追記20221122
職人じゃないので、かんな屑での製作は、中断しています、
レーザー加工機で、化粧合板を切り出すのが、最善だと、思って、います、
https://ameblo.jp/math-physics/theme-10117571966.html
元記事、
言葉が国を守ってくれていること。
言葉の鎧。
自分の中で、それが揺らいだ時は精神的に辛かった時期時期と重なる。
難しいこととか、自分の生まれながらに持っているものを引き出すとか、自由な表現はたくさんあるだろう。
でも、何かの偶然とか、型にはまって図面を書くような計画性の中で行われる、エンジニアリング?的なこと、より、思考の雛形っていうか、自分は、本当に初めて自分の理想と合致した、おが屑の造形を手にした時、書家が筆をふり下ろして荒々しく描く、山という文字を思い起こした。
そして、ワープロのフォントを連想した。
造形にしては機械的な表現だから、ほんと、ヘリ(縁)の「リ」のアウトラインとかそこに見えた。
看板に文字をこの表現で書いて業を成すのは大変だろうけど、表現として、文字の表現と楽器という組み合わせは面白いんじゃないかと思ったりする。
宗教の偶像崇拝じゃなくて、文字(自分たちのルーツ)イメージから、仮にギターを製作するのなら、文字のエッジ部分、捉えて、離散的にでも、そして数ある文字の中から造形に昇華された楽器たちの音色で、どういうわけかいいものを探しだす。
いろんなじゃじゃ馬たちが出来るかもしれない。
それを弾きこなす奏者も居ないかもしれない。
文字のカタチの類似性で、音の表現って多様性を持ちながらも限定された圏内にグループ分けはされるだろう。
どうでもいいことなのだけれど、偶然性の重視と、直観的に見えてしまういことからの刷り込みの悪いところを排除するだけの意味はあると思う。
これから先、映像は人間の創造の範囲でどんどん進化するのだし、現実の中に、求める、何かって、現代音楽じゃないですけど、カオスと秩序みたいなところで妥協点を機械的な作業で限定していくこと。
文字と平面、線、印刷、楽器、音、抽象的な人間の創造物。
リアルな自然の音と歴史的な民族的な音。
それ以上を語るには自分に知識が足りないのだけど。
真竹の表現とか、おが屑アートやってて、いつも隣り合わせに気にかかっていること。
編み籠の竹職人には見捨てられる、野山を荒らすおそらく中国伝来の。
加工しやすいが、水場に弱い…経年でカビ等、ボロボロ。
まま、今、気持ちは以下。
http://urabe-fas.com/pct_3Dcl_fly.html
あ、言い過ぎました…男の美学に鳴ってない。





