格差はなぜ健康を蝕むのか
不平等について語るとき、私たちはまず、所得や資産や生活水準の差を思い浮かべる。
だが、その差は単に「持てるもの」と「持てないもの」の違いとして外側に現れるだけではない。
格差は、身体の内側にも入り込み、人の健康そのものを蝕んでいく。
そしてさらに重要なのは、その影響が困窮した人だけにとどまらず、社会全体の健康のあり方にまで及ぶという点である。
このことを考えるうえで示唆的なのが、ロバート・サポルスキーの議論である。
サポルスキーは、健康を損なうのは単に「実際に貧しいこと」だけではなく、「自分が他者と比べて低い位置にいると感じること」でもあると述べている。言い換えれば、健康にとって重要なのは絶対的な所得の水準だけではなく、自分が社会の中でどの位置に置かれていると感じるか、どれほど不安定で、どれほど軽んじられ、どれほどコントロールを失っていると感じるかでもある。
ここで不平等は、経済指標の問題であるだけでなく、ストレス、慢性的緊張、無力感として身体に刻まれる問題になる。
この視点は、本考察で繰り返し論じてきた「数字以上の不平等」と深く響き合っている。
所得の差は、ただ使える金額の差ではない。それは、休めるかどうか、失敗しても立て直せるかどうか、将来を思い描けるかどうか、他者の前で自分を保てるかどうかといった、生の条件の差でもあった。
健康もまた、その生の条件に深く左右される。いつも急がされていること、裁量がないこと、先の見通しが立たないこと、自分の努力が報われる回路を信じにくいこと。こうした条件は、身体にとって単なる気分の問題ではない。それは高血圧、心血管疾患、免疫機能の低下、うつや不安のリスクの上昇といったかたちで現れうる。
ここで注目すべきなのは、格差が大きい社会では、最貧層だけでなく社会全体の健康が損なわれるという指摘である。
これは直感に反するようにも見える。だが、不平等が深い社会では、人々は互いを比較し、不安定さを感じ、信頼を失いやすくなる。地位不安、疎外感、慢性的ストレスは、特定の層だけに閉じ込められるわけではない。もちろんその打撃は下層において最も深刻に現れる。だが、その社会全体の空気、すなわち不安、競争、分断、孤立の濃さは、より広い範囲の健康をも蝕んでいく。
健康とは個人の体質だけで決まるものではなく、その人がどのような社会関係のなかで生きているかによっても決まるからである。
このことは、「健康格差」を自己責任として語ることの浅さを示している。
食生活に気をつけろ、運動しろ、ストレスを減らせ、そうした助言が無意味だというのではない。しかし、そもそもどれだけ休めるのか、どれだけ先を見通せるのか、どれだけ自分の生活を自分でコントロールできるのか、そうした条件が大きく異なる社会において、健康を個人の選択だけへ還元することはできない。
ジョセフ・スティグリッツが論じるように、市場や分配は自然法則ではなく、制度やルールによって形づくられている。もしそのルールが一部の者に有利に働き、多くの人に不安定さと従属を押しつけるなら、その社会は所得格差を生むだけでなく、健康格差をも再生産することになる。
この意味で、格差と健康の問題は、本考察で言う「可能性の剥奪」の身体的な現れとも言える。
人が未来を持てないこと、休めないこと、断れないこと、やり直せないこと、声を持ちにくいこと。そうした条件は、精神的な苦痛としてだけでなく、身体の疲弊としても現れる。格差は、人生の選択肢を狭めるだけでなく、その狭さを生きる身体そのものを傷つけるのである。
さらに考えるべきなのは、この問題が公共性とも深く結びついていることである。
健康を保つには、医療アクセスだけでは足りない。信頼できる関係、安心して相談できる場、過剰な不安にさらされすぎない生活、孤立しすぎない共同性が必要である。つまり健康は、個人の内部の問題である以上に、社会の公共的条件に依存している。不平等が深まるとき、人々は単に貧しくなるのではない。互いに支え合う条件を失い、比較と不安の中で身体をすり減らしていく。そのとき損なわれるのは、健康だけではなく、健康を支えていた公共世界そのものなのである。
だから、格差と健康の関係を考えることは、単なる医療政策の問題ではない。それは、不平等な社会がどのように人間の生を内側から壊していくのかを知るための重要な入口である。
格差は、家計の問題である前に、生活の条件の問題であり、その生活の条件はやがて身体の問題になる。そして身体に刻まれた不平等は、また次の不安や孤立を生み、社会全体の公共性をさらに痩せさせる。この循環を見ないかぎり、私たちはなお格差を、外側にある数字としてしか理解できないだろう。
不平等は、数字を歪めるだけではない。身体を蝕み、信頼を蝕み、社会の健康そのものを蝕む。だから格差の問題は、単なる分配の問題ではなく、人が人間として生きる条件の問題なのである。