またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

今朝、家を出た時には既に雪がちらついていましたが、蹴上駅で下りていつものように東山界隈を歩いていると結構すごいことになりました。

 

 

 

 

 

 

こんな天気なのに手袋さえ持たず・・・(笑)。風邪をひかないよう、今は部屋で暖房ガンガンかけてます。・・・といっても暖房の暖かさをあんまり好まないので24.5度に設定しています。

 

 

 

 

 

今朝の風景。御池大橋から北を見たところ。コサギらしき集団が鴨川の中で丸くなって固まっています。鳥も寒いんでしょう。丹波山地も雪曇りですっかりその姿を隠してしまっています。

 

 

今はだいぶ晴れてきましたが、朝8時頃に家を出た時は雪が降っていました。京都の市街地は山から冷たい風が吹き下ろしてくるので思いのほか寒いです。

 

 

ここ数日、「ブログを書く」をクリックするたびにログイン画面になります。こちらのパソコンの調子が悪いのかも知れませんが、やる気を削がれてなりません。いまNOTEの方に下書き中ですが、あちらは至って快適です。・・・なんだかなぁ。

 

 

ちなみにNOTEは、これまでフォロー中の人の記事が個別に表示されず、ひとまとめに表示されていたので探すのが面倒くさかったのですが、改善されたようで、今朝見たら「フォロー中」一覧の上におひと方ずつ最新記事が表示されるようになっていました。

 

 

アメーバのおみくじがないようなので、ネット検索してみたら所澤神明社という神社が「ウェブおもくじ」なるものをやっていたので引いてみました。

 

 

 

 

やった!大吉!

 

 

・・・って今日の運勢かい!!

 

 

もう寝るんですけど!!!

 

 

もう11時過ぎて、布団敷いて寝るだけなんですけど!!!

 

 

・・・せめて今週の運勢にしてほしかった。でも、まあいいか。今年初のおみくじは大吉ということで。

 

 

それではおやすみなさい。

 

 

この話は過去にブログで触れたかも知れないし、すでに他の方が指摘されているかも知れないのですが、僕なりに考えたことを書き留めておこうと思います。

 

 

新選組隊士にして谷三兄弟の次男・万太郎の有名な写真があります。慶応二年(1866)に京都祇園の大坂屋こと堀与兵衛の写真館にて撮影されたものとされています。谷万太郎は天保六年(1835)生まれ(※)というので、この時かぞえ年で32歳ということになりますが・・・

 

 

 

 

 

若すぎじゃね

 

 

 

 

初めてこの写真を見た時からずっとそう思ってました。32歳にしては若すぎる気がしてなりません。僕にはどうしても高校生ぐらいの少年に見えます。ちなみに新選組局長の近藤勇は天保五年(1834)生まれなので万太郎とは一つしか違いません。

 

 

(近藤勇)

 

 

 

ちなみに、近藤勇の写真も台座の市松模様風のデザイン等から慶応二年頃に大坂屋与兵衛の写真館で撮影された説が有力です。もうひとつちなみに、土佐の中岡慎太郎も同年の十一月二十四日に大坂屋与兵衛のもとで写真を撮影しています。

 

 

(中岡慎太郎)

 

 

 

中岡慎太郎は天保九年(1838)生まれなので万太郎より3歳年下ですが、万太郎と慎太郎と、見比べてみてどちらが若く見えるかと問われたら、たぶんほとんどの人が万太郎と答えるのではないでしょうか。

 

 

というわけで、身勝手な推測ではありますが常々思っていたことを言います。この「谷万太郎」写真、実は万太郎ではなく弟の周平なんじゃないでしょうか。

 

 

この人物が谷(近藤)周平だとすると、いろいろな点で納得がいきます。まず、周平は嘉永元年(1848)生まれなので、慶応二年当時かぞえで19歳、まさに写真の見た目どおりではありませんか。

 

 

それになぜ写真を撮ったのか、撮る必要があったのかというと、それは近藤勇との養子縁組の記念に撮ったと説明がつきます。禁門の変の「どんどん焼け」の大混乱が収束をみた頃合いをみて写真を撮ろうということになったのでしょう。当然、近藤勇と一緒に撮影に行ったと思われます。つまり、未だ未発見の「二人並んで撮った写真」や「三十郎を加え三人で撮った写真」が存在する可能性があるということになります。おそらくそれらのうちの一枚は近藤の手から養父周斎へと送られたはずです。

 

 

そして長兄の三十郎が死んだ後、万太郎が「兄が持っていた大事な弟の写真」を引き取って保管していたとしても、それは必然的なことだと思われますし、万太郎が40歳の時に生まれた息子の弁太郎が父の遺品の中から出て来たこの写真を見て「お父さんの若い頃だ」と思い違いしたとしても不思議ではありません。なにしろ万太郎と周平は実の兄弟なのです。仮に瓜二つだったとしても全然おかしくありません。

 

 

重ねて言いますが、これはあくまで僕の推測であって何ら証拠がある話ではありません。たとえば「万太郎は生前、息子に一度もこの写真を見せなかった」という、かなり無理がある前提に立たねば成立しない話であるのが正直なところですが、僕にはどうしてもこの写真が当時30代の万太郎だとは思えないのです。

 

 

 

 

 

 

※.『新選組銘々伝 第一巻』(新人物往来社)「谷万太郎 ー槍の名手 大坂にあり)」(新堀通子)参照

 

 

今朝、蹴上にある古い食堂の看板の上に鳥がいるのを見つけました。

 

 

 

 

なんだか真ん丸です。小鳥と呼ぶにはあまりの百貫でぶ。こんな鳥初めてみました。アップにすると

 

 

 

 

 

体色だけ見るとカワセミみたいでしたが、カワセミだとしたら、いったい何食ったらこんなに丸くなるのか。・・・まあ、カワセミじゃないんでしょうけど。

 

 

ワザと驚かせて飛べるかどうか試してみればよかったと今はげしく後悔しています(笑)。

 

 

飛べないだろうなぁ、たぶん。

 

 

 

 

昨年の十月ごろだったか、何年ぶりかに阿部十郎(維新後は隆明。新選組~御陵衛士~赤報隊)のウィキペディアを見たらこんな写真が掲載されていました。

 

 

 

 

 

恥ずかしながら、こんな鮮明な写真が見つかっていたなんて知りませんでした。ちなみに、これまでに知られていたのは、こんな不鮮明は写真でした。

 

 

 

 

 

不鮮明ではありますが、同一人物であるのはわかりますね。

 

 

さて鮮明な方の写真ですが、調べてみると明治三十一年(1898)に明治館より出版された『明治肖像録』という肖像写真集に掲載されているものでした。明治館というのは東京市神田区西小川二丁目(現在の千代田区神田小川町2丁目)にあった写真館だったようです。

 

 

そして、この『明治肖像録』ですが、序文に「我が館の檄を天下に馳せ、博(ひろ)く当代諸士の映像を乞うて明治肖像録を編する」とあります。つまり阿部は何らかの方法で東京の明治館が肖像写真集を作るために写真を募集していることを知り、自ら肖像写真を送ったのだと思われます。

 

 

当時阿部は北海道札幌で果樹園を経営していました。阿部の家は札幌市の「南六条西四丁目ススキノ裏、水原畑へ行く途中右側」にあったといいます。ちなみに「水原畑」というのは水原寅蔵によって開かれた日本初のりんご園・水原果樹園のことで、現在の中島公園内にあったといいます。阿部の家はすすきのと中島公園の中間あたりにあったことになるでしょうか。

 

 

阿部は自らもりんご栽培に精進し、「蝦夷錦(阿部七号)」や「満紅」といった品種を開発するなど道内でも指折りの栽培者だったようですが、この『明治肖像録』が出版された翌年、明治三十二年(1899)に北海道に築いた財産や人脈をすべて整理して東京に出て来たようです。翌明治三十三年三月十七日に史談会に出席した際に「病中でございまして息が続きませぬので、時々休みませぬと申し上げかねますから、どうぞその思し召しで」と述べ前年に東京に出て来た旨を説明しています。

 


既に齢六十を過ぎた病気の身で、どうして東京に出て来なければならなかったのか、その理由は本人のみぞ知るということになるのかも知れませんが、どうしても東京に出て来なければならない理由があったとして、その決心をつけるのにこの写真が『明治肖像録』に掲載されたことが彼の背中を押したのかも知れません。

 

 

案外、斎藤一を探し出して決着をつけてやろうとか、本気で思ってたりしてね。

 

 

 

 

実は先日セールスの訪問があったのがきっかけで生協の宅配を利用することにしました。そんなにたくさん買わないので割高になってしまう可能性はありますが、銀行引き落としでまとめて支払えるし、いいかなと。

 

 

で、カタログをもらったのですが、すごく量が多くて見切れません(笑)。

 

 

申込み方法もイマイチわかりづらい。毎週とか半月に一度とか、何パターンかあるみたいです。ひょっとしたら初回だからまだ申し込めないのかな(一品だけあらかじめ購入する品を決めてあります)?

 

 

なにやら会員番号的なものがあるのですが、まだ正会員ではないということなのか、もらった用紙には番号が書いてないんですよね。やっぱり次回からなのかな・・・。明日もう一度見直してみます。

今年はおみくじないのかな?先月から投稿ネタの画面にちゃんと切り替わるようになったので、ちょっと楽しみにしてたんですけどね。

 

 

なので、代わりにというわけではありませんが「新年の抱負」を。まあ去年の年末に少し体を壊したので、今年はとにかく元気に過ごしたいですね。それが一番。あとアメブロの投稿回数を増やすことと、NOTEに投稿すること。結局最初に一度投稿したっきりなんですよね(笑)。

 

 

で、この「新年の抱負」いつもみたいにイラストとか付いてないんだね・・・。

覚えてるうちに書いときます。僕は大型トラックの運転手でした。車を何台も積めるような・・・カーゴトラックっていうんですかね。

 

 

で、助手として若い男性(ギャンブルで借金を抱えてこの仕事にw)と “オッチャン“ と呼ばれている老人がいました。

 

 

そして大きな貨物船にトラックごと乗り込み、船員の指示で固定具みたいなものにタイヤを乗せて車を停めたあと、寝泊まりすることになる船室に案内されました。客船ではないので粗末なつくりの十畳ぐらいの部屋でしたが、先客がいて10人ぐらいの外国人の集団でした。が、僕らと入れ替わりでみんな下船して行きました。

 

 

あ、密入国で不法就労でもするんだなと思いましたが、まあこれで部屋も広くなったと良しとして、これからの何日間にも及ぶであろう、波に揺られての長旅に思い巡らせるといった内容の夢でした。

 

 

決してイヤな夢ではなかったし、むしろ楽しい夢だったのですが、目が覚めてから思い返してみるとトラックも貨物船も、船室の壁もみんな真っ白だったんですよね。白づくめで旅立ち???

 

 

 

縁起わるっ!!

 

 

 

 

・・・とりあえずギャンブル好きの若者と “オッチャン“ にだけは巡り会わないよう気をつけます。

 

 

 

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新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 

 

今日もいつもと変わらず朝の散歩をしてきましたが、夜通し飲んでたのか若者のグループがあちこちで大声だして騒いでました。いいねぇ若いって(笑)。

 

 

近畿地方は今夜から大雪の可能性があるそうです。今のところ降っている様子はありませんが、さてどうなりますやら。あんまり積もるようなら散歩はあきらめなければならないでしょうが、雪景色を久しぶりに見たいから出かけてしまうかも知れません。その時は転倒しないように気をつけます。

 

 

などと思いつくままに書いてしまいました。何しろ平々凡々な毎日です。こんな感じですが、今年もよろしくお願いいたします。

 

 

令和八年 / 2026年元旦

 

 またしち