何年も前から構想し、試行錯誤を繰り返してきた、新しい空手競技の大会がもうすぐ開催される。
今日、帝京平成大学の菱田剛気先生から中量級に選手として参加するとの電話があった。大学から、格闘技研究の一環として、許可がおりたそうだ。
彼とは、知り合って間もないが、フリースタイル空手プロジェクトの意義をよく理解してくれた。彼の持論は、格闘技は教育に役立つということだ。その彼が、「フリースタイル空手ルールは、すばらしい」と言ってくれたのが何よりうれしかった。
菱田剛気とは何者か?グーグルで菱田剛気を検索すれば、熱血先生としてヒットする。過去に荒れた中学の立て直しに一躍を担ったそうだ。その模様は、TV番組でも取り挙げられたようだ。しかし、私は彼が有名であろうが、なかろうが、興味はない。ただ、彼が教育に格闘技が役立つと考え、それを実践している教師であることに、とても興味が湧く。
最初、そんなこと等何も知らずに彼と接した時、とても魅力的な男だと感じた。かねてから私は、教育者にフリースタイル空手プロジェクトの意義を理解してもらいたいと思ってきた。しかし、簡単には理解者は増えてくれなかった。
ここで少々脱線する。時代の変わり目、社会秩序が乱れ、社会が荒廃しそうだった明治時代、日本柔術を研究、それを母体にして新しい武道を創出した人がいる。そして、その武道を国士育成と世界平和の手段として、活かすべく尽力した教育者がいる。柔道の創設者、嘉納治五郎先生のことである。
柔道がここまで普及した原因・理由は簡単には述べられない。しかし、その大きな要因に、嘉納治五郎先生が日本の師範学校のトップ、すなわち、教育者を育成する機関のトップだったことが挙げられると思う。また、柔道の構想には、初めから教育ということが本質として組み込まれていたことが重要だ。
いずれ書こうと思っているが、武道の本質は、敵を殺傷する技術なのではない。私は、武道の本質は教育であり、自分自身(人間の良心)を護る人間になることだと得心している。
話をプロジェクトに戻す。正直言って、このプロジェクトは陸地(岸)と陸地(岸)に丸太橋を渡し、それを歩いて渡るようなものだ。一緒に渡ろうとする者。渡りはしないが、陸地の側で応援する者。また、そんなことをしている我々を笑う者。一緒に渡ろうとする者は、ほんの僅かである。それは、当然であろう。丸太橋を渡るということは危険な上に、橋の向こうの陸地に何があるかも見えない。
そこにあるのは、そこには理想の土地があるという増田のかけ声だけだ。本当言うと、橋を渡った先に理想の土地があるというようなことを私は言ったことがない(皆はそのように理解しているかもしれないが・・・)。だから、皆、ついてこないのかもしれない。
いつも私が言うのは、このまま、この場所にいるだけでは、争いばかりの現状は変わらない。「それなら、いっそ未開の土地を切り拓こう」という意味のことだけである。そして、未開の地に辿り着くには、大抵、困難がつきまとうものだ。すべてを語ることはできないが、これまで相当な犠牲を払ってきた。
10月の大会は、メジャーなミュージシャンの大きなライブコンサートではないかもしれない。でも、小さくても心のこもったライブになることを私は信じている。いつもながら、稚拙な例えでごめんなさい。
