幕末 京都の宿飯(2) | またしちのブログ

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嘉永元年(1848)四月五日の夕方のこと、讃岐国寒川郡神前村(現在の香川県さぬき市寒川町)の伊勢参りの一行は、近江路から京都に入り三条大橋東詰の旅籠・美濃屋に宿泊することになりました。宿賃は銀三匁と決まりました。

 

 

※.美濃屋のあった三条大橋東詰

 

 

その後、同月十一日朝に京を出立するまでの間、一行はこの美濃屋に連泊しながら京都観光を楽しむことになりますが、その間、彼らがどんなものを食べたのか、『伊勢参宮献立道中記』の記事を紹介しましょう。

 

 

五日

 

夕飯 美濃屋徳左衛門方

皿 鯛の煮付

汁 あられ、豆腐

菓子椀 平そうめん、つくいも、かまぼこ、しいたけ

 

 

京に入って初めての夕食は鯛の煮付です。菓子椀とは朱塗りでフタ付きのお椀で、その名のとおり菓子用に使われるほか、料理椀としても用いられます。「つくいも」はつくねいも(大和芋)の別称で、普通はとろろにして食べます。

 

 

六日

 

朝飯 

唐津蓋物 たかんな、いかつけやき、ふき

汁 味噌、あおみ

皿 かまぼこ、大根、おとし醤油

 

昼飯

皿 鱧(はも)の酒煮

菓子椀 玉子のふわふわ

 

晩飯

皿 鱧のつけ焼き

菓子椀 鯛、うすゆき、しいたけ

汁 味噌、小菜

 

 

「たかんな」はおそらく高菜のことだと思われます。そして京都の代表的な魚料理といえる鱧(はも)が昼・夜と登場します。が、鱧を食べたのはこの日だけです。そして「玉子のふわふわ」。大河ドラマ『新選組!』で近藤勇の好物として紹介され有名になった料理ですが、実際に幕末の京都の旅籠で食事に出されていたことが分かります。また「うすゆき」はおぼろ(とろろ)昆布のことのようです。

 

 

七日

 

朝飯

猪口 こんにゃく白和え

吸物 味噌、もずく

椀 飛龍頭、小菜、しいたけ

 

昼飯

菓子椀 寄せ豆腐花形、浅草海苔

吸物 すまし、自然薯

 

夕飯 清水の吉野屋

皿 せん、大根、柿

大平 麩、小菜、玉子、かまぼこ、しいたけ

猪口 したし

 

同所で酒

蛸(たこ)の桜煎り

大平 鯛煮付

 

晩飯 美濃屋

皿 鰆(さわら)煮付

椀 ゆば、百合根、しいたけ

 

 

「せん」はさつまいものデンプンの団子のことのようです。作るのに非常に手間がかかり、「千の手間がかかる」ということで「せん」と呼ばれるようになったとか。「したし」はおそらくおひたしのことではないでしょうか。「蛸の桜煎り」は茹でたタコの足を薄切りにして酒と醤油で炒り煮したものだそうです。そして晩飯に鰆が出ますが、実は一行の故郷である讃岐の寒川郡は瀬戸内海に近く、鰆のカンカン寿司という名物があるぐらい鰆がよく食べられる土地です。旬の魚だとはいえ、正直「京都に来てまで鰆か」と思ったかも知れませんね。

 

 

八日

 

朝飯

茶碗 おらんだ麩、すり生姜

猪口 金山寺

吸物 赤味噌汁

香物 奈良漬茄子、小菜のつけもの

 

昼飯

煮しめ 二鉢出す(高野豆腐、ふき)

奈良漬香物一鉢

楊枝めし

 

晩飯

茶碗蒸し(百合根、鱧つけ焼き、鯛、きくらげ、うど)

猪口 煮豆、氷ごんにゃく、あしらい

 

 

「おらんだ麩」は生麩を油で素揚げしてだし汁、醤油、みりんなどで煮込んだ京料理です。「生麩のオランダ煮」といった方がとおりが良いようです。揚げびたしのようなものでしょうか。「あしらい」は「つま」や「はじかみ」のような添えもののこと。一方、「楊枝めし」は調べてみてもどういう料理なのか分かりませんでした。

 

 

九日

 

朝 

金閣寺前の茶店で煎茶とあも

 

昼飯 中之町鶴賀屋伊兵衛方

平鉢 白焼きかまぼこ、おろし大根醤油かけ

鉢 うど煮、鰆の煮付

菓子椀 鯛切り身、くづし身、すまし

香物

 

夕飯 美濃屋

皿 鰆焼き物

椀 うど千切り、鰆、しいたけ

吸物 赤味噌、青み

 

 

金閣寺前の茶店で煎茶と一緒に食した「あも」は、京言葉でお餅のことです。ただし本来は女性や子供が使う言葉で、『新選組血風録』(司馬遼太郎)の中で土方歳三が「俺もあもをくれ」と注文して沖田総司に笑われる場面があります。また昼食をとった中之町は東山の三条通沿いの町で、近くに青蓮院門跡や佛光寺本廟、南禅寺などがあるため、観光の拠点として賑わっていたんだろうと思われます。この中之町鶴賀屋の昼食代は十人で二貫三百文だったということです。江戸時代は金・銀・銭の三つの貨幣が流通していましたが、この二貫三百文というのは銭の単位で、一文が現在の12円に相当するようなので26500円となり、一人前2650円ということになります。

 

 

十日

 

朝飯

菓子椀 麩、かまぼこ、しいたけ

猪口 金山寺

汁 昆布千切り

 

昼飯

なま節煮付

椀盛 鶏卵ふわふわ

 

夕飯 五条河原美濃与

うなぎ

飯櫃

香物

 

晩飯 美濃屋

皿 鰆煮付

赤味噌羹

椀 うど、さかな、しいたけ

 

 

昼飯に出てくる「なま節」は鰹の燻製のこと。煮付にせずにそのまま食べた方が美味しそうな気もしますが、あるいは江戸時代のなま節は味付けしてなかったのでしょうか。また「鶏卵ふわふわ」はもちろん「玉子ふわふわ」のことでしょう。当時の人気メニューだったのでしょうか。それから夕食は五条河原の美濃与で食べていますが、うなぎと飯櫃は別々だったのか、それとも鰻重だったのか。飯代が百五十六文だったので一文=12円で計算すると1872円。今よりかなり安いように思います。京都のうなぎ専門店の値段を見ると、ちょっとびっくりするので(笑)

 

 

十一日

 

朝飯

皿 ちりめん魚、すり大根、酢、醤油

椀盛 くづし身、鯛切り身にてすまし

吸物 白味噌、あげ麩、うど千切り

 

 

京最後の食事は美濃屋の朝食です。皿の料理はちりめん魚(ちりめんじゃこ?)にすり大根(大根おろし)を和えて酢醤油をかけたものでしょうか。江戸時代は昼夜の二食だったという話も聞きますが、少なくともこの旅道中では朝昼晩としっかり三食、いや日によっては四食摂っていることが分かります。また、自らあまり評判が良くないようなことを『商人買物独案内』に掲載していた美濃屋ですが、食事を見るかぎりそんなことはなかったようで、道中記の筆者も特に悪評を残していません。

 

 

こうして一行は京を発ち大坂方面へと向かうのですが、参考までに書きますと十一日は八幡(やわた)に宿泊しており、この時の宿代が二百文となっています。つまりは2400円というわけで、比較してみると京都三条大橋近くの美濃屋が銀三匁(5000円)というのは、納得のいく金額のように思えます。

 

(終)