日誌6月23日 | 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
6月23日

1週間前から風邪をひいたみたいで体調が良くない。風邪薬と栄養ドリンクで誤摩化し仕事をしていたせいか、悲観的になっているみたいだ。先日のブログにもその影響が出ている。しかし、それで気がついたこともある。

それは、生き方というようなことにもコツがあるのではないかということである。コツについては、型論で少し述べた。それは、「サーファアーが波と一体になり、それを遊ぶように」に行動するというようなことである。

子供の頃、ある思いや夢に拘り、24時間、思い続けるようなことがあった。現在私には、「空手をオリンピックスポーツにする」という思い、大きな夢がある。その夢への拘りに、私の回りの人達のみならず、私自身も大変な苦労をしているように思う。

「空手をオリンピックに」というような夢の実現には、1対1の技術等は通用しない。それは、見えない相手と戦っているようなものだ。

多くの人にとっては、目の前の幸福こそが重要なのだ。空手をオピンピックにするという「空を飛ぼう」みたいな大きな夢に関心がないのは当然である。


考えてみれば、電車もあれば車もある。空を飛ぶ必要がない。そう考えても不思議ではない。

私は冷静に考えると、頭がおかしいのかもしれない。なぜなら、極真カラテをオリンピック種目にできると考えているのだから。しかし、私はできないことを一生懸命やる人間ではない。本当に可能性は充分あると思っている。

しかし、飛行機が浮力の活用等、様々な自然の理法の活用が必要なように、私も自然の理法の活用が必要かもしれない。また、何をするにも資金や人材が必要である。
そのためにこれまで頑張ってきたが、なかなか思うようにことは進まない。

昔、山田雅俊先生の極真会館城西支部の道場の壁には、正確には覚えてないが、「もう一息、もう一息という処でくたばっては、何事もものにならない」という武者小路実篤氏の言葉が掛けられていた。
多くの門下生は、その言葉に励まされたに違いない。

当時の私は、体力、情熱が充実しており、なにくそと頑張っていたので、余り気には留めなかったが、年を取り体力も衰え、立場ができ、その責任を重く感じるようになると、自分の情熱や信念を実行に移すということがとても大変なことだと感じている。