近藤勇の幻の甲冑? | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

ユーチューブを見ていたらビックリするニュース動画がありました。新選組局長近藤勇の「幻の甲冑」が発見されたというのです。

 

 

※.ANNニュースチャンネルより(画像はお借りしました)

 

 

↑ちなみに向かって左側が前、右側が後ろで結びつけて着用します。

 

 

※.同上。兜は鉄製で非常に重いとのこと。

 

 

近々、近藤勇に関する新発見があるらしいという噂を耳にしていたので、これのことだったのかと思いましたが・・・。

 

 

動画によると、この甲冑が発見されたのは富山県高岡市の国泰寺で、同寺に伝わる話では近藤勇は甲冑を着用することを好まなかったので、生涯に一度だけ身に着けたのが、この甲冑なのだとか。

 

 

また、「北日本新聞社 Webun」は、本文は有料登録が必要なので読めませんでしたが、見出しに「山岡鉄舟寄進と記録/新湊博物館22日から公開」とあり、この甲冑はどうやら山岡鉄舟が国泰寺に寄進したもののようです。

 

 

そこで山岡鉄舟と国泰寺との関係を調べてみましたが、明治維新後の廃仏毀釈運動で国泰寺が衰退した時に、復興に力を貸したのが山岡鉄舟だったようです。

 

 

が、疑問はいくつかあります。まず近藤勇が生涯一度しか着用しなかった甲冑を、なぜ山岡鉄舟が持っていたのか。そんなに仲良かったっけ(笑)。普通に考えれば、義父の近藤周斎なり、縁の深い佐藤彦五郎なり小島鹿之助に送るか、もしくはどこかの寺社仏閣に寄進するかで、山岡鉄舟に譲るというのは優先順位的にはあまり高くないと思われます。

 

 

更には、もし山岡鉄舟が何らかの事情があって近藤勇の甲冑を手に入れたことが事実であったとしても、それを国泰寺に寄進するだろうかという疑問もあります。まあ、鉄舟は生活に困窮していた時期があったので、国泰寺復興に協力したのちに、「何だったらこれ買ってくれないか」ということは「絶対ない」とは言い切れないのかも知れませんが、鉄舟には「書」という大きな武器があったわけだし・・・。

 

 

ちなみに国泰寺は元々虚無僧で有名な普化宗の寺院で、維新後に普化宗が衰退したのち臨済宗国泰寺派として独立したそうですが、新選組で虚無僧といえば安藤早太郎ですが・・・・・・、たぶん関係ないね(笑)。

 

 

近藤勇の甲冑であることを示す史料なり何かがあるというのなら良いのですが、現在の報道ではそこまでは言及していません。続報を期待しましょう。もしくは新湊博物館に行ってみるか。もちろん僕は無理!