ルールとは何か?序章 | 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
我々人間は、様々なルールを有している。
考えてみるとルール無しというものがあるのだろうか。
なぜなら、私達が言葉や文字により、物事を考えたり伝えたりする事自体がルールの中にあると考えられるし、それを否定すれば自分や人間は存在しないと考えられるからだ。

私は現在空手の技術書を製作中である。私の本は売れない。なぜなら、ニーズを無視しているから。解っているのなら、ニーズに応えれば良いではないかといわれると思う。しかし、私はニーズに応えたくないのだ。そして懇意にしている編集の方々と時にぶつかる。そんな時、私は本当に申し訳なく思う。そして、その人達の幸せに少しでも貢献したいと思うのだが・・・。

今回のブログは、その方々に対するお詫びと言い訳を兼ねている。(私は能力が低いので、ブログを書くだけの時間を捻出できない。故にアイディアノートとメールと報告を兼ねて書いている。道場宣伝も兼ねたいと考えているが逆効果であろう。家族の皆さんごめんなさい・・・。)

私は、真のアウトサイダーだ。ここでいう真のアウトサイダーとは、反社会的な行動をするものの事ではない。

それは、ルールを疑い、「ルールを変更するのだ」と外からではなく内側から唱える者の事である。
それは、外側からいっているのではないかといわれるに違いない。増田がまた、訳の解らない事をいい始めたと思われだろう。

ここでいう真のアウトサイダーとは、悪くいえば、社会の嫌われ者、少数派といっても良い。良くいえば、「裸の王様だ」と素直にいえる眼を持っている者、また内側にいながら、外からの眼を持っている者のことだと言っても良い。

私は、真のアウトサーダーこそが、社会を深く愛する者だと言いたい。(ちなみに私は愛国者である)一方、反社会的なアウトサイダーも本当は社会を愛したいと思っているし、社会から愛されたいと思っているに違いない。言い換えれば、社会から承認されたいと強く願っているのだ。しかし、通常のあり方ではそれが適わない事からくる憎しみから反社会的になるのであろう。あるいは、反社会的なポーズにより自分を引き立たせようとしているのかもしれない。

さて、先にニーズといったが、ここでマーケティング等の事をいうつもりはない。

私が考えるニーズとはルールを絶対だと思い、そのルールの中で勝ちたいと必死で願う者の心のことであり、ニーズを捉えるというのは、そこにフックする事をいうのだと思う。

本の編集者は「そのようなニーズに応えろ」と要請してくる。当然である。私もそのようなニーズに応えたいと思っている。しかし、既存のものに囚われていては、いつも時代の奴隷になってしまう気がするのだ。私はそのような生き方に我慢ならないのだ。


私は、社会制度をはじめ、人間の心の中で偏見となって定着する、学歴偏重、キャリア偏重、ブランド偏重などの傾向を変えるべきだと考えている。

人間とは一面ではない。そして可能性に満ちている。ルールや既存の価値観を絶対だと考えるのはやめよう。

もしそうするならば、結果を残した人間だけが正しくなってしまう。そして、そのような者を頂点とするヒエラルキーが形成されてしまう。

もちろん、結果を出すためには、その裏に努力がある事は認めよう。その努力は尊い。それは賞賛するべきだ。

問題は、先ほど述べた、学歴偏重、キャリア偏重、ブランド偏重などのイメージ・幻想に囚われる傾向は、変化し続ける新しい時代を切り拓く能力に対する視点の喪失に繋がるという事だ。既存の価値やルールを絶対化し、それを権力に結びつけるのは、為政者の古くからの常套手段だ。しかし、そのような権力は、やがて腐敗していく原因となるという事を忘れてはならない。

誠に僭越だが、政治家とは、そのような能力が備わっていない者がつく、職業の代表のように見える。言い換えれば、日本の政治家は既存のルールを守るという意識が強く、ルールをより善く創り変えるという意識が低いという事かもしれない。

それでも、いくつかのルールの改変、制度改革も成し遂げたといわれるかもしれない。お前の偏見だといわれる向きもあろう。しかし、外からの眼で見れば、ただの猿真似であったり、一部の人たちの利益誘導型の法案や制度改革にしか見えない。結局、想像力と創造性がないのだ。

なぜ、そのような傾向が強くなるか考えてみると、人間はルール(原理・原則)の中でしか生きられないからではないかと考える。

そして、日本人はルールを守る意識がとても強いからだと考える。
それは、良い面かもしれないが、この世界的な不況をはじめ、多くの問題に立ち向かっていくには、外の眼、すなわち「裸の王様」だといえる率直さとそれを認める事が必要だと思う。(ほとんどの国にそのような傾向があるかもしれない。同じ人間だから・・・)

そして、自然科学のルールも含め、あらゆるルールは、畢竟、人間が決め、作っているのではないかと考え直してもらいたい。

私は言いたい。ルールを絶対とするのはやめよう。ルールを作り換えよう。何度でも何度でも。

おそらく、私はこのまま変人として死んでいくかもしれないが、空手で掴んだこの事を伝えていこうと思う。

今私は考えている。人間を真に解放するには、もう神話の世界には戻らないと覚悟することだ。そして戦い続けるしかないのだと。