女子サッカーと兵法
原発問題を始め、増税問題、民主党分裂、いじめ問題等々、考えることは多かったが、しばらくブログを書く余裕がなかった。
私が久しぶりに考えを書き記す気になったのは、女子サッカーの宮間選手の勝負に対する発言を耳にし、感銘を受けたからである。
周知のように日本女子サッカーの活躍はすばらしかった。また、試合内容のみならず、フランス戦でのキャプテン宮間選手の立ち居振る舞いもすばらしかったようだ。
日本女子が体格に勝る外国選手の中、技術と気力と知性を駆使し、世界と伍して戦う、その姿に、女性のみならず男性も感動したのではないだろうか。
さて、私が感銘を受けた宮間選手の発言とは、ジャーナリストの二宮清純さんのサイトに掲載された宮間選手と二宮さんの対談での発言のことである。
(http://www.ninomiyasports.com/sc/modules/bulletin/article.php?storyid=4165 )
そこには、「日本とアメリカとの間にあるのは「差」ではなく「違い」だという発想が大事になる」「フィジカルを差ととらえてしまうと、アメリカのようにフィジカルの強いチームを目指さなければならない」「それでは、いつまで経ってもアメリカの上にいくことはできない」「サッカーの質をさらに上げていけば、結果はもちろん内容でもアメリカに勝利できる日が必ずくると確信している」とあった。さらに、「フィジカルの強さは決定的な勝利の要因にはならない。けれども、フィジカルの弱さが負ける要因にはなる」「フィジカルのトレーニングは必要です。だけど、それによって勝つのではなく、違う点で勝負をすることが大事だ」と続く。
最初、そのような発言があったと聞いた時、私はしびれた。まだ、あどけなさも残る女子が兵法を体得していると感じたからだ。確かに、フィジカルに勝るアメリカのようなチームに勝つには、違いを活かすという観点が必要だと思う。
孫子の兵法に「戦いは、正をもって合し、奇をもって勝つ」というものがある。つまり、宮間選手の考えを増田流だが、兵法的に解説すれば、戦いの基盤であり、負ける要因となるフィジカルの弱さを克服しながらも、相手の予測を上回るサッカーを創造し勝つということことだ。言い換えれば、相手と同じ土俵に立っているように思わせながら、自分の土俵に引きずり込み勝つということだ。
私は宮間選手の発言を聞いた時、一瞬すばらしいと思ったが、金メダルを取るには不十分だと、すぐに思い直した。勿論、その記事から宮間選手の考え方のすべてを知った訳ではない。また、私は宮間選手のファンである。しかし、ゴールは金メダルである。私はその時、柔道の猪熊功さんのことを思い出していた。
10代前半の頃、私には尊敬する柔道家が二人いた。それは木村政彦さんと猪熊功さんだった。勿論、会ったことはないが、二人に共通するのは、体力に勝る外国人に小さいながら、真っ向勝負を挑もうとする、そのスピリットだった。(実は猪熊功さんを日本武道館の前で、柔道の全日本選手権の前に見かけている。思っていたよりも細身でさわやかな感じだった)
私が尊敬する二人の先達は、誰よりも体力トレーニングをしたようだ。なおかつ、外国人に劣る体格を活かすために「担ぎ技」、すなわち背負い投げの技術を磨いたそうだ。
二人の共通項は、「三倍努力」である。この言葉は、木村政彦さんの言葉だが、猪熊功さんも無差別級を想定し、凄まじい体力トレーニング、そして技術修練を重ねたらしい。つまり、私が言いたいのは、現時点では、宮間の考え方で良いと思うが、将来的かつ永続的に日本がトップに君臨するためには、技術のみならず体力でも勝つことが必要だと思う。なぜなら、長期のスパンで考えた時には、長所を活かすというような生易しいことでは常勝チームにはなれないと考えるからだ。
戦いに臨む心構えとして、あらゆる面で相手に勝つ、そのためには、相手の三倍の努力もいとわないという気持ちがまず必要だと思う。その上で現況を冷静に把握し、総合的に相手を上回り、かつ創造的な戦いをすることが必要なのだ。
このように言うと、増田は精神論者かと思う人がいるかもしれない。しかし、そうではない。そもそも精神論者か非精神論者かで括ること自体が間違っている。あえて言えば、私は精神を核にした、合理主義者だと考えている。
勝つためには、高いレベルの思考力、判断力や技術力が必要なのは言うまでもない。しかし、それを獲得するには、誰よりも豊富な経験と訓練の量が必要なのだ。日本人は小回りが利くから、器用だから、技術力が優れているだろうというような根拠の曖昧な幻想は捨てた方がよい。
真にすぐれた技術力を生み出す基盤は、豊富な経験と体力、そして高い技術力を欲する情熱なのだと私は思う。
思いつくまま記したが、スポーツと兵法に関しては、また時間を見つけて再考してみたい。