パリオリンピックで今、ある女子ボクシングの試合が物議を醸しています。それは8月1日に行われた女子66kg級2回戦、アルジェリアのイマネ・ハリフ(Imane Khelif)選手とイタリアのアンジェラ・カリニ(Angela Carini)選手との試合で、おそらくこれを読んでいる皆さんもご存知だと思いますが、試合開始早々ハリフ選手のパンチを受けたカリニ選手が戦意喪失し、わずか46秒で棄権してしまったのです。
イマネ・ハリフ(赤)とアンジェラ・カリニ(青)
カリニ選手はその場で泣き出し、ハリフ選手との握手も拒否してリングをあとにしました。「不公平だ」とつぶやいたとも言われています。そして、この試合の結果を受けてイタリアのメローニ首相が「対等な立場で戦えることが重要だが、私から見れば対等ではなかった」とコメント。ハリフ選手が長身(178cm)で男性並にたくましい体つきであったことから、メローニ首相に同調するような意見が一挙に吹き出し、女性競技にトランスジェンダーの選手が出場することに対する批判が世界各地で起きました。
たとえば『ハリー・ポッター』シリーズの作者で、かねてからトランスジェンダー問題で発言を繰り返してきたJ.K.ローリング氏は自身のSNSに試合後にハリフ選手がカリニ選手を慰めようとする写真(上)を掲載した上で
「女性蔑視のスポーツ界に守られていることを知っている男が、女性の苦悩を楽しんでいる」
と痛烈な批判を投稿。またイーロン・マスク氏は水泳選手の「男性は女性のスポーツにふさわしくない」とする投稿に「まったくそのとおりだ」とメッセージを送りました。更にアメリカのドナルド・トランプ前大統領も自身のSNSに「私は女性スポーツから男性を排除する」とのコメントを、この試合の動画と共に投稿。日本でも同様の投稿・発言が相次ぎました。
かくいう僕もニュース番組でこの報道を見て、ハリフ選手の容姿を見て〝彼女〟に不公平さと怒りを感じた一人です。昔から読んでいいただいているブロともさんなら覚えておられるかも知れませんが、僕は若い頃同性愛者にいやがらせなどのモラハラを受けたことがあり、現在でも同性愛者ははっきり言って嫌いです。トランスジェンダーに関しても個人の権利や意志は尊重するべきとは思いますが、個人の権利とスポーツにおける資格はまったく別次元の問題であり、トランスジェンダーの選手が女子競技に出場することは〝猛反対〟と言って良いぐらい。なのでこの件もそういう気持ちで事の経緯を調べてみたのですが、どうもこの問題の本質はまったく別のところにあるようです。
そもそも、この問題の発端は国際ボクシング協会(IBA)がハリフ選手や林郁婷選手(台湾)など数名の選手の資格を剥奪したことにあります。資格剥奪の理由は当初明らかにされていませんでしたが、のちに「性別テストにより不適格とされた」との説明がIBAから発信されました。つまり女性として認められないというのです。
林郁婷(リン・ユーティン)選手
少なくとも今日(8月7日)現在、日本のマスコミはこの事実を特に検証するでもなく「垂れ流し」報道していますが、実はこのテスト(検査)に関しては以前から疑問が持たれていたようです。というよりまず、IBAという組織自体が現在国際的な信用を失っているのです。
国際ボクシング協会(IBA)の現会長はロシア人のウマル・クレムリョフ氏ですが、クレムリョフ氏は会長職に就くと反対派を次々と排除し、それまでスイス・ローザンヌにあったIBAの機能のほとんどをモスクワに移転、更にロシアの国営企業を唯一の公式スポンサーとするなど、現在独裁体制を築いています。これまで二度の会長選挙も「極めて怪しい経緯をたどり」(BBCスポーツ)再選を果たしていて、また彼はプーチン大統領とも親しい間柄にあるといわれています。
プーチン大統領とクレムリョフ氏
IBAの組織や大会の運営に関して様々な疑惑、数々の不正が取り沙汰されており、IOCはたびたび組織改革を求めてきましたが現在に至るまでそれは実行されていません。そのため、東京五輪ではIBAはボクシング競技の運営統括資格を停止されてしまいました。競技の運営組織が資格を停止されるのはオリンピック史上初めてのことでした。
このような状況に反発してアメリカやヨーロッパを中心にIBAから離脱する国が続出し、それらの国々は新たに新団体「ワールドボクシング(WB)」を結成し、次回オリンピックからボクシング競技の運営組織となるべく活動を続けています。つまり国際的なボクシング団体は分裂状態にあるわけです。このような状況下でIBAとIOCは互いに非難の応酬を続けており、ハリフ選手の「性」の問題は両者にとって相手を非難するための道具として利用されています。
また、2023年の世界選手権でハリフ選手と林選手が資格剥奪を宣告されたのは、それぞれが準決勝でロシアとカザフスタンの選手と対戦した直後のことでした。特にハリフ選手は、それまでデビュー以来無敗を誇っていたロシアのアザリア・アミネワ選手を判定勝ちで下したわずか3日後のことで、ハリフ選手が失格となったことでアミネワ選手の連勝記録は現在も続いています。
このような裁定に対し当然両選手とその陣営は抗議しましたが受け入れられることはありませんでした。この件に関して日本ボクシング連盟のHPに昨年4月24日付の記事に以下の記述があります。
先月の女子世界選手権2023で実施された性別テストにより、メダルを剥奪された出場者には、前回大会を含めて過去3度の金メダル獲得実績のあるリン・ユーティン(林郁婷)選手(中華台北)もいました。その後、同選手は、自国内で再検査が実施され、異常なしの結果が報告されており、今年、中国・杭州で開かれるアジア競技大会(兼ボクシング・オリンピック予選)など、今後の試合出場が気になります。
この性別テストは、主催するIBA(国際ボクシング協会)がこの大会で初実施し、「大会の任意のタイミングでこれを希望することが可能であり、その指示を選手は拒否することができない」というルールでした。IBAの性別に関する試合出場資格は「生まれた時の性別であること」が条件となります。
つまり、問題の性別テストはこの世界選手権で初めて実施されたこと、そしておそらく「元々は」という意味でしょうが、IBAの本来の出場資格は「生まれた時の性別」であったことがわかります。実際、ハリフ選手は2018年のデビュー以来、ずっと女性としてIBAの試合に出場し続けていたのです。
IBAはのちに二人のテストステロン値が高かったと説明しますが、両選手陣営の抗議の後、テストステロンに関する検査は行なっていなかったと訂正しました。そして「二人はテストステロン検査は受けなかったが、別途公認の検査を受けており、その詳細は秘密である」とし、その後に二人の資格剥奪理由を「XY染色体を保有していることが確認されたので女性競技に出場する資格を失った」と更に説明を改めました。
しかし、女子サッカーのアジア大会で医務を担当したこともある堀川令子医師は「Y染色体を持っているから女性ではないとは言えない」「Y染色体があるから男性のような体格になるわけではない」とIBAの説明に疑問を投げかけています。実際、過去にはXY染色体を持ちながら女性としてソウル五輪に出場を果たしたマリア・ホセ・マルティネス・パスティーニョ選手(スペイン)の例もあります。そして、IBAは現在に至るまで検査データの開示を行なっていないのです。
マリア・ホセ・マルティネス・パスティーニョ選手
また、ハリフ選手に関して性分化疾患(DSD)であるとの情報はまことしやかに流布されていますが、これはイギリスBBCの取材に対して医師が「もし、そうだとすれば」と仮定の話をしたものが、あたかも事実であるかのようにネットで広まったもので、現在のところは事実と確認されていないようです。
イマネ・ハリフ選手は女性として生まれ、女性として育ちました。
右下がイマネ・ハリフ
子供の時分から体格が良く運動神経も抜群だったイマネ・ハリフは、男の子に混ざってサッカーをするのが好きでしたが、男の子たちより上手かったために次第に暴力を伴ういじめを受けるようになり、そうした暴力から身を守りたいという思いが格闘技に憧れるきっかけになったといいます。
ネット上には「どう見たって男だろ」などといった心無い意見がたくさん見られます。しかし、たとえば大谷翔平選手の、あの日本人離れした体躯を見て、最新のトレーニング技術を持ってしても女性は男性並みの筋肉をつけることは出来ないと言えるでしょうか。また「男だろ」といった心無い言葉を見ると人見絹枝さんをはじめ、多くの女性アスリートたちがその言葉と戦ってきたこと・・・、いや今も戦い続けているのだということを思い返さずにはいられません。
無論、医師でもアスリートでもない、ただの一般人の意見と言われればそうなのですが。
(写真はすべてお借りしました)