【兵法と戦いの原則】
先述の「知行合一」とは、知識ではなく智識を開くことだと言い換えても良い。
我々は闘争という局面に際し、否応なしに判断・選択を要求される。判断も選択もしないという判断・選択も含めて。
我々が迷うのは、より多くの勝利を得て勝者になりたいからであり、敗者になりたくないからである。
そして通常、より早く、確実に勝利という利得を得たいと我々は判断・選択を行なうように見て取れる。ゆえに先例に従うのであろう。
しかし、闘争の目的、ゴールを単なる勝利の獲得のみならず、人生の勝者になるということにおくならば、より普遍的な原則に従った、主体的判断・選択が必要だというのが拓真道哲学の眼目である。
そして、より普遍的な原則に従い判断・選択する機能が備わっているのが智識の領域なのだと私は考えている。
闘争の局面において「勝利」を獲得するための「最善の判断・選択を行うための原則」を先達は「兵法(ひょうほう)」と云った。そして、闘争の局面をより善く運用し、最終的な勝者となるための局面の見方と運用理論を「兵法(へいほう)」と云った。前者を戦術、後者を戦略と云っても良いだろう。
【フリースタイル空手における戦いの原則】
フリースタイル空手・拓真道の組手修練においても、「9つの戦いの原則」をもとに「勝利」と「勝者」を目指す。
戦いの9原則とは、①「基礎体力をつける」②「常に原理原則を考える」③「得意技を身につける」④「絶えず新しい技を身につける」⑤「相手と自分の情況、状態を把握する」 ⑥「負けないと決める」⑦「相手の戦略と戦術を知る」 ⑧「相手攻撃を弱体化又は無力化する」⑨「自分の攻撃の効力を最大化する」である。詳しい解説は拙著「勝てる歩法」(東邦出版)の序章を参照にして欲しい。
ここでいう闘争の局面とは、一面的ではなく多面的である。ゆえに見る角度が異なれば、見えてくるものが全く異なる。
ゆえに、自分の立ち位置(見ている角度、位置)を考慮しながら、局面を認識しなければならない。
言い換えれば、我々が認識している物事は、立ち位置が違えば、全く異なるものに見えるかもしれないということだ。
ゆえに、絶えず多角度的に物事を観るということは、原則と照らし合わせ、想像力を働かせ物事を見るということだ。それが直観的に観るということである。
断っておくが、「直観」とは「思いつき」とは異なる。私の考えでは、直観と思いつきを分けるのは、普遍性があるかないかである。逆に言えば、普遍性を絶えず追求することが、直観力を磨くことなのだ。
直観力は武道に於いて最も重要だと言っても過言ではない。なぜなら、戦いの局面においては、その判断、行動を直観的に行なわなければ、戦いを制することはできないからである。また、戦いとは瞬時にして局面が変化する相互作用的状態を指すからである。