僕が10代の頃に楽しかったこと〜フリースタイルの大会を前に | 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
「僕が10代の頃に楽しかったこと~フリースタイルの大会を前に」


 中学生の頃、僕は本当に毎日が辛かった。それは挫折感からだ。時々、人に会うのが嫌になることがあった。そんな時は、いつも本を読んだ(不良だった。授業中、学校の勉強とは関係ない本を読んだ)。

 息苦しかった思春期の頃、僕に音楽の才能があれば曲作りに没頭しただろう。しかし、そのような才能はなかった。また、打ち込めるスポーツがあれば、それに没頭しただろう。しかし、好きなスポーツはなかった。

 そんな僕が、柔道にはまった。それは何故か?理由は一つではないかもしれない。僕は柔道を習い、強くなるための研究を懸命にした。僕にとっては、それがとても楽しく、挫折感から自分を救ってくれたと思っている。
 また、そんな僕に優しくしてくれた人達がいた。本当にありがとう。

 柔道を始めた頃、本好きの僕は、柔道の岡野功さんが著した「バイタル柔道」や笹原正三さんが著した「レスリング」などの書籍を夢中で読んだ。そして、毎夜、技の研究をした。
 当時の僕には、少々難しく、すべては理解できなかったが、そのような創意工夫の中に楽しみを感じたことを憶えている。その時も今も、僕の夢は研究室のようなものを持つことだ。

 振り返って、極真空手の修練時代はどうだったか?これまでの極真空手の試合の枠組みは、打撃に対する耐久力、そして攻撃力の向上、そして勝つことに対するモチベーションのみが競われる世界だ。勿論、技のスピードや威力を上げるにはどうしたら良いか?相手に勝つためには何が必要か?そのような問題を考えることも研究だといえるが・・・。
 

 しかし、それでは、一部の才能がある人間は救えても、より多くの人間を救うことはできないであろう。今、極真空手の良さを活かし、より多くの人間を救うには、そこに“楽しさ”がなければならないと僕は思う。そして、その楽しさの本質は、他者との関わり合いの中で自分自身の心身を能動的に使い、それを創り変えていくことにあると思う。

 更に、そのような楽しさを実感するためには、前提として、自由意志を尊重する社会的枠組みと一人ひとりの創意工夫を認めることが必要だ。また、その創意工夫を評価するという価値観がなければならない。
 また、小難しいことを書いてしまった。とにかく、フリースタイルは格闘技を楽しめるように考えた。すなわち、一人ひとりの格闘技術の習得に対する創意工夫を反映できるように、また、それを楽しめるように考えてある。


 格闘技に強さが必要なことは言うまでもないが、強さのみを求める理念では、人を幸せにはできない。僕がそうだったように、一人ひとりが自分を創るということの楽しさを実感させることが人を幸福にする道だと思う。

 そして本当に大事なのは、世界の枠組みを創り変えていくという当事者意識だ。そして、それを一人ひとりが持ち、行動する勇気なんだ・・・。