~第1回フリースタイル空手チャンピオンシップ,東京オープン
第1回フリースタイル空手チャンピオンシップ,東京オープンが終了した。
選手、関係者の皆さんに感謝する。今回も多くの人のご厚情に助けられた。しかし、大きな夢の実現のためには、まだまだ人手が足りないのが現状だ。
選手時代、数々の修羅場をくぐり抜けてきた私だが、今回は身体を悪くした。
病院に行き、薬を飲んで体調を維持している。
しかし、毎日のように酔っぱらいながら海外選手の対応をしてくれている荻野審判長の献身が私の心身を癒してくれる。また、選手からの「楽しかった」というフィードバックも疲弊した心身に気力を与えてくれる。
大会後は、海外選手が日本に滞在している関係上、大会結果の告知や残務処理が遅れた。海外の選手が帰国する来週の月曜日頃から、残務処理を急ぎたい。
さて、今回の大会の総評は、フリースタイルルールが完全に機能することを確認できた。同時に、何を修正、強化しなければならないかが鮮明になった。
簡単に述べれば、主審がルールを完全に把握することだ。それには、判定のケーススタディを増やし、審判育成のシステムを確立しなければならない(既に準備はしてある)。そして審判は、司法試験に合格した者のように完全に法規(ルール)を体得した者としたい。勿論、今回の主審も、1年間準備と訓練をしてきた人間である。他の競技と比較しても、そんなにミスジャッジが多かったとは思わない。また、本来、フリースタイル空手のルールはシンプルである。周知されれば、おそらく問題ないはずだ。今後、ルールブックと試合映像が発表されれば、誰でも分かるようになるだろう。
すべては、ルールが審判のみならず、選手、観客に対し、周知されていないと言うことだ。今回もルールの細かい修正を行う予定だ(ヤスリで磨きをかける程度だが)。それを、皆に周知させなければならない。それを周知させられないのは、人手が足りないからだ。
しかし、荻野,池本審判委員を始め、大森審議委員等、協力な助っ人が加わった。今後、審判委員会を機能させる。
また、ルールブックの製本化、DVDの製作と配布によって、フリースタイル空手ルールの周知を目指したい。また、大会における試合の感想については、DVDの完成後、少しずつ行う予定である。
【試合の感想】
少しだけ試合について述べる。私は、フリースタイル空手は、極真空手草創期の大山道場の組手に近いのではないかと思っている。更に云えば、大山先生の組手に近い。
現在の極真空手は、大山先生が時代の要請を容認し、形成されたものであろう。その中には、極真独自のすばらしい技が多くある。
しかし、時代は移り変わる。大山空手が誕生した40数年前は、フルコンタクトということでさえ、常軌を逸していると見られた。ところが現在では、極真空手が禁じている突きによる頭部打撃のみならず、寝技、関節技も使用可能な格闘競技が誕生している。
そのような中、従来のフルコンスタイルより、フリースタイルの方が時代の要請に合っているのではないかと考えている。
見方を変えれば、突き蹴りのみならず、組技を認めた組手法は古典的な空手のスタイルだ。
しかし、その方が護身術という空手の本質的要素を表現すると私は考えている。そして、新しい・・・・。
つまり、「相手が掴んできたら」「相手が組んできたら」「相手が足を取ってきたら」等々、格闘技として基本的な状況をどのように解決するかが今、空手に求められていると思う(勿論、頭部打撃もある)。
そのような状況の中、私には、「空手は突きで一撃必殺を目指す」と言うようなステレオタイプなイメージ先行の考えはない。
今回、私の友人で伝統派の空手を高校、大学でやった人間の言ったことを引用する。
私の友人が言った。「俺は、先生に空手とは金的と目突きだと教わった」「伝統派もそうだが、フルコン、フリースタイルも含め、俺には分からん」と。また、「感動がない」と。「感動はぼろぼろになって戦う姿にあると」
正直言いって、点数制を知らなかった故なのか、全く分かっていないという感が否めなかった(もちろん、友人の率直な感想であり、丁寧に御礼を言い、聞いたが)。
まず、金的と目突きは、相手がその使用を分かっているのなら、顔面パンチとローキックの防御の延長戦にあるものだと言うことである。
つまり、顔面の防御とローキックの防御の巧みなものには、簡単に防御、反撃を許すに違いない。また、目突きや金的蹴り等の急所(人間の最も弱いところ)を攻撃するとは、だまし討ち、不意打ちによって攻撃すると言うのが、正しい(?)使い方だと考える。ここで言う、騙し討ちは、不意打ちは、競技の中にあるその要素とは次元を異にする。例えるならば、「寝首を掻く」と言う方に近い。私は、そんな次元を空手道や武道とは言わない。
次に、ぼろぼろになって戦う姿に感動があるということだが、確かにそのような姿には感動する。しかし、フリースタイル空手の醍醐味は、「一瞬の隙が、相手にバランスを奪われ、決められる(フリースタイル空手では、倒され、残心、止めを決められること)ということ」。また、「打撃技のダメージで戦闘力を一瞬にして奪われること」、そのような緊張感の中で技術の応酬が見られることである。
そのような状況における感動とは、真に選手達が全知全能をフルに使い技を表現し、創造すると言うことである。
そういう意味で、円心空手の倒し技はすばらしかった。私の弟子の秋吉栄史郎と円心会館の水木重静選手の戦いは,一瞬の油断が負けに繋がった。
但し、今回は、円心会館に対する研究不足である。私が掴みを積極的に教えなかったのは、現在の極真空手愛好者には嫌がられると思ったから。また、3秒以内では、柔道技は、私には効かないと自分を基準に判断したからだ。しかし、今回を機に掴み技を教えなければならない。
円心空手、円心会館とは、極真空手の先達の一人、二宮城光館長が開いた流派である。私は二宮館長を尊敬する一人である。二宮館長は、大道塾の東塾長同様、柔道出身で、実力では最高レベルの極真空手家だ。
私は、極真空手の先輩に以上のような先輩がいてくれて本当にうれしい(先輩なんて馴れ馴れしいが・・・)。
また、芦原先生、そして大山道場の先達の先生方、極真空手の原点が見られたような気がした。
私の目標は、フリースタイル空手という新しい武道スポーツを通じて、世界中の個性的ですばらしい空手家、格闘家等と技の交流を行いたいということだ。また、互いの技を融合させ、個性的ですばらしい技を創造していける新しい武道を創出するのが私の夢だ。
ちなみに、円心空手の技は、柔道で言えば、支え釣込み足の応用であるが、フリースタイル空手では、円心、或は二宮館長の名前を冠し、組手型化したい。
勿論、二宮館長が許せばだが(このような皆が創造し、有効だと認められる技は、組手型化すると言うのもフリースタイル空手プロジェクトと新しい武道のあり方の一つである)。
最後に、私は、先述したような、多様な格闘家と技術の交流を実現することが、斯界(空手や武道)の発展に必ず寄与すると信じている。
まだまだ、書き足りないが、残務を終え、身体を直してから、次の展開を報告したい。

