生活保護、200万人超え確実 半世紀ぶりの高い水準
2011年5月12日15時2分
生活保護の受給者数が、200万人を超えることが確実な状況になった。厚生労働省が12日公表した今年2月の受給者数は198万9769人で、前月より9206人減った。ただ、東日本大震災の影響で一部の自治体の数は含まれておらず、実際には1万5千人ほど上積みが見込まれる。
今回のデータは、震災後に自治体が厚労省に提供したもの。震災で大きな被害を受けた福島県は、郡山市のみがデータを出した。
郡山市を除く福島県の受給者は1月分で1万5831人。未提出分を含めると、全体で200万人を上回る計算だ。月平均で200万人を超えたのは1952年度が最後で、半世紀ぶりの高い水準にある。
毎月の生活保護の受給者数が減るのは、97年4月以来。年度ごとの月平均では95年度の88万2229人を底に、その後は一貫して増えてきた。
厚労省は、長引く不況を背景に「他の自治体を見ると緩やかに増えており、実態は増えている可能性が高い」とみている。
( 出典先:asahi.com )
情状酌量の余地ある世帯を含む本当に生保必要な世帯だけであれば
半分とは言わないものの、何万何十万人が不正受給のような気がしますけど
食うか死ぬかを賭ける人たちとは、貧困層や相当する世帯の現場調査しなけりゃ把握出来ず
生保や障害者年金を受給して暮らすのが勝ち組と考える低能メンヘラーどもが棲息する末世ではね
ウチの元料理番が収容もとい入所されている老人健康施設
老健は本来、3ヶ月期限。にもかかわらず、元料理番は2年も
動けんジジババわんさかのご時世であり、ジジババ特別収容所はどこもかしこも満員御礼札止め状態
各々に事情を抱えていれば、ある程度融通は利きます
無論、そうそういつまでもというわけには…
以下の例にあるような、いずれ順番が訪れるのに~連中、この世の地獄をわかってるんですかね?
「大反対です。中流階級以上の世帯にははっきり言って必要ない。よく子供のために使わず、自分のブランド物に使ったりは聞く話だし、そのお金で「じゃあ旅行に行けるわ、DLに行けるわ、ゲームソフト買うわ♪」じゃたまったもんじゃない!子供と関係ない赤の他人が贅沢費用を出してやってるもんである!」
( Yahoo!知恵袋:「子供手当て賛成ですか?」への回答よりベストアンサー )
可能性溢れる子供たちって、現代日本にどんだけ?
少なくとも、旅行に行けるわDLに行けるわゲームソフト買うわ♪からは生まれんぞ
赤ん坊産まれたら、以前同様都心に飲み食い行ける♪と考えるような、幼稚な成金脳の
一番育児に手のかかる時期にいつまで小娘青二才やねん親からはよ
永遠のお子様ランチどもには、これらは不可解以前に、読解不可能な対岸の火事でも
40歳になったら問答無用で介護保険料搾取を知ってるかなコイツらから
介護手当財源を吸い上げてやり、出来婚用軽い頭と尻の劣等人種を思い知らせてやりゃイイんですよ
吸い上げるだけ吸い上げ、自分の順番回って来た時には国庫破綻、オマケにつけて
仕事と預貯金確保でも、30歳を越えて親と同居続けりゃ、近いうちに失業素寒貧の恐怖
でも親父は親父だから介護しなきゃ?本当の破滅知らないから軽く言える言葉
…それくらい、現代も近未来も、日本はジジババが悪霊島(あな恐ろし)
記事題名は、看取る者いないアタクシの願望妄想です
一応、守護天使兼妄想内常駐介護士に指名しており、いまの所トンズラされてませ~ん(´∀`)
正直な話、昨日の野暮用の結果、身体の節々が痛むのですがね
生存証明のため、7日の土曜日に書いたYahoo!Days使い回しによる更新をば
どっかの島国の純情な皆様の夢を壊して悪いが、この際どーでもイイ、いい加減目を覚ませから
複雑怪奇な権利関係が恐ろしいので、YouTubeは文字リンクで
WWII propaganda
Victory Through Air Power (final) part 10
~空軍力の勝利』(くうぐんりょくのしょうり、原題:Victory Through Air Power)は1943年7月17日に公開された、ウォルト・ディズニー・カンパニー製作の実写&アニメ合成映画。カラー、スタンダード。上映時間は65分。~
( Wikipedia:『空軍力の勝利』より引用 )
Yahoo!検索すりゃ、もっと詳細わかりますよ
最後の場面は、東京に空爆、空襲によるホロコーストによって米国の勝利バンザイ三唱
1943年製作ですからね…軍に東京大空襲をけしかけてるワケのネズミー御大
『政治との関係』
プロパガンダ映画の制作
1941年12月8日の太平洋戦争の開戦と第二次世界大戦へ参戦したアメリカは戦時体制への協力を国内産業へ求めた。映画産業に対しても協力を要請するが当初は成功しなかった 。検閲や行政指導ができない上に高度に資本化された映画産業は政府の要請よりも利潤追求を優先させている。
しかし、ディズニーは大衆がヨーロッパに関心を持ちはじめていると気づくと「反ドイツ」の色を薄めた「反ナチス」の形で戦意高揚のプロパガンダ映画を制作した。大衆文化史の研究者にはディズニーが孤立主義から友邦の援助へ大衆の意識が変わっていたのを見抜いた上で統合の象徴としてミッキーを選択させた点や、彼が没した今日でもミッキーマウスは「アメリカの象徴」として自己増殖を続けている旨を指摘するものもいる。
政治家や政府のプロパガンダにより大衆を説得することは難しい(出典『心理戦争』)。しかし大衆自身が願う形へミッキーを作り変える作業を続けることでディズニーは成功を収め、同時にアメリカ政府を顧客とすることにも成功した。戦後もディズニーは政府の核実験、原子力開発キャンペーンのプロパガンダに参加している。
大戦当時に同スタジオで製作された以下のアニメ映画には、ミッキーマウスが戦闘機で日本軍の零戦を撃墜するシーン、アニメ映画「総統の顔」には昭和天皇を風刺するシーンがあるが、これらは国の要請や強制を受けたものでもなく、ウォルトが積極的に自ら制作したものである。
空軍力による勝利 Victory Through Airpower(1943年)
新しい精神 The New spirit(1943年)
反共姿勢
第二次世界大戦後、生前のセルゲイ・エイゼンシュテインと親友だったことなどから、当時吹き荒れていたジョセフ・マッカーシーの「赤狩り」の嵐に巻き込まれる。彼は公聴会に出頭し、「(冷戦前の)ソ連に『三匹の子ぶた』(1933年)を売ったことがある。非常に好評だった」と証言している。最終的には無実とされた。この様な形で赤狩りにこそ巻き込まれたが、戦時中や冷戦中、自らが版権を持つキャラクターを軍や政府に無償で提供したり、自社の労働組合と激しく対立していた事から、当人はむしろ熱烈な愛国主義者、反共主義者と考えられている。
この様な指摘に対して、ジャーナリストのニール・ゲイブラーは「ウォルト自身はノンポリで、政治に関しては特別関心を持たなかった」と指摘しているが、『闇の王子ディズニー』を著したマーク・エリオットは、「赤狩りの時代に、ウォルトはハリウッド内の映画人達の思想についてFBIへの熱心な密告者であった」と指摘している他、ディズニーランドのモノレールの開通時に、アナハイムの近隣のヨーバリンダ出身で、赤狩り時代にマッカーシーに近い反共主義者で知られた共和党選出のリチャード・ニクソン元副大統領(後に大統領)を招待している。
なお、7年に及ぶ調査とディズニー社の事前チェック無しに出版されたゲイブラーの執筆による伝記、「Walt Disney」(邦題:創造の狂気」)の中では、大戦中のプロパガンダへの協力姿勢は、当時、労働組合との争いや大戦による海外市場の縮小により、経営が圧迫されていたスタジオの生き残りのための方策の一環であったこと、彼にとっても政府への協力には意義を見出していなかったことが記述されている。同時に、戦後の赤狩り時代、彼の反共的な姿勢は、労働組合によりスタジオが壊滅的打撃を受けたことにたいする嫌悪感であったことを指摘している。ともあれ、ウォルトは最晩年の1964年には、右派の共和党員として、大統領選に出馬したタカ派のバリー・ゴールドウォーターを熱心に支持していた。
人種・性差別姿勢
ゲイブラーは、ウォルトが製作したミュージカル映画『南部の唄』での黒人の描かれ方から、ウォルトが人種差別主義者のレッテルを貼られたことについては、「製作に熱中するあまり、人種に関する配慮に欠けていたのだ」と主張している。ウォルト自身は読書をほとんどせず、世相に対して鈍感な面を持ち合わせていたというのである。 この『南部の唄』は、公開直後から「全米黒人地位向上協会」(NAACP)の激しい抗議を受け続けており、アメリカ本国では再上映やビデオ化が阻止され、「幻の作品」となっている(日本でビデオ発売が実現したが、廃盤)。
しかし、ウォルトに対する「白人至上主義者」、「人種差別主義者」との批判は、彼が死ぬまで浴びせられ続けたものであって、別に『南部の唄』に限ったことではない。ウォルトは『南部の唄』では封切りイベントに主演の黒人俳優を出席させなかったし、『南部の唄』の以前にもその二年後にも、ミッキーマウスやミニーマウスがアフリカで、野蛮で猿のように描かれた黒人を差別的に扱う民族侮辱漫画を出版していて、現在も批判の対象となっている。また、彼は死ぬまでディズニー社の要所に黒人と女性を雇い入れなかった。彼の制作した作品群のほとんどすべてに、様々な民族に対する彼の白人中心視点から成る人種差別、および男尊女卑的な性差別が指摘されている。ただし、当時は一般的にも多くの人が人種差別主義であり、平等という考え方がなかったため、彼が心のそこから「人種差別主義者」であったとは考えにくい。その証拠として存在するのが「イッツ・ア・スモールワールド」である。このアトラクションでは人種が関係なく、すべての国の人を平等に描いている。
( Wikipedia:『ウォルト・ディズニー』より引用 )
一筋縄には理解出来ない複雑怪奇なネズミー御大とはいうものの
(熱心に支持していたバリー・ゴールドウォーターにも言える)
労働組合嫌いは、後ろ暗い部分多すぎる自分の過去のせいやろ
アコギな商売やってたのはウラ話でわんさか
1992年開園のユーロ・ネズミーランドが、並みの遊園地程度の盛り下がりぶりに対して
1983年開園の千葉なのに東京ネズミーランド、どこまで膨張するねん級盛り上がり
これには、‘エスクァイア’誌に面白い考察があります
「ウォルト・ディズニーから最も多く学んだのは
スティーヴン・スピルバーグやジョージ・ルーカスでなく、日本だったかもしれない
何故なら、ウォルト・ディズニーは(つまり、日本も)
『正確で、清潔で、面白さに欠ける、機械的なものの先駆者』だったからだ」
…世界に冠たるネズミー嫌いながらも、いっぺん見学してみたくなる…
売れない冴えないキャラが、レストランのゴミ出し姿、現代でも見られるのか
ネズミは雄雌どっちも怖い、アヒルか犬が迎えてくれ
記事(日記題名)の理由
世界6か所目、上海ディズニーランド着工式
< 2011年4月9日 6:29 >
中国・上海で8日、世界で6か所目となる「ディズニーランド」の着工式典が行われた。4年後の開園を目指している。
「上海ディズニーランド」は、上海の中心部から車で約1時間の田園地帯に約3000億円をかけて造られる施設で、アジアでは東京、香港に次いで3か所目となる。テーマパークそのものの広さは1.16平方キロメートルで、最も小さい香港の施設より狭いことから、「ミニ・ディズニー」などと地元メディアに揶揄(やゆ)されていた。ただ、中国国内や海外からの客も見込めると期待されている。
「ウォルト・ディズニー」社のロバート・アイガー社長兼CEO(=最高経営責任者)は「(上海ディズニーランドの)着工は私たちにとって歴史的な出来事であり、大きな一歩です。真のディズニーランドであり、中国独特の施設になるでしょう」と話している。
開園は15年の予定で、東京や香港のディズニーランド同士での客の奪い合いや、コピー商品が横行する中国でのディズニーブランドの模造品対策などが今後の課題となる。
( 出典先:日テレNEWS24 )
香港と違って中国本土、確か墓場か何かを立ち退きさせて
中国の皆様、パワー全開で満喫お願いしますヽ(゜▽、゜)ノ
生存証明のため、7日の土曜日に書いたYahoo!Days使い回しによる更新をば
どっかの島国の純情な皆様の夢を壊して悪いが、この際どーでもイイ、いい加減目を覚ませから
複雑怪奇な権利関係が恐ろしいので、YouTubeは文字リンクで
WWII propaganda
Victory Through Air Power (final) part 10
~空軍力の勝利』(くうぐんりょくのしょうり、原題:Victory Through Air Power)は1943年7月17日に公開された、ウォルト・ディズニー・カンパニー製作の実写&アニメ合成映画。カラー、スタンダード。上映時間は65分。~
( Wikipedia:『空軍力の勝利』より引用 )
Yahoo!検索すりゃ、もっと詳細わかりますよ
最後の場面は、東京に空爆、空襲によるホロコーストによって米国の勝利バンザイ三唱
1943年製作ですからね…軍に東京大空襲をけしかけてるワケのネズミー御大
『政治との関係』
プロパガンダ映画の制作
1941年12月8日の太平洋戦争の開戦と第二次世界大戦へ参戦したアメリカは戦時体制への協力を国内産業へ求めた。映画産業に対しても協力を要請するが当初は成功しなかった 。検閲や行政指導ができない上に高度に資本化された映画産業は政府の要請よりも利潤追求を優先させている。
しかし、ディズニーは大衆がヨーロッパに関心を持ちはじめていると気づくと「反ドイツ」の色を薄めた「反ナチス」の形で戦意高揚のプロパガンダ映画を制作した。大衆文化史の研究者にはディズニーが孤立主義から友邦の援助へ大衆の意識が変わっていたのを見抜いた上で統合の象徴としてミッキーを選択させた点や、彼が没した今日でもミッキーマウスは「アメリカの象徴」として自己増殖を続けている旨を指摘するものもいる。
政治家や政府のプロパガンダにより大衆を説得することは難しい(出典『心理戦争』)。しかし大衆自身が願う形へミッキーを作り変える作業を続けることでディズニーは成功を収め、同時にアメリカ政府を顧客とすることにも成功した。戦後もディズニーは政府の核実験、原子力開発キャンペーンのプロパガンダに参加している。
大戦当時に同スタジオで製作された以下のアニメ映画には、ミッキーマウスが戦闘機で日本軍の零戦を撃墜するシーン、アニメ映画「総統の顔」には昭和天皇を風刺するシーンがあるが、これらは国の要請や強制を受けたものでもなく、ウォルトが積極的に自ら制作したものである。
空軍力による勝利 Victory Through Airpower(1943年)
新しい精神 The New spirit(1943年)
反共姿勢
第二次世界大戦後、生前のセルゲイ・エイゼンシュテインと親友だったことなどから、当時吹き荒れていたジョセフ・マッカーシーの「赤狩り」の嵐に巻き込まれる。彼は公聴会に出頭し、「(冷戦前の)ソ連に『三匹の子ぶた』(1933年)を売ったことがある。非常に好評だった」と証言している。最終的には無実とされた。この様な形で赤狩りにこそ巻き込まれたが、戦時中や冷戦中、自らが版権を持つキャラクターを軍や政府に無償で提供したり、自社の労働組合と激しく対立していた事から、当人はむしろ熱烈な愛国主義者、反共主義者と考えられている。
この様な指摘に対して、ジャーナリストのニール・ゲイブラーは「ウォルト自身はノンポリで、政治に関しては特別関心を持たなかった」と指摘しているが、『闇の王子ディズニー』を著したマーク・エリオットは、「赤狩りの時代に、ウォルトはハリウッド内の映画人達の思想についてFBIへの熱心な密告者であった」と指摘している他、ディズニーランドのモノレールの開通時に、アナハイムの近隣のヨーバリンダ出身で、赤狩り時代にマッカーシーに近い反共主義者で知られた共和党選出のリチャード・ニクソン元副大統領(後に大統領)を招待している。
なお、7年に及ぶ調査とディズニー社の事前チェック無しに出版されたゲイブラーの執筆による伝記、「Walt Disney」(邦題:創造の狂気」)の中では、大戦中のプロパガンダへの協力姿勢は、当時、労働組合との争いや大戦による海外市場の縮小により、経営が圧迫されていたスタジオの生き残りのための方策の一環であったこと、彼にとっても政府への協力には意義を見出していなかったことが記述されている。同時に、戦後の赤狩り時代、彼の反共的な姿勢は、労働組合によりスタジオが壊滅的打撃を受けたことにたいする嫌悪感であったことを指摘している。ともあれ、ウォルトは最晩年の1964年には、右派の共和党員として、大統領選に出馬したタカ派のバリー・ゴールドウォーターを熱心に支持していた。
人種・性差別姿勢
ゲイブラーは、ウォルトが製作したミュージカル映画『南部の唄』での黒人の描かれ方から、ウォルトが人種差別主義者のレッテルを貼られたことについては、「製作に熱中するあまり、人種に関する配慮に欠けていたのだ」と主張している。ウォルト自身は読書をほとんどせず、世相に対して鈍感な面を持ち合わせていたというのである。 この『南部の唄』は、公開直後から「全米黒人地位向上協会」(NAACP)の激しい抗議を受け続けており、アメリカ本国では再上映やビデオ化が阻止され、「幻の作品」となっている(日本でビデオ発売が実現したが、廃盤)。
しかし、ウォルトに対する「白人至上主義者」、「人種差別主義者」との批判は、彼が死ぬまで浴びせられ続けたものであって、別に『南部の唄』に限ったことではない。ウォルトは『南部の唄』では封切りイベントに主演の黒人俳優を出席させなかったし、『南部の唄』の以前にもその二年後にも、ミッキーマウスやミニーマウスがアフリカで、野蛮で猿のように描かれた黒人を差別的に扱う民族侮辱漫画を出版していて、現在も批判の対象となっている。また、彼は死ぬまでディズニー社の要所に黒人と女性を雇い入れなかった。彼の制作した作品群のほとんどすべてに、様々な民族に対する彼の白人中心視点から成る人種差別、および男尊女卑的な性差別が指摘されている。ただし、当時は一般的にも多くの人が人種差別主義であり、平等という考え方がなかったため、彼が心のそこから「人種差別主義者」であったとは考えにくい。その証拠として存在するのが「イッツ・ア・スモールワールド」である。このアトラクションでは人種が関係なく、すべての国の人を平等に描いている。
( Wikipedia:『ウォルト・ディズニー』より引用 )
一筋縄には理解出来ない複雑怪奇なネズミー御大とはいうものの
(熱心に支持していたバリー・ゴールドウォーターにも言える)
労働組合嫌いは、後ろ暗い部分多すぎる自分の過去のせいやろ
アコギな商売やってたのはウラ話でわんさか
1992年開園のユーロ・ネズミーランドが、並みの遊園地程度の盛り下がりぶりに対して
1983年開園の千葉なのに東京ネズミーランド、どこまで膨張するねん級盛り上がり
これには、‘エスクァイア’誌に面白い考察があります
「ウォルト・ディズニーから最も多く学んだのは
スティーヴン・スピルバーグやジョージ・ルーカスでなく、日本だったかもしれない
何故なら、ウォルト・ディズニーは(つまり、日本も)
『正確で、清潔で、面白さに欠ける、機械的なものの先駆者』だったからだ」
…世界に冠たるネズミー嫌いながらも、いっぺん見学してみたくなる…
売れない冴えないキャラが、レストランのゴミ出し姿、現代でも見られるのか
ネズミは雄雌どっちも怖い、アヒルか犬が迎えてくれ
記事(日記題名)の理由
世界6か所目、上海ディズニーランド着工式
< 2011年4月9日 6:29 >
中国・上海で8日、世界で6か所目となる「ディズニーランド」の着工式典が行われた。4年後の開園を目指している。
「上海ディズニーランド」は、上海の中心部から車で約1時間の田園地帯に約3000億円をかけて造られる施設で、アジアでは東京、香港に次いで3か所目となる。テーマパークそのものの広さは1.16平方キロメートルで、最も小さい香港の施設より狭いことから、「ミニ・ディズニー」などと地元メディアに揶揄(やゆ)されていた。ただ、中国国内や海外からの客も見込めると期待されている。
「ウォルト・ディズニー」社のロバート・アイガー社長兼CEO(=最高経営責任者)は「(上海ディズニーランドの)着工は私たちにとって歴史的な出来事であり、大きな一歩です。真のディズニーランドであり、中国独特の施設になるでしょう」と話している。
開園は15年の予定で、東京や香港のディズニーランド同士での客の奪い合いや、コピー商品が横行する中国でのディズニーブランドの模造品対策などが今後の課題となる。
( 出典先:日テレNEWS24 )
香港と違って中国本土、確か墓場か何かを立ち退きさせて
中国の皆様、パワー全開で満喫お願いしますヽ(゜▽、゜)ノ
【5月5日 AFP】ドイツ・ベルリン(Berlin)のノイケルン市営プール(Stadtbad Neukoelln)で1日、水中オペラ「Aquaria Palaoa」が開幕した。
発案者は、元水泳選手で歌手に転向したクラウディア・ヘール(Claudia Herr)さんで、主役も務める。10年前、ネオクラシックの列柱が並ぶアールヌーボー様式のプールを訪れた時にアイデアが浮かんだという。
ストーリーは、若い女性が不老不死の薬を求めて旅をするというもので、ヘールさんはグリーンのイブニングドレスに酸素ボンベを背負った姿でプールに飛びこみ、特殊マイクを通じて水中から歌を披露する。
南極の氷棚の下で録音された音源にヘールさん自身がクジラの鳴き声のような音をミックスして制作した背景音が、プールのまわりのスピーカーから流れる。黒い衣装を着た男性が演じるシャチやアザラシの合唱隊も登場する。オーケストラは水には入らず、プールのそばに座って演奏するという。
オペラには気候変動と海洋汚染に関するメッセージも込められており、プールの底にはごみ箱が並べられている。上演は9月17日まで。(c)AFP
( 出典先:AFPBB News )
不老不死の薬を求めて旅をするで思い出されるオペラといえば
マクロプロス事件(1923 - 1925)
カレル・チャペックの喜劇による。三幕。1926年12月18日、フランティシェク・ノイマンの指揮によりブルノで初演された。ヤナーチェク8作目のオペラ。
時代設定は1922年。100年も係争を続けてきたヨゼフ・ブルス男爵の遺産相続問題を抱える弁護士事務所にエミリア・マルティというオペラ歌手がやってくる。事情のあらましを聞いたマルティはプルスの遺言状の場所を教える。マルティの教えた場所に遺言状は確かにあり、相続人はフェルディナンド・グレゴルと判明する。マルティの演奏会の後もう一方の係争者ヤロスラフ・プルスが楽屋にやってきて遺言状と一緒に別の封筒を見つけたと言う。マルティはそれを買いたいと申し出るがプルスははっきりとした返事をしない。マルティはプルスを色仕掛けで誘惑し、ついに封筒を手に入れる。そこへ弁護士がやってきてと遺言状と一緒に見つかったフェルディナンドの母親E.M.の手紙とマルティのサインの筆跡が一致することを告げ、擬装ではないのかと問いつめる。マルティはついに真相を語り出す。マルティの父親はプラハに宮廷を構えた皇帝ルドルフ2世の命令で不老不死の薬を作り、娘を実験台にして薬を飲ませた。その娘が自分で、本名はエリナ・マクロプロス、1575年生まれの337歳。フェルディナンドは間違いなくヨゼフと自分の子供である。もうすぐ薬が切れるため処方箋の入った封筒が必要になりプルスから無理矢理取り上げたのだが、長生きしても意味はないと悟ったと語り、プルスから受け取った封筒を燃やすと同時に息絶える。(年齢の計算が合っていないが、設定自体が混乱しており、1585年生まれと言っている箇所もあり、327歳といっている箇所もある。ヤナーチェクは書簡の中で337歳と繰り返し述べている。)
( Wikipedia:『レオシュ・ヤナーチェク』より引用 )
永遠の命を求めてメーテルとともに999号で旅をする10代の少年・星野鉄郎でさえ
冷たい機械の身体より、やがて死にゆく生身の体がいい。よく理解してる
327歳だろうが337歳だろうが、一族も友人も全員墓場暮らしになるほど長生きするなんてムダ過ぎる
サイボーグ並みに若い身体を得ても、中身(頭の)がスカスカなら、老人用公的資金のムダ使いになる
カネを湯水の如く注ぎ込んでアンチエージング狂騒する面々、よーく聞いとけ
記事題名は
ヤナーチェクの弦楽四重奏曲題名と、この曲が使われた1987年アメリカ映画の日本語題名より
プレーボーイの外科医で女を使い捨て道具にしか考えない男とて
時代の波にゆらゆら翻弄される軽い存在に過ぎない
人間の存在一般なんてそんなものでしょ。神さんちゃうねんから
『ブギの女王』であられる笠置シヅ子先生は
~香川県大川郡相生村(現・東かがわ市)に生れる。諸事情あり生後間もなく、大阪市福島区の米屋の養女となったが、シヅ子が自身の出生について気づくのは後年になってからであった。...
...東海林太郎や淡谷のり子など歌を重視する従来の歌手とは異なり、笠置は派手なアクションと大阪仕込みのサービス精神にあふれ当時として斬新なものであった。「ヘイヘイブギ」では笠置が「ヘーイ・ヘイ」と客席に歌いかけると観客が「ヘーイ・ヘイ」と唱和し、文字通り舞台と客席が一体となるパフォーマンスを繰り広げ、「ホームラン・ブギ」では高下駄で応援団長の扮装で登場、勢いあまって客席に転落。「買物ブギー」を歌うときは熱演のあまり、履いていた下駄がいつも真二つに割れてしまうほどであった。阪神タイガースの藤村富美男が笠置のステージにヒントを得て派手なプレーを心掛けるようになったのは有名である。...~
( Wikipedia:『笠置シヅ子』より引用 )
妙に親近感を覚える当所管理人です
ちょいとヤヤこしい徳島と高知の血筋を、後年知った、大阪府堺市の生まれ育ちにして
♪東京ブギウギいうたら、FC東京の応援歌でもありますからして
なんてのは雨笠の下にでも置き
【Jリーグ】春の波乱!? FC東京がJ2で苦戦する不思議
スポルティーバ 5月6日(金)15時5分配信
J1昇格の大本命、FC東京がもがいている。
3月5日のJ2開幕戦(対鳥栖)こそ、谷澤達也のゴールで1対0の勝利を収めたものの、中断明け初戦で千葉に0対3と大敗。その後は5月4日の東京ダービーまで、2戦連続スコアレスドローに終わっている。
過去のJ2を振り返っても、昇格候補と見られたクラブが苦戦する例は、決して珍しくはない。
だが、戦力的に考えて、今季のFC東京は並の昇格候補ではない。アジアカップ優勝メンバーの今野泰幸をはじめ、同大会の日本代表予備登録メンバーには大量7名が名を連ねた。もし今季J1にいても、きっと上位候補に推されたはずだ。
だからこそ、わずか4試合を消化しただけとはいえ、FC東京の苦戦はちょっとした事件なのである。
最大の不安材料は、ゴール欠乏症にある。選手個々の能力を見れば、他を圧倒しているのは明らかだが、攻撃陣に関しては今季加入の新戦力が多い。高松大樹、ペドロ・ジュニオール、ロベルト・セザーなど、まだまだコンビネーションには難がある。
そのあたりは、例えば、3年前にJ2を圧倒的な強さで制した広島などと比べると、事情が異なる。当時の広島は、指揮官も含め、前年からほぼ変わらぬ顔ぶれで戦うことができていたからだ。
加えて、主力として期待されていたFWの平山相太、ボランチの米本拓司が負傷により相次いで戦線離脱。思わぬアクシデントにも泣かされている。徳永悠平は「1点取れれば、流れは変わると思う」と言いつつも、「焦りはある」と複雑な心中を吐露する。
とはいえ、結果から受ける印象に比して、試合内容は決して悪くない。
確かに、攻め込んでいるわりに「ただクロスを入れるだけとか、単純な攻撃になってしまって、崩し切っている感じはしない」(徳永)のは事実だ。それでも、守りを固める相手に翻弄され、バタバタと慌てている印象は受けない。大熊清監督の「(点が取れずに)焦って守備のバランスを崩したのでは本末転倒」という言葉も、それを裏付ける。
3試合ゴールから遠ざかる現状に、キャプテンマークを巻く今野は「すごく悔しいし、サポーターには申し訳ない」と話す。だが、今野はこうも続ける。
「流れは全然悪くない。いいメンバーがたくさんいるので、かみ合えば、(引いた相手でも)打ち破っていける。サポーターにはもう少し我慢してもらえば、いい内容でいい勝ち方をお見せできると思います」
J1昇格が使命のクラブにとっては、結果が出ないなかで、バランスを崩さず辛抱強く戦い続けることは、決して容易なことではないはずだ。だが、今のFC東京からは、前がかりになって雑な攻撃を繰り返し、挙げ句にカウンターから失点する、などという不用意な戦い方はうかがえない。だからこそ、今野の言葉も単なる強がりだとは思わない。
しかし、長いリーグ戦においては、どんなに良い内容の試合が続いても、勝てずにいると内容まで悪くなっていく例が少なくない。当然、FC東京がそうしたケースに陥らないという保証はない。
まだ30試合以上を残し、シーズンはこの先長い。数字上、まだまだ焦る必要がないことは言うまでもない。それでも、今の状況が長引けば長引くほど、J1昇格を義務づけられているという意識が、より大きなプレッシャーとなってのしかかってくるはずである。
事がこれ以上深刻になる前に、そろそろゴールが、そして勝ち星が欲しい。それが今のFC東京の本音ではないだろうか。
浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
( 出典先:Yahoo!ニュース )
今回の東京ダービーは、緑のホーム試合
味スタまで行って、何でアウェー気分味わわなアカンねんと、常にアウェーな青赤タヌキのため
NHK-BS観戦してましたが、行かんで正解ですかね
行ってたら、不味い味スタ食いもん屋に八ツ当たり打ち壊し、そんな想像働くもんで
「流れは全然悪くない。いいメンバーがたくさんいるので、
かみ合えば、(引いた相手でも)打ち破っていける。
サポーターにはもう少し我慢してもらえば、いい内容でいい勝ち方をお見せできると思います」
毎回スタジアム観戦してるタヌキ連中は、我慢出来ますかしらん
ストレス溜まる一方のグダグダ感、ド素人でさえ得点の空気を全く感じないけど
『J1昇格が使命のクラブ』、その通り
ただですな、いまは、来季は昇格してこうしては棚上げにして、課題克服の時期ちゃいますか
「オレたちゃ、本来こんな位置にいるチームじゃねえよ」、無意識でもあるとしたら
どんなに良い内容の試合が続いても、勝てずにいると内容まで悪くなっていき
昇格争いどころか下位でウダツ上がらず、それの3年連続くらいに陥りそう
主力が流出してショボクなる一方の貧相なチームで
1試合でも早く、悪い空気を払拭するだけの成果をお願いします
個人的には、今月28日(土曜日)、西京極で京都を泣かせてくれるを希望
降格の道連れにされたウラミ晴らすの堪能は無論のこと
今季唯一、新幹線に乗らんで行ける試合。行くか行かんか迷ってる最中やぞぉ
(追記)
【第10節(4試合目)東京アウェー緑戦 悩みは深く深く・・・】
http://blogs.yahoo.co.jp/fuchanp4/34786075.html
「次節答えを見せてくれないなら、ごまめの歯ぎしりでも、ここにあからさまに書くよっ!」
チケット代と交通費その他を払い、味スタまで応援に駆けつけ、で、グダグダを見せられたら
お怒りを真摯に受け止めよ、FC東京の皆様
1976年春頃に撮影された10歳のmathichenさんです
髪をバッサリ切る前に、ロン毛時代記念にだったと記憶
中学に入る頃までは、かなり栗色
色が濃くなった現在も、毛染めせんでも名残りは見られます
…白髪あるやろ?失礼な!あっても、忘れた頃に1,2本チラホラリ程度っ
トシ食って変に髪に色気づいとる方がキモイわ~い
(おまけ)
この記事は、Yahoo!本館記事に使わずの写真をもってと
早い話、手抜き更新です
【アタシ、こんな子どもでした】
http://blogs.yahoo.co.jp/borussiamagdala/28603774.html
髪をバッサリ切る前に、ロン毛時代記念にだったと記憶
中学に入る頃までは、かなり栗色
色が濃くなった現在も、毛染めせんでも名残りは見られます
…白髪あるやろ?失礼な!あっても、忘れた頃に1,2本チラホラリ程度っ
トシ食って変に髪に色気づいとる方がキモイわ~い
(おまけ)
この記事は、Yahoo!本館記事に使わずの写真をもってと
早い話、手抜き更新です
【アタシ、こんな子どもでした】
http://blogs.yahoo.co.jp/borussiamagdala/28603774.html

