TSルールの企図するところ〜新しい武道スポーツをデザインするNO,6 | 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
【TSルールの企図するところ】

ここでTSルールの企図するところを述べたい。TSルール(新システム)は多様な空手技術をクラシック・スタイル、フリースタイルという2種の競技方式を設定することで、空手競技に多様な戦闘アプローチの可能性を付加することである。そして、より多くの人達が空手とその修練を楽しめるようにすることだ。

そのようにして空手道をさらに発展・普及し公共化していくのである。
公共化とは、空手道をより広い世界に解放すること。そして、その普遍的な部分を共有しながら心を一つにすることである。

つまり、その伝統的空手道を一つにすることでもなく、競技を絶対化するということでもない。

それは、異なる伝統や技術を有する人間が交流し、その違いを理解すると同時に普遍性を理解することである。

言い換えれば、競技スポーツを共有することで、異種の人間が承認し合うことといっても良い。

ゆえに格闘競技であっても人体へ悪影響を与える「頭部への打撃・攻撃」は制限を加えた。

なぜなら、競技によってもたらされる経験的知識や実践的知性を社会生活に活かしていくのが、新しい武道スポーツ(競技)の目的と考えるからである。

また、「関節技(逆技)」なども、打撃系競技に取り入れようとすれば、安全性の確保や複雑になりすぎる可能性があるので取り入れなかった。

それらの技術は他の競技方法や各流派が独自の修練方法を実施すれば良い。

つまり、TSルールで修練できない部分は、各流派が個別の修練方法を採用すれば良いのだ。私は、すべてを同じにする必要は無いと考えている。それぞれの流派に独自性があって良い。そして、そのような独自性を伝統として捉えればよいのだ。

我々も武道流派(国際武道会)として、打撃技のみならず逆技や武器術まで、様々な技術と修練法を持つ。しかし競技においては、格闘技に必要な普遍的な能力の体得に主眼を置いている。

格闘技に必要な普遍的な能力とは、「間合い調節」「運足・体捌き」「転じ」などである。「転じ」とは、相手の攻撃を「転じ技(防御技)」により弱体化し、自己の反撃の効力を最大化するような位置取り(ポジショニング)を行うことを言う。言い換えれば相手に有利な状況を自己に有利な状況へ転化することである。

そこにもう一つ付加したいのが「戦略(兵法)の体得」である。


そして、そのような能力の体得のためにも、格闘技においては相手の「戦闘力の奪取」が目標とされなければならないと考えている。

【修練方法とその理論】
ここで私の提唱する「フリースタイルカラテ拓真道」の修練方法を紹介したい。

フリースタイルカラテの修練方法は、「基本」「組手型」「組手」「講義」で構成されている。組手型とは、単独で行う伝統型とは異なり、剣道や柔道の型と同様、相対で行う。

しかし、想像力を駆使し単独で行うことも可能である。組手型の意義は、多様な局面における技や技術による対応の形式及び原理原則を「型」を通じて学ぶことだ。

そして原理原則を意識しながら「組手」を行い、意識と技とを綜合し技術の体得と創造を目指す。最後の「講義」とは、組手を考究することであり、理論的研究と捉えて良い。

その意義は、組手の考究を通じ、より善い対応の理、原理原則を探求することである。
例えば、フリースタイルカラテ拓真道には1千種以上の組手型がある。「組手型」の内容は打撃技(打術)に対し打撃技(打術)という戦術(戦法)のみならず、組技(柔術)に対し打撃技(打術)、打撃技(打術)に対し組技(柔術)というような多様な戦術的アプローチを大枠としている。


現実の競技試合において起こりうる局面を完全に予測することは不可能である。しかし、予測不可能な局面的状況のデータベースを作っておくことは必要である。豊富なデータベースが、多様な局面的状況へのより善い対応の助けになるはずだ。

そして起こりうるすべての局面的状況を知ることは不可能だとしても、より多くの局面的状況とその対応法を検討することは有意義であろう。

また、組手型は多様な局面的状況に対応する想像力を養うことができる。さらに多様な局面的状況を組手型化することで、多様な局面的状況の検証が可能となる。

補足を加えれば、対立的闘争、組手の実態とは、相互補完的かつ相互循環的なものである。ゆえに理想の組手を具現化するためには、組手型と組手の修練を通じ、組手(相対的な対立状況)の実態を把握できる境位まで修練しなければならない。究極の理想は相手、対象との一体化である。

言い換えれば、組手型の修練の目的とは、意識の表層に植えつける知識の習得のみならず、それらの技が深い意識に根をはり、内面化し綜合化されることを目指すことだ。
そして、そのような領域から生み出される技と技術が、多様な局面において自由自在に活用される技と技術なのである。

諸流派の修練方法については、大枠で伝統技と伝統型の稽古を主体とする「伝統重視派」、競技試合のための稽古を主体とする「競技重視派」、どちらも行う「総合派」に分けられるだろう。

それらは更に伝統技と伝統型の違いや競技方式の違いなどを加えれば、無数にあるはずだ。しかし、フリースタイルカラテ拓真道において、競技は組手修練の一方式である。

また伝統技や伝統型は古典組手法の研究と位置づけている。重要なのはそれらを「講義」によって検討し綜合して体系化することだ。そして空手技と技術の体系化によって修練者のすべてを空手に内面化し、空手のすべてを修練者に内面化する。そうすることで、更に新しい技、技術、組手が創造され戦略が創出されるのだ。

言語体系に例えるならば、基本の組手技は「発話」や「単語」、組手型は「熟語」「文節」、組手は「作文」や「対話」に置き換えられる。

言い換えれば、基本の組手技は意味を伝える基本単位、組手型は意味を交換するための文法を形成することと同時にそれを学ぶもの。

組手は他者と意味を交換し合うことのみならず、新しい意味を創造していく行為と置き換えられる。

そのように例えれば、伝統技や伝統型の稽古は古典の勉強のようなものであると私は考える。

空手における組手技は日本語の体系のように複雑で変化が激しい。ゆえに私が創出した組手型なども時代が立てば古典として扱われるかもしれない。私はそれでもよいと思っている。

しかし、古典の中から普遍性を掴むということが、変化に対応するために必要になってくる。

講義とは、それらの技や技術に内在する普遍性を探求することである。そして、そのような普遍性を護っていくことが、伝統を護るということの真の意義であると考えている。