Ku=Co-creation | 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
Ku=Co-creation

The free-style karate concept is
To let various martial arts styles exchange

Not only the fighting techniques
But also
for empty-handed competition
In itself
to evolve.

The goal is
To develop a martial art

As a means to connect human beings
Without becoming only
A means of conflict with an enemy.


The ideal of free-style karate is
To create an arena
Without walls
A place not only of competition
But of co-creation.



 本日は、海外の人達に対し英語でメッセージを出しました。さらに英語について、少し考えてみました。
 実は、私は英語が得意ではありません(才能と機会に乏しかった若い頃の私は、極真空手を選択し、それにすべてを賭けたので、勉強を疎かにしました・・・後悔しています)。
しかし、某企業のトップがいうように、これからは英語力が必要だと思います。
なぜなら、英語がもっとも世界中に普及している言語だからです。これからの時代は、多様な国並びに人達と交流することが、人類社会の進化に必要だと思いうからです。
 勿論、日本語が世界で一番普及していれば、そのようなことも考えません。しかし、残念ながらそのようにはなっていません。私は、一部の人達が言うように、先ずは日本語だというような考えではなく、同時に学ぶ方が良いと思います。勿論、母国語に精通すると言うことは重要です。しかし、その意味をどれだけの日本人が理解しているでしょうか?
 私は、母国語を大事にするというのは、母国語しか使わないという意味ではないと思います。母国語をより高めること。言い換えれば、人のこころとこころをつなぐコミニュケーションツールとして、高めること。すなわち、言語を歴史的、文化的に多様かつ多重構造を有するものとして理解することだと考えます。
 そのためには、他国の言語を学び、その構造を知ることが、母国語をより深く知ることに繋がるはずです。
 これからの時代は、自国のみならず他国の人達の“こころ”と“こころ”をつなぎ、その“こころ”を理解することが必要です。ゆえに、皆に共通のコミュニケーションツールが必要なのです。また、そのようなツールを持たなければ、世界を舞台にして活動することはできないでしょう。
 私は、日本人はもっと世界を舞台に活動する必要があると思います。また、世界の平和共存に貢献すべきだと思うのです。既に、そのような活動をされている日本人もいるとは思いますが、もう少し割合を増やす方が良いと思います。
 突飛な例えですが、多様な歴史的、文化的な背景を有し、異なる格闘技術や武器を使って来る人達と戦えば、どうなるでしょうか?
 自国の歴史的、文化的な背景の中で形成された技術だけで戦えば、負ける可能性は高まることは必至です。なぜなら、相手がどのように仕掛けてくるか、わからないから、相手の攻撃に対応できない可能性が高まる。また、相手を実体以上に恐れる(もっとも、日本人は手放しで外国人を信用するところがあり、そこが逆に危ういと思うが・・・)。
 つまり、共通のコミュニケーション手段がルールとして設定されていなければ、世界は殺伐とするのは必然なのです。一方で、自分たちのルールを絶対だとする人達もいます。また、世界はより有力な格闘手段を持つ人達で動いているかのように見えます。
 私は、そのような勢力と与する人達と、先ずは、コミュニケート(交流)することが必要だと思います。そして、その背景を理解し、その中に普遍性を見いだし、そこを足がかりにして、自分の文化を融合していく。弱い勢力に与する人達には、そのような戦略が必要なのではないでしょうか。
その意味では、これまでの日本人の戦略は悪くないのかもしれませんが・・・。
 今後は、その意識を更に高める必要があると思います。この問題に関する私の考えはこれで終わりではありません。機会があれば、考えをまとめてみたいと思います。

$増田章の『身体で考える』