朝露が既に乾きはじめていた。彼の巣は、その輝きを失っていた。

 自分がなぜ自らの巣を壊しているのかなど、彼は考えなかった。ただ彼は、輝きを失った巣をそのままにしておくことができなかったのである。
 
 すっかり巣を壊し終えた後、彼は少し考えた。そして、今彼が行った不可解な行動について、納得のいく説明を考え出した。すなわちそれは、「朝露が乾いて見えなくなってしまった網に、彼女が捕まってしまわないように」というものだった。そうして、彼は心の安定を得、葉陰に落ち着いて眠りだした。
 
 彼は空腹を全く感じていなかった。しかし、彼の体は、この先の彼の行動を予測してか、彼にできるだけ動かずに体力を維持するように働きかけた。
 
 彼はやすらかに眠った。


 彼は夢を見た。
 夢の中で彼は、新しい巣を作っていた。
 いや、それはもはや蜘蛛の巣ではなく、光輝く「美しい物」であった。
 それは、獲物を捕る役目を放棄していた。
 出来映えに満足した彼は、彼女がこれを見に来るのを待った。
 しかし、彼女は現れない。
 永遠とも思えるような時間を、彼は一瞬の時の流れのように感じていた。

 
 目が覚めると、既に夕方だった。
 
 彼は夢を見たことは覚えていたが、夢の中で自分が満足した巣は、どのような物だっかのか、そして、いつまでも現れない彼女を待つ間、自分がどんな気持ちだったのか、覚えていなかった。しかし、目覚めた今では、そのようなことはどうでも良い事だった。 
 
 葉陰からゆらりと出てみた。空は、既に半分夜を纏っており、明るい星が幾つか、姿を現していた。雲は少なく、良く晴れていた。
 
 彼は天気に満足した。このような日の翌朝は、朝露が彼の巣にたくさん張り付く。今までは単にいまいましいだけだった朝露を(しかし、喉が乾いた時などは重宝したが)、これほど自分が期待していることに、少々驚いた。
 それから彼は、適当な8つの青い葉を見つけ、夜に作るつもりの『巣』についての思いを巡らせた。

 陽が落ち、彼は8つの青い葉に糸を掛け始めた。
巧みに糸を繰り出し、いつものように彼は『巣』を作った。
 できあがったのは、いつも彼が作るものと変わらぬものであった。
 しかし、いつもと違うのは、彼がこれを「完成」と思わなかった点である。

 ・・・・後は日の出を待とう。
 そして彼は、このまま何も『巣』にかかるな、と願いながら、葉陰に移動し、夜明けを待った。

 待つ間、彼は夢で彼女が現れなかった事を思い出していた。
 もし、彼女が現れなかったら、この自分の行動に、どんな意味があるのだろう。
 
 意味?意味とは何だ?意味などあったのか?
 
 馬鹿げたことだ。蜘蛛が餌を採る目的ではなく『巣』を張る。意味のない事といって、これ以上の事があろうか。
 
 珍しい事だったが、彼は笑った。もしかしたら、生まれて初めて笑ったかもしれない。
 彼はしかし決して、この彼の行動をむなしく感じてはいなかった。むしろ、とても楽しんでいた。浮かれていた、と言ってもよかったかもしれない。それこそ、彼にとっては初めての事であった。

 東の空が、白々と明けだした。
 彼は、『巣』の状態を期待して見た。上出来だった。昨日の朝の状態と同じか、それ以上の朝露が、糸の一本一本を飾っていた。
 彼がその『巣』を吟味するように見つめていたとき、朝の光が彼の『巣』を照らした。
 
 一気に、全ての糸が輝きだし、彼の作品は完成した。
 
 彼は、昨日の朝に彼女が見たものを理解した。彼は、自分の作品を「美しい」と感じた。


 (つづく)