コロナの扱いが今月より5類となり、この週末もイベントが盛んに開催されていて、皆さんあちこちで音楽を楽しんできたことと思います。そんな2023年5月27日(土)、袋井市のライブ喫茶マムゼルにて第184回フリーダムフォーク集会が開催されました。
《奇数月の第三土曜日恒例》を合言葉ウタっているフリーダムですが、今月は都合により第四土曜日の開催。(ちなみに次回7月は第二土曜日開催予定)




コロナの扱いが今月より5類となり、この週末もイベントが盛んに開催されていて、皆さんあちこちで音楽を楽しんできたことと思います。そんな2023年5月27日(土)、袋井市のライブ喫茶マムゼルにて第184回フリーダムフォーク集会が開催されました。
《奇数月の第三土曜日恒例》を合言葉ウタっているフリーダムですが、今月は都合により第四土曜日の開催。(ちなみに次回7月は第二土曜日開催予定)









当時16ミリフィルムで撮影されたという映像を丁寧に修復して、4Kデジタルにフィルムを一コマずつ撮影し直すという、気が遠くなるような作業をしたとのことです、が、それでも夜の映像は画素数の粗さがやや気にはなったかな。でも、これは元のフィルムの当時の限界なのでしょうね。昼のライブ映像が少ない、とのネット意見を読みましたが、そこは僕も同感。
あの曲を入れて欲しかった、ってのは言えばきりが無い。どの曲もフルコーラスで流れますから、2時間の映画に入る曲は限られてます。それでもせめて上映時間を15分伸ばしてあと3曲、と思っちゃう。あと3曲だったら何を入れる?僕の希望だったら、日中の演奏から「バックシート・ラブ」、からの「ラストショー」、そして夕方の「二人の夏」は映画で観てみたかった。
個人的には「ラストショー」が一番スクリーンで観たかった。レコード通りのオリジナルアレンジの「ラストショー」を生で聴けたのって、僕はこの渚園の時が最初で最後です。
渚園の直前の省吾の全国ツアー、アンコールが「ラストショー」だったんですよね。そのツアーはチケット取れなかったので羨ましかった。渚園で聴けた時の嬉しさはひとしおでした。
他に昼の演奏ですと、ゲストの中村あゆみのことを言ってる人はいます。
《ガールフレンドと呼ぶには、ちょっと歳の離れてる(笑)、、、ミス・ロックンローラー!中村あゆみ!》
という省吾の紹介で登場したのを覚えてます。二人で歌ったのは「街角の天使」と「HOT SUMMER NIGHT」、それと「what's the matter baby」だったか。演奏の出来はマァ即席にしては、って当時の印象。でもひょっとしたら、映像作品として今観たら、ひょっとして記憶してる演奏よりも良かったかも知れません。
今回の映画で一番僕が確認したかったのは、「僕と彼女と週末に」で登場した巨大オブジェです。実際に観た時はそれなりにガーンときました。歌では何を問題にしているかの対象をハッキリと言及していないけど、あの演出見ちゃうと、ああやはりそういうことなのか、と思っちゃいますね。今の省吾だったらあの演出はやらないかも知れません。
「OCEAN BEAUTY」から「マイ・ホームタウン」そして「僕と彼女と週末に」はこの夜のハイライトだったと思います。特に「マイ・ホームタウン」の鬼気迫る演奏は、今の目で観てもすこぶるカッコ良い。
叶うなら「BLOOD LINE」もスクリーンで観たかったですね。渚園で実際に聴いた時は、うーんライブだとこんなものかと思ったけど、後に出たBlu-ray『僕と彼女と週末に』に収録されたのを観て、その格好良さに仰け反ったので。個人的には「J-BOY」よりも「BLOOD LINE」の方が映画映えしたんじゃないかって気がします。(浜省の人気曲「J-BOY」に関しては渚園のテイクは決して最上の出来じゃないと思う。最近のライブのアレンジ、演奏の方が遥かに格好良いです)
とても楽しい映画の時間でした。会場を埋め尽くした観客の映像を観て、あの中の豆粒の中の一人として、自分はあそこに居たんだ、とシミジミしました。弁天島の駅からテクテクと人並みを歩いたあの夏の日が、帰りの臨時電車を延々と待っていた情景が、脳裏にまざまざと蘇ってきました。
(追記。蘇った記憶の一つ。渚園では当日30曲演奏してましたけど、進行が押したせいで2〜3曲ほど演奏出来なかったらしい、と聞いて、後日友人と、何がカットされたんだろうねーと想像逞しく盛り上がったのでした)
映画の若い頃の溌剌とした省吾は文句なしに格好良い。けど、これはもう過ぎ去ったこと、昔の記録だよな、と映画観ていて思いました。省吾はまだ《あの頃は良かった》の枠に入れちゃいけない、と思う。省吾は今現在の格好良い姿を見たいし、今の省吾が作る格好良い歌を聴かせて欲しいです。
映画話ついでに最近観たものを書けば、GWに『シン・仮面ライダー』観て来たのでした。こちらもとても面白かった。最新技術を駆使して撮られた《仮面ライダーという偉大なるB級特撮》へのオマージュ。オリジナルのいろいろな楽しさを忠実に抽出した力作でした。












2023/05/03 The Street Sliders at 日本武道館 “HALLO!!”
01 チャンドラー
02 BABY BLUE
03 Angel Duster
04 Let's go down the street
05 one day
06 すれちがい
07 PACE MAKER
08 ありったけのコイン
09 曇った空に光放ち(JOY-POPS )
10 ミッドナイト・アワー(JOY-POPS )
-メンバー紹介-
11 天国列車
12 Hello Old Friends
13 SO HEAVY
14 BACK to BACK
15 風の街に生まれ
encore
16 のら犬にさえなれない
17 TOKYO JANK
以下、会場で気付いたこと思ったこと。
・リズム隊の音がズンズンと腹にキタ。特にズズのバスドラとジェームズのベースの音の迫力ときたら!これは放送の画面越しでは絶対伝わらない。ズズのドラムが、
ドッ、バァーン、ドッドッ、バァーン!
って、堪らない音してんだ。音に惹かれてズズの動きを凝視しちゃいましたよ。武道館は音が悪いだなんてもう過去の話ですね。バンドの音が気持ち良いったらない。とにかく音にシビレタ!ってのがこの夜の一番。
・そして会場の歓声の凄さも。ひさびさに観客の大歓声ってヤツを浴びました。アリーナの歓声に加えて、そこに二階席、三階席の声が降ってくる。放送を観てて歓声の音量《ぜんぜんこんなもんじゃなかった!》と言いたい。スライダーズ再集結が嬉しくて堪らないって歓声に包まれてジンときました。
・ハリーの白いスーツ、映えてましたね。右手の一本指を高く掲げるポーズ、カッコイイ。「Let's go down the street」(大好き)の歌い出しで腰に手を当てたポーズも堪らない。メンバーの衣装替えはなし。アンコールでも同じ服。ギターはあれだけ替えるのに。

マシス










「ソングの哲学」ボブ・ディラン著
数年前、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したニュースは記憶にまだ新しいと思います。ディランは文筆家でないけど、作ってきた歌のクオリティが文学賞に値する、と評価されたのが話題になってました(賛否両論ありましたが)。ですから、こうして実際にディランの書いた本が出て、《ノーベル文学賞作家の新作》と言うと、ディランは著書で賞を取ったわけじゃないじゃん、と、ちょっとネジ曲った印象を受けます。
でも、ディランの書いた本って面白くて僕は好きです(本人が書いてなくてもディラン関係の本ってどれもとても面白い)。特にボブ著の「ボブ・ディラン自伝」とか、ディランの名調子が気持ち良く炸裂していて楽しい。「自伝2」が出ると言われ続けて待つ続け、18年経って今作が出た。迷わず買いましたが、えー18年も経ってたっけ?と驚きでした。
本作「ソングの哲学」はボブ・ディランが自身の好きな歌66曲について、あの独特な言い回しで綴ってます。まだ触りしか読めてませんが、一曲にだいたい4頁をあてていて、前半の2頁ではディランは歌から得たインスピレーションのままを書き綴り、後半2頁を使って歌と歌手についての解説をするといった形です。
(曲に寄っては解説のみの2頁の章もあるし、前半と後半の役目が入れ替わる章も。プレスリーの「マネーハニー」には6頁たっぷり使って語ってる!)
読みどころは各章における前半部分の2頁でしょう。あたかも《歌》というお題目をもらったディランが大喜利さながらイメージの赴くまま書き綴ってる。どの章でも名調子が満載で、そこを楽しめたらディラン本はもう全部イケる。多くの人にぜひ読んで欲しいし、声に出して読みたくなる文章です。
何より、ディランが他人の楽曲を心から褒めてるのって興味深いし、小気味良いですよ。ディランってこういう音楽も聴いてたんだ、と知れて嬉しくなります。
かつて《遅れてきたディランズ・チルドレン》と呼ばれたジャクソン・ブラウンは、まさかボブ・ディランが自分の楽曲(「プリテンダー」)を褒めていると知ったら、どんな気持ちでしょうね。
ネットニュースの記事でチラッと見かけた、坂本龍一の訃報に対しての報道に関する話です。友人もSNSで呟いていたので、思ったことを書きます。
要は、いくつかのニュース番組にて教授の逝去を取り上げた際に「ライディーン」がやたら使われた、ってことらしいです。で、それを観て《「ライディーン」は高橋幸宏作曲だ!》と憤慨された方がいたそうで。YMOなら「ライディーン」でなく坂本龍一作曲の「テクノポリス」をせめて使うべきだろう、という声があがったとか、ライディーンが使われたことの是が非で論争になっている、という記事でした。
僕もFacebookで実際に《坂本龍一が!残念です。戦場のメリークリスマス、ラスト・エンペラー、YMOといえばライディーンだし...》と知り合いが書き込みしてるのを読みましたが、そこで《ライディーンは教授の曲じゃないだろ》と目くじら立てて指摘するのは、僕としてはちょっと違うと思いました。
何が重要かってことでは、《残念です!》の言葉に重きが置かれているってことこそ大事で、教授が亡くなって悼む心こそあれば、YMO=ライディーンって考えている人に対して《そこはテクノポリスだろ!》なんて声を荒らげなくても良いと、個人的には思うのです。そこで《わかってないやつは教授を語るな》って怒っちゃうのは、純粋な哀悼の意までも地に落としてしまう行為だと思う。
何より、そんな論争をされてるのを天国の坂本龍一が見たら、どっちの態度に眉をひそめることか。それを想像すれば、小銭稼ぎライターの煽りにまんまと乗ることなく、寛容な心でいる一択でしょう。追悼番組でライディーンが流れたことも、《YMOといえばライディーン》と書いた人のことも、教授は決して責めることはしないと思いますよ。
マシス