こう!》

玄蘒武炫はGenbuの翼を翻すと、先程見えた光の点に向けて先陣を切った。

 

滝のような雨は、スポンジのような砂でさえ吸い切れない程の勢いで、砂丘の窪地を池に変えた。風景は一変し、広大な湖に砂の小島が所々で顔を出していた。スコールが弱まり、静けさが戻る。黄金の光が空中に浮遊していた。光が弱まるとそれが人の姿に変わる。座禅を組んだ朱羽煌雀だった。風に棚引く髪は金色に変わっている。精神力の限界を極めた死闘で黒い色素が失われたのだ。褐色だった肌も真っ白になっていた。少し離れた小島に黒く薄汚れたラプトルが蹲る。

《役立たずの肉体め、肝心な時にショートするとはな・・・》

紗端の“声”が不気味に響く。

《これで終わったと思うなよ、朱羽煌雀。我が力は無限なり!》

ラプトルの頭が膨張し、醜く歪んだ。

「ギャアアアァァァァ・・・・・」

搾り出すようなラプトルの悲鳴が轟いた。

(ボン!)

激しい破裂音とともにラプトルの頭が吹き飛んだ。首から吹き上げる血が大きな顔を作り上げる。吊り上った目、裂けた口、2本の角、紗端だ。

《グアハハハハハ、追って来れるか朱羽煌雀!》

血飛沫の顔は霧のように辺りに拡散しかけた。が、見えない壁に当たり、パリパリと火花に拒まれる。

《もうお前は何処へも逃げられないさ。その結界の中で消滅するのだ。》

朱羽煌雀は静かに言い放つと、自らが作った結界の中にブラックホールを出現させた。ラプトルの残骸がキラキラ光ながら吸い込まれていく。外へ広がろうとする紗端との力比べで結界をジリジリと縮めていく。

《ぐ、お・・・》

紗端は抵抗空しくブラックホールの待つ結界の中央へと押しやられていった。

《消えろ!》

朱羽煌雀はより一層精神を集中させて結界を狭めた。結界とブラックホールが重なり、中にある全てのものが時空に消えていった・・・・。

 

《朱羽・・無事だったのね》

駆けつけた蒼鱗龍娯がSouryuの中から話し掛ける。

《ああ、ラプトルは片付いた。次はフライングシャトーだ。》

《次はって・・これだけの死闘をやったんだ、少しは休まないと。》

即座に動こうとした朱羽煌雀を白牙虎鉧が気遣う。

《今は1秒でも惜しいのさ。白牙、手筈通りにやれるかい?》

朱羽煌雀が逆に白牙虎鉧の尻を叩く。

《任せてくれ・・とは言えないな。やってみるしかないよ。朱羽こそ頼むよ。》

朱羽煌雀は白牙虎鉧の応えに黙って頷くと、Suzakuに精神を集中させた。湖の中央に波紋が立つと、沈んでいたSuzakuがゆっくりと浮かび上がった。キャノピーを開けて朱羽煌雀が乗り込む。推進装置が静かに動き出した。

《凄いよな、これだけのものを思念波で自在に動かしてしまうんだから・・》

玄蘒武炫があらためて驚く。朱羽の進化は留まるところを知らない。最早自分たちとはかけ離れた存在だ。

《さあ白牙、Byakoは私が浮かせておくからそのままSuzakuに乗り移ってくれ。》

白牙虎鉧は言われるままにSuzakuの後部に上がった。1人乗りのコクピットは流石に大人2人には狭すぎる。キャノピーの後方にループを描いた2本の太いパイプ、Suzakuにだけ付けられた排気口からの光子をトラップするバイパスだ。そこにはちょうど棚板のようにベンチ状の補強ウイングが設けられていた。低い背もたれ付きの恰好の特設椅子だ。

《こんなところに晒し者になるのかい?恥ずかしいな。この貸しは付けにしとくよ。》

白牙虎鉧が腰掛けながら冗談交じりに言った。

《手摺も付いてるし、見晴らしのいいブランコだろ?無料のアトラクション、空中遊泳を存分に楽しんでくれ。だが・・・・命綱は忘れずにな。》

朱羽煌雀が軽く笑いながら応える。白牙虎鉧は予め用意した革ベルトで自分の体とSuzakuのバイパスパイプを結んだ。飛行を続ける間は適度な磁力が重力代わりとなり、宙返りしようが平気な筈だ。

《いくぞ!》

朱羽煌雀はSuzakuをゆっくりと前進させた。

 

《そろそろケルンたちが到着してもいいころだが・・》

朱羽煌雀が呟く。Suzakuは砂漠に出来た浅い湖の上を低空飛行している。

《俺たちはどうすればいい?》

上空で待機する玄蘒武炫が問い掛けてきた。

《F-14の迎撃にはおそらくEF2000が出てくるだろう。だがケルン、セネガル、アンダーソンの腕を持ってすればEF2000では手を焼く筈だ。そして例のブラックデルタのお出ましだ。私達は帰還するEF2000を追ってフライングシャトーの電磁シールド突破を図る。君たちはF-14を守るためにブラックデルタの相手を頼む。》

《分かったわ、決して彼らを死なせはしない。》

朱羽煌雀の指示に蒼鱗龍娯が答えた。

 

 

シールド突破

 

《ラプトルの生体反応が消えたわね。》

《大口を叩く割りに駄目だったようね。》

フライングシャトーのコンピューター制御室でサーシャとマーシャがテレパシーを交わす。彼女たちにとって声の会話は面倒なだけだった。相手の脳に一瞬にして情報を伝達するテレパシーに勝る物はない。もし人類が滅びることなく進化し、自在にテレパシーを操るようになれば声帯は役目を無くして退化していくことだろう。

《クローン達はもう放てるのかしら?》

《見た目はほぼ完成体だけど、コンピュータの示す状態値は89%ね。まだ個々の細胞が成熟し切っていないようよ。》

《紗端の降臨準備はどうかしら。》

《エネルギーの充填にあと2時間ほどね。楽しみだわ、この砂漠を消滅させるほどの、地球の地軸が狂うほどの磁場を発生させて時空との太いパイプを確保する。紗端の全容を通過させるにはそのパイプを32秒間保持する必要があるわ。ファーザーがショートしないことを祈りましょう。》

マーシャが覗く窓の向こうには無機質の集積演算装置が着々と成長を続けていた。

 

「(こちらダンシングビー、スコーピオ応答願います!)」

Suzakuに搭載した小型のポータブル無線から声が流れた。

「(こちらスコーピオ、ダンシングビーどうぞ。)」

空母シーギャラガで予め決めたコードネームを呼び合う。こんな状況でコードネームの必要もないだろうが、軍の長年の習慣を否定する必要もない。

「(イエローマジックは消え、視界良好。ただいまよりダンスを始めます。天は我に味方せり!)」

セネガルの気合が無線を通して伝わってくる。イエローマジックとは砂嵐のこと、フライングシャトーは雲に包まれる事もなく彼らの眼前に巨大な姿を現していた。

《玄蘒、蒼鱗、いくぞ!》

朱羽煌雀の合図とともにGenbuとSouryuは急上昇していった。Suzakuは水面すれすれを水柱を立てながら高速で飛行する。

ケルン、セネガル、アンダーソンは扱い慣れたF-14トムキャットを一見無防備なフライングシャトーの周りで付きまとう羽虫のように操った。レーザーと電磁シールドの餌食にならないように、細心の注意を払いながら。フライングシャトーから9機ばかりのEF2000が飛び出した。F-14は待ってましたとばかりにEF2000と空戦を始める。圧倒的に不利だ。1対3の態勢に加え、長距離飛行のための補助タンク搭載を選んだトムキャットは、満足なミサイルさえ持っていないのだ。それでも命を賭した歴戦の勇士たちの技量と気力は不利を補って余りあるものだった。絶妙のコンビネーション、ケルンが敵を引き付けてセネガルとアンダーソンが背後を取る。今度はセネガルが囮となって残りの2機が機銃を放つ。同士討ちをしかねない状況でEF2000は逆に自由を奪われた。瞬く間に3機が下方の湖に落ちていった。

《凄い腕だ、恐れ入った。》

《敵にしなくて良かったわね。》

いつでも援護出来るように上空で構える玄蘒武炫と蒼鱗龍娯は出番もなく感心していた。その時、フライングシャトーから2つの小さな黒い物体が勢い良く飛び出した。

《出たぞ!行こう!》

GenbuとSouryuが急降下する。F-14に照準を絞ろうと速度を落としたブラックデルタの鼻先を掠めるように通過した。こんな時機銃やミサイルを持たない機体が恨めしい。もっとも攻撃をしかけたところで電磁シールドに守られたブラックデルタには無意味なことだが。

ブラックデルタのターゲットが切換わった。目の前をうろつく小煩い蒼と黒の蝿、カタツムリのように動きの遅いF-14はいつでも始末出来る。

 

《万事予定通りだ。》

朱羽煌雀は上空を眺めながら白牙虎鉧に話し掛けた。

《いくぞ、白牙!》

再びF-14に追い立てられて堪らずフライングシャトーに帰還するEF2000。浮遊する小山の下方の岩肌が突き出て、電磁シールドを遮る。岩を模した円形の扉が上方に開くと格納庫の入り口が登場した。1機がそこに吸い込まれるように消える。2機目が続いて侵入航路に入った。そのEF2000の真後ろに朱羽煌雀はSuzakuをピタリと付けた。

近付くにつれてフライングシャトーの巨大さにあらためて驚かされる。“シャトー”などと命名したが、実際には城を尾根に抱えた“マウンテン”なのだ。その岩壁に小さく口を開けた格納庫から、友軍識別シグナルと誘導ビーム、更に機影確認のレーダー波が投射された。レーダー波はEF2000のジュラルミンの機体を嘗めると、直後に張り付いたSuzakuを這って行った。格納庫から警報が鳴り響き、岩肌の扉が閉じていく。続いて突き出た通路が電磁シールドの奥へと引っ込んでいく。

《気付かれたようだな。非情にも仲間は犠牲にする気だ。》

直前で進路を失ったEF2000は回避する手立てもなく、パニックになっていることだろう。朱羽煌雀はオーラの噴出を強めるとSuzakuを包み込み、強く回転させると磁場を作った。光が屈折し、時の流れが弱まる。白牙虎鉧は目の前のEF2000の動きが突如スローモーションになったことに感激の声を上げた。

《凄い!ほんとに時間を止めちゃったよ!》

朱羽煌雀は軽い眩暈を覚えた。自分の体だけならこんなにもエネルギーを要さない。僅か数cmのオーラのバリアで包めばいいだけだ。ところがSuzakuを包むとなると、その数百倍ものエネルギーが必要となる。ラプトルとの死闘の余韻が疲労感として残る今、このオーラの放出は消耗が激しい。

『可哀想だが他に手はない・・・』

朱羽煌雀はSuzakuからブラックキャノンを放った。EF2000が巨大な黒い球体に後ろから飲み込まれて消滅する。球体は格納庫の扉を貪り、通路に進入した。その直後をSuzakuが通過する。その姿はまるで黒いボールを嘴にくっつけたハチドリのようだ。朱羽煌雀はSuzakuの推進力を前方に向け、ブレーキを掛ける。黒球は徐々に縮みながら、格納庫の奥へと消えていった。

 

広い格納庫には10数機のEF2000が翼を休めていた。十分な滑走路の取れないここでは空母並みの発進カタパルトと着艦フックが活躍しているようだ。Suzakuはその上方をゆっくりと旋回する。下方から突然の侵入者に泡を食った兵士達が機関銃を乱射してくる。その弾をSuzakuで弾きながら、朱羽煌雀は兵士達に向けて威嚇のブラックホールを放った。EF2000をキラキラと消し去りながら迫り来る恐怖の黒球に慄いて、兵士達は銃を放り出して立ち去った。

《わりと呆気なかったね。もう少し手応えがあるかと思ったよ。さあ、早速事を済ませてしまおうよ。》

白牙虎鉧が催促する。こんな敵のアジトなんかに長居したくない。

《待てよ・・》

朱羽煌雀が制した。

《嫌な予感がする・・・壁に損傷が見えない。》

朱羽煌雀はSuzakuから前方の壁に向けてブラックキャノンを放った。悪食の球体に消される筈の壁は、逆に球体を跳ね返した。

《な、何だって?!》

白牙虎鉧が驚く。

《やはりな、壁にも電磁シールドが張られているということだ。》

《それじゃここで作戦を決行しても・・・》

《そう・・・全くの徒労と言う事さ。》

朱羽煌雀が静かに闘志を燃やすように答えた。

 

突然激しい頭痛を覚えた。背後から脳を直接掴まれたような感覚だ。Suzakuの横を機銃弾が通り過ぎる。後ろを振り返るまでもなかった。サーシャとマーシャが後を追って来たのだ。朱羽煌雀は精神を集中すると、心に突き立てられたサーシャのサイコキネシスの爪を剥ぎ取る。白牙虎鉧は意識を失ってぐったりしていた。

『くそっ!』

読みの甘かった自分を軽く詰りながら、Suzakuを発進させる。

『通路ぐらい通らせろよ!』

半ば祈る気持ちで目の前の分厚い扉に向かってブラックキャノンを放った。扉は黒球に触れて、キラキラ光ながら消滅していった。その向こうは電磁シールドの壁、後ろからは2機のブラックデルタ。朱羽煌雀は壁の直前でSuzakuを右に旋回させた。

翼が触れんばかりの狭い通路を眩暈がしそうな速度で飛行する。オーラのバリアで時間の流れを止めたいが、先程の疲労が残った状態では精々10秒が限度だろう。円を描くような単調な通路は再び格納庫の入り口に舞い戻った。

《ふっ、あっけなく終わるわね。》

《そうね、お願い。》

Suzakuの後を追うサーシャは2周目もそのまま追尾に入った。だがマーシャはブラックデルタを格納庫に飛び込ませると大きく旋回し、今度は通路を逆向きに飛行する。挟み撃ちだ。

 

『何処かに別の通路への扉がある筈だ・・・だがこの高速では判別出来ない。よしんば次の通路に出られたとして、その先の構造は見当もつかない、一体何処をどう行けば・・・』

窮地に追い込まれた朱羽煌雀に話し掛ける者が居た。

『俺に任せてくれ、光の導きが見える。』

ラプトルとの死闘で目覚めたアキヒコの意識だ。

『光の導きだと?』

テレパシーとはまた違う不思議な感覚、思うだけで頭の中の別の意識に伝わるのだ。

『そう・・・俺にはくっきり見える。270m先に左に抜ける扉がある、それを破って内側の通路へ!』

朱羽煌雀はアキヒコの思うままにブラックホールを発生させると壁にぶつけた。確かにそこには扉があった。Suzakuを左に傾け、急旋回させる。片側の垂直尾翼が壁に擦れて青い火花を散らした。

『正面の扉と破って右へ!』

再びアキヒコの指示に従ってSuzakuを操る。

『驚いたな、本当に道が分かるのか。私とお前は朱雀からの能力を共有しているものと思っていたが、どうやらお前は私にない特殊能力まで身に付けているようだ。』

朱羽煌雀はアキヒコにSuzakuの操縦を委ねた。アキヒコは初めて操縦桿を握ったはずなのに、感覚的にSuzakuを操ることが出来た。ペガサスで、スクァーラルで授かったスピードへの本能が闘争心を燃やす。

アキヒコは光の導くままに、ブラックホールで扉を抉じ開けながら狭い通路を飛行した。左の壁の扉に向けて急減速すると階段を摺り抜ける。一旦外周側に抜けると階段から上へ向かう。迷路のような白壁の通路を迷うことなく中心部へと誘う光。一体何の導きだろう・・・。自分の能力は須らく朱雀のもたらした物だとばかり思っていたが、これだけは違ったようだ。思い起こせば、かつてペガサスとの間に芽生えた一体感、あの時以来の能力。最初は目の前のトラックがどう動くかと行った予知能力だった。それが熟すにつれ、通るべき道を示す光の案内路に変わった。

アキヒコの背後からはサーシャとマーシャが血眼になって追走する気配が伝わってくる。例の心に絶望感を注入する見えない毒牙が背中まで迫っているようだ。この危機に瀕してなおハイな気分になってくるのは何だろう。およそこの世で最速の乗り物を操り、3次元の狭いチューブの迷路で繰り広げられるハイパーバトル。アキヒコの体中にアドレナリンが噴出し、血液が沸騰する。

 

 

巨大なる擬似生命体

 

『妙だな・・・』

朱羽煌雀が呟く。

『人が少なすぎる。格納庫で数人の兵士達を見て以来、通路をこれだけ通りながら誰一人見かけないなんて。この異常事態に何故誰も出て来ないんだ?』

 

数分間に及ぶアクロバット飛行の末、アキヒコは遂にフライングシャトーの制御ルームの扉を開けた。心臓部とも言うべきその部屋にも、人影はなかった。部屋をゆっくりと旋回し、扉に開けた穴に正対する。幾つかのモニターには緑色の光で数字やアルファベットが目にも止まらぬ速さで流れていく。ガラス越しに見えるフライングシャトーの中心部、そこには50mはあろう黒い球体が周囲に青白い稲妻をばら撒きながら高速で回転していた。

『こいつ・・・自ら意思を持つかのように成長しているぞ。』

朱羽煌雀が驚いたように言った。内部がほとんど無人の理由、恐ろしい考えが頭を過ぎる。

『この山自体が一つの擬似生命体だと言うのか?』

生命の定義、それが細胞分裂による自己増殖だとすれば、この巨大なコンピューターは自ら必要な部品を生成し接続回路を増やし続けている。根本的違いは、それが有機体であるかどうかだ。アキヒコは朱羽煌雀の考えに触れ、戦慄を覚えた。

『早く!こいつの息の根を止めよう!』

 

《白牙!、聞こえるか、白牙! 目を覚ませ!》

マーシャに意識を奪われた白牙虎鉧に朱羽煌雀は強いテレパシーを送り続ける。白牙虎鉧がゆっくりと目を開けた。

《・・・とても悲しい気分だ。子供の頃の、周りが僕を畏怖の念で見つめていた事を知った時、あの時の気持ちが蘇る。そうさ、人間なんて実に身勝手だ。自分達の欲するままに奪い、無用の物は排除し、得体の知れない物は葬り去ろうとする。これまで捕獲や自然破壊でどれだけの動物達が絶滅させられたことか。何故そんな人間達のために僕は・・・》

《しっかりしろ!白牙!自分を取り戻せ!》

明らかにマインドコントロールを受けている。モナコレースの晩餐の夜、タンデオンの古城でそうだったように。今、自分達はその古城の真下、かつての地下に居る。

『細い紐が繋がっているよ。ほら・・』

アキヒコはキャノピーを開けると金色に輝く長い髪を黒い紐に巻き付かせた。あの時日夜子がそうしたように髪をきゅっと絞る。紐はプツンと切れた。白牙虎鉧が自我を取り戻す。

《目覚めたか、白牙。だが何故キミだけがあいつらの洗脳を受けやすいのだ?》

《ごめん、ちょっとトリップしてしまったよ。まだマユニネンがモナコの前夜に飲んだ薬が効いてるのかな?あの時、レースに勝ちたいあまり黒服の男達に渡された薬を飲んでしまった。マユニネンにはレースの途中から全く記憶がないんだ。》

《脳内活性剤か・・・やはりな》

朱羽煌雀が軽く頷いた。

《話は後だ。いくか!》

朱羽煌雀が決意しようとした瞬間、扉の穴に黒い三角翼が現れた。

 

2機のブラックデルタは獲物を追い詰めた鮫のようにゆっくりと入室した。

《随分手間を取らせてくれたわね、お兄様。》

《よくここまで辿り着いたものね。》

サーシャとマーシャがからかうようにテレパシーを投げ掛けて来る。

《私こそ驚いたよ。このフライングシャトーの心臓部がここまで進化した物だったとは。無人で動く事は分かったが、それにしても何故人を見かけない?以前タンデオンの古城に居たブラッククロスの面々はどうした?》

朱羽煌雀が応えながら隙を探る。

《フフフ、凄いでしょ?ファーザーの傑作は。このコンピューターはファーザーの意思により動いているのよ。もうすぐもっと偉大な意思を受入れるけどね。》

《お兄様はまだこの推進装置の動力源を理解していないようね。貴方達の言うフライングシャトー、反重力要塞もこのブラックデルタ、亜高速飛行体も人間のオーラがエネルギーなのよ。》

サーシャとマーシャの嬉しそうな説明に朱羽煌雀は顔を顰める。

《人間の・・・オーラ?》

《ブラックデルタは1000マイルの飛行に人間1人分のオーラが要るわ。フライングシャトーの浮遊には1時間当り100人分。ブラッククロスの勇敢なる信者達は喜んで自らの肉体を捧げたわ。》

朱羽煌雀は素早く頭で計算する。既に何万人もの命が、この要塞の犠牲となっているのか。

《お兄様のオーラなら、1人でこの要塞を2、3日は浮かせていそうだわ。楽しみ・・・》

ブラックデルタのキャノピーを通してサーシャとマーシャの笑う顔が見えた。次の瞬間ブラックデルタから2匹の蛇が大きく口を開けて襲い掛かって来た。牙が頭に刺さろうとする間際に、朱羽煌雀は避けた。蛇は肩口を掠め、背後でクロスするように向きを変えると再び朱羽煌雀の背中から牙を向けた。

《悪いな、ゆっくりと相手している暇は無さそうだ。》

Suzakuのキャノピーから飛び退くと、瞬時に向きを変えて朱羽煌雀は2匹の蛇に正対した。そのままブラックデルタのノーズに立つとサーシャを見てニヤリと笑う。

《そんなに腹を空かせてるんなら餌をやろう!》

顎が外れんばかりに開けれて迫り来る大きな口に、朱羽煌雀は両の拳を喰わせた。牙の食い込む嫌な感触が両腕に走る。それを認めたら腕は無くなるだろう。激痛に耐えながら朱羽煌雀は拳の先を意識する。あった・・・指先までの神経が繋がると痛みは嘘のように消えた。

《味わいな。》

拳の先から黄金のオーラを放出した。半分透けた蛇の体を引裂くようにオーラが突き進む。その根本であるサーシャとマーシャの頭を目掛けて・・・。

それが避けられないものであることをサーシャとマーシャは本能的に理解した。自分達のオーラを具現化した蛇、噛み付かれれば実際殺傷効果もあるというのにまさか自ら腕を突っ込んで来ようとは・・・。スパークを発しながら蛇を切り裂く黄金の光が脳を直撃し、二人の意識は朱羽煌雀の結界に閉じ込められた。

 

 

フライングシャトーの終焉

 

『アキヒコ・・・私はこのまま結界を維持しなければならない。私がしようとしていたことは分かるだろう?白牙虎鉧と実行してくれ、早く!』

朱羽煌雀の心の声に頷くと、アキヒコは自分の肉体をSuzakuのコクピットに戻した。白牙虎鉧に声を掛ける。

「(俺にとってはキミはマユニネン、俄かコンビだけど失敗は許されない・・・よろしく頼むよ。)」

「(ハハハ、久しぶりに聞く肉声は気持ちいいよ。オーライ、再びこの目で外の世界を見られることを信じるぜ。)」

アキヒコはキャノピーを閉め、合図を送る。白牙虎鉧はテレパシーでカウントダウンを始めた。

《スリー、ツー、ワン、GO!》

Suzakuを雷雲が包み込む。白牙虎鉧はその電圧を利用してパルスを作り出す。Suzakuの磁場で増幅されたそのパルスは青白い火花を伴った強烈な電磁パルスとなって、フライングシャトーの心臓部を襲う。外からの攻撃に対して無敵の電磁シールドも全く役に立たず、断末魔の叫びを上げる間もなくフライングシャトーはその全機能を止めた。

 

宙に浮遊した巨大な山が、地球の重力に逆らう術を失いゆっくりと落下する。内部にあるものは全てが動きを時を止め、時間を失っていた。Suzakuも例外ではない。自らの発した電磁パルスによって、高速で回転する内部の球体は永久サイクルの根源である磁場を失い、目覚めぬ眠りについた。かつて米倉によって太平洋の海底に沈められた時のように・・・。

《おい、生きてるか?》

静寂を破るテレパシーがアキヒコの脳を刺激した。

《僕だけ助かったってSuzakuを動かせなきゃここで野垂れ死にだぜ。頼むよ・・・》

徐々に地面に向けて加速するフライングシャトー。このままでは衝突の衝撃を免れまい。

「・・・・」

アキヒコは自分の置かれた状況を理解するのに数秒を費やした。人間の脳をも麻痺させる電磁パルスに抗うべく、白牙虎鉧とアキヒコはその瞬間正反対のパルス信号で脳を守ろうと思いついたのだ。タイミングが百分の一秒でもずれたらアウト。パルスが同調してしまったら打ち消すどころか増幅されてしまう。またパルスを発生させられるかどうかも未知の事。そのリズムだけを何度も何度も白牙虎鉧と繰返し、体に刻み込んでぶっつけ本番に臨んだのだ。

《どうやら生き延びたよ・・・。》

アキヒコは白牙虎鉧にテレパシーを返すと、意識をSuzakuの心臓部にある球体に集中させた。重いそれに黄金のオーラをぶつけ続ける。額に汗が滲む。歯を食いしばり・・・動いた!静かに回転を始めた球体は最初はオーラのエネルギーを借りて、次には自らの活動により発生した磁場により、復活した。Suzakuが再び宙に浮遊する。

グズグズしている暇はなかった。アキヒコはすぐさまSuzakuの周りをオーラで包み、強力な回転を与えて磁場を歪め、時間を止めた。不思議だったのはそれに要する労力が軽かったことだ。フライングシャトーに突入する際、Suzaku全体を包んで回転磁場を作るのがどれほど大変だったかは体が覚えている。今同じ事をしているというのに、ほとんど疲れは覚えなかった。

『Suzakuと俺のオーラが完全に同調したってことか・・・』

かつてペガサスやスクァーラルで感じた一体感がSuzakuにも芽生えていた。それはフライングシャトーの迷路を光の導きで飛び回ったためかもしれない。いやそれよりも今この心臓を動かす根源となったのが自分のオーラであることの方が大きい気がする。理由はどうあれ、オーラはSuzakuにより増幅され、軽々と時間の流れを制御することが出来た。

アキヒコは制御室のガラスの壁にブラックホールで穴を開けた。普通なら一瞬の出来事も、今は苛つくほどゆっくりと進行する。ようやく開けた通路から中に進入すると、動きを止めた直径50mの黒い球体が不気味に光っていた。上に向けて開いた穴に浮遊した部品が吸い出されていた。そのまま流れに乗って脱出すればよかった。だが耳に届いた奇声がそれを引き止めた。

「ギャヮォォォォォォォ・・・・ン」

時間を止めた今、空気の振動の結果として耳に届く音が聞こえるわけもなく、錯覚だったのかもしれない。だが、

『ラプトル・・・』

朱羽煌雀の意識が呟く。

『やっぱり単純な空耳じゃないね、確かめよう。』

アキヒコはSuzakuの機首を音の方向に向けた。

《おい、何処に向かうんだよ、出口は反対だろう?》

白牙虎鉧の心配を振り切り、自己増殖した金属の密林にヒラヒラと翼を舞わせる。真直ぐに進む通路はない。隙間を縫い、巨大頭脳の奥深い場所に進んでいった。

《何だ、あれは?・・・・》

白牙虎鉧が驚きのテレパシーを送ってきた。無数の管や線が小さな一角に集中している。薄暗い空間でほんのりと光を放つ小さな物体。近付くにつれてその正体は明らかになった。

《脳だ・・・人間の脳じゃないか!》

培養液に満たされた球状の容器に肥大した脳が浮かんでいる。その脳幹は直接メインフレームのCPUケーブルに繋がっているようだ。目に見えないほどの細いワイヤーが表皮の新皮質に刺さり、あたかも神経のようにシャトーの各部と情報のやりとりをしている。

《私は・・・・ルビンスキー・・・古きドイツの伯爵にして・・・タンデオンの創始者・・・》

壊れかけたテープレコーダーのように途切れ途切れのテレパシーがアキヒコの脳に訴えてきた。周りの磁場を歪めているためにそう聞こえるのだろう。

《私の・・積年の夢を・・砕いた・・の・・は・・お前・・か、・・・後僅か1時間で・・・完成だった・・・300年来の夢が・・・》

容器に満たされた培養液が、電磁パルスのショックを和らげたのだろう。全てのシステムが止まる中、ルビンスキーの脳だけが活動を続けているのだ。

『300年?何を言ってる、こいつは・・・』

アキヒコにとってルビンスキーの呟きは理解を超えていた。ルビンスキーは独り言のように回顧を始めた。

《発見は・・偶然だった・・超古代文明の・・石碑・・いや・・石に似せた・・合金の碑、・・知能的恐竜が・・繁栄させた・・最古の文明・・》

ムーの遺跡だ、ルビンスキーは何処かでそれを見つけたのだ。

《我々の・・英知を超えた・・肉体改造・・や・・精神制御・・記号の解読に・・半生を費やし・・脳細胞の・・死滅が・・始まる前に・・我が息子により・・私の脳を・・取り出し・・生体保存・・させた・・》

脳を取り出す?生きたまま?アキヒコの背筋に悪寒が走る。

《保存の・・直前・・偉大なる・・サタンの・・種を・・知った。・・それは・・土にあり・・復活の・・時を・・待ち侘びて・・いた、私の・・長い眠りの・・間に・・秘薬は・・改良を重ね・・試された。・・何百もの・・失敗を・・繰返し・・その片鱗を・・見せし者・・数名。・・ナポレ・・オン・ボナ・・パルト・・ハイル・・ヒトラー。・・未完成の・・残虐は・・失墜し・・》

ワシントン・ウイルス!、或いは脳内活性剤のことだろう。

《20世紀・・後半の・・急速な・・文明の・・進歩が・・私を・・蘇らせた。・・コンピューター・・という・・僕を得て・・石碑の・・記号は・・より詳しく・・解読され・・サタンとの・・接触方法も・・解明された。・・いつしか・・私の周りは・・熱心な・・崇拝者に・・囲まれた・・》

ルビンスキーは自分の本当の死、脳細胞の活動停止が迫っていることを理解しているのだろう。人は誰しも死に瀕して饒舌になる。

《サタンの・・媒体と・・しては・・ヒトの脳・・は適さない、と・・分かった。・・負のエネルギー・・の三次元波動は・・我々の・・生体エネルギー・・とは逆回転・・だった。無理な・・受入は・・脳細胞の・・癌化を・・招く。・・恐竜の・・三次元波動は・・負のスパイラルを・・持つが・・脳は小さく・・エネルギーも・・低い・・サタンは・・自らの・・存在イメージを・・ウイルスの・・単体RNAに・・記録し・・この世界に・・投じた・・ウイルスの・・寄生した・・恐竜の・・脳は・・異常に発達し・・サタンの・・媒体となった、・・それが・・ラプトル》

!ラプトルはサタンの遠隔的な遺伝子操作により発生した種だというのか・・・。

《ラプトルは・・サタンにとって・・最適な体だったが・・飽くなき貪欲と・・残虐が・・自らの滅亡を・・阻止できなかった。本能への・・抑止力を持った・・進化した媒体・・それが・・恐竜の頭を持つ・・人間。それは・・サタンの・・単体RNAにより・・数億人に一人・・自然発生する・・リバーススパイラルスピーシーズ(RSS:逆回転種)、・・私は・・己のDNAに・・ラプトルのDNAを・・掛け合わせ・・RSSのDNAを・・創生した。・・それを元に・・卵子に受精させ・・クローンを・・作った。・・RSSは・・クローンの・・性をも・・逆にし・・私の分身は・・カレンという名の・・女となった。》

クローン!ブラッククロスの、いやルビンスキーの得た恐るべき生化学。

《だがカレンは・・失敗作だった・・RSSでありながら・・サタンの・・受入を拒絶した。・・サタンが・・入り込むべき・・右脳が機能しなかった。・・私は再度・・RSSクローンに・・トライした。今度は・・眠れる右脳を・・脳内活性剤で・・目覚めさせた女・・ルリを使って・・そして・・見事なまでに・・完成された双子・・サーシャとマーシャが・・誕生した。だが、・・二人の思考は・・私の予想よりも・・遥かに冷酷で・・ラプトルの・・機械的冷酷さを・・引継ぎ過ぎていた。》

《私は・・更なる完成品を求め・・RSSのDNAの・・塩基配列を・・詳細に解析し、・・キーとなる・・第21染色体の・・セントロメア構造が・・染色体末端テロメアの・・37番塩基の組換えにより・・進化した染色体・・デュアルスパイラルスピーシーズ(DSS:二重回転種)を・・生み出した。これを・・我が分身カレンを使い・・クローン化した。無論・・カレンには・・脳内活性剤を・・与えた。DSSは・・私の同性体となり・・天使のような理性と・・悪魔の知性を備えた・・究極の完成体・・ルシフェルと名付けた・・》

ルシフェルもクローンだった!

《ところが・・細胞分裂に・・大きく関わる・・テロメアを操作したことで・・ルシフェルの生体老化は・・異常に速く・・少年の見た目で・・器官はボロボロとなって・・死んだ。》

それが真相だったのか・・・ルリはルビンスキーの女となり、双子を身篭ったと言っていたが、脳内活性剤による記憶操作だったのかもしれない。ではアキヒコの幼少期、あの山奥の研究施設に関するルリの説明もやはり・・・。

《俺が誰だか分かって話し掛けてるのか?ルビンスキー伯爵。》

アキヒコは問い掛けてみた。

《こんな・・芸当のできる・・奴は、他に・・いない。・・シュバノコウシ・・私の作り得なかった・・完全なる・・自然DSSを・・持つ人間。・・自然発生RSSの・・さらに数万分の一の確率で・・生まれ得る。・・イエスが・・そうだったように。・・・私は・・繰返しループ計算のうえ・・誤差数千兆分の一の・・精度で・・お前の誕生を・・予測し待ち伏せた。・・お前の強い意志は・・サタンを宿すことを・・拒み、私はお前の・・DNA塩基配列を・・解析し・・合成DSSの・・ヒントを得た。・・試作品の・・遺伝子操作黒猫は・・見事サタンの・・媒体となった。・・その後・・本体のお前を・・抹消しようとして・・不慮の事態となった。》

やはり自分と紗端が直接リンクしたことはない!アキヒコは心に大きく圧し掛かっていた重みが取れた気がした。

《理性に・・制御された・・サタンの力・・人類にとって・・その英知は宝だ。・・DSSによる・・サタンの利用を・・思案するうちに・・私はもっと・・確実な方法を・・考案した。すなわち・・巨大コンピューターに・・サタンを寄生させ、・・そのコンピューターを・・私が支配する。・・壮大なる・・最終計画は・・後1時間で・・完了するはず・・だった。サタンの・・全てを時空から・・呼び出し、・・意のままに動く・・50体の兵士で・・世界に真の・・統一を与える。》

狂っている・・・このルビンスキーという17世紀の亡者のために今人類は壊滅的打撃を受け、滅亡の道を歩まされようとしているのだ。

長く感じた会話も瞬きする間もないほどの一瞬のことだった。フライングシャトーは落下途中にあり、その中をSuzakuで脱出に向けて飛行している。アキヒコは自分の中に広がる疑問の答えを求めて下に向かった。あの咆哮・・・そしてルビンスキーの言う50体の兵士・・・。無力のルビンスキーはそっとして置こう。滅び行く者へのせめてもの情けだ。

何かが動く気配がする。この時間の動きを止めたSuzakuでそれを感じる事自体奇妙なのだが、紛れもなく気配はあった。アキヒコはそれに向けて突き進む。

突如開けた場所に出た。フライングシャトーの最深部に近いだろう。円形のホールのような場所に、壁に大きなカプセルが並んでいる。カプセルの頭には太いパイプが2本ずつ繋げられ、中に満たされていたであろう液体を常に新鮮な状態に保つ役割を果たしていたようだ。カプセルは全て開き、液は零れ出て・・・。

部屋には50体の見覚えある個体がマネキンのように犇いていた。

『ラプトル!』

驚愕の光景である。クローン再生の恐れはあったとは言え、既にここまで完成しているとは予想もしなかった。培養液のぬめりの残る緑色の皮膚はまだ羽毛がなく、本やテレビで目にした恐竜のそれに近い。強力な顎と鋭い鉤爪と破壊的な尾、その無敵の身体能力は既に嫌というほど実感させられた。ところがそれは片鱗に過ぎず、群れを構成してのラプトル本来の狩猟能力は計り知れない・・・。

《こんなものが野に放たれたら、人類は終わりだぜ・・・》

白牙虎鉧の諦めに似た呟きにアキヒコは同意するしかなかった。一匹をあれだけ苦労してようやく葬り去ったというのに、この数で迫られたら手の打ちようもない。放たれる前に消し去る!アキヒコはブラックホールを作り出すと、ラプトル目掛けて放った。

マネキンに見えたラプトルがスローモーションで姿勢を変える。漆黒の球体は的を外れ、空のカプセルを貪り始めた。ゆっくりに見えてもラプトルの挙動はとてつもない速さだ。アキヒコに困惑が広がる。

『朱雀の祠に伝わった伝説に、四神獣の4つの色が揃うとき、地球の磁場に歪が発生するというのがある。これは私達の能力とは別の時空へのエアーポケットを意味する。地球という惑星が用意した、護身のための手段だろう。色は恐らく補助的なものに過ぎない・・・。』

朱羽煌雀がアキヒコの意識に語り掛けた。アキヒコはかつての伊豆スカイラインで遭遇した事件を思い出した。突如出現し、ブルードルフィンの車体を削り取った黒球・・・。

アキヒコはホールを1周し、開いた出口の無い事を確認して再びフライングシャトーを上に向かった。培養カプセルの底には成熟した内容物を排出するハッチがあるようだったが、システムの稼動していない今開く心配はない。だが、落下の衝撃により何があるかは予測もつかない。苛立ちを押さえ、狭い隙間を慎重に飛行し・・・、眩しい光が見えた。吸い出されるようにSuzakuは青空に解放された。

 

 

 

 

[第四部②へ続く]