はじめに

当作品は【スポーツカーのある暮らし】の外伝です。登場人物や背景などは【スポーツカーのある暮らし】を参照して下さい。

 

 

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1

 

 バブル景気の崩壊した1993年、そんな騒ぎも他人事の佐渡島は今日も快晴だ。新潟県庁交通対策室の看板を掲げた住居でのんびりとコーヒーを飲んでいたアキヒデの所に、トモヤとアリサが連れ立って顔を出した。

 「キャア、何これ、可愛い!」

 部屋の片隅に置いたバイクを見て、アリサが声を上げた。紅い車体に丸目のレーシングカウル、よく見るとエンジンがない。

 「それか、柳沢さんの近所に解体屋が出来てさ、この前挨拶に行ったらそいつが置かれてて、エンジン焼き付かせて直すのも面倒だからと処分頼まれたらしいよ。何だか格好いいから眺めてたら、持ってっていいと言うんで貰ってきちゃったのさ。ホンダのNSR50っていう原付バイクらしい」

 「へえ、面白そうっすね。エンジン手に入れてみんなでコツコツ直して、峠で遊べそうっす」

 トモヤが新しいオモチャを手に入れた子供のように興味を示した。

 「でも何だな、こういう物がやって来るってことは、何かありそうな気がするな」

 そのトモヤの予感通り、バイクの物語が始まるのであった。

 

 翌日、慌ただしい様子で訪れた来客は警察署長だった。

 「わざわざお越し頂かなくても連絡下さればこちらから出向きますのに」

 妻のマホカの淹れたコーヒーを勧めながら、アキヒデは挨拶した。

 「いや、所用のついでに立ち寄らせてもらっただけなので。それにこちらから相談がありましてな」

 署長は眼鏡をいじりながら言った。

 「貴方の提案のおかげで島での車絡みの死亡事故はすっかり無くなりまして、感謝しております」

 「ええ、僕も予想以上に上手くいって安心しました」

 アキヒデの提案とは佐渡を試験的にスポーツカーの楽園にすること、そのために車の改造申請を通りやすくし、登録制で許可証を発行して、その所持者は自己責任のもとに実質島内での速度制限を受けないようにすることだ。結果、自然に無理をしないで自分の技量内で走りを楽しむ風潮が広まり、事故が激減したのだ。

 「それは大変に結構なことなのだが、普通自動車以外、つまり自動二輪の単独死亡事故が今月に入って連続して起きて、頭を悩ませておるのですわ」

 狭い島でのこと、アキヒデの耳にもその話は届いていた。

 「このままでは我々警察も目を瞑るわけにもいかず、まあ取り締まりを強化する方針を打ち出すしかないですわ。そうなると当然普通自動車を対象から外すわけにもいかないので折角の成果ある提案を白紙に戻すしかない。その前に何かお力をお借り出来ればと思いましてな」

 署長の配慮は大変にありがたかったし、「交通対策室」と銘打っている以上自動二輪、いわゆるバイクも無視するわけにはいかない。しかし、

 「困ったことに、僕らのメンバーはバイクに関しては素人でして、バイクに乗る人たちの気持ちというか価値観がよくわからないというのが実情です」

と言いながら、NSRが存在を主張してるなと苦笑いする。

 やり方がないわけではない、バイクも同じように登録許可制で自由に走りを楽しめるようにすればいいだろう。だが、車で効果が出ている裏側にはアキヒデたちのカリスマ性が効いているのだ。技量や車の性能で大口叩いても「じゃあ試してみろよ」となり、アキヒデたちとのレベルの違いが歴然となるのだ。つまりメッキはすぐに剥がれてしまう。バイクでもそういうカリスマ存在が必要だろう。

 「事故を起こしているのは大型バイクですよね?」

 アキヒデは確認した。

 「ええ、その通りです」

 「問題は多分、大型バイクになかなか乗れないことなのですよ。難しい限定解除をパスして初めて大型に乗れる、つまり大型に乗っているだけで自分は特別だと思ってしまうわけです。実際には限定解除と速さは関係無いじゃないですか、でも周りの目を含めて大型に乗っている者は上手いし速いというイメージがありますよ」

 「限定は、もともとは暴走族対策で、いわゆるナナハンに乗れなくしてしまえという考えからきてますな」

 結果としては暴走族の無免許が増えるだけで、アキヒデから見たら効果がない規制だ。

 「僕から出来る提案としては、限定解除なんて制度をなくして大型バイクに自由に乗れるようにすること、そして車と同じように改造申請を気軽に出来るようにすることですね」

 「うむ、いきなりは無理でも、島内対象に規制を緩めることは検討しましょう。その場合、交通対策室にも責任を担って頂けますな?」

 署長の確認に、アキヒデはしばらく猶予を申し出るしかなかった。

 

 トモヤに相談してみたが、やはりバイクの世界はよく分からないとの返答だ。タカオはガソリンスタンドの客には当然バイク乗りも来るが、親密な仲はいないので今度それとなく聞いてみるとのことだった。

 「ああそうだ、沢村さんとこの若いのが確かバイクで通ってるよ。それと地元の人たちのが情報持ってるんじゃないかな」

 トモヤが思い出したように言った。とりあえずはそういう線で当たってみるしかなさそうだ。

 

 アキヒデが近所の漁師たちに聞いてみたところ、以前は暴走族グループがあったが、高校教師の指導などで解散したという。

 「そんで、バイク乗り回してた何人かがその後白バイ乗りたくてオマワリになってさ、今の島の白バイ隊員もその一人だったなあ」

 白バイ隊員の技量は半端ないと聞く。その情報で警察署を訪ねたアキヒデは、白バイの横田と会うことができた。

 「あのね、違反を取り締まる側の私が冗談でも公道の違反走行を煽るようなことに協力できるわけがないでしょ」

 まあ、言われてみれば当然の話だ。そんな判断もできないほどアキヒデは焦っていた。

 横田に丁重に非を詫びて自宅に戻ると、車整備の沢村が若者を連れて待っていた。

 「トモヤに軽く話を聞いたよ。こいつが一応バイク乗りの沖だ」

 沢村に紹介されて、沖は会釈した。話を聞くと、半年前まで西東京に住んでいて、週末は走り屋の聖地と言われる大垂水峠に出向いていたという。

 「半年くらい前に警察の大規模な手入れが入って、走り屋チームのメンバーたちが何人か逮捕されたって話で。それで俺ちょっと嫌になっちゃって、自由な佐渡の噂を聞いて移住して来たんです」

 「だったらちょうどいいよ。自由に走るためのフリーラン制度をバイクにも適用しようと検討を始めてさ、ところが俺たちじゃバイクに疎くて、手伝ってくれる適任者を探しているところなんだ」

 アキヒデは目の前に光が射して来た気がした。

 「何をすればいいんですか?」

 「うん、具体的にどうこうはまだなんだけど、とにかくバイクでこの島のカリスマになって欲しい」

 「そんなの無理っすよ!」

 沖は慌てて辞退する。

 「表に出てこないだけで、速い奴が何人かは絶対にいますよ。俺なんかがしゃしゃり出たら、あっという間に叩かれますって」

 アキヒデがどう説得しようと、沖は首を縦に振らなかった。

 「さて困ったな」

 「じゃあ実際速いバイク乗りの情報取って来ますよ。そういう形なら手伝えます」

 今は切れそうな細い糸にもすがるしかないアキヒデは、沖に全てを託した。

 

 

 

2

 

 「とんでもない人がいましたよ」

 奴などと言わずに人と言う沖の口調に明らかに憧れや尊敬の念が感じられる。アキヒデがバイク乗りの情報を託して1週間後のことだ。

 「俺が大垂水峠に顔出してた頃、神奈川から遠征してきた紅いバイクがいまして、大垂水のそうそうたるメンバーを席捲していったんです。で、調べたらレッドスターズって走り屋チームの2代目リーダーのショウさんっていいまして、その日から俺の憧れになったんですけど拠点が箱根だったからそうそう見にも行けなくて、そうこうしている内に神奈川にも警察の手入れが入って、ショウさんの姿が見えなくなったらしいです。噂では警察に連行されたって聞いてたんですげど、そのショウさんがなんと佐渡に居たんですよ」

 捲し立てるように話す沖の顔は、興奮で紅潮している。

 「あの人なら、まんまカリスマですから、アキヒデさんの望みにバッチリですよ!」

 ショウというライダーはほぼ毎日早朝にドンデン山を走っているというので、早速翌朝に会いに行ってみた。

 ドンデンの峠道は狭いつづら折れの連続でジャガーEタイプにはキツイ。同行するトモヤのロータスヨーロッパも苦戦のようだ。ヤマハRZ125の沖だけは気持ち良さそうにスイスイ登って行く。駐車場に車を入れて待っていると、2ストロークエンジン独特の金属的な排気音を響かせて紅いバイクがやって来た。駐車場には数台のバイクギャラリーがいて、ジャガーのアキヒデがショウに近付くのを怪訝そうに睨んでいた。

 

 「いい音だね」

 アキヒデがそう声掛けすると、

 「どちら様で?見たところバイク乗りじゃなさそうだけど」

とショウは警戒するように応対した。

 「うん、ちょっとキミの噂を聞いて、話をしたくてさ」

そう誘うと景観の良いところに腰を下ろした。周囲にはギャラリーたちが何事かとばかりに集まり、トモヤと沖が制するように間に入る。アキヒデはかいつまんで用件を伝えた。

 「つまりは僕にバイクで島を制しろと」

 「そういうことさ」

 「ハッハッハ」

 ショウは愉快そうに笑いだした。

 「その話は僕にとって迷惑以外の何物でもないですよ」

 「え?」

 予想外の答えにアキヒデは顔を曇らせる。

 「いや、やろうと思えばそんなに難しくはないし多分出来るでしょう。でもね、今の僕は目立ちたくない。それに愛機はこいつで十分だから限定解除も魅力的に感じないし、何より250cc以下のバイクは車検がないんですよ。つまりどう改造しようとお咎めなしってこと」

 どうやらショウは神奈川を追われるように親戚のいるこの佐渡に渡って来たらしい。可能性は低いが下手に目立つと地元警察を通じて神奈川県警に連絡がいくことを恐れていた。

 「そうか。キミの事情は分かったが、このままでは逆にここも取り締まりを受けることになると思うよ。それに俺たちに協力してくれればキミの心配をなくすことも出来ると思う」

 アキヒデはこの際、マホカの叔父の元総理大臣、田中角善の口利きを頼もうと考えた。

 ショウはしばらく思案し、

 「そうだな、最悪もうバイクを降りてもいいんだけど、もし僕とつるめる走り屋が現れたら貴方達に協力してもいい」

と提案してきた。

 「素質さえあれば走りは教えてもいいよ。そこのキミとかどう?」

 ショウは沖に声を掛けた。沖は身震いしながらお願いしますと答えた。

 

 沖の後ろから走りを見たショウは、顔を曇らせていた。

 「遅くはないんだけど、直しにくい癖がついている。悪いけど正直言わせてもらえば今以上に速くなるのは難しいね」

 半ば自分でも分かっていたが、沖は泣きそうになっていた。アキヒデもどんどん打つ手が潰されていく感じに冷静でいられなくなつてきた。

 「沖君がダメなら、ギャラリーはどうだろうか?一人くらい有望なライダーがいても…」

 アキヒデの言葉を打ち切るようにショウは首を横に振る。

 「僕が島に来て半年、最初の頃は挑んで来る者が何人かはいたけど、相手にならなかった。今はもうみんな遠巻きに眺めているだけですよ」

 「じゃあキミの元仲間達とかは?」

 そう言ってアキヒデはとても無理なことだと口をつぐんだ。ショウがここにいる事をわざわざ神奈川に教えることになる。

 また連絡すると告げてアキヒデたちはその場を去った。

 

 神奈川レッドスターズ、それはショウの先輩格ユウジが立ち上げたチームで、それこそユウジのカリスマ性に自然にメンバーが集まった感じだ。初代リーダーのユウジのマシンはホンダのNSR250R、1980年代に一世を風靡したレーサーレプリカの真打ちとも言えるバイクだ。

 グランプリレースにホンダは1979年に4ストロークエンジンのNR500で復帰したが、2ストロークのヤマハ、スズキに太刀打ちできなかった。特にキング・ケニーことケニー・ロバーツを有するヤマハが70年代終盤からGPの王座に輝き続けた。ケニー・ロバーツはそれまでの主流だったリーン・インというライディング・スタイルに、画期的なハング・オン(英語ではハング・オフ)スタイルで挑み、他者を寄せ付けない速さでチャンピオンに君臨した。1983年、ホンダは2ストロークのNS500で若き天才フレディ・スペンサーがハング・オンでキング・ケニーと熱戦を繰り広げ、最年少チャンピオンを獲得した。翌1984年からはNSR500を投入して、無敵の戦績を残していく。

 

 

 

 市販車の世界でもスズキがRG250γで2ストロークのレーサー・レプリカを先行し、ヤマハがTZR250でそれに続いた。そして最後にホンダのNSR250が登場し、先行他社を追い抜く人気を博した。特に1988年のMC18型は250クラス最速と言われている。

 ユウジのマシンはMC18をベースにし、角形のヘッドライトから耐久タイプの丸目1灯でドレスアップ。だが中身はイジっていなかった。2ストロークエンジンはチャンバー交換でガラリと性質が変わるが、MC18はとにかくノーマルが速い。公称45馬力だが実際はそれを遥かに超えると言われる。

 

 

 ショウの愛機もユウジとお揃いである。個性を出すのにカウルの要所にリベットを打って精悍さを増している。二人はレッドスターズのダブルエースとして箱根周辺を制し、さらに近郊に遠征しては名を馳せていた。

 

 

  全てが狂いだしたのはマモルがチームに加入してからだ。ユウジは常々自分より速い奴がいたらリーダーを譲ると言っていて、ショウにいつでも挑戦してこいよと発破をかけていた。RG250γを駆るマモルはめっぽう速く、すぐさまショウたちと肩を並べる存在になった。マモルは当然の如くユウジへの挑戦を申し出たが、さすがにもっとチームに馴染んでからにしろといさめられた。

 その日、ターンパイクは混雑していて、先頭のユウジはツーリングペースのハーレーに引っ掛かってスピードを緩めていた。しばらくノロノロ運転が続くとマモルが我慢できなくなり、3番手の位置からショウを刺し、ユウジを抜くと、左コーナーでハーレーの内側に飛び込んだ。驚いたハーレーは思わず対向車線に膨らみ、ちょうどやってきたシビックはハーレーを避けるように逆に対向車線に入ってきた。そこにいたのがユウジで、避けるスペースもなく、バイクをスリップダウンさせて放り出した。結果的に単独事故のユウジは車椅子生活となった。

 「ショウ、お前がリーダーを継げ。俺のバイクもお前に預けるから、お前から見て相応しい奴が現れたら譲ってやれ」

 そんな弱気なこと言わないでとユウジの回復を願ったショウだったが、2週間後にユウジはクモ膜下出血で帰らぬ人となってしまった。

 リーダーを継いだショウにマモルは納得せず、

 「俺はアンタたちを抜いた。俺こそリーダーの資格があるだろう」

と主張した。

 誰が起こした事故だとマモルの人間味を欠いた態度にショウは呆れ、独断でチームを破門にした。チームはまとまりを欠くようになり、そんな折に警察の摘発を受けて解散となった。ショウは身柄の拘束を避けて佐渡へやって来たのだった。

 

 

 

3

 

 「だいたいさ、なんか言うことが鼻につくよな。大佐渡スカイライン辺りでギャフンと言わせてやりたいぜ」

 トモヤはショウを気に入っていないようだ。お前もそう思うだろ?と相槌を求められて沖は首を横に振る。

 「トモヤさんは車とバイクではどっちが速いと思うんですか?」

 「そりゃお前、車だろうよ。最高峰のF1とGP1(旧GP500)のラップタイム比較すりゃ歴然だろう」

 「たいていの車乗りがそう考えるよな」

 アキヒデが横から口を挟む。

 「もっと現実的に考えてみるといいさ。まず自分の車をF1並にチューニングするのは不可能と言えるだろ?ところがバイクのレーサーレプリカなんて、GPレーサーをほぼそのまま市販しているようなものさ。しかも車をチューニングするには数百万単位で費用がかかるが、レーサーレプリカは60万くらいで手に入るんだぞ」

 「はあ、そう言われればそうか」

 トモヤは何かモヤモヤした感じだ。

 「じゃあさ、トモヤのロータスはゼロヨンどの位だ?」

 「雑誌主催の測定で13秒36っすよ」

と自慢げに答える。

 「車としちゃ相当に速いよな、けどNSR250は市販状態で12秒2だ」

 「げっ!」

 トモヤが絶句する。

 「最高速はリミッターを外して220~230km/h程度みたいだが、その速度までそれこそ瞬時に到達する。高速とかの最高速勝負じゃない限り、まずバイクには勝てないと思うよ」

 そうそうとばかりに沖がうなずく。

 「だからなあ、ショウ君のお眼鏡に叶うライダーを見つけたいわけさ」

 アキヒデはそこで溜め息を吐くばかりだ。

 「トモヤの昔の友人とかにいないかな?」

 「オレ、根っから車ばかりだったし、地元と言えばここより小さな島ですからね」

 そうだろうなとアキヒデは思った。「昔の友人か…」と呟いて、ハッとした。自分にはいるじゃないか!小学校の同級生で暴走族のリーダー森山が。

 「ちょっと地元の浦安に行ってくるよ」

 そう告げると手早く荷物をまとめる。マホカも連れて行くことにした。重要なことでは彼女が鍵になってきたからだ。

 「留守を頼んでいいかな?」

 とトモヤに託す。

 「いいっすよ。最近東京は沈み込んじゃって、毎日のように自殺者が出てるみたいだから気を付けて下さいよ。命より金なんて、狂った世の中っすよね、やだやだ」

 もう昔のままではないかもしれないなと思いつつ、アキヒデはマホカとともにジャガーEタイプに乗り込んだ。

 

 実家に荷物を置くと早速アキヒデは昔の記憶を頼りに徒歩で街に出る。実家に帰るのは2年振りか、祖母の葬儀以来だ。母親はまあお茶でもと繋ぎ止めるが時間が勿体無い。

 森山は運良く実家を継いで寿司屋を営んでいた。

 「いやあ、よく来てくれました。お代はいいから寿司食ってって下さいよ」

 思わぬ来客、それも一目置くアキヒデに森山は上機嫌だ。アキヒデはご馳走になりながら、用件を話した。

 「うーん、オレが頭張ってたのは10年以上前のことですからね。今やもう族なんて時代じゃなくて、3年前に解散させられましたよ。それにオレたちは目立ちながら練り歩くのが主で、走り屋なんて御門違いだからなあ…いや、まてよ」

 森山はしばし手を休めて記憶を辿る。

 「そういやあ解散寸前に御門違いが入ってきたとリーダーがオレにボヤいてきたなあ。確か電気屋の息子だ。そいつで良かったら繋ぎましょうか?」

 思わぬ収穫、期待が持てそうな気がする。アキヒデはマホカを連れてきて良かったと感じた。

 

 加藤電気店は閑散としていた。店に入るとよほど客が珍しいらしく店主と奥さんが擦りよってくる。森山がアユムに用があると伝えるとがっかりした様子で奥から息子のアユムを呼んだ。

 「相当景気悪いのか?」

 森山が聞くと、

 「量販店に価格でとても敵いませんから、誰もウチみたいな店じゃ買いませんよ。今は家電修理と量販店の取り付け下請けで食い繋いでいるようなものです」

 とアユムは寂しそうに答えた。

 「そんなことより、ウチに訪ねて来られちゃ困るんですよ。昔の仲間には関わるなって親がうるさくて」

 「そんじゃオレの店に行こう。奢ってやるからたまには寿司でも食え」

 森山は笑いながらアユムの肩を叩いた。

 再び寿司をつまみながらアキヒデはアユムに話を聞いた。

 「そう、オイラ、バイクでかっ飛ばしたくて族に入ったんですけど全然違くて。変に染まる前に森山さんの口利きで抜けさせてもらったんです。本当ならチーム抜けるのは相当大変らしいですけど、何事もなく済んで、森山さんって凄いなって今でも感謝してるんですよ」

 「いや、オレよりリーダーに感謝しろよ。それでお前、ちゃんと走ってるのか?」

 森山が聞いた。

 「うーん、親には心配かけないようにもうバイクは乗らないって言ってるんすけど、実はレンタル倉庫に隠してます。でもこの辺りじゃ走る場所がなくて、週末に奥多摩とか筑波とか行ってますよ」

 「キミは自分で速いと思うかい?」

 アキヒデはストレートに聞いた。

 「そりゃ難しい質問っすね、ハイと答えりゃ自惚れた馬鹿みたいだし、でも実のところみんな自分は速いと思ってますよ」

 アユムには自信の片鱗が感じられた。

 「どうだろう、家を離れてバイクで走るのを仕事にしてみないか?」

 アキヒデの言葉にアユムは目を輝かせる。

 「そんな夢みたいな話があるんすか?ああ、でも親は許してくれないだろうな」

 アキヒデはアユムにかつての自分を重ね見た。いい子ちゃんを演じるのは決して誰のためにもならない。

 「キミの人生はキミのもの、両親のものじゃないよ。どうするかはキミが決めることだが、若い時じゃなきゃ出来ないことは多い。後悔だけはしないようにね」

 アユムは少し考えて込んで、アキヒデに自分を委ねることを決めた。

 「美味しい誘い方をしたけど、キミの実力が伴わなかったら話は白紙だ。それは分かるよね」

 先ずはアユムがショウの要求をパス出来るかだ。アキヒデは天に願う気持ちだった。そしてふと別の考えが浮かんだ。

 「森山君さあ、キミも良かったらここをたたんで佐渡でやってみないか?」

 突然の提案に森山は目を丸くしていた。

 「まあ正直な話、オレのところもいつ潰れてもおかしくない状況だし、親もあの世に行っちまいましたからねえ。女房と相談して前向きに考えますか。そうだ、オイ、伸子!」

 森山が呼びかけると店の奥から奥さんが顔を出した。アキヒデはすぐに子供の頃の面影を思い出した。小学校の同級生、伸子だ。何だか無性に嬉しくなって、その日は遅くまで森山の店で語り合った。

 

 アキヒデは最近漠然と考える事がある。佐渡を本当の楽園に出来ないかと。思いつくままに動いて今や佐渡はスポーツカーの楽園と言われるようになった。そのキーワードは「自由」だ。世間の人々はアキヒデの目から見たら殆んどが我慢だ。実際アキヒデが母親から自分でお金を稼ぐようになるまで我慢しなさいと言われ続け、稼ぐようになったら生活費を入れろと言われて半分以上渡してきた。貧乏なわけではない。お金にだらし無い父親と離婚して、母親は小さいながらも会社の役員になり、世間から見たら相当に貰っている。実際アキヒデに我慢を強いながら弟妹には甘く、何でも望みを叶えていたようだ。アキヒデは一度晩年まで人生を送った妙な感覚がある。そこでは鬼嫁をもらい、子供たちに馬鹿にされ、自由に使える金も無い地獄のような結婚生活を送り、挙げ句の果ては離婚して孤独な最期を迎えようとしていた。夢で女神に貰ったカプセルを飲んだら、長い夢から覚めたように時間が巻き戻って、今の薔薇色の人生を堪能している。それは些細なことながら我慢を強いた母親に逆らって、マホカという最愛のパートナーに出会い、サラリーマンも辞めて完全なる自由を得たからだ。そんな今のアキヒデから見たら、世間の大半の人たちが、特にバブルが弾けて殺伐とした都会の住人たちが、見えない牢獄で暮らしているように感じてしまう。人間は基本的に変化を恐れ、どんなに苦しい暮らしでも与えられた環境を受け入れて適応していくが、チャンスがあったら思い切って自由になればいいと思う。それが何か人生の一つの大きな課題のようにさえ感じるのだ。だからアユムにしろ、森山にしろ、自分が切っ掛けを与えて本当の自由を得られるならとても喜びを感じるし、自由な仲間たちが集まって得意な事を提供して、自給自足の生活を送れれば素晴らしい楽園になると思うのだ。佐渡はその点既に食に関して自給自足の状態にあるから、理想的な拠点なのだ。

 アキヒデは母親にも佐渡に移ってみたらと声掛けしたが、予想通りキッパリと断られた。金には困っていないし、弟は安泰の市役所勤務だ。世の中は先ずはお金と本気で考えていて、アキヒデとは相容れなくなってきた。将来の貯蓄も大事なのだろうが、アキヒデは人生における宝物は何かを体験していくことだと思いを変えてきた。今やりたい事を全力で楽しむ。すると不思議なことにお膳立てが揃っていくのだ。自分も仲間たちも、今本当に幸せを享受している。

 

 

4

 

 ドンデンの峠道でアユムの走りを後ろから観察したショウは、微笑みを浮かべていた。

 「いいよキミ、なかなか筋がいい。少し基本を身につければかなりいけるよ」

 それを聞いたアキヒデは、当のアユムよりも安堵した。

 「バイクもいいよな、TZRに丸目ライト」

 「なんかオイラ角目が生理的に駄目で、でも4ストロークのFZRとかよりは2ストマシンが欲しくて、結局TZRをいじることになっちゃいました」

 「うん、その感覚は凄く分かる。僕や元の仲間たちも一緒で、チーム全員耐久カウルにしてね。感覚が合うってのは一番大事だよな」

 ショウは嬉しそうだ。

 「ところでアユム君だっけ?キミはヤマハ党かい?」

 「いえ、確かにキング・ケニーは好きだけど、たまたま近所のバイク屋がヤマハで。オイラ自身はホンダもスズキも好きっすよ」

 「そうか、良かった」

 ショウは様子を見て、ユウジのNSRを引き継がせるつもりだった。

 

 

 場所をアキヒデの自宅、交通対策室に移し、早速ショウはアユムに話を始める。アキヒデとトモヤ、それに沖が参考にと一緒に聞いた。ショウは薄いアルバムを広げて写真を見せながら説明する。

 「まあ今更と思うかもしれないが、バイクはハンドルを切るのではなく車体を傾けて曲がる。そのコーナーリングのライディングフォームは基本的に3つだ。リーンアウト、リーンウィズ、リーンインだね。リーンウィズは最も基本で、体をバイクと同じ角度に傾ける。リーンアウトはバイクよりも体を起こして、視界を良くしたり、悪路で滑った時の対応を素早くしたりする。リーンインはバイクよりも体を傾けることで、バイクをやや起こした状態で全体としての重心傾斜を確保できる。つまりは余裕を持って、より速く曲がっていくことができる。分かるね?」

 アユムはハイと頷く。

 「ハングオンあるいはハングオフは、腰をバイクから落として、より重心を内側に傾けるテクニックで、王者ケニー・ロバーツがGPに持ち込んで異次元の速さを見せつけた乗り方だ。以来ロードレースではハングオフが基本スタイルになった。ハングオフで気をつけたいのは腕をリラックスしてハンドルに余計な力をかけないことだ。バイクのセルフステア、傾いた方向に自然に前輪が切れる習性をさまたげないようにね」

 ケニー・ロバーツの美しいハングオフを見せる。

 

 

 「さらに重心を傾けるために、ハングオフにリーンインを組み合わせていく者もいる。フレディ・スペンサーがその先駆者かな」

とフレディの写真を見せた。

 

 

 「これもフレディ・スペンサーなんだけど、珍しいダートでの乗り方だ。リーンアウトで派手にドリフトさせている。つまりこれがリーンアウトの使い方だね」

 

 

 「初心者は怖いものだから腕でバイクを倒して格好だけハングオフにしようとする。つまりこんな風にリーンアウトのハングオフさ」

 

 

 「ああ、そうか!オレこんな感じで乗ってる」

と沖が声を上げる。

 「うん、分かってくれたようだね。じゃあ昔の仲間たちの写真でも見てイメージ作りをしてくれたまえ」

 ショウはアルバムをアユムに渡し、アユムはパラパラとめくった。どれも綺麗な乗り方だ。

 「あ、この人は特に速そう」

とアユムが言うので、ショウが覗き込み、顔を曇らせる。

 「そいつは確かに速さにかけては別格だ」

 そこには因縁のマモルの走る姿があった。

 

 

 

 アユムは日々ドンデン山を走り込んだ。朝方はショウと共に、それから夕方まで一人で淡々と。とにかく速くなることが自分の成すべきことなのだ。好きなことに一日中没頭できるなんて、こんな幸せがあるか?走りはどんどん洗練され、上達していった。

 「うん、そろそろ頃合いだな」

アユムの走りを後ろからチェックして、ショウが満足そうに呟いた。

 

 ショウは何処かに電話して、待った。3日後に連絡があり、フェリー埠頭に向かった。軽トラックが真紅のバイクを積んで降りてくる。ユウジのNSRだ。神奈川のバイク屋に預けて修理と整備を頼んでおいた。相応しい乗り手に引き継ぐために、此処へ運んでもらったのだ。ユウジのNSRに跨って戻ろうとするショウの背後から呼び止める者がいた。

 「こんな所にいたのか、ようやく見つけたぜ」

 「マモル!」

 RG250γに乗ったマモルがいた。

 「ユウジさんのバイクを見張ってればいつかアンタが取り寄せると思ってさ、正解だった。決着をつけに来たぜ」

 「しつこいな。もう縁を切ったはずだ」

 ショウは動揺を隠せない。一方的に追放されたマモルの立場になってみれば、仕返しをしたいだろう。

 「縁とか関係ねえよ。オレは無敗で、もう神奈川じゃ挑んでくる奴もいない。残りはアンタくらいなものさ。ユウジさんのいない今、神奈川最速と言われたアンタを倒して、オレの無敗伝説を完結するぜ」

 「やるしかなさそうだな」

 ショウは覚悟を決める。

 「だが僕とやる前に相手をしてもらいたい教え子がいる。コースに案内するから今日存分に走り込めよ。それで明日決着をつけようじゃないか」

 

 

 

5

 

 早朝のドンデン山、駐車場の一角は緊張感に溢れていた。マモルのRGγと、アユムのTZRが並んで軽く空吹かしをしている。ショウがアユムに寄り添い、アキヒデたちが一触即発を避けようと見守る。それほどにショウとマモルの間には火花が散っていた。

 「キミの初仕事だ。普段通りに走れば大丈夫」

 そうショウに声を掛けられても、アユムの心拍数は極限まで上がっていた。相手はあの写真の「別格に速い」無敗の王者、どうしても手足に力が入る。

 沖の合図で2人はスタートを切った。コースは入り口の封鎖されたドンデン南ルート、山頂駐車場から下って入り口でUターンして戻ってくる。一般車両のいない安全な道だ。アユムが先行するが直ぐにマモルが並び、ブレーキを遅らせてインを刺した。アユムを抜き去るとコーナーの度にグッ、グッと引き離す。何処で聞きつけたのかチラホラとギャラリーがいて、みっともない走りは見せられないと余計アユムは緊張した。気が付けば10m近く差が開いていた。「何やってんだバカ!」アユムは自分を叱咤する。もう勝ち目はないと感じ、せめて悔いの無い走りをしようと気持ちを切り替えたら急に力みが抜けて余裕が生まれた。マモルの走りを後ろから観察すると、早めにバイクを倒し込んで早めにアクセルを開けてゆく。下りなので全開にはしないが、これが登りだったらもっと差が開いていたことだろう。アユムは即座に吸収し、自分の走りを変えていく。早めに倒し込むことでバンク角をより深く取れるが、マモルを真似て上体をコーナーの先に突っ込むようにリーンインさせると同じバイクの寝かし込みでコーナーリング速度を上げられた。マモルとの差はもう開くことはなく、心持ち詰まっているようにさえ感じた。「これだ、いける」封鎖ゲートでUターンし、駐車場に向けて折り返し登る。差は8mに詰まっていたが、登りでは軽くて馬力に勝るRGγに分があった。2台はそのままゴールを迎えた。

 「フン、いい走りだったがバトル慣れしてねえな。残念だったな」

マモルがうな垂れるアユムをねぎらった。

 「ショウ、アンタの番だぜ」

 マモルに呼ばれてショウはNSRに跨る。

 「休憩しなくていいのか?」

 「ああ、ちょうどいい肩慣らしだ」

 続けてマモルはスタートラインについた。

 「さあ本番だ」

 

 再び沖の合図でショウとマモルがスタートした。ショウが先行する。互いに今にも接触しそうで、バチバチと火花を散らす。ショウがややリードしたまま3つ目のコーナーを迎え、誘うようにインを空けて減速する。マモルは千載一遇のチャンスとばかりに減速を遅らせて、インを刺して前に出た。「やった」と思うのも束の間、オーバースピードでアウトに膨らむマモルを尻目に、クロスするようにインを回るショウはマモルよりも一瞬速くアクセルを開けて再び抜き返した。2台の差は3mに広がり、それで充分だった。まるでゴムの紐で繋いだように2台は間隔を保ってコースを駆け抜けていく。切り替えして登りになってもそれは変わらず、残るはコーナー2つ。誰の目にもショウの勝利は明らかだった。ところがショウは何を思ったかコーナー立ち上がりでギアをニュートラルに入れ、虚しく空吹かしをした。NSRは加速せず、脇をRGγが抜き去りそのままゴールした。

 「お前の勝ちだ、マモル」

 ショウはバイクを降りてそう言った。

 「何言ってやがる!手抜きやがって」

 マモルは見下されたように憤慨していた。

 「いや、僕のミスだ。ギアを入れ損なった。だがこれでお前の無敗記録に傷が付くことはない」

 「フン、武士の情けってか、ありがたく受け取っとくぜ。決着はついた、もうアンタに手出しはしない」

 マモルはショウの速さに兜を脱いだ。

 「マモル、お前はアユムに勝ったからユウジさんのバイクを受け取れよ」

 「いや、それはできない」

 マモルは丁重に断る。

 「ユウジさんが死んじまったのはオレのせいだ。まさかあんな事になるなんて思いもしなかった。だがチームのみんなに責められるのが怖くてさ、リーダーになっちまえば誰も逆らえないだろうと思ったのさ。済まなかったよ」

 「それにオレはガンマが気に入ってるしさ」

 「そうだったのか、僕は誤解していたようだ」

 ショウは胸のわだかまりが取れた気分だった。そして落ち込むアユムに声を掛ける。

 「アユム、ユウジさんのNSRはキミが受け取れ」

 思いがけない言葉にアユムは戸惑った。

 「でもオイラ負けちゃったし」

 「誰も勝てなんて言ってない。僕だって勝てなかったろう?キミは期待通り速くなった。NSRに乗ればマモルにも負けないくらいにさ。僕がアキヒデさんに言ったのは、僕とつるんで走れるライダーを探してくること、キミは充分合格だ」

 「マモル、お前はこれからどうするんだ?」

 走りづらくなった神奈川をショウは知っている。

 「ああ、何だか気が抜けて、考えられないよ」

 「仕事は何をしているんだい?」

 横からアキヒデが聞いた。

 「この半年、ショウを探すことしか頭になくて、彼の行きつけだったバイク屋の向かいにあるガソリンスタンドでバイトしながら見張ってました。もうそれも意味なくなっちゃったしなあ」

 「だったらキミも佐渡に来るといい。ちょうどガソリンスタンドの働き口があるよ」

 アキヒデはタカオに任せるのがいいと感じた。

 「ああ、そうしろよ。そうしたらまたチームを組めるじゃないか」

 ショウの言葉にマモルは希望とゾクゾクする魅力を感じた。

 「オレもいいのか?」

 「お前しかいないだろ?アユムと3人で走ろうじゃないか」

 「リーダーはアンタだな、ショウ」

 「いや、僕は縁の下の2番星が性に合ってる。1番星はアユムだ。それともお前が頭を張るかい?マモル」

 「いや、坊やがいい」

 急な展開にアユムが戸惑った。

 「オイ、オイ、オイラなんか…」

 「やれ!」

 ショウとマモルが口を揃えて言ったもので、その場のみんなが笑った。

 「ところでショウ君って何の仕事してるんだっけ?」

 アキヒデが聞く。今初めて絆が深まった気がした。

 「ケーキ屋を手伝ってますよ」

 バイクを見なければ似合っていそうだ。アキヒデとトモヤが顔を見合わせて吹き出しそうになった。

 「ケーキ屋ショウちゃんか!マホカやアリサちゃんが喜びそうだな」

 アキヒデはどんどん理想郷が出来上がっていく感触にワクワクする自分を感じた。

 

 

6

 

 バイクのフリーランシステムはTC底根(ぞっこん)アルファで話し合われ、無条件ではなく、月に1、2回大佐渡スカイラインで走行会を開いて、多少の選別をかけようとなった。TC底根アルファとはアユムをリーダーとするショウたちのチーム名だ。TCはツーリングクラブ、アルファとは耐久片目カウルのメーカーで、ショウとアユムが譲り受けたユウジのお揃いNSRに使われていた。マモルのRGγのカウルは自作だが、デザインはアルファタイプだ。ちなみにもう一つの主流はオメガタイプといい、尖ったフォルムが特徴らしい。

 アキヒデはショウとアユムを伴って、警察署に交通対策室自動二輪課の立ち上げを報告した。そして田中角善の名前をチラつかせてショウの保護を頼んだ。署長は急にかしこまった態度で「承知しました」と答える。

 「ところで…」

 安心感を得たショウが署長に聞く。

 「死亡事故のこと確認したいんですけど、バイクの車種と事故現場は教えてもらえますか?」

 「もちろんですよ」

 と署長は担当者を呼んだ。

 「えっと、車種は2台ともカワサキGPZ900R通称ニンジャですね。事故現場は島の外周路で、地図でいうとココとココなんですが、ご案内しましょうか?」

 ショウはありがたい申し出に感謝した。走行会についても許可を得て、上位5人に特例で限定解除が与えられることになった。

 

 事故現場を眺めて、ショウは違和感を覚えた。外周路には確かに危険な箇所が幾つかある。長い直線路の後の急カーブのようなところだ。だがここは緩やかな高速コーナーで、そんなに単独事故を起こすような場所には見えないのだ。ふとマモルの件が頭に浮かび、ショウは警官に尋ねた。

 「島でGPZ400Rの所有者はいますかね?」

 警官は無線で署に問い合わせた。

 「いえ、GPZ400RもGPZ400も登録はありませんね」

 「どうしたんだい?」

 アキヒデが聞く。

 「いや、大型バイクのライダーってそれなりの腕の持ち主だから、こんな場所で事故るって考え難いんですよね。大体彼らはコーナー攻めるとかよりもゆったりとツーリング楽しむ感じだし」

 「それなりの腕だから、過信して無茶したってことじゃないか?」

 「うーん、短期間に2台も、それも同じ車種っていうのは何か裏がありそうで。僕が思ったのは限定解除をなかなか取れない奴がいて、半ば諦めて欲しい車種の中型で我慢してて、それがたまたま本当に欲しかった大型バイクに遭遇してしまって嫉妬のような気持ちが湧いた。それで後を追いかけて煽るように無茶な追い越しをかけたんじゃないかと。事故車が2台ともカワサキのGPZ900Rだから、

犯人がいるとすればGPZ400Rに乗る奴だ」

 「なるほど、だけど島にはいない」

 アキヒデは何だかホッとした気分だ。島にはそんな卑劣な者はいて欲しくない。

 「うーん、となると、外の者か。島への出入り車両って分かるんですかね?」

 ショウは諦めるしかないかなと思った。だが、

 「分かるよ。島に渡るにはフェリーを使うしかない。運航記録とか残っているんじゃないか?」

 アキヒデは島の特殊事情が幸いしたなと感じた。

 「調べてもらえますかね?」

と警官に頼むとやんわりと断られた。

 「我々も日常の業務で忙しいもので」

 困ったなとアキヒデは悩んだ。自分たちで問い合わせても個人情報に関わることは開示してくれない気がする。

 「私がやるよ」

 いつの間に来たのか、白バイの横田だった。

 「そういうことならいくらでも協力する」

 

 第1回の走行会は予想以上に反響があり、20台の募集に対して50台以上の申し込みがあった。それで先着順で対応した。TC底根アルファからは毎回1台参加しようという事になり、今回はアユムが走ることになった。参加者は前日までに佐渡に渡っていた。

 「来たね」

 「ええ」

 横田の目配せにアキヒデは短く答えた。フェリーから降りてきたバイクたちの中にカワサキGPZ400Rがいた。横田が事故日のフェリー乗船記録を調べたところ、ショウの予想通りGPZ900Rと共にGPZ400Rの記載があり、400Rは何れも同じ搭乗者だった。そして今回、走行会にその望月という人物の参加申し込みがあったのだ。フェリー埠頭にはGPZ900Rがいて、それを見た望月は軽く舌打ちし400Rで後を付けるように走り出した。900Rを駆るのは横田で、外周路を流すとタカオのスタンドに給油のために立ち寄った。望月もそれに続く。スタンドには店員になったマモルと共に、ショウとアユムが控えていて、それぞれのバイクに跨ると距離を取ってGPZの後を追った。

 横田がカワサキニンジャをゆっくりと走らせると、ピタリと後ろに付けた望月が煽り始めた。そして例の高速コーナーに差し掛かるといきなり横田の内側に飛び込み、あろう事か押し出すように接触してきた。横田は路肩に弾き出され、望月はそのまま加速しだした。ショウたちが猛然と全開で横田を追う。みるみるうちに差は詰まり、3台でGPZ400Rを取り囲むと停車させた。直ぐに横田がやって来て合流する。

 「キミねえ、わざと当ててきたよね、何のつもりだい?」

 横田が注意するが望月は「何の事だよ」とシラを切る。

 「惚けるなよ!僕らもちゃんと見てたからな」

 とショウが声を荒げた。

 「何なんだよお前ら?変な言いがかりつけるなよ」

 逆切れする望月に、横田はゆっくりと警察手帳を見せた。

 「おかしな事に先日もさっきのコーナーでこれと同じカワサキニンジャが事故を起こしてね、ライダーは亡くなってしまって原因は不明だったんだが、調べたらキミが当日島に来ていた。もう1件同様のカワサキニンジャの死亡事故があって、その時も島にはキミが来ていた。それで今日キミが来る事は分かっていたから、逆にニンジャを用意して待っていたんだよ。どういうことか説明してくれるね」

 「し、知らねえよ」

 望月は動揺しながらも惚ける。

 「ふざけるな!人が2人も死んでるんだぜ!オレも同じような体験してるから分かるが、悔やんでも悔やんでももうあの人は戻ってこねえんだ。それをお前、ワザとやるなんて…」

 マモルが望月の胸ぐらを掴む。

 「まあ、今回は明らかに危険運転だ。過失致死の疑いもあるから署で話を聞こうじゃないか」

 パトカーが呼ばれて望月は連行された。

 「お陰で真相が判明して良かった。お手柄ですよ」

 横田がショウに握手を求め、ショウはにこやかに笑った。

 

 望月は全ての過失を認め、こうして事件は解決した。

 第1回大佐渡スカイライン走行会はNSR250に乗るアユムが制し、新たなる伝説が始まった。

 

 

 

 7

 

 交通対策室にはバイク好きのショウたちが集い、必要なパーツを手配してガラクタだったNSR50を蘇らせた。

 「これでアキヒデさんも一緒に峠を走れるね」

 アユムが楽しそうに誘う。

 「おいおい、こっちは素人なんだからお手柔らかに頼むよ」

 笑いながらアキヒデはバイクライフも悪くないなと峠に思いを馳せる。部屋には不要になったアユムのTZR250が置かれていて、ご自由にどうぞと言う。どうせなら自分も紅いNSR250の耐久片目カウルでも欲しいな、アキヒデは取り敢えず中型免許でも取ってみるかと思った。

 

 

 

終わり