ギフト | 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
ギフト

本日の早朝、フランスチームが帰国した。これで、第1回フリースタイル空手チャンピオンシップ,東京オープンをようやく終えた感がする。

しばらく休息したいが、残務処理があるので、その望みも叶わない。

また、色々と問題が山積している。今後も、大会前と同様、粛々とそれらの処理をしなければならない。

そんな中、大会を観戦した、長年の友人から電話があった。彼は私と同じ年、高校、大学と松濤館の空手部だった奴だ。

前回のブログで、「空手は金的蹴りと目突きだと俺は教わった・・・云々」と言った奴だ。

彼が開口一番、謝ってきた。「増田、すまん」「俺は恥ずかしい」と。私は何を言っているのだろうと思ったが、黙って聞いていた。

すると、「お前の大会を見てから、昔の稽古日誌を見た」という。すると、彼の高校に指導にきていた、故久保田紹山先生の教えに「空手に先手なし」と言うのがあったという。お前は、「空手は相手の急所を攻撃し、勝つと言うようなものではなく、あくまで後の先を基本とし、相手を制圧するもの」だと言った。それは久保田先生に教わったことと同じだったと言う。

私は、「そうか、分かってくれたか」「あのな、自分から手を出せば、暴力になるんだ」「だから、空手家や武道家は自分から手を出してはいけない」「絶えず、後の先で、なるべく相手を傷つけずに制圧する」「そのような技術を磨くのが、武道なんだ」「少なくとも俺の空手武道はそういうものだ」と答えた。補足すれば、フリースタイル空手はそのような空手武道を学ぶための手段である。

昔から彼とは、喧嘩はしないが、たびたび意見の相違が見られた。だが今回は、素直に聞いてくれた。彼は、「本当にお前の言う通りだと思う」「俺は久保田先生を非常に尊敬していた」「その教えとお前の教えは同じだ」という。

私は久保田先生のことを知らなかったが、とてもうれしかった。私の体得した空手武道は、「先手無し」と言っても良い。それは、大山倍達先生の考えと違うと言われるかもしれない。しかし、不遜だが、私の考えを大山先生は納得すると思う。生きていれば・・・。

空手武道は、絶対に暴力になってはいけない。そして、暴力と武力とを分つ、最初の基準は、先制攻撃をするか否かであると思っている。但し、戦いには速さ(神速)が必要である。ゆえに相手と一体化する能力と技術が必要なのだ。さらに相手の戦闘力を奪うために、相手の損傷を最小限に止める意識があるかどうかが、第二の基準に加わる。
この考えに異論がある方もいるかもしれない。しかし討論する気はない。

彼は現在、某業種のお店を経営する経営者だ。「お前はビジネスに関しては無知のようだが、大会をやるなら資金が必要だろう」「お前もビジネスを考えろ」と言う。彼は、ビジネスを通じて私を支援したいという。
これまで、30年近く、そんなことを持ちかけてきたことはなかったが、どういう風の吹き回しだろう。

正直言って、私にはビジネスをやる気はない。ゆえに「ありがとう、気持ちは本当にうれしいよ」ととりあえずは答えた。私は、金にもならないフリースタイル空手プロジェクトを何としてでも形にしたいと思っている。なぜなら、フリースタイル空手は必ず人と社会に貢献する、文化的公共財になると信じているから。また、ここであきらめたら、これまでの苦労が水の泡になるとも思っている。

一方、みんなが面白くないと言うなら、撤退も止むを得ないとも思っている。これまでは、多くの人がフリースタイル空手プロジェクトに懐疑的だった。非常に残念だ。私は時々、売れない画家に自分を例える。この先も、私の絵は売れないのだろうか。

でも、30年来の友人が、お前を支援したいと初めて言ってきた。
その気持ちだけでうれしい。それは、ちょっとしたギフトのようなものだと思っている。ありがとう。

また、1年間、ほとんど会うことのなかった友人、知人達が私の夢に力を貸してくれた。本当に多くのギフトをいただき、天に感謝したい。

また、その感謝を子供達に繋げるためにも、フリースタイル空手を完成させなければならない。まだみんなには、完成形が見えていないようだが、私には鮮明に見える。

正直、私の描く絵は本当に良いものだと自負がある。さらにその絵を理解できないのは、皆に眼がないのだとも思っている。そんなことを言ったら、増々、孤立するだろう。
また、あえて言っておく。私の絵は群を抜いている。