横井小楠の墓 | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

先日の南禅寺天授庵の記事の中で触れました横井小楠の墓について、ちょっと補足しておいた方がいいかなと思うので、もう一度紹介させてもらいます。お墓見たくない方はスルーして下さい。

 

 

 

※.南禅寺天授庵墓地 横井小楠の墓

 

 

この横井小楠の墓は横井家の墓地の中にあります。墓地そのものは拝観コースに入っていないので、特別にお願いして墓参することになるのですが、一般人の墓参に配慮されたのか、お墓の前に直系子孫の方が建てた「横井家三墓所の記」という石碑が建っています。

 

 

その碑文に曰く

 

小楠横井平四郎時存の墓石には碑面に「沼山横井先生の墓」とあるが沼山とは熊本沼山津四時軒に居住時の号である。当初の墓石は高さ一尺位で「肥後故臣參與横井平四郎墓」と刻まれていたが、門弟の竹崎律次郎(茶堂)と妻順子が明治七年二月、墓参の際に現在の如く改めた。朝廷より御下賜の墓所であり、その由来をここに記す。

 

 

とあります。また、もうひとつ石碑があり、大正九年に有志によって認められた碑文に「先生の軆魄の天授庵内に蔵するを知るもの稀に偉人永眠の地をして空く不明に委せしむるに忍びず」とあり、小楠の遺体はここに埋葬されているのに、それを知っている人はけだし稀であるのは忍びない(から石碑を建てることにした)としています。ただし、石碑は当時のものではなく、近年新たに作り直されたもののようですが。

 

 

そして・・・なのですが、実は今回天授庵を訪れた一番の目的が、この横井小楠の墓にお参りすることでした。そして、天授庵に小楠の墓があるというのは、実は横井小楠のウィキペディアを見て最近気づいたことなのです。

 

 

・・・・・・が、横井小楠のウィキペディアに「横井小楠之墓、南禅寺天授庵、京都市左京区」として掲載されているお墓、どうも別人のもののようなのです。

 

 

ウィキペディアの画像を拡大して墓碑を見てみると「横井永堂翁之墓」とあるのですが、天授庵の横井家墓所にこのお墓はなかったと思います。小楠が永堂と名乗ったという話も今のところ記録を見つけることが出来ないし、少なくとも天授庵の横井小楠の墓ではないことは間違いないと思います。

 

 

あるいは霊山墓地その他、別なところにある墓なのかも知れませんが、今のところは何とも言えません。