北部タマレに行く前に首都アクラの薬局でどうしても買っておかなければいけなかったもの。
それはマラリアの治療薬。
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最新のお薬情報も聞きながら選んでもらったのは
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Coartem 80/480 NOTARTIS
一箱/1人分で1000円弱くらいにだったかな?
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マラリアはハマダラ蚊を媒介として、血液中にウイルスが入り、免疫力が弱っていると肝臓で繁殖して発症する病気です。
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ガーナ人にとっては身近な病気で、風邪のようなもの。ちゃんと薬を飲めば治ります。
でも免疫力の弱い乳幼児などは、命に関わるような病気。
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実は私達外国人にとってはガーナで発症するより日本で発症する方が怖いのです。
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日本の普通のお医者さんは慣れていないので風邪と診断して適切な治療が受けられないから。
専門の病院でないと検査も受けられません。
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実は大蔵は20年前、日本に帰国後にマラリアを発症して、死にかけました。
お医者さんにもあと半日治療が遅れていたら命が危なかったと言われたそうです。
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本人は日本に帰国したら完全にマラリアの事が頭から抜けて、風邪だと思って過ごしていたそうです。😅
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その時にスピリチュアルな世界の不思議な体験もしたそうですが、その事はまた別の機会にお話ししますね。
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ちなみに、私はガーナに6年住んでいましたが一度もマラリア発症した事はありませんでした。
ガーナに20年以上住んでいる、旅行会社の栃木さんも一度もかかった事がないそうです。
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私達、かかっても気がついていなかった説もありますが。😅
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それでも父の友人も、アフリカから帰国後マラリアで亡くなったこともあり、マラリアの怖さも充分に知っている私と夫。毎回ガーナに行くときはまず治療薬を購入して日本まで持ち帰っていました。
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今回もお守り代わりに購入しましたが、日本に帰国後2週間の潜伏期間も過ぎ、誰もマラリア発症しなかったので感謝です。
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最近、アフリカに行かれる若い方も増えて来ています。
20歳でガーナに留学した私としては、若い時にどんどん冒険してほしいけれど、命あってこそ。
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マラリア流行地域に行かれる方、まずは現地に入国したらマラリア治療薬をゲットして、できれば手荷物で日本まで持ち帰ってくださいね。

いよいよズオ村のあるガーナ第三都市、タマレへ向けて出発です。
国内線の飛行機もあるなか、我が家は陸路で向かう事にしました。
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途中の村々が変化していく様子だったり、自然の変化や気候の変化を肌で感じ取れるのも陸路移動ならでは。

ぼーっと景色をひたすら眺めながらいくのが、実は結構私にとっては大事な時間だったりするのです。
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朝6時に首都アクラを出発して早速直面したのが、
砂埃の道路とガタガタ道。
「あれっこんな道だったっけ?」という私たちにドライバーのロバートさんが説明してくれました。
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「ずーっと工事してるんだ。ガーナでは夕方になると工事している人も帰っちゃうから、工事がなかなか進まない。」
グワングワンと身体も揺さぶられながら、最初の工事の道を抜けました。

 

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首都アクラの気温は35度。
タマレに近づくにつれ、気温はどんどん上昇してきます。

窓際に座っていた長女は途中から一切しゃべらなくなりました。
疲れているだけかなと思ったらどうやら、熱中症気味。
車内はクーラーが効いていても、窓際から照り付ける太陽の光はやっぱり強烈だったみたい。

一番前のクーラーがよく届く助手席に変わったらちょっと復活。
それでも魂の抜けた顔をしながらずーっと眠っていました。

朝食やお昼休憩に立ち寄ったレストランでは食事も美味しくて、トイレもきれい。

安心していたら、途中に寄ったガソリンスタンドのトイレは、便座がなくて地面に小さな穴が空いているだけ。
次女は「どうやってしたらいいの?」と困り顔でしたが、なんとか切り抜けました。
別のガソリンスタンドではきれいなトイレだったので、場所によるみたいです。

娘たちは、暑さで食欲もなくばて気味。
この先大丈夫かな。

途中のガーナ第二の都市クマシを通過。
渋滞中の車と車の間を人が堂々と通り抜けるのに子供達はびっくり!
でも、このごちゃごちゃ感と活気がやっぱり「クマシ」の町だなあと思います。

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そして、炭を売っている村、パームオイルを売っている村などその村々の特産品が道路わきに並べられている風景に、なんだかほっとしました。

タマレに近づくにつれて夕方だというのに気温は40度近くに。
「もう娘たちも限界!」というところでやっとタマレに到着しました。

昔はレンタカーで8時間だった距離が、道路が工事中だったりでなんと12時間かかったのはちょっと誤算でした。

本当に娘たちも良く頑張ったと思います。
そして何よりも一番疲れているはずのドライバーのロバートさんに心から感謝。ありがとう。
明日はいよいよズオ村に向かいます。

 

【ガーナズオ村 前田家旅日記⑦ アクラレゴン編2】
大学のキャンパスでもう一人会いたかった友人マイク。
頭の良かった彼にいつも勉強を教えてもらっていまさした。卒業後、カナダに留学。
「いつか、ガーナの大学に戻って教えたい。
 給料が低いのはわかっているけれど、自分には使命があるんだ。
 そして、いつかクワメ・エンクルマのような政治家になり、国に貢献したい。」
そう熱く語っていました。
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8年前のガーナ訪問時、国内線の機内で目にした新聞に、政治家として活躍するマイクの写真が大きく載っていたんです。当時、政策アドバイザーもしていた彼に少しの時間会うことができました。

8年後の今回、政権交代でマイクは今度は政治の舞台ではなく、ガーナ大学でアフリカの政治を教えていました。

学生の頃の夢、全部叶えてるじゃん!
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「政権交代したらまた政治の世界に戻る。僕の授業はリアルな政治の世界と学問の世界を両方語れるから、生徒に人気なんだ。」

8年前に会った時のマイクからは、気の張ったピリピリとしたエネルギーを感じたけれど、今回のマイクはとてもリラックスしていて本当に教えるのが楽しそう。
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「今のマイクの方が人生を楽しんでいるように見えるよ!」と伝えると

「生徒に教えるのは本当に楽しい。多分天職だと思う。
でも、政治の世界と、先生という両方の世界を行き来するのを自分は楽しんでいるんだ。政治の世界は、本当にストレスフルで大変だけれどね。」
と伝えてくれました。

きっとマイクにとってはこの地球での使命があるんだろうな。

ふと夫がマイクに聞きました。
「日本ではガーナのカカオ農園で働く子供達の話が児童労働として中学校の教科書に取り上げられているけれど、そのことについてどう思う?」
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マイクは答えました。
「児童労働っていう概念は、西洋側からみた価値観だと僕は思う。
自分も小さい頃家が貧しくて、路上でケンケ(ガーナの食べ物)などを売っていたけれど、そこには学びと成長があった。」
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マイクの育った家庭は裕福ではなく、児童労働と言われることをやっていた本人。
そんな彼の言葉には、考えさせられるものがありました。
社会の教科書でガーナの児童労働のことを学んだばかりの、中2の娘も、教科書に書いてあることが全てではないということを知ってもらえたかな。
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部屋には、ネルソン・マンデラの本や、ガーナの独立の父、クワメエンクルマ初代大統領の本が沢山。

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英語も分からず、「この写真の人は誰やねん!」という認識の娘たちは、私のつたない翻訳でクワメ・エンクルマについての講義をマイクから受けることになりました。
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動画でその様子をご覧ください。(笑)

正直、今回連絡先もわからなかったので、アポなしで会えるか運は天まかせ。偶然が重なって会うことができました。

なんと3週間位前に、マイクも私に連絡とりたいなと数年ぶりにメールアドレスを探したそう。

同じ時期にお互いにメールアドレス探していて見つからなかったという。(笑)
でも、やっぱり会いたい人には会えるのがガーナなんです。

さて、いよいよ陸路で12時間かけてズオ村のある北部タマレの町まで向かいます。
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