私は、SRSの術式について、術後になっても本当にこれでよかったのかと、しばらく悩んでました。

最近ようやく心の整理がついて、私の選択はこれでよかったのだと思えるようになりました。

術式は、皮を使うか、腸を使うかの二つしかありません。病院も、日本人がタイでする場合、ヤンヒー、PAI、ガモン、プーケット、スポーンくらいでしょうか。

個人的なこだわりとして、どうしても腸でいきたかったので、その時点でスポーンは消えました。え、腸にしたかった理由?だって、どう考えても、皮膚よりは腸で作った方がリアルだと思ったから。私の場合、別に皮膚が足りないほうではありません。多分、スポーンなら16cmは作ってくれそうだし。深さの問題でなく、質感とかリアリティとかそういう問題。

普段からナプキン必要とかよりも、性交時に濡れることの方が大事だし。

そして、一番重視したのが、形成した膣の安定性。反転法だと、いろいろトラブルを見ます。そして一番問題だと思うのが、膣閉塞という問題。みんな、形成直後と比べて、2cmくらいは塞がるようです。

激痛のたえ、毎日かならず傷を押し広げていれば、深さをたもてるのだろうか?個人差もあるだろうし、そこに確信を持てなかったので、反転法は選べなかった。

そんなわけで大腸法を選び、病院は腹腔鏡でやってくれるのがガモンだったので、そのまま決まりました。

そして結果は?
運悪く、生まれつきS状結腸が短いようで、15cmしか形成できなかったのは計算外ですが、おおむね大成功といっていいでしょう。

手術後、副作用、合併症など一切なし。
手術後の痛みも、許容範囲でした。こんなの、インフルエンザとかで寝込んでる時の方がつらい。そんな感じです。

特に大腸法だと、回復が遅かったり、排尿、排便のトラブルを聞くのですが、私の場合、排泄系のトラブルは一切なし。回復については、最初の2ヶ月くらいは病人レベル。歩くのもかなり辛かったです。回復の遅さは、確かに反転法より悪いかな。

それでも、別に寝たきりになるわけでなし、日常生活にはまったく支障がないです。日常生活に影響するのは、体力よりむしろ、ダイレーションのスケジュールでしょう。

術後3ヶ月間は、1日2回1ー2時間ずつ、それ以降は1日1回。正直、これでも仕事してると結構辛い。これが、スポーンでの手術だと、1日6、7時間かけるのが普通のようで、完全に働くは無理です。

そして、ダイレーションの辛さに関しては、絶対に大腸法の方が楽です。私については、ダイレーションで痛いと思ったのは、病院で無理矢理突っ込まれたときくらいです。

自分でする場合は、ゆっくりいれるので、痛くないです。痛ければもっとゆっくりいれればいい。大腸法は、皮膚が入り口だけなので、広げる必要があるのはそこだけ。

腸の部分は、閉塞する心配はないので、奥までいれたら、あとは適当に本読むなり、テレビ見るだけ。

これが反転法だと、奥から傷が塞がっていくので、それを押し広げる必要があります。毎日、傷を無理矢理押し広げるみたいな。それを味あわなくてすんだのは非常によかったです。

そして、術後半年経過しましたが、当たり前ながら深さは相変わらず15cm。適当なダイレでも、一切閉塞せず。

ここまではいいのですが、外性器の見た目は結構不満です。別にグロくはないけども、全然本物に見えない。

スポーンでやれば良かったかな~、と一時期かなり後悔しました。

でも、いろんな記事を読んでくと、複数回の修正手術をして、本物に近づけていくのが普通のようですね。

なかは腸でつくって、外性器を本物に出来る限り近づける。これが、私的に理想の女性器。

しかし、どうにもできないと思うとかなり気持ちがへこむのですが、修正手術ができると思えば、いまのあそこの状態でも別にいいかな~と思えてきたりします。

正直いって、肩とか声とかリードポイントがまだまだ多くて、外性器本物にしたってそれ以前の問題だろって感じです。

のんびり構えて、いつかやりたい手術かなというところです。

結論を言えば、多少の負荷で、ほぼ自分が理想とする膣が作れたから、やはりベストの選択だったかな?と思ってます。

これが、多数派の圧力に負けて反転法でやって、10cmくらいの膣になったら目も当てられませんし、ダイレに成功して15cm以上深さ確保しても、やっぱり腸で作りたかったという思いは一生ぬぐえないと思います。

結局、自分の信念に従うのが一番ですね。
SRS後、半年以上が経過しました。

私の場合、大腸法で手術してます。
大腸法の特徴として、腸液が出るので性交時に潤滑するかわり、普段から腸液がでるため、ナプキンが欠かせなくなります。

さて、一般論に対し、私の場合はどうか?

正直、手術後からほとんど腸液が出てこなくて、逆に心配になってドクターに聞きました。心配するな、としか言われませんでしたが。

たしかに、ナプキンは必要に思いますが、一番薄いパンティライナーで十分。一日たって、まったくナプキンが汚れていないことの方が多いです。

あるとき、ナプキンつけ忘れて会社に行ったことがありますが、結局下着は一切よごれなかったです。

じゃ、性交のときは?女性の愛液ほど多くないので、ローション使った方が楽です。ローションなしで、できないこともないんですが。

でも、最近、興奮した方が濡れるのではないか?と思っています。痛いだけのときなど、ローション何度も追加が必要ですが、すごく感じるときは最初にいれるときだけで追加せずに最後までできます。

あと、単にオナでいったあとも、ドロッとした液が垂れてきます。

いや、正直、手術前に妄想してはいました。普段でなくて、するときだけ出れば完璧だな、と。

普段の乾燥ぶりはもう十分で、非常に快適です。あとは、性交のときにもっと濡れるといいんですけどね。トレーニング方法とか、あるのだろうか?
さて、皆様(GID限定)は性同一性障害なんてものはない、そんなのはただのワガママだ、という言葉を言われたことがあるでしょうか?

まあ、私も、もし他人がそんなこと言おうものなら、そいつのことは一生敵認定で終了なのですが、その発言が、姉から投げつけられたらいかがでしょうか?
ちょっと本気で考えざるを得なかった。

しかし、そう言われたところで、一体ワガママってなんなんだろう。要するに、そんなの我慢しなさい、なんで女になんてなろうとするの?やめて、気持ち悪い。

そういう意味なんだろうか?あ、そうか、分かった。こちらが、当然の権利のように主張しているように感じ、そこに反発を覚えるのか。

そこに完全に行き違いがある。こっちは、男性として生まれたつもりはさらさらなく、最初から女性として生まれている。
女性が女性として生きるのがなんでワガママなの?完全に意味不明。
でも、その大前提が理解できなければどうしようもない。

そりゃそうだ。私も、トランス初めた頃は、心は女性、
そういう文章を読むにつけ、いや、あんた間違いなく、遺伝子も生まれもバリバリに男だよ、と突っ込みをいれていました。

私自身にしてからが、男性なのに、自分のことを完全に女性と感じる、という感覚がまったく理解できなかったのだ。そして、私はこんな戯言だけは一生言うまいと思っていた。
心は女性です。
間違って男性として生まれてしまった。

でもね、この1年半女性として過ごし、もう完全に心が入れ替わっていた。
今なら、完全な確信を持って断言できます。
私の心は女性です。

幼少のころより、ずっと女性を自覚していた人にも、多分私のケースは理解されないと思う。

よく、批判されてますね。最近は自分がGIDだと勘違いしているひとが多い。ネットでそういうブログを見て、そう思い込んでいると。自称GIDなんていわれます。

なかには、女性を自覚するのが早いほどエライという奇特な価値観もあるようで。。

どうも、物心ついたときから女性だと思っていたのが一番のようです。その価値観からすると、私なんて最下層ww

そして、私もトランスを始めた初期は、そういう価値観に絡めとられていました。私はきっと、GIDなんかではない。きっと勘違いしているだけ。無駄に悩んでましたね。

でも、今の時点の性自認は、もう誰劣ることない、自分を女性と思う確信の強さにおいて、生まれつきの女性とまったく同じものであると、断言します。

正直、自分の性別に対する認識が性自認であるなら、それは本質ではない、と思う。私のように、一生のなかで変化してしかるべきものだ。

本当に性自認と呼ぶべきものはもっと脳の深い階層にあるんだろう。女性であることを快感とする感覚。それに合わせ、人間は学習して行き、やがて女性や男性となって行く。大河の源流、声帯が発する喉頭原音のように、それはか細く、聞き取ることすら困難だろう。私のように、心の奥底のメッセージを無視してしまうことだってある。そう、学習は、間違って行われることもあるし、そもそも私のように学習の機会すら与えられないこともある。

ちょっと提案したいんですが、本当に生まれつきの心の性別にたいする新しい言葉がほしいです。もしくは、真の性別を性自認とよんで、後天的に獲得する自分の性別に対する思い込みは、性自覚とでもして使い分けてほしい。

一般に性自認っていうのは、女性らしい振る舞い、言葉遣いなどで語られることもありますが、ちゃんちゃらおかしいです。

そんなの、人間の脳構造の最下層です。
そんなあとから学習によって獲得する部分で、人の性別を語らないでほしい。

私は、トランス初期にどれだけ言われたか。本当のGIDってのは、もっと女性らしいしゃべり方とか、仕草をするものだよ。

当事者さしおいて、なんで外野が決めつけるんだ。。

なんか、あまりに脱線してしまった。
結論に行こう。

性同一性障害は、多分当事者以外の人間が理解することはありません。私自身が理解できなかったし、きっと当事者同士でも相互理解できない部分はあるだろう。

結局、ワガママだ、と言われて返す言葉なんてないんです。だって、私が女性であるという大前提が理解できないんだったら、究極、女性になろうとするこちらの振る舞いは全て特殊な性癖にすぎず、我慢すべきものになってしまうので。

理解は絶対にできないけど、多様性として受け入れることはできるはずなんです。あなたはそういう人。自分とは違うけど、あるがまま受け入れる。

それが絶望的にできない人間がいるんですよ。残念なことに、私の家族にはそういう人間がとても多いようです。

今後とも不毛なる議論を吹っ掛けられるようなら、残念ながら断絶ということになるんでしょうね。それとも、あるがままを受け入れてくれるときがくるのでしょうか?