感謝〜フリースタイルカラテ・オープン2011 | 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
【感謝~フリースタイルカラテ・オープン2011】

明日、「フリ-スタイルカラテ・オープン2011」が開催される。
選手の皆さん、参加申込みありがとう。

増田道場プロスタッフの桜井、秋吉、協力ありがとう。

いつも僕の誇大妄想的な夢に付き合ってくれて感謝する。

いつも僕は、「絶対に空を飛べるんだ」「なぜ、空を飛べることを信じない」
というような感じで人に接する。(うっとうしい男だ。みんな逃げていく)

そのような生き方は、一般的には誇大妄想的と観られても仕方あるまい。
また、詐欺師といわれないだけでもマシかもしれない。
(詐欺師の方がマシだと言われる位、うっとしい)

しかし問題は、詐欺師のように人を騙せない処かもしれない。例えが悪いが、その意味は人の心をフックできないということだ。

不器用過ぎると思われるだろうが、私は何度も繰り返す。

フリースタイルカラテプロジェクトの意義とは何か。それは、「自分の眼で物事を観ること」そして、「自分の言葉と頭で物事を考えること」だ。それが「身体で考える」ということである。私がいう「身体」とは、一人ひとりの宇宙観(世界観)と言い換えても良い。

僕は、人から与えられた情報に影響されて物事を考えるのではなく、本当に自分自身が能動的に世界と関わって生きたいと願ってきた。

そんな生き方を目指してきた。しかし、現実は矛盾することが多々あったかもしれない。

そのような時は、葛藤で息をすることもできないくらいだった。

フリースタイルカラテ拓真道とは、枠組みとしてのルールがあるだけで、あとは、一人ひとりが自由に技を駆使し、かつ創造して行けるように企図されている。

言語におけるルールとは、言語(技)を駆使し、意味の交換と意味の創造ができるようになっている。

TSルール(フリースタイルルール)による試合も、言語による議論のように、その戦略(あたらしい価値)と最後の最後まで、技を駆使し、新しい戦術(意味)を創造していけるように考えた。

そこに審判の価値観は介入しない。TSルールにおける審判の眼目は、技術を正確に評価することと卑怯な行いを選手にさせないようにすることだ。

そのような競技環境の創出がフリースタイルカラテプロジェクトの眼目だ。
そのような競技環境の創出により格闘競技が変わる。

「人から与えられた情報に影響されて物事を考えるのではなく、自分自身が能動的に世界と関わって生きていくということ」の演習(訓練)へと。

「すべての人に創造力がある」

僕は、そう考えている。その創造力を奪っているのは何か。

その問いかけを皆さんにしたい。

そして、すべて過去の結果(先例)と同じになると考えているのなら、それは間違いだと言いたい。
振り返って欲しい。人間は、その手段、条件さえ整えられれば、空を飛ぶことだって可能だったじゃないか。

私は普段、「普遍性を追求する」というような難しい言葉を唱えている。断っておくが、それは単純な「一般化」や「単純化」とは異なる。

世界はもっと多様で、無限の可能性に開かれている。その多様性の中に通底する何か、それが私の言うところの普遍性だ。そして、その普遍性を掴むことが、自分自身を掴むことなのだ。


いつものように熱くなってしまった。でも、フリースタイルカラテを明日、産み落としたい。

正直言って未熟児ではある。母体が弱いから・・・。しかし大事に育てれば、大きく育てることだってできるはずだ。

充分なミルクを買うこともできない親だが、生み落とした赤子は、大切にしたい。


まだ、何が起こるか解らないという不安感もあるが、みんなの協力で産み落とせることを信じている。