続、“菱田剛気”参上!! | 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
 続、“菱田剛気”参上!!
 
 10月28日のフリースタイル空手・東京オープンに帝京平成大学から菱田剛気(菱田慶文)先生(助教)が出場する。前にも紹介したが、彼は格闘技研究を専門とする教育者だ。
 また、若い人達のこころとからだの研鑽、錬成に格闘技を活かしたいと強く願っている教育者でもある。失礼だが、顔は恐いが(御免)、本当に心優しい先生だと感じる。
 その彼が、フリースタイル空手プロジェクトへのメッセージを寄稿してくれた。今回は、その内容を紹介したい。
 彼は、私の構想するFKP(フリースタイル空手プロジェクト)の理念を短時間で良く理解してくれた。勿論、彼の考えとFKPの構想がすべて同じ訳ではない。その意味は、FKP構想は、もっと広く、もっと深いということだ。

 しかしながら、菱田先生の学者としての視点は、私のFKP構想を、ある時は、学術的に補足し、ある時は、発展させる可能性があると思っている。
 大仰だが、「空手武道は教育ソフトであり、それは、日本のみならず世界に貢献するソフトに成りうる」「それはビジネスとして行なうものではなく、国家プロジェクトとして行なうぐらい価値のあるものだ」と私は唱えることがある。これまで私は、先述のように呻吟し、時に咆哮することで、多くの人から嘲笑や批判を買ってきた。「貧乏空手家ごときが何を言う」「それほど言うなら、今すぐに結果を出せ」というように・・・。
 それでは、暑苦しい話は止めにして、菱田先生の寄稿文を紹介する。


人の顔を殴れない人にもできる格闘技
フリースタイル空手の利点
菱田慶文
                                      
キックボクシングのマス・スパーリングをやっている時、練習中に「この人の顔を殴りたくないな」と何度も思ったことがある。相手が自分よりひ弱に見えた時は、特にそう思った。「殴るよりも、ここで組み技に持ち込めたら良いなぁ」と思った事が何度もあった。
そう思っていた頃、シュートボクシングというキックボクシングに投げ技を加えた競技に出会った。私は、素晴らしいと思った。キックボクシングの「殴る・蹴る」というだけでは、相手に少しでもダメージを与えた人間が勝つことになる。観客側から見た場合は、非常に面白いと思う。でも極論すると相手を少しでも「死」に近づけた方が勝ちになるルールなのだと思う。
自分は、キックボクサーに憧れて、格闘技の世界に入ったのでキックボクシングを否定している訳では決してない。現在でもプロスポーツとしての尊敬と憧れを抱いている。しかし、キックボクシングは、選手としての競技年齢を考えたら、若い頃しかできないのではないかと、しばしば考えていた。せいぜい、20代が限界であると思っていた。
シュートボクシングに出会ってから、シュートボクシングならば、殴る蹴るの攻防だけでなく、投げ技を認めているので、接近戦になった場合に、相手と顔面を打ち合いたくなければ、投げ技に持ち込めば良いという利点があると考えるようになった。なお、シュートボクシングが認める投げ技は、シュートポイントという得点になり、ショー・スポーツ的に見てもプロレスファンが満足するほど面白い仕組みになっているのである。
シュートボクシングという競技を主催する団体の理念は、「サムライスピリット」という武士道的な理念をモチーフとして出来上がっている。分かりやすく言えば、「サムライは、弱者への配慮がある」というものである。サムライは、刀を落とした者を切らない。倒れたものを切らない、という理念を大切にしているのだ。「Standing vale tudo」という、立っている状態では、打つ・蹴る・投げる・締めるなど何をやっても良いが、相手が、倒れている状態では、絶対に何もしてはならないという理念があるのだ。私は、このルールが好きになった。このルールならば、教育的なツールになると考えた。この正々堂々したサムライスピリットは、教育的な格闘技であると惚れ込んだのである。その気持ちは、変わらない。
 しかし、40代に突入し、リングに上がらないまま二年間も過ぎてしまった。もう、シュートボクシングの試合は出来ないかも、と思っていた矢先である。フリースタイル空手の練習会に誘われた。それは、ムエタイやキックボクシングをこよなく愛する先輩からである。先輩からの説明は、「極真空手に投げ技を加えた、素晴らしいもルールができたから一度、参加してみよう」ということであった。それが、フリースタイル空手であった。フリースタイル空手を体験すると、これも素晴らしいと思ったのである。まず、安全面についてだが、顔面を殴る必要はないと言うことである。接近戦で我慢比べのような打ち合いをしなくても良いのだ。接近したら、組み合いに持ち込み、相手を制し、「極め」という残身を取れば、勝利に結びつく仕組みになっているのだ。このルールならば、相手を致死に至らしめるような攻撃をして勝つ必要はないのである。この仕組み(ルール)は、合気道のように手首や道着を掴んで一瞬で組み伏せる技術があればよい。パワーがある者や若くて身体の丈夫な者だけでなく、ある程度のキャリアがあれば、中年の40歳が若者の20歳に勝つことができるかもしれないのである。また、危険性が少ないため、繰り返し、繰り返し、試合に出場し、技の研鑽を積むことができうるという利点が存在するのである。
私は、繰り返し試合に出ることが可能であり、競技として楽しめる上、上記に挙げたようなサムライスピリットを持つ、この新しい格闘技を、「修行ソフト」「リフレッシュソフト」「教育ソフト」として親しんで行きたいと思っている。


$増田章の『身体で考える』
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