2020年8月15日に思う   | 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める

デジタル空手武道通信38号 編集後記

 今年も8月15日の終戦記念日を迎えた(私は終戦記念日という呼び方に疑義があるのでできれば使いたくない)。未だ新型コロナウイルスの感染拡大が収束しない。この先、どのくらいで収束するかもわからない(おそらく完全な感染の終息はないだろう)。大変な情況だが、戦時下の人達は、もっと過酷な情況だったに違いない。改めて先人に感謝したい。

 振り返れば、今年は心機一転、頑張るつもりであった。新年はその準備で追われていた。ところが2月の終わり頃からか、新型コロナウイルスの問題が耳に入ってきた。どうなることかと見守っていたが、あれよあれよという間に、小さな「火」が燃え広がるような状況になった。新型コロナウイルスの感染を「火」に例えるのは下手な例えかもしれない。だが、もし新型コロナウイルスへの感染を「火」とすれば、果たして完全な消火(感染拡大の抑止)はできるのだろうか。 結局は、火が大きくなったときの消化方法を確立し、かつ、一人ひとりが「防火」に気をつける他ないだろう、と私は思っている。問題は、気をつけていても自然発火的に「火」が起こり、そして大きくなる状況だろう。そのような状況にならないようにすること。また、そうなった時、消火をどのようにするかが問題である。現在は、異常に火の拡大を恐れているような情況だろう。しかしながら、一体、いつまで「火」を異常に怖れることが続くのだろうか。もちろん、新型コロナウイルスは怖れなければならないことは確かだ。しかし、安心、安全の確保の仕方がこのままで良いのだろうか。一刻も早いワクチンなど、効果的な対策を望んでいる。また、私自身としては、「火」に対する防御力を強化し、かつ、「火」に気をつけることが重要だと考えている。そして、「畏れ」「慎重」という原点に戻り、できることを継続して行くことしかない(私は慎重な性格ではない…)。ここから先は医療関係者や政府、メデイアなど、知的発信力、そして権力のある人たちが啓蒙しなければならない。  

 さて、私は、1日も早い新型コロナ問題の収束を願っているが、同時に今できることを考える際に、今までできなかったことを選択肢に加えたい。今、これまで目標が明確だった人達(目標がレール上にあった人達)は、不安な日々を送っているだろう。そんな中、自分を信じ、かつ明日を信じて、懸命に頑張っているに違いない。おそらく、一般的な人達は本能的に現状維持を望む気持ちが強いと思う。先行き不安なときには、その性質が露呈する。当然、私も現状維持をしたい。だが、そもそも現状維持はできないと直感している私は、先に述べたように、これまでと違ったことに挑戦したいと考えている。もちろん、それを周りが望まないことは理解している。だが、私はこれまでのものを破壊するのではない。ただ、これまでと同じことが困難だとしたら、ひとまず保留しても良いと思っているのだ。その上で、異なるアプローチを試みるのも悪くないと思っている。いずれは、新型コロナ問題も収束するに違いない。その時、これまでと全く異なる世界が誕生するとまでは、私は考えてはいない。しかし、その時に一歩進んだ形で、伝統を引き継ぐことをイメージしている。ゆえに密かに行ってきた古典の研究、原点回帰の成果を速やかに表したい。その意義は、武道の源流を辿り、その形を取り戻すことである。その結果、その形が、より善い発展形であることを願っている。

 

追記
「火」の例えはダメだな。なぜなら「火」は見えるが、新型コロナウィルスは見えない。見えないものに対応するのは、極めて困難だ。ゆえに、なんとかして「見える化」することが重要かもしれない。そういう点では、韓国の新型コロナ対応は有効かもしれない。数字が結果を表している。(ただし、現在、気の緩みか、感染拡大が再発しているようだ)。
 一方、我が国では政府が個人情報を管理することを問題視し、韓国のような対応を実施していない。にも関わらず、我が国は政府、国民共に良くやっている、と思う。