組手に勝つための9原則〜その5          | 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める

【試合における原則の活用事例】


私は第4回世界選手権トーナメントの速い段階で脚に怪我をしてしまった。私の蹴りが相手の肘の防御に遮られ、その結果、脚に怪我を負ってしまったのである。その脚は、戦うために必要な運足を奪い、蹴りの威力を奪った。第4回世界選手権は、命を賭して臨んだといっても過言ではないトーナメントであった。絶対に勝ちたかった。


その当時の世界選手権は三日間行なわれた。選手は毎日予選試合を行ない、3日目の決勝トーナメントまで生き残らなければならない。(勝ち上がる)


当時の世界選手権は、決勝までは8試合を戦い抜く、競技形式の中では、最も過酷なものの一つだと思う。


私は、そのような過酷なトーナメント戦で決勝まで勝ち上がり、勝利を収めるには、なるべく自分の身体に損傷を負わずに勝ち上がる事が必要だと考えた。同時に、どのような状態でも負けないような技術、同時に勝ちを得られるような「技術」を持っていなければならないと考えた。


それは、自分が戦う場所の価値観、ルールがどのようなものか把握することから導きだされた仮説である。すなわち、自分のおかれている状況の把握である。


先ずはそれを把握しなければ、その中で勝つためにどのような戦略を持ったら良いかが解らないといいことは明らかである。同時に局面的な戦いにおいて、より善い戦術の選択と決定ができないであろう。


そのような考えの萌芽は、10代の後半、私の空手の恩師がランチェスター戦略を応用した経営の話をしてくれたことによる。ランチェスター戦略とは、第2次世界大戦時のアメリカの空軍戦略理論を応用した経営戦略ことである。

その中に「戦術の失敗は戦略で補えるが、戦略の失敗は戦術で補えない」というものがあった。


私はその原則を片時も忘れたことがない。それゆえ、私は戦略を持つことを最優先し戦略の検討と決定に多くの労力を割いてきた。因にそのような思考パターンと行動が、戦術の優劣に囚われる一般の人には、私の戦い方や考えが理解しにくいところだと思っている。

兎に角、私は戦術の決定の前に戦略の検討が必要だと考えた。それが原則5番の意義である。また、本書の主旨からは逸脱するが、極真空手のような非合理的で特異な状況において、ランチェスターのような合理的な考え方を持ち込んだことが私の苦しみの根源でもあるということをあえて言っておきたい。


話を戻せば、そのような考えを基に私は、攻撃技の修練のみならず防御技の修練に時間を割いた。それらは、どのような状況、状態でも負けないため、最後まで勝つ可能性を失わないための条件でもある。

それでは、原則の8番に至った事例を挙げる。


私がまだ駆け出しの選手時代、延長戦が3回も4回も続く極真空手の競技を理解していなかったため、本戦で体力を使い果たし、度重なる延長戦により、徐々に体力を消耗し、攻撃力や判断力を喪失していく経験もした。そのため、100メートル、400メートル、800メートル等のインターバル走による心肺機能強化に努めた。練習内容は、陸上の中長距離選手さながらだった。そのような練習が本当に必要かどうかは疑問である。しかし当時、極真空手の競技試合に負けないために必要だと私は判断したのである。


しかし、そのような体力強化を行い、体力つけたとしても限界があった。それは、どんなに体力があったとしても、1試合、あるいは一つの局面に全体力を使い果たしてしまえば、次の試合、次の局面では、攻撃力や防御力などの戦闘力は劣化する。    


戦いに負けないためには、最終局面に必要と考えられるような体力は最低限、残しておかなければならないと私は考えたのである。



そのための基本戦略が「相手攻撃の効力を弱体化、無力化する」、「自己の攻撃の効力を最大化する」という原則8番、
9番である。以上のような原則を基にした技術や組手法は、無駄なエネルギーの消費を抑え、自分のエネルギーを有効活用すると考えた。


私は、極真空手競技という特異な戦いの状況を生きるものとして、日本のスポーツ界で良く言われる、「力を出し切れば勝てる」というような金科玉条を私は信じる事ができなかった。その代わりに全力を尽くすということを考えた。 


その意味は、全知全能を駆使し戦い抜くという意味である。何が起るか解らないようなサバイバルゲームの様相を示した全盛期の極真空手の世界選手権において、絶対に優勝すると決め、私は試合に臨んだ。結果に拘った私にとって、できうる限りの努力とは、すなわち、あらゆる可能性を考えることであった。


もう一つの事例を挙げれば、第4回世界選手権大会はアンディ・フグ、マイケル・トンプソン等を筆頭にした外国人選手旋風が吹き荒れた大会である。また、この大会が極真空手の全盛期だと見る向きもある。


その大会でアンディ・フグは、かかと落としという新しい技と強力な下段回し蹴りを駆使し、
KOの山を築いた。南米のチャンピオンアデミールコスタ、日本チャンピオンの桑島康弘等がその下段回し蹴りの威力の前に破れた。


かくいう私も判定では負けになったが、彼らとの大きな違いは下段に対する防御力、すなわち技術を持っていたかどうかである。正直言って、アンディの下段は私にも効いた。しかし、本来なら完璧に封じることができたと思っている。しかし、私はその大会で、勝ちを焦るあまり自分の攻撃で自分の脚を負傷していたのである。その状態は、今から思えば重傷であった。


私は当日朝、歩くのもやっとだった。そのような状態では、私の得意とする素早い追い込みの運足や瞬間的な反応ができなかったのだ。それでも、大西靖人氏との対戦経験から下段を封じ込める防御の稽古に多くの時間を割いてきた私は、彼の下段の餌食にならなかったのである。


「かかと落とし」という技は、かかと落としによって、相手の意識を上段に移らせ、下段への防御意識が希薄になったところに強力な下段攻撃を行なうというものだ。また、強力な下段攻撃で上段への防御意識が希薄になったところにかかと落としを決めるという応用戦術にも繋がっている。


それがアンディの必勝組手パターンなのだ。私はアンディとの戦いの最中、原則7番の「相手の戦略と戦術を知る」を念頭にそのように判断した。


ゆえに、かかと落としを崩し技だと判断して、必要以上にかかと落としを怖がらず、反撃を入れようとすることで、「かかと落とし」によるダメージを最小に押さえたつもりだ。

おそらく、アンディの「かかと落とし」によってKOされる選手は、その技を必要以上に恐がり、腰が引ける選手である。


残念ながら、私もその時、「かかと落とし」を完全に封じることができなかった。その反省は原則の5番、7番に強く反映されている。新しい技を研究し相手の状況を考えるとは、他国における技術革新と言えば大袈裟だが、外部における流行等の情報をいち早く収集することである。また、そのことによる審判等の試合の見方の変化への対応策をも準備するということと言っても良い。


拙著「増田章 吾、武人として生きる」にも書いたように思うが、事前にヨーロッパの情報は入ってきた。しかし、その時は情報収集の重要性を自覚していなかったのだ。


また、戦いの最中、彼の最大の弱点が上段の防御力が弱いということを見抜いた。もし、私とアンディ戦の全記録(映像)を検証できるなら、私が彼に左上段を決めているのが解るはずだ。私はダメージを負う身で、起死回生の
KO を狙っていたのである。タイミング抜群だった。しかし、私の左足が損傷していたことや私の左上段回し蹴りの精度、威力が足りなかった。もし、あのタイミングで、松井氏や緑氏ぐらい精度があれば、間違いなくKOに繋がったと思う。


断っておくが、この事例はあくまで、戦いの原則を示すためであり、彼の実力を否定するものではないことだけ入っておく。アンディは極真空手の世界チャンピオンに等しい人間であったと私は思っている。


私は、優勝できると考え臨んだ第4回世界選手権の結果が3位であった悔しさから、かなり長い時間、悩んだ。しかし、私の実力はトップレベルだ。ゆえに全日本優勝ぐらいはできると第20回全日本選手権に臨んだ。しかし、優勝という目標は実現しなかった。また、続く21回全日本選手権でも優勝できなかった。


その辺は、拙著「増田章 吾、武人として生きる」に詳しく書いたが、「私は勝てない宿命なのか」「私には才能がないのか」それとも「努力が足りないのか」様々な否定的な想いが脳裏をよぎる毎日であったと記憶している。


そのような煩悶の中、22回全日本選手権の前ぐらいから、私は「新しい技を身につける」「新しい戦術を身につける」という新たな考えの萌芽があったのだ。

(続く)


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