藤田五郎とイタタ剣(1)明治十八年弥生祭武術大会 | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

もうだいぶ前の話なのですが、ネットでいろいろ検索しているうちに、とある興味深い記事を見つけました。

 

 

それは「弥生祭武術大会」という記事で、殉職した警察官を祀るため創建された弥生神社において、明治十八年から二十二年にかけて、毎年行われていた武術大会について解説されたものです。残念ながらどなたが書かれ、管理されているのか、記述がないためわからないのですが、『警視庁武道九十年史』や『三島通庸関係文書』などの史料を参考に書かれているようです。

 

 

中でも興味をひいたのが「明治18年10月 弥生祭武術大会」(←クリックすると移動します)のページです。この明治十八年は弥生神社が創建された年で、十月十三日と十四日の二日間、神社の落成を記念した武術大会が盛大に開催されたのですが、撃剣(剣術)、柔術、槍術、相撲、射的(弓矢)と行われた各試合の中で、十四日に行われた剣術の試合(91組182名が参加)の中に藤田五郎の名前があるのです。

 

 

藤田五郎が新選組の斎藤一のことであるのは今さら説明するまでもありませんが、その藤田五郎が維新後の警視庁時代に行なった剣術試合は、これまで

 

 

・明治十五年(1882)十一月二十六日に向ヶ丘弥生社で行われた撃剣試合。この時巡査部長だった藤田五郎(当時39歳)は、富山圓(北海道空知集治監剣術教授)と三本勝負を行なう。勝敗不明。

 

 

・明治二十三年(1890)一月二十三日、警視庁構内撃剣場における春季撃剣会で、当時麻布警察署の警部であった藤田五郎(当時47歳)は、渡邊豊(京橋警察署在勤)と対戦し勝利。

 

 

の二回が知られていましたが、実はその中間の明治十八年にもう一試合行なわれていたことになります。この時の対戦相手は小泉則忠という人で、『改正官員録』によれば、前月の明治十八年十月より歩兵少尉試補になっています。陸軍に出向ということなのでしょうか。

 

 

この明治十八年の弥生神社武術大会の事実を確認するべく、憲政資料室所蔵の『三島通庸関係文書』収蔵「弥生神社祭典紀事」のコピーを取り寄せたところ、藤田五郎と小泉則忠の対戦は事実だったことを確認出来ました。出来ればその画像をブログに貼り付けたかったところですが、「利用は個人の研究目的等に限られる」ということなので、残念ながら画像の添付は出来ないみたいです。

 

 

ちなみに弥生社は、西南戦争において戦死した警察官の慰霊のために創建されたものですが、のちに一般公務で殉職した警察官を祀る場所もほしいという声が大きくなり、弥生社の境内に創建されたのが弥生神社です。

 

 

※.藤田五郎こと斎藤一