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mathichenの徒然なるままに

mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】
https://mathichen.hatenablog.com/
ココに常駐中

日本代表・今野、トークバトルで珍回答を連発!
8月25日 13時00分

2022年W杯招致活動の一環として『「ワールドカップを日本へ!」トークバトル in 東京』が8月22日、都内で開催され、今野泰幸と石川直宏(ともにFC東京)、解説者の小倉隆史が登場した。


今野・石川らトークバトルの写真 (PC)


登場から共演者にツッコまれてばかりの今野は、小倉に「声を張りなさい」と注意されると、「今日は調子が悪いですね」と話し、開始早々に会場の爆笑を誘う。


そして、話は当然のように今野が日本代表として出場したW杯アフリカ大会に。本番前のテストマッチで連敗中だったチームの雰囲気を尋ねる司会者に対し、今野は「やばかったですね。でもコートジボワールや韓国は強かったと良い意味で開き直れました」と当時の様子を明かし、チームがまとまった要因として「カメルーン戦で勝ったこと、特に先制点が大きかった。それまで守備は機能していたし、1点取れれば勝てる雰囲気があったので」とカメルーン戦での勝利を挙げた。


一方、残念ながら出場できなかった石川は「全部受け入れてチームでがんばろうとは思っていた。でもチームでも結果が出ていないし… ダブルで苦しいですね」と胸の内を明かした。


このトークイベントは2022年W杯の開催に向けた招致活動の一環として、これまで大阪や札幌など4都市で行われ、宮本恒靖(ヴィッセル神戸)や鈴木啓太(浦和レッズ)、中山雅史(コンサドーレ札幌)らその開催地のクラブに所属する現役Jリーガーが出演した。W杯開催実現へコメントを求められた今野は「願うことが大事だと思うし、みんなが願えば願う(かなう)と思います」と肝心なところで痛恨のミスを犯し、またも会場は大爆笑。しかしながら、この日集まったファンには十分伝わったようで、最後は拍手が起こった。


18年と22年大会の開催地には、イングランド、オーストラリア、韓国ら9地域・11か国が立候補している。日本は、先月に国際サッカー連盟(FIFA)の視察団が来日した際に、開幕と決勝戦の舞台に予定される大阪を案内するなど招致への意欲をアピールしている。開催国は12月2日(水)にスイスのチューリッヒで開かれる理事会で決定する。
[写真:左から今野泰幸、石川直宏、小倉隆史 (C)新関雅士]


mathichenの徒然なるままに-今野&石川、小倉トークバトル


( 文と写真の出典先:日刊アメーバニュース )


いつまで続く酷暑。サッカーどころじゃござんせんよ


出来るだけ簡単に、そしてハッキリと…


2002年からわずか20年で、同じ国が開催、限りなく100%あるワケないやろっ!


FIFA視察団が一番乗り、カネ持ちおだてて御馳走満喫したいだけやがな


左側の青赤タヌキ2匹、まず日常の職場、日本の首都クラブをJ1残留が使命ですぞ


…以上(  ̄っ ̄)


mathichenの徒然なるままに-美しい昔

1979年11月、NHK『ドラマ人間模様』放送の“サイゴンから来た妻と娘(ベトナムから来た妻と娘)”
失われた恋人の生活を描く主題歌ですね

『美しい昔』

1970年、大阪万博にカイン・リーが出演、日本でレコードを発売する。その中の日本語の歌詞による一曲「雨に消えたあなた(美しい昔)」が、1978年の近藤紘一原作のNHKドラマ「サイゴンから来た妻と娘」の主題歌に使われた。その後、菅原やすのり (1984)、加藤登紀子 (1997)、天童よしみ (2003) によってカヴァーされている。天童よしみは2003年のNHK紅白歌合戦に出場した際この曲を歌った。またこの曲は、関西学院大学のベトナム文化科目にも取り入れられた。

( Wikipedia:『チン・コン・ソン』より引用 )

歌詞は、天童よしみの日本語版参照

ドラマの原作は、サンケイ新聞特派員であった近藤紘一氏
1970年代前半のサイゴン駐在中に得たヴェトナム人の妻と娘との生活を描くドラマでした

近藤氏は多くの著書を遺しています

$mathichenの徒然なるままに-目撃者 近藤紘一

~あのすさまじいドラマを目撃し、その中で小突き回され、もみくちゃにされ、おかげでそれまでの過去は一挙に稀薄となった。後遺症は一生涯続くだろう。こんごももうあの極限ドラマと比較してしか物事を見られまい。学んだものは大きいが、失ったものはおそらくそれ以上に大きい。
 中年近くなってから決定的原体験を体験するというのは、しんどいものである。~

( 『サイゴン陥落の原体験』より引用:‘小説新潮’1985年2月号掲載 )

30歳前に、大学同級生の妻と死別
彼女はいわゆる帰国子女であり、それ故のコンプレックスを抱えていました
夫のフランス留学に従った結果、心身の不調から病に仆れたのでした
近藤氏はその目撃者でもあるわけであり、ヴェトナム人の妻ともども弔いを続けていたといいますから
過去の全てが希薄になったのではないでしょうけど

まだ青年期といえる、しかしながら若さだけではもはや通せない34歳の春に、激動のサイゴン陥落を目撃
人生観の変わる原体験は、さらなる重荷というか十字架を背負うに等しいといえます

1986年初頭、45歳で早世
行く末を案じていた娘が一人前になる直前での死でした
最期の瞬間まで、戦火と混迷のインドシナが目の前に繰り広げられていたのでしょうか?

ある一日を境に、人生観の変わる原体験、どれくらいの人が持っているのやら
内容は千差万別ながら、明でなく暗の要素が強烈な場合
「心が折れた~」、リセットすればいい、前を向いて歩こうぜい的楽天発想など
まだまだ何事につけ余裕ある甘ったれだと思いますね

わたしの場合は、2007年6月14日金曜日
現在、44歳。拙ブログを4つも書いていますが
後世への遺言になりますかいねぇ~

$mathichenの徒然なるままに-アリ・カリミ

アリ・カリミ、断食破りでチーム解雇!
2010.8.16 23:52

「アジアのマラドーナ」ともいわれるイランのサッカーMFアリ・カリミ選手が15日、イスラム教が定めるラマダン(断食月)中の断食を破ったことを理由に、所属するテヘランのチーム「エスティルアジン」から解雇された。イランメディアなどが報じた。

 チームは、カリミ選手の反イスラム的な振る舞いとラマダンに従わなかったことを理由に解雇したとする声明をウェブサイトに載せた。

 イラン学生通信によると、同チームの監督は、13日の練習中に水を要求したカリミ選手にラマダン中はサッカー協会の規則で水を提供できないと断ったところ、カリミ選手が協会に対し下品な言葉を叫んだと解雇の理由を説明した。

 カリミ選手は同通信の取材に対し、解雇の理由は断食を破ったことではなく、イランメディアとのインタビューで監督の批判をしたことだと主張している。

 ラマダン中は原則的に日の出から日没までの飲食、喫煙などが禁止。イランでは12日からラマダン入りしている。(共同)

( 写真と文の出典先:SANSPO.COM )

ついこの間、以下のようなニュース聞かれましたね…


【8月9日 AFP】アラブ首長国連邦(UAE)の宗教当局は、今週のラマダン(断食月)入りを前に、酷暑にさらされる労働者が健康を害する恐れがある場合は断食を中断してもよいとするファトワ(宗教令)を出した。

 石油掘削施設の労働者から「酷暑のなか飲み食いせずに働くことで健康に害が及びそうな場合、断食を中断してもよいか」との質問が寄せられたことを受け、8日までにウェブ上で発表された。

 ただし、日の出から断食を始め、日没まで続けられなくなった場合に限り中断すべきだとしている。

 夏の気温が常に40度を超える同国では、今年のラマダンは今週11日か12日に、新月が確認された時点で始まる。(c)AFP

( 出典先:AFPBB News )

『断食』

断食といっても1ヶ月間という期間を完全に絶食するわけではなく、日没から日の出までの間(=夕方以降から翌未明まで)に一日分の食事を摂る。この食事はふだんよりも水分を多くした大麦粥であったり、ヤギのミルクを飲んだりする。

旅行者や重労働者、妊婦・産婦・病人など合理的な事情のある場合は昼間の断食を免除される一方、敬虔なムスリムは自らの唾を飲み込むことさえ忌避するなど、ひと口に「断食」と言ってもその適用範囲にはある程度の柔軟性と幅を持つ点にも注意が必要である。

断食をするかどうかは原則として宗教的モラルの問題である。旅行者は断食を免除されるというのを拡大解釈して、イスラム教徒の富豪の一部にはラマダーンに旅行に出かけ、断食逃れと呼ばれるようなことをする者もいる。また、基本的に異教徒には強制されない。

断食はヒジュラの道中の苦難を追体験するために行われるものである。したがって、飲食物の摂取量を減らすことが目的なのではなく、あくまで宗教的な試練として課される。また、食べ物に対するありがたみを感じさせるためとも言われている。

むしろラマダーン中は日が沈んでいる間に食い溜めをするため(そのために日が出ていない時刻に人を起こす者が巡回していることさえある)夜食が盛大になり、通常より食糧品の売れ行きが良くなったり太る人が多くなるといわれる。

断食明けの祭りはイド・アル=フィトルと呼ばれ、盛大なものである。

( Wikipedia:『ラマダーン』より引用 )

合理的というか慈悲深いというか
戒律では、何かと仲ワルさんのユダヤ教が安息日から食事の規定までより詳細ですけどさ
ただやっぱ宗教的姿勢により、厳格か柔軟かエエ加減かに分かれる模様
黒服暮らしの超正統派もいれば、保守派ながら臨機応変や、改革派もいる
豚さん×、乳製品と肉類の同時摂取×なのに、ハムやチーズバーガー食べちゃえも
信徒各々の神さんとの契約ぶりが問われるって事ですかいね?
ま、カリミに関しては…熱中症で脱水症状のフリでもしとけばねぇ(バチ当たりな発想)

ユダヤ教ついでに…
テルアヴィヴのユダヤ教徒用中華料理屋って、どんな内容よ?
中華に欠かせん豚さんや海の幸類が使えんのやったら、代わりの素材は何?
どこでもドアで死海方面へ飛び、コッソリ観察したい気分(これまたバチ当たりな発想)

イスラム関係にムリヤリ話を戻すと


THE EXORCIST PART 1/13 (WIDESCREEN) HIGH QUALITY SOUND

‘エクソシスト’(1973年)の冒頭場面ですわな
撮影場所は、イラク北部。イラクは当時、バアス党政権であり、1967年以来の米国との国交断絶中
監督ウィリアム・フリードキンによれば、イラク当局の出した撮影許可の条件は2つ
(1)イラク人技術者をスタッフに雇う事
(2)血糊が本物らしく見える技術を教えてもらいたい
西側最新技術を伝授お願いします…(2)、未来に何か禍根を残した気がするの、わたしだけ?

イラク人の名誉のため書くと

大川興業総裁が2003年、米国との開戦直前のバグダッド訪問時、反戦集会みたいなのに参加
隣席のイラク人にデジカメ使用法を教える際、ポーズ代わりの踊りを披露した結果…
「何だ?日本人?どういう意味だろう?反戦アピールか?では賛同しておもてなしを!!!」
会場内全員、バアス党のえらいさん方、ケミカルサリーも含め、「さあ皆で手拍子を♪」
総裁は約1時間半近く踊り続けるハメに(総裁参加の某集会にて映像をこの目で観ました)
早い話、イラク人は本来陽気な性質、酒代わりのお茶で楽しく踊れるステキなお国柄なのですな

エクソシストに戻ると

メリン神父役のマックス・フォン・シドーは、43歳の若さで70歳代爺さんを演じました
この人の守備範囲は幅広く、80歳を過ぎた現在でも活躍しています
ケッタイな女装を披露なども(映画が何かは忘れた~)
一番の大役は何といってもやっぱ…


The Greatest Story Ever Told Trailer

mathichenの徒然なるままに-偉大な生涯の物語

‘偉大な生涯の物語’(1965年)、神の子ですってば

という所で、気の毒ながらもちょいと笑えたニュースで締めくくりを…


13日の金曜日の『起源』 は、大賢者様の『13日の金曜日』
四半世紀前の今日、1985年8月12日

$mathichenの徒然なるままに-日航ジャンボ機墜落事故新聞記事


日航ジャンボ機墜落事故

日本航空123便墜落事故、いまだに謎の多い事故ですね
何にせよ犠牲者・遺族も生存者も無念の極みだと思います

犠牲者といえば


阪神優勝 1985年10月16日

~来歴・人物 ~
京都帝国大学工学専攻(現:京都大学工学部)卒業後、1947年に阪神電鉄へ入社し、阪神土木工業の専務、阪神電鉄専務取締役を務めた。土木・技術畑出身で、、阪神電鉄グループ関連の建築物以外にも国内の数々の大型建造物やレジャー施設の建設にも関与していた。

1984年の10月に阪神タイガースの球団社長に就任したが、元々野球のことにはあまり詳しくなく、就任期間も10ヶ月足らずと短かったために功績自体は少なかった。しかし、中埜は「タイガースのことを知っておくのも本社役員としての任務」と考えており、球団社長就任後は家に帰れば必ず全テレビ局のスポーツニュースを視聴して、翌朝は全てのスポーツ新聞に目を通すなどして野球について猛勉強した。そして、ホーム球場、ビジター球場を問わず頻繁に訪れ、かばんの中には常に阪神の応援歌「六甲おろし」の歌詞コピーを入れて「みんなに歌ってもらおう」と周囲の人に配布したりしていた。

球団内の事に関しては基本的に岡崎義人代表に任せ、自らは管理者に徹していた。また、ビジター球場(もしくは地方主催球場)にも自ら訪れて試合終了後に選手一人一人を労っていた。

~事故前夜と当日~
事故前日の1985年8月11日には、タイガースが福岡・平和台球場で地方主催試合(対中日戦)を行っていたため、中埜本人も福岡まで赴き、この日もロッカールームに戻ってきたタイガースの選手一人一人と握手を交わし、選手を労っていた。

翌8月12日は、東京・霞が関の運輸省(現:国土交通省)で民鉄協の会議があったため、当時阪神電鉄社長で阪神タイガースのオーナーも務めていた久万俊二郎(現・同社相談役)の代理で東京に赴いていた。そして会議終了後の帰阪の途で日本航空123便墜落事故に遭い死去。阪神タイガースの21年ぶりの優勝を目前にしての死であった。

~選手・関係者の反応~
事故当日、11日の平和台球場での中日戦を終えた阪神ナインは、13日から行われる後楽園球場での試合に備え、中埜よりも遅れて東京入りした(実はこの時にナインが搭乗した飛行機こそ、事故機・JA8119の遭難直前のフライトである福岡発羽田行366便だった)。そして都内の宿舎に到着して間もなく、テレビで日本航空123便墜落事故の緊急報道番組を目の当たりにし、直後に中埜がこの事故機に搭乗していたことが関係者から告げられた。

中埜本人及び阪神電鉄常務取締役(当時)の石田一雄の事故機搭乗に大阪の阪神電鉄本社、及び阪神球団関係者は大きな衝撃を受けた。選手達も例外ではなく、翌日の巨人戦から阪神は6連敗を喫して一時は首位から陥落したが、「(亡くなった)社長のためにみんなで頑張ろうと、ナイン全員と首脳陣が誓い合った結果が再結束に繫がり、優勝に繋がった」と後に吉田義男(当時の監督)や掛布雅之、真弓明信、川藤幸三たちも語っている。

事故発生から4日後の8月16日の夜に家族により遺体が確認されたが、遺体の損傷はかなり激しかったため、歯型と着衣でようやく本人の遺体であることが確認できたという。そして、翌17日に遺体は荼毘に付された。

その17日は広島市民球場で広島対阪神戦の試合前に阪神と広島の選手・首脳陣全員による黙祷が行われ、スコアボード上の両チームの球団旗を半旗にして試合を行った。

日航機事故の報道の際、ほとんどのメディアが「中野肇」と誤って表記していた。

1985年10月16日、阪神タイガースが1964年以来、21年ぶりのセ・リーグ優勝を果たした際のウイニングボールが、中埜の霊前に手向けられた。

~プロ野球界に与えた影響~
この事故での中埜の死は、阪神球団にとどまらず、他の11球団(当時)の関係者にも多大な衝撃をもたらした。読売ジャイアンツは中埜の事故機搭乗が報じられた直後に「うちも他人事ではない。今後の航空機利用は十分に考え直す必要がある」という声明を発表し、他球団も今後の航空機利用に関して検討を迫られることになった。これによりほとんどの球団はそれまで利用していた日本航空との契約を打ち切り、航空機移動する際は必ず全日空を利用させるようにした。また、国内移動は極力航空機ではなく新幹線で移動させるようにさせた。現在航空機を利用する場合もオフシーズンのキャンプや三大都市圏から九州、北海道、東北などへ移動する際など新幹線や在来線での移動が厳しい場合に限られている。

( Wikipedia:『中埜肇』より引用 )

~エピソード~
夫人は阪神球団社長(当時)の中埜肇が搭乗して犠牲になった1985年8月12日の日本航空123便墜落事故で当便に搭乗予定だったが、直前にキャンセルしたために難を逃れたという逸話を持つ。

( Wikipedia:『木戸克彦』より引用 )

エース無き優勝でも。引き分け決着での優勝でも
ムッシュ吉田の十八番である『チーム一丸』が実った瞬間でした
中埜社長も遠い空の向こうから喜んでくれたに違いありません

この記事題名は

$mathichenの徒然なるままに-夜と霧

第6章、第9章の題名をくっつけたものですが

第9章の締めくくり部分、この本の幕切れ部分に書かれてある
「かくも悩んだ後には、この世界の何ものも……神以外には……恐れる必要はない」
そうであればと思い
まあ別に神さんの必要無く、未来は誰にも予測不可さえ恐れたら

自分とは無関係だ、対岸の火事だ、自分の身には起こるはずねえってばさ
そんな手合い、いとも痛点ゼロな人種には
他人の厳しくとも意味ある言葉に耳を傾けないコドモ連中には
人生なんて一瞬にして崩れ去る要素わんさか、再起するには個人の力だけでは到達困難もわんさか
生きる事の厳しさをぜひとも思い知らせたいですけどさ
8月に入ると、NHKでよく戦争関連のドキュメンタリー番組が放送されますね

映画にゆかりあるドイツの戦争秘話を2題


Edelweiss - The Sound of Music (1965)

大賢者様の‘サウンド・オブ・ミュージック’(1965年)トラップ大佐を参照でわかる通り
映画は史実とかなり異なっております
結婚式の場面でメデタシメデタシならば、ドイツ人は堪忍出来るそうな
その後の展開は典型的なハリウッド公式、『鉤十字ドイツ=極悪非道』ですからね

~1938年、オーストリアがナチス政権下のドイツに併合(アンシュルス)される。ゲオルクはナチスの旗を家に飾ることを拒否し、ドイツ海軍省からの召集も拒否した。また、アドルフ・ヒトラーの誕生日にミュンヘンで行われるパーティーで、一家が祝福の歌を歌うことを要求され激怒しつつも、これ以上ナチスに抵抗すれば家族に危険が伴うことを恐れ、一家でオーストリアを離れることにした。~

( Wikipedia:『ゲオルク・フォン・トラップ』より引用 )

数年前、トラップ家の娘の1人が語った所によれば
鉤十字党員であった執事が陰で尽力により国外脱出に成功したそう

執事は恐らく世渡りのため入党、で、大佐も黙認していた
執事はある日、大佐にそっと忠告を
「私は党より、ご主人様の監視報告を命じられております。言動にはくれぐれもご注意を」
大佐が友人との食卓でお上批判を繰り広げているのを見かねたため
国境封鎖の情報を知るや、反体制一家が逃げ遅れる事無きように、日時を伝えた

長年お仕えするご主人様への忠誠心は、主義信条や公的立場が対立でも変わらぬ証


YOU EXPECT ME TO TALK?

‘007 ゴールドフィンガー(1964年) ’、怖すぎるってば~

『ユダヤ人への援助』

~ナチス党政権下のドイツにおいては、ナチス党員であったが、その党員の肩書きを隠れ蓑に、第二次世界大戦中はドイツ国内のユダヤ人の国外脱出を援助し、ウィーンでユダヤ人をかくまっていた。

戦後になり、あるユダヤ人家族がフレーベに救助されたことを明らかにするまで、イスラエルでは「元ナチス党員の俳優」とされていたために、『007 ゴールドフィンガー』の上映は禁止されていた。~

( Wikipedia:『ゲルト・フレーベ』より引用 )

鉤十字えらいさん制服役をよく演じるだけでなく
鉤十字党員の経歴を早くよりカミングアウトしていたのですね

‘バンクジャック’(1971年)では、人の好いオメメ可愛い銀行幹部爺さんを演じておりました
人柄はサイコーに良かったといいます
戦時中、衛生兵として後方支援に赴いた際なんて
目の前に負傷者が転がれば、連合軍兵士であっても救いの手を伸ばして優しく治療したくらい

…何が言いたいか?

鉤十字占領下のオランダやフランスなどで逮捕されたユダヤ人の中には
占領や戦争の前に移住や亡命が多数
たまたま運が悪くだけでなく、お上のくれるカネ目当てや保身による裏切りや密告からもわんさか

‘ベルリンは夜’(1985年)、これは創作ですけど
誤解を恐れずに書けば、鉤十字下のドイツが最もユダヤ人にとって安心な国の側面ありました
アーリア人が匿っていたケースは少なからずの模様
ユダヤ人的風貌で無ければ、偽のアーリア人身分証明証を手配したりも
(ちなみに、ポーランドには、アーリア人としてアウシュヴィッツ収容されたユダヤ人女性の例あり)
何しろ…金髪碧眼の鉤十字将校として生き延びた、そんなユダヤ人男性が実在した国ですから!