1

 

 その車はフラリと現れた。何処で噂を聞いたか知らないが、港のゼロヨン大会に飛び入り参加してきたのだ。ゼロヨンの事は大っぴらにはしていない。地元の警察は見て見ぬ振りをしているが、昨今の風潮では問題視されるからだ。大会自体も下火になってきた。結果がマンネリ化していて、決勝レースは毎回柳恭一のフェアレディ240ZGと村井文哉のフェアレディSR311の一騎打ちとなる。速さはほぼ互角で、一進一退の攻防であるから、どちらが勝つかという楽しみはあるが、予選はほとんど意味を持たないため参加台数は極端に減っていた。優子のポルシェや秀雄のロータス47でも出ればまた人気が上がるだろうが、二人ともワインディングを走る方に興味があり、車を傷めかねない加速競争には意欲が湧かなかった。

 その日も恭一と村井の2台しか走る予定がなかったが、飛び入りが現れたため急遽秀雄がサニーバンで参加して予選が行われた。秀雄は恭一と競い、性能差で順当に敗れた。悔しさはほとんどない。続けて村井のSR311に飛び入りのアメ車が挑む。1969年製のシボレーカマロSSは軽い足慣らしの感じであったが、SR311を後方に置き去りにした。観客からどよめきが上がる。決勝に向けて騒ぎを聞きつけた町民たちが続々と集まってきた。

 決勝戦、恭一はスタートに集中し、絶妙のタイミングでクラッチミートした。カマロは僅かに出遅れたが、そこから驚異的な加速を見せ付けると、恭一のフェアレディ240ZGを遥かに引き離してゴールラインを通過した。

 「なんてこったい!」

 鷹応の計測タイムは11秒9、恭一よりも2秒も速いではないか。これでは大人と子供の競争である。ゴールしたカマロから長身の白人男性が降り立った。

 「全くママゴトもいいとこネ、面白そうな町だと聞いて来てみたけど、所詮はイエローモンキーの田舎町。期待外れのようネ」

 立ち去ろうとするカマロを恭一が引き止める。

 「待ちなよ、オタクの速さは分かったが俺たちもこのまま見下されている訳にはいかないさ。1ヶ月時間をくれ。その間に勝負できる車に仕立てて見せる」

 「ミーはそれほど暇じゃないネ。予定では2週間後にはアメリカに戻るヨ。悔しければ1週間で何とかしてみなさいな」

 さすがに1週間では何も出来ない。部品調達に最低2週間は掛かるだろう。恭一は唇を噛み締めて黙り込んだ。

 「いいよ、俺が1週間後に相手するよ」

 観客の中から若者が名乗り出た。山根亘だ。みんなが驚いて彼を見る。口からの出まかせだとしたら町が恥の上塗りになり兼ねないからだ。だが亘は自信に満ちた表情でアメリカ人と向かい合っていた。

 

 

 

2

 

 亘はやり切れない思いを抱えていた。自動車の専門学校を出て整備士の資格を取り、町に戻って来て、ようやく自分のやりたかった仕事が出来ると胸を膨らませていた。公二のポルシェショップで雇ってもらえれば最高だが、少数精鋭の専門ショップでいきなり新米を迎えることは期待できない。無難なところで友人秀雄の実家で、秀雄と地味にやるかと思っていた。それがどうだ、秀雄にいきなり訪れた大転機で計画は狂ってしまった。秀雄は華族の令嬢に見初められ、公二の共同経営者になり、何から何まで手に入れたではないか。それも自分で苦労した訳ではない、幸運に恵まれただけで、亘から見たら中身は相変わらずのお坊ちゃまだ。Koji&Hideだって?今更秀雄に雇われて働く気にはなれないじゃないか。

 町を離れる選択もあったが、亘はしばらく実家で過ごす事にした。父の耕輔は今でこそ漁師だが、もともとはマツダのロータリーエンジン開発陣の一員だった。ドイツのヴァンケルが考案したロータリーエンジンは実用化に際して三角形のローターの頂点に取り付けるアペックスシールの磨耗問題の解決が難しく、世界で唯一マツダが開発に成功した。軽量コンパクトながら大出力を得ることが容易で、スカイラインGT-Rのレース50連勝を阻止したことで一躍脚光を浴びたが、日産を始めとする各社のクレームで厳しい規制が為され、本来の牙を抜かれた形になった。それでもマツダはロータリーエンジンの市販車をラインアップし、その性格に適したスポーツカー、サバンナRX-7で成功を収めた。ロータリーエンジンは給排気のためのバルブ機構を持たず、その代わりにハウジングにポートを設けてローターの回転でポートを開閉する。排気ガス規制や燃費の問題から市販車ではハウジングのサイドにポートを設けたサイドポートが採用されたが、より出力を得易いのはハウジングとローターの回転接触面にポートを開けるペリフェラルタイプだ。ロータリーを熟知する耕輔はペリフェラルポートのロータリーエンジンをファミリアバンに搭載し、羊の皮を被った狼に仕立てて亘に与えた。亘は耕輔の漁を手伝いながら、ロータリーエンジンのノウハウを吸収していった。

 

 「亘、どうするつもりだい?」

 ゼロヨンレースでカマロに無謀な挑戦状を叩き付けた亘に秀雄が声を掛けた。

 「ハッハ、お前のロータスでも借りるかな」

 亘は秀雄にそのくらいの気概を見せて欲しかった。まあ実際には13秒台のタイムがいいところかもしれないが…

 「あの車は…」

 顔を曇らせる秀雄に亘は「冗談だよ」と笑い飛ばした。

 実際のところ、亘は運が回ってきた気がした。秀雄が周囲のバックアップで注目を集めるなら、自分は実力で周囲を認めさせてやる、そんな野望を抱いて秘かに計画を練っていたのだ。ゼロヨンで圧倒的なタイムを出して一躍町のスターダムに伸し上がるためにこの半年間車を作ってきた。それをデビューさせるまたとないチャンスが、向こうからやってきた感じがした。

 

 カマロの白人はリチャード・ギブリ、アメリカの大手TVネットワークのディレクターをしている。アメリカ人は結構な割合で未だに日本人は着物にチョンマゲで町を歩いていると思っている。ギブリは流石にそんな馬鹿げたイメージは持っていないが、昔ながらのサムライには深い関心を抱いていた。日本から帰国した観光客をインタビューしていて、ある港町に本物のサムライが居たと聞いて興味津々ここに取材に来たのだ。サムライは刀ならぬ車を武器にしているとのことだった。アメリカでは車の競い合いならまずドラッグレースだ。そこでギブリは大使館の伝手を利用して自慢の改造カマロを日本に持ち込んだ。話によればサムライの町ではドラッグレース大会が開かれているというではないか。

 意気消沈した形でホテルに戻ったギブリは、ロビーで映画監督を自負する辻に出会った。辻はこの町であるドキュメンタリー映画を製作中だと言う。車好き同士、話はあっという間に弾み、ギブリは辻から貴重な情報を得た。

 辻は秀雄のサクセスストーリーにまつわるドキュメンタリーを編集していたが、どうもしっくり来ないものがあった。単なる成功物語は民衆にうけにくい。山有り谷有りの刺激が欲しいところだが、秀雄の話はほとんど苦労もなく、盛り上がりに欠けるのだ。さらに秀雄を通じてこの町の個性的なカーマニアたちを知るに当たって、彼らの方がよっぽど主役に値する気さえしてきた。鷹応、柳、優子、村井といったそうそうたる面々は、それこそアーサー王伝説の円卓の騎士たちを連想させる。中でも辻が関心を抱くのは公二だ。あまり表に出ようとしない陰の存在ながら、すべてを思い通りに操っているように見える。そこに加えて今度は亘という活気溢れる若者の登場だ。これを外す訳にはいかない。ドキュメンタリーの完成はどんどん遠のいていくようだ。

 

 リチャード・ギブリは辻の話から、鷹応に興味を抱いた。おそらく観光客の言っていた本物のサムライというのは鷹応のことではないかと当たりをつけたのである。番組を面白くするには本人を追うよりも周囲の噂で盛り上げていくのがよい。それでギブリは町に次のレースまでの1週間、ハンディカメラを手に若い漁師たちの話を拾った。ギブリの予想は正解だった。鷹応は荒くれ漁師たちの信頼を一身に背負い、ニッサンの伝説的名車GT-Rに拘り続ける。今では見劣りする性能だがオリジナルを維持する姿は名刀を手にしたサムライを彷彿させるではないか。そしてその走りは肉を切らせて骨を断つようなスタイルだという。ギブリは鷹応の走りのカットを撮りたいと思った。鷹応に許可を求めたところ、撮影のための走りは断るが、走っているところを撮るのは勝手にしなとなった。そこで海岸沿いのワインディングロードでカメラを設置して鷹応のやってくるのを待った。鷹応はコーナーの外側にレンズの反射光を認めると、サービスとばかりに派手にテールをスライドさせてカメラをスレスレで横切っていった。そのシーンは見る者を釘付けにする迫力に満ちていた。

 

 辻は亘を訪ねた。彼は漁を手伝う傍ら、父親耕輔の手解きを受けながら、自宅の納屋で秘かに車を組み上げていた。エンジンは12Aツインロータリーのペリフェラルポート、そこに最近話題のボルトオンターボを組み付けた。ターボチューンの主流は燃調の取り易いインジェクションによる直噴だが、亘はあえてキャブレターでの吸気にトライした。調整は極端に難しいが、爆発的パワーを得ることが出来るからだ。それにより350馬力というとてつもない性能を実現した。こうなるとファミリアバンの車体では耐えることが出来ない。亘は軽くて剛性の高いボディーを探し求め、ある答えに行き着いた。トヨタスポーツ800だ。ホンダの名車S600に対抗するために作られたがパブリカの流用部品を多用して安価に抑えられたトヨタ流の設計だ。亘はどのみち構成部品はレース用に換えてしまうため何でもよかった。コンパクトでなかなか流麗なスタイルに触手が動いたのだ。そこに極めつけのカスタムを施した。空気抵抗を考えてのことだったが、見る者を驚かせ、忘れられなくするものだ。辻は亘から話を引き出しながら、モンスターマシンを仕上げる亘の姿をフィルムに収めた。

 

 約束の1週間後、夕刻の波止場に観客が押し寄せる。腹に響く排気音とともにリチャード・ギブリのカマロが登場する。その圧倒的な速さに魅了された者から声援が送られる。ギブリはアルバイトのアシスタントを雇い、レースの一部始終を撮影させていた。やや間をおいて甲高い大音量が響き渡った。観客は一斉に音の主を目で追う。「何だ?あれは!」亘の狙い通り、その奇抜なスタイルは見る者の視線を釘付けにした。トヨタスポーツ800のようだが、フロントはフェアレディ240ZGなのだ。それが妙に格好良くマッチングしている。そして迫力のロータリーサウンドを撒き散らせている。亘はヨタハチをカマロに横付けすると、「お待たせ」と軽くウインクした。

 「ミーも馬鹿にされたものネ、結局あんなオモチャを相手にすることになるとは」ギブリはカマロよりも二回りは小さいヨタハチに落胆の溜め息を吐いた。こうなったら徹底的に叩きのめすだけだ。

 スタートの合図とともに2台は路面を蹴り出した。カマロがリードするが、ターボの有効回転に達すると亘のヨタハチが差を詰め出す。変速でまた遅れを取るが爆発的加速は遂にカマロを捕えてリードし、最終的に差を広げてゴールした。

 「10秒9、化け物だな」鷹応が呟く。新たなヒーローの誕生に波止場は熱狂に包まれた。

 

 

 

3

 

 リチャード・ギブリは帰国どころの話ではなくなった。ゼロヨン10秒台は日本のチューニング界のトップクラスでも数えるほどしか居ない。オイルショックと排気ガス規制を迎えて市販車が軒並みパワーダウンに喘ぐ中、新たなる夢を追いかけてチューニングショップがメーカーレベルに成長し、深夜の公道ゼロヨンから雑誌社主催の正式なタイム計測大会に焦点が移っていた。亘が自前の車でゼロヨン10秒台を記録したと言う噂は瞬く間に広まり、自動車雑誌の取材申し込みが殺到した。しかし亘はそれらを全て断った。町のゼロヨンは若者たちのストレス発散の場として大切にしたい。記事になれば即座に潰されてしまうだろうから。そんな中、当事者であるギブリは独占的に取材が出来る身になったのだ。本社に事情を話すと日本への長期滞在に切り替え、古民家を借りてホテルから居を移した。それまで恭一と村井が2枚看板であったのが、亘とリチャードの2枚看板へと替わった。

 「先を越されたよ。僕もターボ化を考えていたんだ。だけど10秒台はとてもじゃないが無理だろうな、キミこそが王者に相応しい」

 恭一は亘に脱帽するとともに重荷を下ろした感じがした。結構長い間王者の重圧を背負ってきたなと振り返る。

 「キッチリとチリ合わせをしているね、大した作品だ」

 ボディーワークを専業とする公二は見る目が違う。それこそが亘が欲しかった褒め言葉だ。ロータリーエンジンのチューニングで父親を越えることは難しいだろうし、全国にチューニングショップが乱立しだして競争の時代に入っている。亘はロータリーの専門ショップを耕輔とやってみたいと考えていた。特色を出すにはエンジンチューンに加えてオリジナルのボディーワークがブランド力を高めてくれるだろう。

 「フロント回りはFRPじゃなくて240ZGのボディそのものだよね?」

 「はい、最初はFRPを考えてましたが、たまたま解体屋で240ZGのフロントを見つけたもので。鋼板の方がボディ剛性を持たせられますからね」

 亘は嬉しそうに答える。

 「ヨタハチと240ZGじゃ結構サイズが違うから、切り貼りしてるはずだよね。それが全く分からないのが凄いよ」

 「結構苦労しました。真ん中を切り取って幅を詰めると見た目のバランスが崩れるので、左右のサイドをカットして再溶接してます。手間は掛かりましたが、自分としては最高の仕上がりですよ」

 ほう、っと公二が感心する。

 「ねえ、良かったら僕らと一緒にショップをやってみないかい?」

 公二のその誘いはしばらく前の亘なら飛び上がって喜んだろう。だが今は以前ほどの魅力を感じない。

 「折角ですが、俺、親父と自分たちの店を出してみたいんです」

 そう言った亘は、自分が秀雄を超えられた気がした。

 

 

4

 

 京都の古宮邸で秀雄と早紀子の結婚披露宴が行われた。秀雄の側からは両親以外に招待客は2名に絞って欲しいと言われ、公二と亘を呼んだ。その理由は披露宴が始まるとすぐに分かった。古宮家の招待者は厳選しても100名を超えていた。親戚に加え、政財界のそうそうたる面々が顔を連ねている。主賓は九里城元総理と田口元総理の2名、新郎新婦が着席し、シャンパンが出席者のグラスに注がれると九里城元総理大臣が乾杯の音頭を兼ねた祝辞に立つ。みんなが九里城に目を向ける中、公二は一人俯いていた。そして乾杯が終わるとそっと部屋を出て一人で庭を眺める。会場では田口元総理大臣の祝辞に移っていた。

 「お久しぶりね、今日はお父上のお供ではないようね」

 公二の背後から若い女性が声を掛ける。手にはシャンパンのグラスを2つ持って、1つを公二に勧めた。

 「誰かと勘違いじゃないですか?と言ってもキミには無駄か、浩美嬢」

 「そうね、本来はうちも父が出るのが筋だけど、前回の選挙前に引退して私に代が替わったのよ」

 若い女性は新人の衆議院議員、武藤浩美。武藤元総理の一人娘だ。

 「あなたもお父上の秘書をやるものだと思っていたら姿をくらましちゃって、今日も名字は隠しているようね、九里城公二さん」

 「政治の世界は薄汚くて性に合わないのさ」

 公二が静かに笑った。

 「それで、今は何処で何をしてらっしゃるの?」

 「おおよそ察しはついてるんじゃないかい?自由気侭に新郎とカーショップをやってるさ」

 「そう、では今度寄らせて頂こうかしら、積もる話もありそうだし」

 浩美は会場に戻っていった。公二もいつまでも席を空けている訳にもいかないので退屈な大物たちの挨拶が続く会場に戻った。

 

 数日後のこと、武藤浩美は本当に公二のショップに顔を出した。

 「てっきり社交辞令だと思っていたら、議員さんも結構暇なんだな」

 公二が皮肉を込めて言った。

 「ここに来る前に新郎新婦の新居に寄って少し話を伺ってきたわ。あなた自分は表に出ないのに、業界じゃ結構有名らしいじゃない?新郎をプロデュースして結婚を後押ししたそうじゃないの。私もあなたにプロデュースしてもらいたいわ」

 浩美がウインクする。

 「冗談はよしてくれ、政治の世界はごめんだと言ったろ?」

 「私は本気よ、私は総理大臣を目指すの。今のままでも年月を掛けて根回ししていけばなれると思うけど、出来るだけ早くこの国のトップに立ちたいわ。そのためには是非ともあなたというブランドと知性が必要なのよ」

 公二はそれには答えなかった。浩美はどうやら本気らしい。

 そこに優子が現れた。

 「あら、彼女さん?」

 「いや、優子さんは常連客だ。そこのピンクのポルシェのオーナーさ」

 「そう、まずは私も常連さんになればいい訳ね。分かったわ、さしあたって車を発注しようかしら。私に似合うエレガントな車を所望するわ」

 「仕事は有り難いが、2年待ちでもいいのかい?」

 「待つのは嫌いよ、相場の3倍は出してもいいからすぐに取り掛かって下さいな」

 そう言い残して浩美は去って行った。

 

 「今の方、知ってるわ。国会議員よね?」

 「うん、元総理の娘で武藤浩美、言うなればサラブレッドさ」

 「公二君、随分懇意のようだけど?」

 「まあ、昔の知り合いではあるけどね」

 「そういえばアタシ、公二君のこと知ってるようで知らないのよね。大体名字も聞いた事ないし」

 「僕はただの公二ですよ」

 公二は誤魔化すように笑った。

 

 

5

 

 その夜はたまたまゼロヨンが催された。新進気鋭のトヨタ系チューナーが対戦を挑んで来たのである。車はセリカXX2800GT、ツインターボで500馬力近い出力を得たようだ。リチャード・ギブリのカマロがまずそれを迎え撃つ。セリカXXは重い車体を豪快にパワーで引っ張り、12秒台で駆け抜けたが、カマロの相手ではなかった。前回は憎たらしいよそ者であったカマロに観衆から拍手が送られる。ギブリは片手を上げてそれに答えた。

 浩美は遠巻きにそのレースを見ていた。轟音と白煙、瞬時に決まる勝負の潔さに身震いする。

 「面白いじゃない」

 翌日、Koji&Hideを再訪した浩美は公二を挑発するように言った。

 「昨夜は港で面白いレースやってたわね、でもあなたのショップは関わってないようね」

 「ゼロヨンは単純な加速レースで車の総合力を決めるものじゃないからね。それに残念ながらウチに今ある車では歯が立たないレベルなのは認めるよ」

 「フウン、では私がお金出すからゼロヨンに勝てる車を置きなさいよ。それなりにいい宣伝になるでしょ?もちろん私の名前はちゃんと出してね」

 無茶を言う女だと思った。

 「僕らはボディーワーク、見た目の格好良さを売りにしている。もちろんサーキットやワインディングでの速さがないとダサくて駄目だけどね。エンジン整備もやるが、本格的チューニングまでは受けていない。ポルシェはブレーキと足回りさえ詰めれば市販のままで十分に速いのさ」

 「あら、逃げるの?相変わらず逃げるのはお上手という訳ね」

 流石に公二もカチンと来た。

 「分かったよ、キミの要望通り港のゼロヨンに参戦してやるさ」

 

 公二はあらゆる伝手を使ってある車を探した。幸いある外車ディーラーが展示用に保管しているという。

 「キャッシュで色も付けるから是非譲って頂けませんか?」

 多少割高になったが公二は最速の称号を欲しいままにする希少車を手に入れた。ポルシェの形をした怪物、ルーフBTRだ。ゼロヨンは公称値で11秒9、ルーフだからそのタイムは間違いなく出るだろう。

 

 

 翌週、公二はゼロヨンにルーフを登場させた。

 「キミがドライブするかい?」

 浩美に聞く。何度か別の車で公二の手解きは受けている。

 「面白そうね、気を付ける事とかあるの?」

 「スタートのクラッチミートと素早いシフト操作だな。ブレーキを踏みながら踵でアクセルを煽るのは教えただろ?5000回転くらいに保っておいて一気にクラッチを繋ぐのさ。タイヤは多少消耗するが、クラッチを傷めるよりはいい。車のバランスはきちんと取れてるから、直線でふらつく心配はまずないさ」

 リチャード・ギブリはニヤついていた。ポルシェなら化け物と言われるターボに本国で勝っている。まあ軽く返り討ちにしてやれるだろう。しかも相手は女性ときている。負ける要素はまずなさそうだ。

 スタート地点に付くとウォーミングアップの間を取って、両者は綺麗に発進した。ポルシェは他のスポーツカーに比べて馬力表示では見劣りする。フラグシップの930ターボが260馬力、フェラーリのテスタロッサの380馬力やランボルギーニカウンタックの455馬力にはとても及ばない。それでも圧倒的な加速を誇るのはRRというレイアウトによるものだ。多くのスポーツカーがフロント50:リア50の重量比を目指す中、静止時でフロント30:リア70、加速時にはリアに90%の荷重が掛かるのだ。それはつまりリアタイヤのグリップ力を極限まで引き出す。それに加えてルーフBTRの出力は374馬力と来ている。ギブリは虚を突かれた。ポルシェは横に並んで譲らず、それどころか徐々に前に出て行くではないか。12秒を切るハイレベルな戦いを浩美のルーフが僅差で制した。何と言うスリル!浩美の頬は興奮で紅潮していた。その夜の対決はそれで終えた。亘のドラッグスターとは戦うだけ無駄だ。

 

 「お店の評価は私のお蔭で上がったでしょ?あのルーフはショーウィンドウに飾っておいていいわよ。その代わりに私のブレインになってよね」

 浩美がまた切り出した。公二は仕方がないなと思った。

 「で、キミは総理になって何をしたいんだ?」

 「あら、野暮な質問ね、国のトップに立つのは誰でも憧れるんじゃないかしら」

 「その程度じゃ年功序列の順番を待つしかないだろうね」

 公二が切り捨てる。

 「そうね、私なりの政策はあるわよ、この10数年で日本は経済的に驚異的な成長を遂げて、今やアメリカに次いで世界第2位の経済大国よ。そして途上国に対して莫大な資金援助をしている。でもそれに見合う発言権はないわ、金は出しても口は挟むなってところよね。何故そんなに弱い立場かと言えば、正式な軍備を持たないからよ。いつまで経っても敗戦国、国連の理事国にもなれないなんて肩身が狭いじゃない。私はこの国を実質的な大国にしたいのよ」

 危ない思想だなと公二は思う。

 「まあファシズムを目指せば戦後生まれの好戦的支持者は持ち上げてくれるかもしれない。だが日本では戦争の体験を通して独裁政治を排除している。宗教と政治の分離、権限を掌握する大統領を置かないとかね。強い外交力を持てば政治家は気持ちいいだろうさ、だけど大きな変革と代償が必要だ。憲法を改正して軍備を認め、戦犯国のレッテルを力で捩じ伏せるようなね。だが国民は動かないと思うよ、政治的外交力は弱くても、日本企業はグローバル化して世界経済を牛耳れる立場になっている。ナショナリズムを超えたグローバリゼーションは戦争を生まない安全な支配体制だからね。キミも重々承知だろうが、この国の政治は国民のためには存在していない。常に大企業の顔色を伺う金権政治なのさ」

 「だから私はそれを変えて行きたいのよ」

 「それは結局キミの利己主義であって、僕はそれを支持することは出来ないな。例えば理想的な国家を目指すと言うなら別だ。僕の描く理想国家が分かるかい?」

 「私に分かる訳がないでしょ」

 「まず根本的に民主主義というのは絵空事だ。こんなに政治に無関心な民衆なんて他国にあると思うかい?無関心は温床を作り、腐らせていく。日本の繁栄は経済成長の成果であって政治が貢献したことは為替の変動相場への移行くらいだろうな。だけど為替も安定化してくるから今後の日本の経済成長はストップが掛かってくるだろう。そうなった時に必要なのは政治による国内調整だが、おそらく無力だろう。そして将来的には衰退が待っているだけさ。理想的な国家は政治が支配するのではなく奉仕するのが前提だ。金に動かされる政治家は排除され、しっかりした思想と指導力と利他主義の精神を持つ者が台頭しないとね。そういう指導者たちの評議会体制が望ましいが、絶対的な理想主義者による独裁政治でも構わないと思う。それが叶えば日本は真の世界のリーダーシップを取れるだろうね。何故ならば世界で唯一の被爆国という強みを持つからだ。日本が本気で核や戦争の廃絶を唱えれば、それに異を唱える国は徐々に叩かれる立場になるだろう。最後はアメリカと言えどもね。だが残念ながらその道はとてつもなく遠い。政治家たちは利権を手放さないために世襲に走り、政治資金を認め、選挙制度を都合よく変えていく。三権分立を謳いながらも既に立法が抜きん出て、自分たちに有利な法改正を安易に行えるようになってきている。それが意味するところは国の末期的荒廃だよ」

 浩美はしばし口を噤んだ。

 「あなたがそこまで理想主義者になっているとは残念ね。だけど現実は厳しいのよ。汚れなくして物事を進める事は難しいわ。あなたを私のブレインにすることは諦めた方が無難ね」

 「それがいいよ。だけど僕の言ったことは頭の片隅に納めておいた方がいい、必ず衰退の日が訪れる。それは宇宙の法則と言ってもいいさ」

 公二は胸の内を曝け出せてすっきりした。浩美に感謝だ。だが公二のような逸材がこのまま埋もれていくことはとても勿体無い気がする。

 

 

6

 

 リチャード・ギブリは毎週30分の番組枠で「リアル・サムライ」と称して港町の出来事を編集し、本国に送った。第1回の鷹応特集から好評で、3ヶ月のシリーズとなったがそろそろ幕を閉じて帰国したいと思った。最後にクライマックスが欲しいところだが、ノンフィクションなのででっち上げる訳にも行かない。ふと思いついたのが辻のドキュメンタリーに繋げることであった。辻は秀雄を主にするのを止め、町の目立つ車たちをフィルムに納めている。ギブリは自分の最終回を自分のカマロが町を去る形でエンディングにし、辻に提案を持ち掛けた。

 「ミスター・ツジ、ユーのドキュメンタリーをハリウッドで流してみたいと思わないか?ミーに任せてくれればプロデューサーを紹介出来る。その代わりにミーのTV局と独占契約を結んでヨ」

 願ってもない話に辻は喜んで承諾した。

 

 亘は父親の耕輔にショップを開くプランを相談した。

 「うむ、ワシとしては今更車の世界に戻る熱意は湧かないな。それにこんな田舎でチューニングだけでやっていくのは難しいだろう。一般整備を主に手掛けるとなるとロータリーだけでは気が知れてるからレシプロでも何でも受けていく必要がある。そうなると梶谷さんのところと食い合うことにもなりかねない。その辺はどう考えてるんだ?」

 諸手を挙げて賛同してくれると思っていた亘は出鼻を挫かれた。熱意か…耕輔が寝る間も惜しんで手掛けていたものと言えは…

 「じゃあ父さん、ショップとしてではなく個人的にもう1台だけ作ろうよ。資金は俺が何とかするから、父さんは最高のエンジンを組んでくれればいい。もちろん漁の合間でさ」

 亘は秀雄に頭を下げることにした。聞いたところでは古宮家の財力は想像を超えるものだ。少なくとも数百億の資産があり、それらの預金利息で年間10億円を超える収入が入る。汗水流して働く必要はなく、やることと言えば税金対策として会社を数社置き、形だけでも資金を回して運用実績を作ることだ。従って実際に資金が動くことは古宮家にとっても都合がいい。思惑通りに秀雄を通じて修三から借り入れることが出来た。ただし1年後には利子を付けて返済しなくてはならない。

 「父さん、昔の伝手でマツダの車なら結構顔が利くだろう?コスモスポーツを都合してよ」

 亘の申し出に耕輔は揺さぶられた。最初のロータリー市販車コスモスポーツ、それは耕輔たちの努力の結晶であり忘れることの出来ない思い出だ。耕輔は胸の奥に熱い火が燃えるのを感じた。

 

 コスモスポーツに渾身の12Aペリフェラルターボを組み込むうちに、耕輔はすっかり昔の自分に浸っていた。漁師も板に付いて来たがやはり自分の本職は車屋だ。亘とこういう仕事が出来るのならやってみるのも悪くない。耕輔は梶谷自動車に顔を出した。

 「茂さん、ワシはまた息子と車屋をやってみたくなってね。基本はロータリーで行くつもりだが、場合によってはお宅と競合になるかもしれん。そこの所をちょっとことわって置きたくてね」

 「そいつは逆に刺激になるよ、遠慮はいらないから好きにやってくれ。わざわざありがとうよ」

 「一応伝えておくが、ワシらはいわゆるショップカーを作っとる。既に息子がゼロヨンカーを披露しているが、ワシの本気の1台を看板車として並べるつもりだ。お宅もそれなりの看板車を用意してもいいんじゃないかと思ってね。余計なお世話なら聞き流してくだされ」

 

 耕輔のコスモスポーツ、ゼロヨンスペシャルはほどなく完成し、亘と町のゼロヨン大会でエキシビジョンレースを披露した。やや抑えた走りながら2台は12秒を切るタイムで並んでゴールを切り、町に「ヤマネロータリー」の時代の到来を告げた。

 

 

 梶谷茂は山根耕輔の言葉を思い起こしていた。町の車好きたちはロータリーに熱狂している。これまで梶谷自動車の評判を高めてくれていたのは客である鷹応や恭一の走りだった。今でも彼らはワインディングでは1級品だが、やはり町を盛り上げているのは港のゼロヨンであり、それを制し続けた恭一のフェアレディ240ZGや村井のフェアレディSR311のお蔭で必然的に梶谷自動車の地位は揺るぎなかったのだ。しかしもうそれは過去の話となってしまった。

 「なあ、クニさん。うちもショップカーちゅうもんを作ろうかと思うのだがどうだろう?」

 茂の問い掛けにクニさんは満面の笑みを浮かべる。

 「任せてくださいな、2週間あれば出来ますよ!」

 クニさんこと高橋は仕事の傍らツーリングカーレースを楽しんでいたが、一番愛着のあるチェリーX1Rのホモロゲーションが切れて、新しいレーシングカーを作る気力も薄れてどうしようかと思い悩んでいたところだ。丁度恭一の打診もあってボルトオンターボを弄り始めていて、茂の話はまさに渡りに船だった。ガチガチのレーシングチェリーをそのままベースにしてキャブターボで調整し、超高回転の恩恵でリッターあたり300馬力以上となる390馬力を絞り出すことに成功した。

 「さて、祭りを盛り上げてやるか」

 クニさんは自らのドライブでゼロヨン大会に挑戦した。

 

 

7

 

 4強が揃い踏みする。亘のドラッグスター、耕輔のコスモスポーツ、秀雄の駆るルーフBTR、そしてクニさんのレーシングチェリーだ。港はまさにお祭り騒ぎ、辻は最高のフィナーレを収められる幸運に感謝する。

 まずは亘のドラッグスターと秀雄のルーフBTRの対決となった。

 「キミには恩があるが、勝負は別だ。花は持たせないよ」

 亘が横に並んだ秀雄に言う。「もちろんさ」と秀雄は答えた。市販車としては世界最高の加速を誇るルーフBTRだが、その完成度の高さと希少性が仇となって迂闊に手を入れることは出来ない。ゼロヨンをターゲットに作られた亘のスペシャルカーには流石に歯がたたず、完敗を期した。タイムはルーフBTRが11秒9、亘のドラッグスターが11秒1である。初めての直接対決を制した亘は溜飲を下げ、逆に秀雄との友情が深まった気がした。

 

 続けて耕輔のコスモスポーツとクニさんのチェリーターボだ。通常加速においてはフロントが浮いて荷重が抜け易いFFは不利だ。だがクニさんのチェリーはレース用にドライサンプでエンジンマウントを低くして重心を下げた上に、低くガチガチに固めたサスペンションの踏ん張りでフロントが浮くことはない。逆に後輪で押すFRやRRに比べて前輪で引っ張る駆動は直進安定性に関しては有利だ。

 耕輔は自分が言い出した事とはいえ、短期間で怪物マシンを仕上げてきた梶谷自動車の底深さに身震いする。レースのカテゴリーにおいても同クラスの2台、勝負の行方はまったく分からない。スタートラインに並ぶと、凄まじい轟音を競う2台は合図と共に綺麗にスタートを切った。両者は横一線に並んだままぐんぐんとスピードを上げる。許容回転数の差でコスモスポーツが先にシフトアップし、その間にグッとチェリーが前に出る。シフト操作を含むクニさんのドライビング技術はレースで鍛え上げたプロのものだ。耕輔に比べて素早いシフトでタイムロスを削る。その差がそのままゴールに繋がりチェリーが車体1台分リードして勝利を収めた。タイムは両者ともに10秒9、港ゼロヨンのレコードタイ記録だ。全国で数台しかないゼロヨン10秒台の車がここに3台揃うことになった。

 

 

 熱狂の中、決勝戦が始まる。亘のエンジンやトランスミッションは耕輔のコスモスポーツと基本的に同じ、そうなるとクニさんに利がありそうだ。

 「勝負に拘り過ぎるな、お前の車のポテンシャルを余すことなく開放してやれ」

 耕輔が亘にそう声を掛けた。亘は頷く。

 観客の歓声を打ち消すような2台のブルッピングのエキゾーストノート、慣れないとその音で強張ってしまいそうだ。亘もクニさんもその音は逆にアドレナリンを彷彿させる。一瞬のミスが命取りとなる最高潮の緊張の中、綺麗なスタートが切られた。予想に反して亘のドラッグスターが僅かにリードする。コスモスポーツよりも軽量化が図られているためだ。クニさんは軽く舌打ちした。シフトアップで差を詰めて並ぶがまたじりじりとリードされる。3速でタコメーターの針をレッドゾーン寸前に上げ、2台はゴールを切った。亘の勝利だ。タイムは2台ともなんと10秒8、観客が一斉に2台を取り囲む。亘は興奮で頭が真っ白になり、クニさんと名勝負をいつまでも称えあった。

 

 

終わり