以前、準大手のゼネコンの不正が記事になったとき、
政治面でも、族議員の横暴が記事になっていた。
大手電機企業は、内部留保の十分すぎる確保を優先し、
期間従業員の雇用を守らなかった。
ある一日の大手の新聞記事が、
これだけのことを記事にしているのに、
社会の奥底にある悪意に、誰も言及しない。

ほとんどの庶民が苦しい生活を強いられているのに、
どこかで誰かがお金を搾取し、美味しいものを食べている。

野党第一党の党首は、
開き直りとも、演技ともとれる発言をした。
「何も知らないはずはないだろう。」
普通の大人なら、
事実関係は理解しているし、理解しようとするだろう。
そこに何らかの構図はあるはずだ。

やはり与党の主流派出身ということだったのか。
開き直り、居座り続けることで、
野党の野望も潰えることになるだろう。

それにしても解せないのは、
党全体で、その開き直りを指示したことだ。
地検特捜部の操作を、「不公正な国家権力の行使!」とは。

そこにある身内の不正に目が向かないのだろうか?
いや、それを納得ずくで党首に据えたのか?
これまで、地検特捜部が操作した対象は、
主に与党側だった、と記憶している。
最近ではホリエモン、以前では、リクルート事件。
まだまだ裁判が続いている件もあるが、
そこにある不正が、たしかに不正だったはずだ。

野党第一党として、その開き直りを支援する方針を、
党幹部は決定したらしい。
正直、これで政権交代はなくなった、と思う。
小泉元総理の発言も、「それは詭弁だろう!」
と憤ることも少なくなかったが、
メディアの取り上げ方や、
そのブレーンの一貫した姿勢・信念、
また小泉氏本人の人間的な面白さから、
その詭弁は、「小泉節」と囃し立てられ、
自民党は衆議院選挙で圧倒的議席を獲得してしまった。
今回の野党にはそれがない。
正直、辛気くさく、腹黒いイメージが払拭されない。
野党の会合で、
「党首を守る」という案を発表した際、
会場からは、なんの発言もなかったと報道されたが、
それはそうだろう。
表だって、首脳批判はできない。
(したら選挙に公認候補と出馬できない。)

会場はため息に包まれたことだろう。

繰り返しになるが、
やはり政権交代は実現しない。
やはり、民主党も自民党も変わらない。
そりゃそうか。
民主党の執行部には、元自民党議員が多いもの。

誰か、正しいことは正しい、といえる議員は現れないのか!

しばらく、自分の半生を考えることや、
自分の現状を考えることで、
自分の、本当に歩むべき道がわかってきた。
自分が何を考えてるとき、
「俺、生きてる」と思えるのか。

それは、やはり「教育」だ。
「教育」だった。
目の前の生徒たちを、どういう青年に育てたいのか、
と問われるとき、僕は言葉を発しようとする。

以前知り合った、他業種の方に、
「ロベルトさんの言葉には、使命感を感じる」
と言われたことがある。
「自分が何とかしなければ」
という気負いはないが、
「彼のために、自分にできることをしよう。」
と発言することは度々ある。

「それでいいのだ!」
バカボンのパパさんではないが、
誰かがそう、言ってくれてるように感じる、この今。
天国の父か?

「それでいいのだ!」

学生時代に流行りだしたカラオケボックスで熱唱した歌があった。
「どんなときも」(槇原敬之氏)
~僕の背中は、自分が思うより正直かい?
 誰かにきかなきゃ、不安になってしまうよ。~
まだ社会に出ぬ頃、不安に嘖まれる若者の歌だ。
でももう、僕は若者ではない。
目の間に生徒がいるのに、
「俺って、正しい?」なんて、生徒には聞けない。
そんな不安があっても、
自分に問いかけながら、正しいと思う道を歩むしかない。
それが大人の強さ。

僕に、「正直、期待はずれ」
と言った方の、真意を考える。
一方で、私を評価してくれる先輩も保護者も、
そして生徒たちもいてくれた。
ちょっとした言葉に傷つくこともあるが、
それで打ちのめされるような自分なのか、
自分の仕事なのか?
「君は大丈夫だよ。きっと良い先生になるよ。」
いつかすれ違った方々の言葉を思い出す。
「ロベルトさんを、全面的に信頼しています。」
どうしてなのか、照れくさくて聞かなかったが、
それ以降も、僕は人の道を踏み外してはいない。

一緒に学年を組む同僚と、
生徒の話をするときが、最高に楽しい。
もちろん、楽しい話ばかり・良い話ばかりではない。
時には、深い悲しみに包まれることもある。
それでもいつも希望がある。
彼らに無限の未来があるということが、
いつも、最高の希望となる。

自分の指導法や、同僚の経験や指導実践を聞くことが楽しい。
先輩や同僚の、教育観や信念を聞くとき、
心が震える。そして感動を覚える。
もっと、自分を磨こうと、思う。
学生時代の不勉強から、いつも、
自分の数学に限界を感じている。
でも、それは自分が、自分の心で作った、低い天井。
いつでもその天井は、壊せるでしょう?
勉強は、大学でしかできないものではないでしょう?

また、有難い言葉を思い出す。
「いつも不勉強だった学生時代を悔やむんですよ。」
「でもロベルトさんが、もし勉強ばかりしていたら、
 いま教師をやっていないのでは?
 いま教師として立派にやっているロベルトさんは、
 よい学生時代を過ごしてきたからだと、思いますよ。」

いくつものキッカケがあって、
いまの教師という職業、いまの職場に導かれたきた気がする。
教師を目指そうと、
学生時代に考えはじめるキッカケになった本の一節を思い出す。
堀尾輝久著「教育入門」岩波書店
あるフランスの詩人の言葉だと、あった。
「教えるとは希望を語ること、
 学ぶとは誠実を胸に刻むこと。」

いま僕は、日々、希望を語り、
そして僕自身、誠実を胸に刻んでいる。
教師とは、自分自身が成長できる、職業である。

もし、このご時世、
(つい先日までの自分もそうだが)
教師になること・教師であることに悩んでいる人、
あらためて、教育を語ろう。
教師は、素敵な職業だ。何も自分を卑下することはないよ。
思い切り、生徒の間に飛び込もう。
最近、眠れなくなると深酒をしてしまう。
一時期行っていた朝のマラソンもできなくなった。
体調不良の悪循環。
朝のジョギングは、カラダと「心」にいい。
そうできなくって、痛切にそれを感じる。
カラダにどうしようもないものがたまっていく感じがする。

ついこの間、「四十にして惑わず!」
と書いたばかりのような気がするが、
この1ヶ月くらいは、全く別の状況だ。
2,3年前、ベテランの先輩に、
「正直、君の働きぶりは、期待はずれだ」
と酔って言われた一言を思い出しては、
肥大化しつつある猜疑心にさいなまされている。

「他人に良く思われたい」という気持ちは誰でも持つものだろう。
しかし、ときおり神経症みたいになる僕は、
「いま、自分はあの人にどう見えているだろうか?」
ということが気になって気になって仕方ない、となることがある。
神経質なんだな。
僕にはそういう一面があるんだな。
最近は、言葉が出てこないときがある。
「吃音」とか「どもり」というのは、
僕には関係がないと思っていたが、
最近は、どもるというか、言葉を咬むことが非常に多くなった。
「これは、病気だな。」
心の病気。

今日の休日も、
小さな自尊心を満足させるようなことがある一方で、
まったく仕事が手につかない。
いつも年末や学期末はこんな感じだ。
毎年、春には心機一転、
「今年はひと味違う自分になろう。」
と新鮮な気分ではじめるが、それが1年間、
全うされた試しがない。
ダメな、数学教師だ。

妙な神経質さを捨て去りたい、削ぎ落としたい。
どもりもなおしたい。
これは本来の自分では、ない。
何かを変えなければ、根本的に。
読売新聞は、高校野球からは距離をおいているから、
高校野球の特待生問題・国内留学生問題には、
サッと切り込めるようですね。
(朝日新聞は夏の甲子園、毎日新聞は春の選抜大会の後援)
先日の記事は、結構良かったと思います。

思い返せば、野球のあの王子も卓球のあの少女も、
生まれ育った地元を離れ、
遠くの都道府県の高校に通っていたと思います。
私の好きなサッカーでも、
雑誌の選手名鑑を見れば、
いわゆる国内留学の選手なんてざらで、
地元の中学校卒業生だけで組織したチームは、
大会をはやばやと去っていったように思います。
もはや、高校スポーツはプロスポーツ的な部分もあります。

私たちが高校生当時は、
そんな感じはしませんでした。
サッカーにおいては、Jリーグが出来て、
その下部組織である高校生チームが存在することになりました。
これはもうハッキリとした、プロ予備軍です。
Jリーグの場合は、
プロ野球と違って下部組織を持つことが義務となっているので、
(たしか、そうです)
もう早ければ、小学生くらいから、「プロ予備軍」は存在します。

さて、本校の話。
少子化や不況の最中、
やはりスポーツ特待生や特別進学コースへの奨学金というのは、
話題に上がります。
横浜にも、最先端科学に特化した公立高校が出来ますし、
大阪でも、進学重点高校の設置が、豪腕知事の発言から出ています。
うちの話は、それほど盛り上がらずに収束しましたが、
先日も述べたように、公立高校は本気です。
授業料が安く済む公立高校で、
何かに特化した教育を行うことは、
ある意味私学以上に、「公金を用いたプロ養成」か、
と読売新聞の記事を読んで思いました。

例えば、公立高校で行っているという、
「国公立大学への現役生の合格者数・その数値目標と達成度」
ということなれば、これは受験のプロ養成事業。
そしたら、土日・夏休み返上で教えることも必要でしょうし、
保護者からは、
「公立高校の授業料で予備校分も教えてもらえる。」
と、この不況の最中なら、飛びつくのも当然でしょう。

また、この国公立大学への進学者数というのも妙。
私立大学と違って、生徒1人1校しか進学できませんからね。
できる生徒にセンター試験で高得点させて、
センター試験のみの選抜試験の合格を荒稼ぎさせるという、
「裏技」で合格者を水増しできる私立大学合格者数とは、
一線を引くことができます。

書いてみて、なるほどと思いました。自分で。

そういえば、以前やはり新聞で読んだ記事に、
「保護者が、息子を私立大学に進学させようと思います、
 と担任に伝えたとたん、担任が
 『じゃあ、受験は勝手にやってください』と、
 冷たくなった。」
とありました。
なるほど、そういうことか。

もはや、高校は保護者の、自分の子どもへの投資の場所です。
投資した分、どれだけのリターンがあるかどうか、
それを検討した上で、入学させる場所となりました。
以前からももちろんあったことですが、
こうやって教育現場にいて、はじめて感じるところもあります。
そして、長引くベースアップしない給与が、
それをおおっぴらに語ることをハレンチとしない、
という精神性を増進させています。あああ。

本来、教育とは、
「どこまで子ども自身が気がつくまで待てるか。」
という信念をよりどころにしている面もあるので、
「結果を出す」
ということに相容れないところもあります。
「結果を出す。」ということが「教育」のプロのすることなのか?
そういえば、
若い頃は無自覚に、
このような発言に影響を受けていたこともあったかなあ。

とにかく、現在は高校に入る前に、
中高一貫校に入るときは小学生くらいから、
プロ野球選手になるか、プロサッカー選手になるか、
東大進学コ-スに行くか、決断せねばなりません。
もはや「待てない」、
とかく世知辛い世の中です。

さあ、それでも今日も明日の希望を胸に、
生徒の前に立ちたいと思います。
「ハイ、そんなの関係ねぇ、そんなの関係ねぇ!」


先週の朝日新聞を見てビックリ!
東京都の進学重点高校(こういう名称?)の記事。

マジで、あんなに勉強してんの?
夏期講習が数十種類って、ほぼ毎日?
それって、夏休み?
土曜日も授業しているらしいですね?
(もちろん、私学はほとんど土曜は授業です。)
もしかして日曜日も?
それって、学校なんですか?
学校の先生の休日ってあるのですか?

いやあ、噂には聞いていたが、
記事読んでビックリした。
たしか学校の週休2日制は、
アメリカの圧力で、
日本の教育公務員法を改正してまで実施したはず。
それがもうないがしろ。
さすがメトロポリタン。
(っていうか、首長の権力?)
これは、私学もうかうか出来ないわな。

というか、
教員の受験に対するプロ意識の高揚はもちろんですが、
もはや16歳にして高校生も、
受験戦争・学校間競争を勝ち抜くためのプロの兵隊ですね。
いやいや、これは疲弊するな。
たしかな教育観のないまま、知識ばかり詰め込まれ、
まして教育力のほとんどない上級学校へ押し込まれ、
学生も精神を病まなければよいが。

この流れは、東京ばかりでなく、神奈川も。
また、あの豪腕知事の元の大阪府も、か?

よかったあ、私学で。
でも、こっちも学校間競争に勝たなければいけないのか。
フーッ(^o^;)
ここ1ヶ月、緊張の場面があったせいか、
「最近のロベルトさん、妙に細かいよね。
 どうかしたの?顔つき、変だよ。」
と何人かに言われた。
そうでしょう、そうでしょう。
この数週間、あらためて自分の気の小ささに気づき、
また猜疑心に嘖まれ、
他人からどう見えるかを考えてはまた悩む、
ということが度々ありました。

いまはその緊張状態になく、心は平穏になりましたが、
現在もこのブログを書いているように、
うまく睡眠できない状況にあります。

寝ようと思ってアルコールに頼ると、
翌日、それが完全に抜けきれずカラダが怠い、
ということも度々あります。
以前、毎朝走っていた頃は缶ビール一本でも飲むと、
翌日の走りはイマイチなので、
呑むのを控えることもあったのですが、
いまは寝酒が当たり前。悪循環に陥ってます。

でも、それを悔やんでばかりいても仕方ないので、
まず寝酒を控えること。
また仕事のことで悩むのは、ほどほどにすること。
人間には忘れるという機能がついています。
失敗は積極的に忘れようと思います。

ところが最近は、忘れることがひどくなっています。
まず1年前のことが全く思い出せません。
「ロベルトさん、この催しの件なんだけど」
「えっ、俺がそれ決めたの?
 覚えてない」

先日も他校の先生から、
「あの~」って電話があり、
「あっ、ごめん。忘れてた!」
と平謝り。
昔、高校の友人に、「教師になる」って言ったら、
「教員って、老後、ボケやすいらしいよ。
 毎回、毎年同じことを言っているから。」
と言い換えされた。
「マジで。(゜д゜;)。」
若年性アルツハイマー?
妻には、
「ボケるようなら、いっそのこと…。」
って告げてある。
もちろん、それは遠い未来の話だし、半分以上冗談だ。
しかし、記憶力には自信があった私が、
約束をいくつも忘れている。
多忙が原因なのか?

思い詰めると良くないので、
仕事もそぞろに、こうやってネットサーフィン。
最近のマイブームは、
「もし、他の職業に就いていたら」
またかよ、ってお思いの方もいるでしょうが、
まあ聞いて。

①もし哲学者になっていたら。
大学院時代、ふと聴講した教育哲学の授業が面白く、
専攻を変えようか、とマジで考えたこともあった。
教育哲学のなのか、教育学なのか、あるいは哲学なのか。
別の大学院に入り直す、ということも考えた。
先日、新聞の夕刊に、
「どうすれば哲学者になれますか?」
という質問に哲学者の方が、
「自分でそう名乗れば、今すぐにでも哲学者になれます。」
と返答していた。
いま、哲学しようとすると、鬱になりそうなのでそうしないが、
定年後は、週に何回かはヘーゲルだかカントだか、
読んで見ようと思う。
哲学は定年後の楽しみにする。

②もしシステムエンジニアになっていたら。
実の兄がシステムエンジニアなので、
これはそう遠い話ではない。
調べてみると、僕はシステムエンジニアというより、
プログラマーになりたかったようだ。
もっというと、プログラミング言語を理解する、
あるいはプログラミング言語を作ることがしたかった、
ということが、この数日の夜の調査でわかった。
(ちなみにコンピュータを動かすのは機械語だが、
 その機械語というのは、人間は理解できない。
 機械語に翻訳される「プログラミング言語」で、
 プログラムを書くことで、コンピュータは動かせるようになる。)
昔、兄に、
「企業の使ってるプログラミング言語って何?」
と聞いたら、
「プログラミング言語?エディタのことか?」
と返された。
結局、よくわからないが、
最近は多種のプログラミング言語があるようで、
その用途によっていろいろあるらしい。
いちおう数学科なので、pascalを勉強したがただそれだけ。

プログラマーになろうと思ったのは中学生の頃。
家電のようなパソコンを購入し、
BASICで出来損ないのインベーダーゲームを作っていた。
もっとちゃんとパソコンを勉強したいと思ったのがキッカケ。

調べてみれば、プログラマーになるのも、
「名乗ればいい」らしい。
実際に仕事があるかないかは別にして、
「プログラムが組める人」をプログラマーと言っていいらしい。
じゃあ、俺もプログラマーじゃん、すでに。
あらためてどんなプログラミング言語を勉強したらいいかと
探ったら、C言語に行き当たった。
「あれ、C言語?聞いたことあるな。
 もしかして俺が拒絶した言語か?」
あの打ち込んだ書式、printfって感じ、そうっぽい。
なるほど、UNIXはC言語で作られたのか。

まあ、とりあえずこれで満足じゃ。
C言語の入門書くらいは読んでみようと思う。
現在のMacOSはUNIXベースのOS。
そのUNIXがC言語で書かれているなら、少しは理解したいと思う。
これも定年後の楽しみにする。
これから最先端のプログラマになるわけではないので。

少し、眠くなってみました。
これで終わりにします。
お休みなさい
新聞の広告も、
予備校や「これから受験できる大学」のものが増えてきた。
難関私大や国公立大の試験はこれからだが、
それ以外の大学の試験は終わり、
合格発表も終えたことだろう。

話は変わって、
先日、小学生の娘が、
「ファッションデザイナーになりたい。」
というので、どうすればそういう職業に就けるのか、
ネットで調べてみた。
大学に行くとしたら、被服科か。
家政学部でもいいのか?
短大などで、専門学校を併設しているものもある。
同じ学科の短大と専門学校だったら、
どっちがいいのだろう?
そういう業界にも学閥などはあるのだろうか?
知らない世界は想像もしようがない。
娘がどの学校に行けば、夢が叶い、
また楽しく有意義なキャンパスライフが過ごせるのか?
そう考えながら、ネットサーフィンしていた。
見れば、大学よりもよっぽどカリキュラムが
充実してそうな専門学校もある。
専門学校へ行くということを考えたたことがなかったので、
さまざま課程のある専門学校にビックリすることもあった。

でも本当は、専門学校への進学を考えたことがある。
センター試験は大成功したが、
滑り止めと思って受験した大学に落ちてしまったのだ。
(誤って、x軸にそって積分したときは呆然としたっけ。)
(確か、物理の力学はもう、サッパリだった。自信を無くした。)
残す発表は、東京都内の難関大学のみになった。
国立大学の前期試験が終わった後、両親に相談した。
「もし、全部ダメだったら、浪人させてくれないか?」
と言ったところ、父親が、
「専門学校へ進学してくれないか?」
と言ってきた。絶句した。
センター試験で9割近く得点したのに、
大学を諦めなければならないのか?

後期の試験は、地元の国立大学に出願してあった。
母親がうるさかったので出願したのだった。
願書は取り寄せていなかったので、
級友が「受けない」と言っていたので、
図々しくも、譲り受けて出願した。
そんなんだから、
出願した学科も志望しているものではなかった。
無事、大学に受かり、このことはなかったことになるが、
父のこの言葉はとてもショックだった。

しかし、それは俺ばかりでない。
兄は浪人したが、浪人する前にやはり父親に、
「大学は諦めて専門学校へ行け。」
と言われていた。
高校時代の友人も、
家庭の事情で大学を諦め、専門学校へ進んだ。
いまは都会で働いている。
たびたび届くメールから、
とても充実したエンジニアをしている様子が、
伝わってくる。

調べてみれば、いろいろな専門学校があるものだ。
そういえば、大学のとき、
友人の家でちょっとしたパーティーが開かれた。
そこにとてもかわいらしい女の子が来ていた。
「なにしてるの?」
「専門学校、行っている。」
「なんの、専門学校?」
「メーキャップ・アーティスト」
「えっ?」
アーティストという響きがとても素敵だった。
それ以上、彼女と親しくなることはなかったが、
逆に聞かれ返答した際、
「数学を勉強しています。」
と言ったとき、
「えっ、…」と顔に縦線が入っていたのは覚えている。
( ̄_ ̄ i)
そのときのアーティストっていう響きが素敵だったので、
それから先、
「僕はカタカナの名称の職業に就く。」
と豪語し、具体的には、
「エンジニアになる。」と言い続けた。
でも、今の職業は…、「ティーチャー」。
(でもいまは、自信を持って、
 「職業は教師です。」と、
 漢字2文字で応えるようにしています。)

話は戻る。
我が子も含めて、
若者たちにはどんな未来が待っているのか?
輸出を重視した大企業が、
国内の雇用を大事にしなかったせいで、
労働環境が悪化したばかりでなく、
内需も期待できないような精神状態になっている。
(すべては政策・施策に問題があるように思う。
 誰か先見性と論理性のある、
 立派な政治家が出てくれないものか?)
技術や哲学を身につけていれば、
どんな学校を出ても、
働いてそれなりの収入が期待でき、
安心して子育てできる社会になってほしい。

若者たちよ、
いまは何を持ってしても、不安だと思うが、
大学でも専門学校でも、
とにかく興味があって入った学科なら、
腹一杯学べ。
それが君の生きる道だ、と思う。
精一杯、学んでほしい。
数学セミナーの連載記事、黒木哲徳氏(福井大学)の
「教師のためのやさしい数学の話」が終わってしまった。

中学の数学から高校の数学、そして現代数学まで、
素朴なことからはじめ、
それらを横断的かつ順序立てて構成する記事は、
とてもわかりやすく、魅力的だった。

「ああ、大学でなんだが格闘した式というのは、
 中学生で習うこのことの理論だったのか。」
とあらためて思うこともあった。
今回はオイラーの多面体定理であるが、
このオイラー標数も、非常にわかりやすく、
脳裏にビビっと刺さる感じで、
「そうだ、そうだった。」と理解した。

教育系学部の数学学科系への入学者は、
2つのタイプがあるように思う。
1つは、教師になりたくて、
その科目選択で、比較的得意な数学を選び、入学してくる者。
2つめは、数学が好きでたまらなく、
教師になるかならないかは置いといて、数学科を選んでくる者。

大学時代、私のまわりには2にタイプが多く、
とりあえず教職課程をとる者もいたが、
おおくはそれを履修していなかった。
私はタイプ1だった。
以前書いたように、数学には「畏れにも似た憧れ」を抱いていた。

話は戻る。
黒木教授のような先生に、大学時代、出会いたかった。
「数学の教師になるなら、
 腹一杯数学を学んでほしい。」
でも、どう学べばいいのか?
学生時代、
目の前の黒板の数学は受験まで勉強していた数学とは、
全く違う世界である。

「それでも、数学を学べ。」
数学は目の前にある。

思えば、
大学入学後、ある日、突然母校に帰り、
いろいろな先生に挨拶をしにいったことがあった。
後に教育実習の指導教官になる先生に、
「教師になるためには、どんな勉強をしたらいいですか?」
と聞いたところ、
「大学で微積と線形代数をやっているだろう?
 大学で数学をしっかり学べばいいのだ。」
と言われた。
いま、思い出した。
たしか僕はそのとき、
「なんか、サッパリわからないですよね。
 教師になるなら、受験の数学を教えられれば良いのではないですか?」
「受験の数学なんていつでも勉強できるから、
 いまは大学の数学を学べ。○○先生は元気か?」
恩師は大学の先輩でもあった。
あのときのことをしっかり聞いて、
もう少し、大学1年の時に、
微積と線形代数をしっかりやっとけば良かった。
(一応、線形代数は『優』ですが。微積は再履修だった。
 再履でも前期の試験はたしか0点。何とか『良』で終えた気がする。)
(実はこう見えても、けっこうマメなところがあって、
 高校時代の通知票と大学・大学院時代の成績は押入に入っている。)

話は戻って。
今年度ほど、「数学セミナー」が楽しみだった年はない。
それはこの連載があったから。
今回の特集「ウェーブレット」なんて、どれを読んでもチンプンカンプン。
それでも、あの連載で読後感が爽快。
でもこの連載も終わり。
単行本化されるかなあ。されると良いなあ。
ああいう記事って良いよな。
あと「NOTE」という投稿記事のところに、
円と円の内サイクロイドに囲まれた部分の面積を求める公式があった。
またこのコーナーに、かなり高齢の方の投稿もあった。
先月は、相加相乗平均の証明で、
現役の教師の投稿が特集記事に採用されていた。
みんな、頑張っているなあ。

今日、駅で買った新聞に、
「独学」という言葉のタイトルの2つの新書の広告があった。
「独学」
良い響きである。
「学ぼうと思えば、いつでも学ぶことが出来る。」
いつ、どれだけ学ぶことが出来るかわからないが、
こういう気持ちは大事にしてこうと思う。
後悔ばかりしていても、何も始まらないから。
突然ですが、数学の教師をしている方、
どんなワープロソフトでテストを作っていますか?
Texですか?(私はよくわからないのです)
やっぱり、スタディ・エイド(数件出版)?
それとも一太郎&花子(ジャストシステム)?

私は、学生時代にパソコンが購入できなかったし、
また、大学のパソコンルームで数々の失敗したので、
実はパソコンが嫌いになっていました。
大学入学当初は、
「システムエンジニアになる」っていっていたのに、ですよ。

就職して、しばらくは手書きでテストを作っていましたが、
不評でしたので、一念発起してパソコンを購入。
職場の人に聞いたら、多くの方が、
Word(マイクロソフト社)のMathタイプを利用して、
数式を書いていました。図も何とか苦労して書いていたようです。
とにかく、何時間かけても、
パソコンのワープロソフトで数学のテストを作る。
何時間もかけて作ったテストが、作業中フリーズして、
全部消えてなくなったことも、何度かありました。
放物線や双曲線は、ワープロソフトの図では描けないので、
スタディエイドで描いて、貼り付けたりしました。
でも、一度貼り付けた図形は、
ワードのドキュメントのうえでは編集・修正できず、
これでフリーズもしばしば。
ならいっそのこと、スタディエイドで、と思いますが、
一度慣れたMathタイプ(数式作成ソフト)に決別が出来ません。

しばらくすると、使っていたパソコンが不調に。
もう10年使っていますから。
しかし、買い換え得ようとしても、
WindowsーVistaには有象無象の批判が。
まして、
そのあたらしいオフィス(マイクロソフト)はもっと使いにくいと。

「もういやだ。
 やっぱりパソコンはいやだ。
 理由がわからないで動くようなものを扱いたくない。
 パソコンのことがわからなくても、
 パソコンを感じなくても扱えるパソコンはないのか!」

パソコンらしくないパソコン。
あるじゃない。
そうアップル社のMacintosh。
そう中学生のころ、
ディスプレイ一体型のパソコンにマウスがだけつながっている。
「えっ。キーボードが別売り?」
何だ、そんなパソコン。
マウスだけでコンピュータが使えるのか?

実は大学入学当初、
もちろん東京の大学に進学するのでお金がかかるのは、
知っていたが、父親に懇願したことがある。
「パソコンを一台買ってほしい。」
もちろん、
「大学に、パソコンルームがあるだろ?
 買ってあげられない。我慢してくれ。」
と言われた。
その時、買いたかったパソコンは、Macintosh。

不評のVistaとOfficeを使うくらいなら、
新しいことをはじめよう。
何度か、描いては消えた、Macの購入。
一歩進めよう。

Mac購入は、すでにご報告したと思います。
でも実はこの半年、BootCampでWindowsXPを動かし、
ずっとWindowsパソコンとして活動していました。

これではいけない。
もう右クリックをしたくない。
MacはMac.
Macで数学のテストを作るぞ。

でもいままでの経験は捨てられない。
評判の悪い、マック・オフィスを購入。
しかし、日本語入力に手間取る。
「ことえり」の変換には慣れない。
もとよりマイクロソフトのIMEもいやだった。
一番いいのは、携帯電話の日本語変換だが、それは無理。
やはり慣れ親しんだ、「ATOK」へ。
しかし、ATOK for Macが売っていない。
ああ、どうすれば。
ホームページにいけば、「体験版」がダウンロードできると。
なんと素敵なサービス。
早速、ダウンロード。
おお、コレコレ。
この変換の感じ。

MacのWordの数式タイプも、いままで通りいける。
「あれ、不等号が挿入できない。≧、≦が。」
なんと、(≧,≦)!

とりあえず、いまは困ったら、Windowsに戻ります。
それでも探せば、数式タイプや図形描画ソフトもあるようだ。
ダウンロードサービスで見つけられそうだ。

みなさんは、どんなソフトで数式と図をかいていますか?
とりあえず私は手探りで、Macで作り始めます。
もし、何か便利なことがあったら、教えてください。
期末テストは、Macで作るつもりです。
中学入試のシーズンも終わり、次は高校・大学入試ですね。
たいしたことはないのですが、
精神的重圧を、勝手に感じているため、疲労困憊です。

元より、寒いのも苦手。
昨年度いっぱいで、下ろさせていただきましたが、
スキー部の顧問でスキー場に引率するのは、
けっこうブルーです。(-。-;)
晴れて、また審判を終えたら、
半分楽しみで生徒と一緒に滑りますが、
昨シーズンの大会は、ずっと大雪。
低くたれ込めた雪雲の下で5日間。
「ああ、はやく乾いた地面を走りたい。」
と、ランニングダイエットしていたので、
毎日、宿舎から空を見ては、そうつぶやきました。
予想外に、指導できる人が増えたので、
お役ご免とばかり、顧問ではなくなり、ホッとしました。

スキーは嫌いではありません。
先日も娘が、ゲレンデの半日スキースクールで、
リフトの乗り方を教えてもらったので、
娘と2人、リフト&ゲレンデデビューしました(*^▽^*)
世界が広がるって、いいですね。
不景気で、経営の厳しいスキー場の噂も絶えないですが、
寒がりの私が、家を出るキッカケになっています。
ですから、小遣いも家計も厳しいですが、
細々と続けて行きたいと思っています。

話は戻って。
それでも寒さは苦手です。
この季節、Jリーグやプロ野球のキャンプ情報を聞くと、
「俺も、九州や沖縄いきたーい。」
と心の中で叫びます。
グァムやサイパンなら、なおいいです。
ハンカチ王子で話題になりましたが、
大学野球部も九州などでキャンプするのですね?
知りませんでした。
もはや、有名私立大学の名門運動部はプロですね。
よかった、足を踏み入れなくて。
噂は聞いていたし、キャンパスで見かけたことはありますが、
もはや同じ大学生ではなかったのですね?
そういえば、
教育実習担当の教授が文句を言っていたのを思い出します。
「学ぶ権利を放棄するのか!」

話が逸れてきました。
疲労困憊です。
また、後日ヾ( ´ー`)