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mathichenの徒然なるままに

mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】
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ココに常駐中

ドルトムント歓喜V!香川ら若手中心で独走
2011.5.1 02:30

 サッカー・ドイツ1部リーグ第32節(30日、ドルトムント)勝利の瞬間、ホームの観客席を黄色く染めた大観衆が歓喜に揺れた。ドルトムントが9季ぶりにドイツを制覇。今季わずか1敗のホームで強さを発揮した。前半32分にゲッツェのシュートのこぼれ球をバリオスが押し込み先制。同43分にもレバンドフスキが加点し、後半も危なげなく試合を運んだ。

 今季の躍進を支えた主力の大多数は22~23歳。成績不振に伴い2005年にクラブは経営危機に陥り、約100億円の負債を抱えた。若手中心の強化策で補強費を抑える方針に転換した。そこに08年、若手の育成に定評があるクロップ監督が就任。DFフンメルス、MFグロスクロイツらの手塩にかけた「チルドレン」が暴れ回った。

 今季加入の香川も、攻撃的MFとして速さと技術を生かし、17試合出場で8点と前半戦の独走に貢献。1月の右足小指付け根の骨折以降は戦列を離れたが、優勝の立役者の一人だ。試合前の記者会見でクロップ監督が「重圧などない。後は楽しむだけ」と言った通り、大事な試合でも若い選手は見事にプレー。黄金時代の幕開けを告げた。(共同)

( 出典先:SANSPO.COM )



End of an era: Dede to leave BVB at the end of the season after 13 years

長年『ロベルト・カルロスの代役』と呼ばれながらも
2004年に1試合出場しているだけの、代役のまま止まった元ブラジル代表
2007年10月にドイツ国籍を取得、ドイツ人になり、BVBサポーターから最も愛されている選手の1人

怪我から復帰するも、若手シュメルツァーに定位置を奪われた
シュメルツァーとの間には何ら問題無い
しかしながら、33歳なら、まだ素早い動きは出来る、ベンチ要員には若過ぎると判断した
カネが目的では無い、新たなる挑戦の場を探すと決心を固め
2011年5月14日、13年もの長きを過ごしたドルトムントを去る
現チームで唯一人、優勝経験(2002年)を持つ。若手にも優勝の歓喜を味わわせたい
無事叶い、肩の荷を下ろして

「BVBのジャージはわたしの第2の皮膚だ!BVBサポーターのわたしへの愛情を決して忘れない!」
BVBサポーターも、デデの見せてくれたチームへの献身と若手を牽引する能力を決して忘れない!

優勝決定直後のデデの喜びようとハシャギぶりたるや、可愛かったですね
TVの前で泣けました~(生中継観た証拠を、以下にペタリ)


$mathichenの徒然なるままに-BVB優勝
ここ2,3年の映画についてはサッパリな浮世離れした当所管理人
で、今日初めて知りましたのが、下の新作ざます


18世紀中頃のヨーロッパ。父レオポルト(マルク・バルベ)の薫陶を受け、3歳から音楽を学んでその才能を開花させた14歳のマリア・アンナ・モーツァルト、通称ナンネル(マリー・フェレ)には、11歳の弟ヴォルフガング(ダヴィッド・モロー)がいた。3年半をかけてヨーロッパを巡る長い演奏旅行のなか、各地の演奏会で“神童”と絶賛されるヴォルフガングをレオポルドは溺愛していた。一方ナンネルには、ヴァイオリンに触れることさえ禁じるのだった。女性は作曲家になれないというのが当時のヨーロッパの常識だったが、ナンネルはヴォルフガングのヴァイオリン演奏で伴奏を務め、聴衆を魅了していた。やがてモーツァルト一家は、ルイ15世が君臨するヴェルサイユ宮での演奏の機会を得る。その滞在中、ナンネルはフランス王太子であるルイ・フェルディナン(クロヴィス・フーワン)と出会い、恋に落ちる。王太子はナンネルの音楽の才能に気づくと、彼女に作曲を勧める。ナンネルは創作の歓びに目覚めていくが、女性が作曲をすることは許されないことだった。

( Movie Walker:『ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路』より引用 )

$mathichenの徒然なるままに-Nannerl Mozart

マリア・アンナ・モーツァルト(Maria Anna Walburga Ignatia Mozart, 1751年7月30日 - 1829年10月29日)は、愛称ナンネルまたはナンネルル(Nannerl、現代ドイツ語の発音は/ˈnanɐl/ナナール) で知られる、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの実姉。父親はレオポルト・モーツァルトで母親はアンナ・マリアである。

7歳のときに父親の手ほどきでクラヴィーア演奏を始める。当初は彼女も神童であるかに思われた。我が子の楽才を世に知らしめんとした父親に同伴されて、ウィーンやパリなどの都市を旅する。幼い頃には演奏旅行で、時に最高の俸給を稼ぎ出したように、傑出したチェンバロ奏者やピアニストとして認められていた。しかしながらついにナンネルの才能は、弟の陰に隠れるようになった。彼女自身も才能ある音楽家であったのだが、しばしば演奏旅行の合間に弟ヴォルフガングの伴奏役に回り、作曲家としても名を揚げることはできなかった。ヴォルフガングは数多くのピアノ曲、とりわけ連弾曲を作曲し、姉と二人で並んで演奏できるようにした。ヴォルフガングは姉ナンネルの才能を尊敬し、彼女ならウィーンで音楽教師として成功することができると確信していたにもかかわらず、彼女の有望な前途は実らなかった。

弟ヴォルフガングがある程度まで父親に反抗したのに対して、ナンネルはひとえに父親の監督を受け続けた。このため、また当時の女性観のために、レオポルトは弟を中心に考え、彼女は結婚するのが相応しいと見なしたのである。彼女は、自ら花婿候補を選んだが、父親に反対されて、父親の選んだ「立派な」相手こと富裕な判事、ヨハン・バプティスト・フランツ・フォン・ベルヒトルト・ツー・ゾネンブルクのもとに嫁いだ。それに加えて、弟の反抗や、コンスタンツェとの結婚は、姉弟の仲を引き裂いたかに思われた。

父親の死後にモーツァルト姉弟は再び接触するようになったが、両者のやり取りは形式的なものとなり、相続問題ばかりを話題にしている。ナンネルの後半生は、愛情を感じていなかった夫と、生き残ったただ一人の我が子(レオポルトの事。彼は55歳まで生きた)、そして彼女が嫌っていた街ザルツブルクでの教育活動を軸として動いていた。この間、1801年に夫と死別し、1820年に失明した。1829年に亡くなった時は78歳の長寿だった。

弟ヴォルフガングの成人した2人の子(つまり、ナンネルにとっては甥)は子を残さなかったが、ナンネルの系統も曾孫の代で途絶える事となった。

( Wikipedia:『マリア・アンナ・モーツァルト』より引用 )

音楽家、映画やドラマの子役、スポーツ選手など
兄弟姉妹の中に1人頭抜けたのがいると、他の連中は貧乏クジ人生を歩まされる
他の連中が才能を持たずとも、親が1人にキリキリするあまり、家族団欒何よそれ的不幸なんかも
何たる不条理、ちょいと神さん殺生やないのさ、不公平極まりな~い

ナンネルの存在は、どっかの島国では知られていなかったようですが(アタクシは既知ですよん)
どんなに才能に恵まれていても、自ら花婿(嫁)候補を選んでも、報われない人生はある
努力すれば何でも叶うと本気で信じているオメデタイ凡人どもに知ってもらいたいものですわ

まぁ天才であればあるほどロクな末路歩まん、これもこの世の真理の一つですがね
天才以上の天才を自称するアタクシも野垂れ死にがオチは置き
…神さんの寵愛に甘え、親父の影にビビり、イタリア人のおっさんから嫌われたオメエのことだよっ

$mathichenの徒然なるままに-amadeus





復活祭で思い出したお話をば

ザルツブルク復活祭音楽祭(Die Salzburger Osterfestspiele)。詳細は、コチラ
指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンが、ワシの好き勝手にしたると創設しました
よほどバイロイト音楽祭に未練があり、どうしてもワーグナー楽劇を上演したかったのでしょう

カラヤンは、作曲家ワーグナーの孫ヴィーラント・ワーグナーとは親しかったものの
ヴィーラントの弟ヴォルフガングとは、さほど関係が良くなかったと記憶
ヴィーラントが1966年に49歳で早世となれば、ますますバイロイトと疎遠になったはず
(ついでに書けば、ヴィーラントの彼女は、彼の嫁から追放処分を食らいました)




Karl Ridderbusch - Verachtet mir die Meister nicht - Dir.: Herbert von Karajan (Salzburg 1974)



1974年上演の♪ニュルンベルクのマイスタージンガーより幕切れ部分
靴屋ハンス・ザックスが、若い騎士ヴァルターに崇高なるドイツ芸術どーたらとお説教垂れる
ニュルンベルク市民が賛同して、「靴屋、アンタは最高☆」と大絶賛で締めくくる

靴屋役のバス歌手カール・リッダーブッシュは、元々は何かの職人
テナー歌手ルドルフ・ショック関係のノド自慢大会に入賞からプロ歌手の道へ
バイロイト音楽祭常連でもありました
顔と身体はゴツイけど美声がアタクシの気に入っておりますのさ
1974年のバイエルン国立歌劇場日本公演参加の際には、もらった日本酒の瓶を抱えて大喜び
大酒飲みらしいカワイサ満点だったと、1954年生まれから聞きました
(1966年生まれが現場を見聞きしてるワケなかろ)

カラヤンが1975年12月から1981年5月にかけて録音した♪ローエングリンにも主要な役で起用
ところで、「いくらワーグナー作品が長大いうても、何で、録音に5年半もかかるねん?」
諸事情はあったものの、有名なのは、「カラヤンとリッダーブッシュが一時、関係悪かった」
リッダーブッシュは、白熊系巨体であり、足腰に負担がかかりやすい
カラヤン指揮の舞台上演の際、リッダーブッシュが立ちっぱなしはキツイと椅子を懇願したら
「立っとる分だけのカネ払うとるで」みたいなエラソーな返答だったんですと
そりゃ怒りますわな

自分は鳥のオウムみたいな悪声で、主役の男女が悪声コンビと言われる某ワーグナー録音する
後年、新設SONYがようやく専属契約を取り付けたら、直後にポックリ昇天(地獄落ちか)

ま、アタクシは中身はカラヤン好かん、別にどーでもなんですけど



元ソニー社長、大賀典雄氏死去 東京フィル会長など歴任
2011年4月23日23時10分

 元ソニー社長で、音楽家としても知られた大賀典雄(おおが・のりお)さんが23日、多臓器不全のため、東京都内の病院で死去した。81歳だった。葬儀は近親者のみで行い、後日、社葬を開く。

 静岡県沼津市出身。東京芸大音楽学部卒業後、東京通信工業(現ソニー)と嘱託契約を結び、ベルリン国立芸術大学音楽学部卒業から2年後の1959年にソニーに入社した。

 64年に34歳で取締役、82年に52歳でソニー社長に就任。95年に会長、00年に取締役会議長、03年に名誉会長に就いた。06年に相談役に退いた。米CBSレコード、コロンビア・ピクチャーズを買収するなどハード・ソフトを「車の両輪」とする経営を進めたほか、94年発売の「プレイステーション」で家庭用ゲーム機市場への参入も決断した。

 99年から東京フィルハーモニー交響楽団会長・理事長、04年からは東京文化会館館長を務めた。LPレコードに代わるメディアとして、CDの録音可能時間をベートーベンの交響曲第9番が収まる約75分にするなど、規格づくりを主導した。世界的な指揮者のカラヤンとも親交が深く、その最期をみとったことで知られる。

( 出典先:asahi.com )



確か、カラヤンが倒れた現場にいたんじゃなかったっけ?
現場にいたかは置き、1954年生まれと意見が一致したのは
「高いカネ払うた直後だけあって、真っ青になったやろな~。復活を必死で祈ったんちゃうけ~」

田中好子さん死去、各界から悲しみの声
< 2011年4月22日 22:05 >

 アイドルグループ「キャンディーズ」の元メンバーで、「スーちゃん」の愛称で親しまれた女優・田中好子さんが21日、乳がんのため、55歳で死去したことについて、芸能界などでは悲しみの声が広がっている。

 ●映画「黒い雨」で共演した女優・市原悦子さん「テレビで乳がんだったということを聞いて、病気だったのかしらと思って、びっくりして。もっと見たかった。お芝居をね。残念ですよね」

 ●ドラマ「家なき子」で親子役として共演した女優・安達祐実さん「役柄同様に、撮影中も温かい雰囲気を運んできてくださる、本当のお母さんのような存在でした」

 ●ドラマで親子役として共演した女優・深田恭子さん「いつも撮影現場で私の手をギュッと握ってくださいました。もうお母さんをしてもらえないなんて、とても悲しいです」

 ●映画で夫婦役として共演したタレント・三宅裕司さん「どんなバカなことをしても、あの笑顔で受け止めてくれる。そんな人でした。自然な演技でしっかりと日本女性を演じられる素晴らしい女優さんだったと思います」

 ●キャンディーズ時代からバラエティー番組で共演した小松政夫さん「(田中さんが)16、17、18歳のときから知ってるわけで、そのときは一番元気で、一番明るくて、天真爛漫(らんまん)というか。ちょっとけた外れのアイドルだった。けど、そういうことを私たちには何もにおわせない、明るくて健康で気取らない、いい子たち。50歳代というのは、今の世の中じゃ、若手も若手、大若手ですよね。あぁ、残念だろうなと思うと、泣けてくるように…。『悔しかったろう』って」

 ●テレビの絵画教室番組で共演した俳優で画家・片岡鶴太郎さん「スーちゃんの絵っていうのは、うまく描いてやろうとか、こうやって描いたらほめられるだろうとか、そういうまったく計らいごとがないんですね。邪心というか、そういう心がまったくない、本当に正直で素直な、またシンプルな方でした。(プライベートでも親しくしていて)一緒にカラオケに行って、スーちゃんはすぐにキャンディーズの歌をリクエストすると歌ってくれて。『年下の男の子』とか『微笑がえし』を歌ってくれて。『私たち、お別れなんですよ』というあのフレーズがこんなに早く、スーちゃんが本当に現実にしてしまったのかと。まだまだ“微笑がえし”は早いよ」

 ●キャンディーズファンで知られる自民党・石破茂政調会長「高校生の頃、一生懸命、ポスターとか筆箱とか下敷きとか、そういうもの(キャンディーズグッズ)をコレクションしていた。(田中さんの訃報は)私だけではなくて、同時代を生きてきた者の何万人という人が持っている残念さだと思います」

 元キャンディーズの伊藤蘭さんは、所属事務所によると、突然の訃報に大きなショックを受けているという。

( 出典先:日テレNEWS24 )

誰からも愛されたスーちゃんなんですね(また泣けてきた…)

ところで、キャンディーズの全盛期には、まともに食事出来ていたのやら?
昔々のアイドル始め歌手やタレントは、恐ろしいまでに全国をドサ回りしていましたからして
ある男性歌手が語った所によれば、飛行機とはいえ1日に東京と福岡を2往復したそうな
TV、ラジオで毎日のようにいくつものレギュラー・ゲスト出演を抱える場合
全盛期のピンクレディーのようにTVカメラが向いていない隙に立ったまま居眠りなど
いにしえの真に華やかなりし頃の芸能界労働環境は厳しかった模様
都心の高級レストランでおデートなんぞ、恋愛御法度なアイドルにはまず無理な相談

それに比べたら、いまのゲーノー人は恵まれてるんじゃないですか
熱愛報道出たからという理由だけで人気急落や芸能界追放は無いでしょ
ま、その代わり、頭悪い恥知らずな一般ド素人によるTwitter実況報道という恐怖が?
ウッカリ飯も食えませんわな~


À Paris_Yves Montand à l´Olympia

いにしえのフランス名優にして名歌手のイヴ・モンタン
イタリア系ユダヤ人家庭の貧乏移民ながら、大統領に望む声がフランス国民にありました
いや~、男前ですね~

パリ在住の日本人おばちゃんが夜レストランに入ったら、隣席でモンタンがお食事中
気になって仕方ない。やっぱサイン欲しいわ~
で、隣席の珈琲タイムにお願いしたら、気さくに応じてくれた
で、おばちゃんはますます目がはあと状態にの浮かれ調子に陥ったそうな

何が言いたいか?太字の部分ですよ
フランス料理は当然コース料理であり、前菜からデザートまで順番に登場する
主菜を食べ終えるまでは、憩いの煙草はマナー違反、まぁどこの田吾作よっての
デザートや珈琲とともに一服する時間であれば、お邪魔にならないという意味(やりすぎは厳禁!)

日本にも適用可能だと思いますがね
きったねえ音立てながらパスタすすっても平気な耳も悪いつぶやきサル増殖だと、無理かい?

元「キャンディーズ」の田中好子さん死去
産経新聞 4月21日(木)22時51分配信

 アイドルグループ「キャンディーズ」のメンバーとして人気を博した女優の田中好子(たなか・よしこ、本名・小達好子=おだて・よしこ)さんが21日夜、乳がんのため東京都内の病院で死去した。55歳だった。通夜は24日、葬儀は25日で、時間と場所は未定。

【フォト】夫の小達一雄さん「どんなことがあっても復活すると…」

 伊藤蘭さん、藤村美樹さんと「キャンディーズ」で昭和48年に歌手デビュー。スーちゃんの愛称で親しまれ、「年下の男の子」「春一番」「微笑がえし」など多くのヒット曲を送り出した。時代を象徴するアイドルとして熱狂的な人気を集めたが同53年、「普通の女の子に戻りたい」とグループを解散した。

 その後は、女優業に専念。平成元年公開の映画「黒い雨」では、原爆の悲劇に見舞われたヒロインを務め、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞など多くの賞に輝いた。その他の出演作に映画「ひめゆりの塔」「明日への遺言」、テレビドラマ「家なき子」「ちゅらさん」など。同3年、女優の故夏目雅子さんの兄、小達一雄さんと結婚。同4年に乳がんと分かり、治療を続けてきたが、昨年秋に体調を崩し、入院していた。3月上旬にはテレビのナレーションをこなしたが、今月21日午前に容体が急変したという。

 伊藤蘭さんの所属事務所の担当者は「突然の訃報で本人はショックを受けており、コメントを出せる状態ではない」と話した。

( 出典先:Yahoo!ニュース )

$mathichenの徒然なるままに-ゴジラと男前以上の男前

男前以上の男前と、怪獣と、昔々の女性アイドル
意味不明な取り合わせが大好きな1966年生まれの当所管理人です
参照 → 【大輪の花咲かせ続けるのが、永遠のアイドル】(4月14日FC2別館記事)

ダンナ様の小達一雄さんは、妹を白血病で喪ってますよね


[AC CM]公共広告機構 夏目雅子 骨髄バンク

まだ27歳の若さでした

嫁のスーちゃんは、その倍を生きたわけですが
いまどきの55歳は、スーちゃんくらい可愛ければ、オンナ現役としても大輪咲かせ続けられるのに…

黙祷では寂しすぎるんでのペタリ


わが愛しのキャンディーズ (18) 春一番 (後楽園)