私が覚えている過去世の一つで、「村の為に人柱になれ(ドーン!)」と告げられた女性の代わりに、自分から手上げして人柱になった過去世があります。
簡単に説明すると
『村の社のような場所に、おじさん数人と、娘さんを連れたご夫婦が集まり、私とその後ろに居るおじさん(私の面倒見てるような立場)が、それぞれ三か所に別れて立っています。
村の重鎮から、娘さんを人柱にしたい事が告げられます。
泣きながら崩れ落ちる父親。静かに涙を流す母親。娘さんは大人しそうだけど気丈でした。この状況を見て既に腹くくってたんだと思います。
その様子を見て、私=水邑が行くと自分から告げました。
(本当は、一番大事なものを差し出すのが良いので、村長みたいな人などが行くのが一番ふさわしいんだけど、そうすると村が混乱しますから、重要な役割のおじさん達を出すわけに行きませんよね。男衆は働き手として減らしたくない。どうしてもそういう理屈で選出は理不尽にも女子供になるのでしょう。)
ご家族も気の毒だったけれど、それ以上に、若いこれから子供をたくさん産むその娘さんが生きている事が村への大きな貢献になるし、ぜひそうして生きて欲しく、命を繋げて欲しいと思ったし、『世界の効率的』な観点から名乗り出たのです。
そうしたら、父親の方が、「よかったーうちの子は生きられるんだーうぉぉん」って言い出し、その話を思い出すと胸がモニョります(・へ・)』
っていう事があったんですよー(クールポコ)
この話すると、すぐ、自己犠牲ガー、いつまでもとらわれているンガーって言われる事があるんだけど、馬鹿にする意味じゃなくって、え?今?今そのかんじのスピリチュアル?って、大丈夫かなって気持ちになります。
そういうの随分昔に歩いていた場所に置いて、バイクで数百マイル走って来た感じの人が凄く多いと思うので。っていうかそういう風に既になってますよね、もう。
頭に微塵もそういう事がないっていうのを前提として話をさせて貰いますね
実は私、このブログを始めて以降に、この時の娘さんと現世で再会してるんです。
最初は解らなかったけども、だんだん断片的に解るような事柄があって、解ったのですが。
(大切な存在だと家族を思って居られますけれど)今の人生でもそんなに強く私みたいに子供が欲しい!絶対!って思ってた訳じゃないそうなんです。自然にお子が出来、家族が増えたみたいな。
人それぞれ、幸せに思う事も違えば、人生の目的が違うのも当たり前で、現代ってそういう風に、生き方や趣味嗜好を選べる時代だと思います。
だからこそ人それぞれ違うって思えるし、他人の思いや、やり方、性別、色々なものを尊重しようと思う訳ですけれど
その人(過去世の娘さん)と話していて、そんな風に現代で人と過ごす上で当たり前にしている事を全く考えてなかったかもなぁと気が付きました。
人生の意味は、『生きる事』です。死ぬまで生きる事。
その間に、(私は望んでも出来ませんでしたし、自由意志ですが)ずっと続いていく転生の為、命を繋ぐっていう大切な事柄もあります。
ソレをする事と、生きて居られる事が、当たり前の幸せなのではないかと勝手に判断して、総合的にあの娘さんの変わりになった訳ですが
娘さんにとって、本当にそうだったか解らないなって。
平安時代から現代までの時間をかけて、今更気が付きました。
こういう時って笑ってしまうんですね。(当たり前が前に立ちはだかって見えづらかったとてもシンプルでそれこそ当たり前な真理に触れた時)
よくインドのスピリチュアルティーチャー系の方の眼の前に教えを得に行くと、「急に今まで解らなかった事が分かった」「なんだこんな事だったのか」と笑い出すような動画がありますが、あんな感じでした。
だからって言って、そんな場面で誰も選ばれちゃだめだし、死んじゃあだめなんですけどね
娘さんとは、よく人に話せないような事を話すのですが、その時のお礼に、ホッとドック買って貰う事になっています
(´・ω・`)高級なくコ:彡とかにすればよかった。
お仕事メニューは少し古くなってきているので、書き直していきますね今までの物ももちろんいつでもどうぞ。
それではまた~