「ハイブリッド?」〜熊久保氏の言葉 | 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
フリースタイル空手日誌10-11

「ハイブリッド?」~熊久保氏の言葉

今日は、10月28日の大会に関するファイト&ライフの取材があった。
担当は、長年の友人、熊久保さんだ。

彼とは、空手の取材を通じて20数年の付き合いになるだろうか。

時間は1時間程しかなかったが、熊久保さんは、私から見事に要点を引き出し、取材を終えた。さすがである。

詳しい内容は、今月末のファイト&ライフをご覧いただきたいが、大会に向けての心構えを再認識できた。


熊久保さんは大会の見所を尋ねてきた。
私が考える見所は、極真空手、円心空手、キックボクシング、シュートボクシング、総合格闘技等、拳正道など、異なるスタイル、流派の選手がフリースタイル空手ルールで試合をすることだ。

空手の世界では異端の私だが、多くの人が協力してくれた。今回は、荻野審判長が田中塾の総合格闘技の選手、また、大森審議委員がシュートボクシングの選手、フイットネスショップの宇井さんが、パンクラスのアマチュアチャンピオンを紹介してくれた。さらに、円心会館の二宮城光館長も強い選手を一人出場させてくれた。

本当に有り難い。また試合観戦を楽しみにしている。
勿論、観客のそれとは異なる。私の観戦は、フリースタイル空手という新しい格闘技スポーツが成立するかどうかを見届けたい。言い換えれば、10月の大会は、空手の理想を目指し考案した、TSルールが機能するかどうかの実験でもある。


取材を終えて、熊久保さんが、「空手は負けるんじゃないか」とつぶやいた。また、「負けて、そこからがスタートだ」と言うようなことをいったように思う。

私は、「そうではないんです」と答えた。私は、熊久保さんが語ったことの意味が分かっているつもりだ。確かにそのような見方もできる。しかし、あえて空手家の誤解を招かないように言っておく。

フリースタイル空手は、異種格闘技戦ではない。フリースタイル空手とは、多様な流派が、それらの特異な技を交流させ、新しい技を創造する。また、異種のものと交流することで、自己を進化させていく。そのようなことを目指す競技の名称が、フリースタイル空手である。

熊久保さんは、「ハイブリットですね」と言う。確かにそういう言い方が分かり易いかもしれない。

つまり、打撃技と組み技、これまで融合が不可能と思われてきたものが、フリースタイル空手ルール(TSルール)で融合が可能となる。さらに、異種のものが融合され、掛け合わされることで、技術並びに格闘技者の性能が飛躍的に向上する。


ここで少々、選手に伝えたいことがある。フリースタイル空手で勝利するには、打撃技を封じるような、異種の格闘技術(掴みや掛けを含む組み合いの技術)の理解並びに修練が重要になって来る。

しかし、決して皮相的な技術に惑わされないで欲しい。より重要なのは、従来のように技術を分割・限定して、磨くという基本である。また、その基本を磨くための演習としての競技がある。

つまり、我々格闘技者が基本としなければならないことは、試合に勝つための戦法ではない。如何に優れた戦法も、相手の格闘技術が変われば、使えなくなる可能性もある。しかし、単技(ひとつ一つの技)の破壊力は、どんな時も格闘の基礎となる。また、そういう基本・基礎がなければ、結局は多様な相手に勝つことはできないだろう。

一方で、基本ばかり修練していても、格闘技は極められないというのが私の考えだ。やはり、他者とのコミュニケーションがなければ、格闘技に必要な身体(心身)はできない。口ではなんとでも言える。重要なのは、仮説を試す経験であり、その検証を通じて、始めてその人間が真に向上する。

要するに、ここで言う他者とのコミュニケーションとその能力に当たるものが、「破壊力のある基本技を想定した中で、如何にそれらを防御、また反撃できるか」の能力である。
つまり、「自己が傷つくことを前提に、如何にダメージを少なくしていくか」さらに、相手に対し「如何に自分の存在を尊重させるか」とも言い換えられる。また、それが究極のコミュニケーション能力ではないかと思っている。


蛇足ながら、私の考える武道の目標は、格闘技術や勝負の中に内在する普遍性、すなわち“理”を体得することである。また、それを自己の人生に活かしていくことである。「日暮れて道遠し」であるが・・・。

最後に、取材の中でも述べたが、10月の大会は、誰が勝っても良いと言う程、大雑把な考えでいる訳ではない。しかし、「誰が勝つか」が第1回フリースタイル空手チャンピオンシップ,東京オープンのテーマ、ゴールではない。

そのゴールは、参加した選手がフリースタイル空手を楽しんでくれることである。つまり、「フリースタイル空手は楽しかった」とすべての選手が感じてくれることである。そのために、大会までの僅かな日数、できることに最善を尽くしたい。




$増田章の『身体で考える』