連日、テレビで甲子園での熱戦が報道されています。
暑い最中、懸命にプレーする姿に励まされる人は少なくないと思います。
高校野球のコンセプトを一言で表せば、「ひたむき」でしょう。
私はそう考えています。そして、そのような姿、生き方に感動するのは、良い意味での日本人の情緒的感性だと思います。(もちろん、私もそのような感性をもっているつもりです)
そのような感性が日本人の労働観をはじめ、あらゆるところに浸透しています。
日本人は、「勝てば良い」というような考え方に共鳴しません。同時に勝った者を絶対とする傾向があります。(なぜ、人間とはこうも矛盾するのでしょう)
さて、私は、3.11の被災地を実際に見てはいませんが、被災地の方々は、不安感や不便さに耐え、ひたむきに生きている事と思います。
私にできる事は、そのような「ひたむきさ」を大切にする国と国民を守るために微力ながら貢献する事です。
しかし今後、国民のひたむきさが維持されるためには、プロパガンダ的な方法では不可能だと思うのです。つまり、過去の物語、神話の復活を唱えても通用しないと言う事です。(もしかすると、通用するかもしれない・・・。そこが一番良くないと思う)
確かにそのような喧伝が最も解り易いメッセージの出し方であるかもしれないとも思います。また、一定の効果もあるかもしれません。そこで私が危惧するのは、みんなが思考を止める事です。そして、そこが気に入りません。
換言すれば、我々が不変を求め、それを信じ込むために何かのシンボルを立てる日本人の優しさ、弱さが気に入らないのです。(私もそのような人間の独りですが)
また、メディアに対して私が感じる事は、高校野球の報道であれ、出版であれ、勝手に物語を作り報道する傾向が強い事です。(視聴率を取るために)
それは厳密に言えば、情報の操作だと思います。そして、そのような傾向が我々国民の想像力を奪っていくのです。もちろん作家等が自分の物語を発表したり、そのようなものを唱える事は悪い事ではないと思います。人それぞれに意味世界があり、世界に対する解釈があって良いのですから。
私はメディアを重要と考えていますが、過剰なストリーを作ることを再考して欲しいと思っています。例えば、スポーツに関しての報道もなっていません。また震災に関してもです。もっと本質的で構造的な視点からの論議を推し進めるのがジャーナリズムではないでしょうか。
震災、原発問題、終戦記念日(世界平和)と様々なテーマが与えられているのも関わらず、考える暇もない日本社会です。(それは日本人が勤勉だからかもしれませんが・・・)
今私は、戦争があったにも関わらず、先人が築いてくれた日本人に対する信頼を維持し、日本人の感性をもっと良い形で世界に理解してもらえたら良いなと考えています。