藤田五郎とイタタ剣(2)藤田五郎対小泉則忠 | またしちのブログ

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明治十八年(1885)十月十三日と十四日、向ヶ丘弥生神社で創建を記念した式典が執り行われました。式典には西郷従道参議も出席していたといいます。また『弥生神社祭典紀事』によると、十三日は終日晴天だったようですが、藤田五郎が試合を行なった十四日は朝から小雨模様だったようです。

 

 

その十四日、藤田五郎は小泉則忠という人物と試合を行なったのですが、残念ながら勝敗の記載はありません。思ったのですが、そもそもが殉職警察官の慰霊を目的とした武術大会であったことを考えると、はなから勝敗はつけなかったということもあり得るのではないかと思われます。と言いますのも、公務で殉職した警察官の霊前で「勝ち」をつけるのはともかく、「負け」がつくのはあまりよろしくないような気がするからです。
 

 

また、そもそも91組もの対戦ですから、たとえば剣道の現行ルールのように一試合5分程度かかると想定すると、一組ずつ試合をしていたら撃剣の試合だけで8時間近くかかってしまうことになります。祭典は午前九時からはじまって午後四時には終わっているので、これは非現実的な話です。

 

 

むしろ「はじめ!」の号令とともに、何組かが一斉に打ち合い、規定の時間が過ぎたら「やめ!」で終わるという、勝敗を決めない形の試合だったのかも知れません。いや、その実際は試合というより稽古に近いものだったと言えるでしょう。

 

 

そうだとすると、長年死生の間をその剣の腕で生き抜いてきた、元新選組斎藤一改め藤田五郎にしてみたら、これは茶番のようなもの。「こんなもん、バカバカしくてやってられるか」と思ったからこその十四日だけ参加するということだったのではないでしょうか。