数学教師として着任する際、「まずは格好から。」と決めていた。
私は何につけてもそうである。
ランニングを始めるにしても、
「まずはシューズ。その次はシャツ、短パン。パンツ・靴下も。」
何はともあれ、格好が大事である。
いつも、そう心懸けている。

数学教師らしく。
大学受験勉強で視力が下がった際は、太い黒縁のメガネにしたが、
これが重く、もとより肩こりが酷かったのに、それに拍車をかけた。
いろいろな方からもらったお祝いや餞別で、
まず、金縁のメガネを買った。
太いフレームは気になる。
できるだけフレームが目に入らない大きいレンズのメガネ。
ブランド系が良い、と思った。
あのおんボロアパートから脱出したのだ。
プチブルだ。
トラサルディのメガネ。これがいい。

次はバック。
数学の教師らしく、角張ったカバンがいい。
一見、アタッシュケースのようなカバン。
黒に近い形。でも、ちょっとソフトな感じがいい。
こんな高いバックを買うの初めてだ。
いつも、2000円くらいの肩掛けカバンか、ナップザック。
すぐに壊れていた。

一番長持ちしたのは、浪人した高校時代の友人からもらったもの。
「そのカバン、浪人のときのやなことが思い出されるからいらない。
 ほしいなら、あげるよ。」
そいつの、浪人時代に会ったときの、すこしくたびれた感じが、
俺にはかっこよく見えた。
現役で、無駄なく進んで、
「これで良かったのかな?」
なんて悩んでるなんて、友人からみれば、
「おまえは贅沢だ。」
というだけのことだった。
いまはもう、会っていない。元気にしてるか。

サモソナイトっていったっけ?
とにかく2万円近くしたと思う。
次は靴だ。
「社会人になったら、足元を見れるぞ。
 あまり安い靴を履いていると、
 生徒からも保護者からも、鼻で笑われるぞ。」
と、兄か友人が言った。
塾のアルバイトや講師のときはハルタの靴だったが、
やはり指導教官(大学院の教授)が「最高!」と言っていたリーガル。
「うおっ。こんなに高いのか!
 いったい何年履けるのだ?」
いや、ここでビビッたら生徒になめられる。
リーガルの靴、購入。
さすがにくたびれてきたが、いまも履くことがある。
もう十年以上もっている。

次はスーツ。
しかし、スーツはロードサイド・テイラー、
つまり、大きい通りに面してる量販店「AOKI」とか、
「洋服の青山」でしか購入したことがない。
デパートのタカキューとか、○○とかいう流行のブランド服は、
俺には無理だ。まして、チョークで汚れる。
だから、スーツは、保護者に笑われても、
量販店の、いわゆる「吊し物」でOK。
最近は、1着買って2着目は千円とか3着目は100円、
とかいうのもあるので、
(だったら、1着1万円で売ってくれ!、という気持ちが出る。)
まあ、とにかく、地味でもかっこいい物を選ぶ。
Yシャツは白か水色などの青系。
その方が、金縁のメガネが映えるだろう。
ネクタイも少し派手に。原色系。
靴下も下着も買うぞ。
もう、何年も着た、
吉田栄作をまねた白いTシャツやトレーナー、
穴のあいたジーパンは全部捨てるぞ。
股間がすり切れそうなパンツ(トランクス)も、
かかとが透けて見えそうな靴下も全部捨てる。
もうすぐ初任給だ。
すこしは、これまでと逆に、親に仕送りするが、
全部、教師のユニフォームに先行投資。
「もう、貧乏はイヤじゃ!俺は教師だ。
 どちらかと言えば、インテリゲンチャ。
 いわゆる有識者。どちらかと言えば、裕福な層だ。
 もう、子どものときからの貧乏生活から脱出するのだ。」
腕時計も、3万円くらいする、ガラスに傷がつかない、
金色で革ベルトのものを買いました。

また、運動部の顧問になることにもなったので、
ジャージからシューズも一通り、そろえました。
当時、強かったJリーグチームのユニフォームサプライヤーのもの。
すぐに太ってしまい、着られなくなりました。
それは今、若い先生に着てもらっています。

しかし、しかし。
勤めて2年で、学生時代から付き合っていた彼女(妻)と結婚し、
3年目に長女、誕生。
また、下手すれば1日1食だった生活も、
面倒見の良い先輩のおかげで、晩酌(ビール)を覚え、
下手すれば、休日は昼間からビール(これが旨いんだ、罪悪感があって)。
翌日が休日だったら、自宅の夕食でも、
ビールを買い込んで、コンビニでつまみ買って、飲みまくる。
気がついたら寝込んでいて、夜十時。
小腹が空いてきたので、アパート近くのラーメン屋で大盛り一杯。
結婚後は、3食しっかり食べることになったので、
またタバコも止め、子どもの食べ残しも食べる。
また、すこし太りはじめては、すぐに歩くのが面倒になり、
タクシーとかマイカーを多用する生活。

太る、太る。
重さの単位は㎏でなくてトンか、トン?
せっかく買ったスーツはすぐに着られなくなった。

もう面倒くさい。
何も、授業をやるくらいで、ネクタイを締める必要もない。
太りはじめ、人相も悪くなってきた。
生徒との距離は開くばかり。
それより何より、スーツを買い換えるのが高くつく。
もう、ジーパンは履かないことに決めたで、
チノパン?っていうの。カジュアルなものにする。
夏はポロシャツ。
もちろん、裾出し。
生徒がシャツのすそを出してると、「だらしない!」
と怒るくせに、自分はノープロブレム。
できれば世相から、ポロシャツの襟は、カントナばりに立てたいが、
それはさすがに同僚の目が許さない。
冬はフリース。
ユニクロのフリース。
薄手で暖かい。
値段も手頃で庶民の味方。
チョークで汚れても、何度洗っても、また着られる。
もはや、私のトレードマーク。
ユニクロのフリース。
追随する同僚も。
オイオイ、そんなカジュアルでいいのか、おまえも。
「傾奇物(かぶきもの)」(隆慶一郎作「一夢庵風流記」参考のこと)
は俺一人でいいだろう。

靴は、近くの量販店で買った靴。
蒸れないし、軽いし、いつも黒いし。
あるいは、やはり軽いフットサルのシューズ。
緑のラインがあるのがいい。
放課後の運動部の指導も、
その上からウインドブレーカーを着てしまう。
いちいち、更衣室行って、スーツから着替えるのは面倒くさいし。

思わぬ効能が。
スポーティーな格好になったので、歩くのがつらくない。
バックもリュックに変更。
両手が振れるので、これまた歩きやすい。
バックはTPOに合わせて数種類。
最近は、愛機マッキントッシュを持ち歩くので、
リュック型のパソコンバック。ちっと重いが、
姿勢が良く、また少し痩せてきたので、
スーツを着ていたときの肩凝りがうそのように、少なくなってきた。
なるほど、俺にとってスーツはストレスだったのだ。

それでも、外部の人と接触するときはスーツ着用。
まあ、それくらいは、社会人の常識で。
あまり、カブイて、信頼されなくなったら、またやばい。
でもたまに着ると、スーツも気持ちよい。
身が引き締まる感じがする。
気のせいか、生徒もおとなしい。
たまにスーツを着るのもいいか。

本当に最近は、進学塾の取材や、
授業研究ということで、近所やあるいは都市の有名校でも、
「おたくの授業、見せてください。」
ということが多くなった。
「先生、今日はユニクロじゃないのですか?」
「バカ言うな。俺はいつもスーツだろ。
 外部の人が、この授業、見に来てるのだから、下手なこというな。」
ユニクロ着て、授業してるのを、
わざわざ出張して見に来た人に見せることはないだろう?
授業の内容も、今日は、「取材モード」だよ。
いつもはこんなにネタも豊富じゃないし、丁寧でもない。

授業をしていると、
「今日着ている服で一番高いのは、フットサルシューズ。」
ということが少なくなくなった。ちなみに五千円もしない、軽い靴。

授業をやりやすい服が一番です。
僕はそう思います。
でも職場の半数はスーツだし、
大半は、ノーネクタイでも襟付きのシャツにジャケット、
今どきだと、その上にセーターかカーディガンって服装。

先日、一応、会議で発言することになっていたので、
襟付きのシャツにジャケットを着ようとしたが、
ジャケットに合うシャツがなかった。
ピンクのカジュアルシャツしかなかった。
「カーディガンは?」
妻に聞いたら、冬物のクリアボックスから出してもなかった。
「だって、ほとんど着ないでしょ。」
そのとおり。
仕方ないので、ピンクのシャツに濃いめの入りのズボン、
それから派手でないユニクロのフリース着て、会議に行った。
「やっぱりスーツにしておけば良かったか。」
でも、発言するだけでスーツ着るってのも、なんかおかしいだろ。
「また、フリースか。」
冷たい視線に負けないぞ。

ちなみに、休日はジャージです。
ごくまれに、運動部の卒業生の保護者がお礼に
「ジャージやシャツを差し入れしてくれる」ので、
2,3着あります。
同じ部の顧問で、そろえたものもあります。
思えば、中学生のときは、毎日、学校指定のジャージを着ていた。
(いまでも田舎の中学生はそうだよね?)
高校時代だって、ジーパンにメジャーリーグ?のトレーナー。
ただ、ジーパンは炭坑夫の作業着だ、ということを聞いて、
なぜか、着るのをやめました。
いまは一枚もジーパン、持ってません。

でも、最近、少し痩せてきたので、
夏は、白ポロシャツ(裾出し、襟立て)にジーパンで授業したいなあ、
って思っています。
ただ、やり過ぎると、うちの職場でも、
職務規程遵守が大きくなりそうなので、
これは様子を見ようと思います。

それでは今日は、この辺で。さようなら。お休みなさい。
このところ、実はこのブログの更新がすすまない心境だった。
それはやはり、学生時代の不勉強に対する後悔から、である。
ところが先日、その重苦しい心の中の曇りが晴れるような映像を見た。
スポーツニュースの一場面である。
横浜ベイスターズの工藤公康選手の自主トレの合間のインタビュー。
もう40歳を過ぎている。それでも、現役にこだわるのはなぜか。
「あと何年、何歳まで現役の野球選手をやろう、っていうことは、
 考えないようにしている。」
と。

昨シーズン、ペナントレース(1軍の試合)で1勝も出来なかったという。
2軍での調整もうまくいかず、いろいろと悩んだという。
そのとき出会った1冊の本。
野村克也楽天イーグルス監督の本だという。
「この本の一節に『前後裁断』というのがあるのです。
 過去の栄光や後悔も、未来への不安などの漠然としたものを断ち切って、
 いますべきこと・しまできることに打ち込め、と。」

大学受験が終わった後、映画を観た。
ロビン・ウイリアムス主演「いまを生きる」。
現題は「Seize the dayz」、
原作の題はたしか「死せる詩人の会」。
受験一色の進学校に、情熱あふれる国語の教員が着任し、
情熱のままに授業することで、
それにふれた青年たちが熱狂し、その結果か、
ある哀しい事件が起こる。
そして、その国語の教師は学園を追い出される。

映画の内容とは関係なく、
「いまを生きる」
という言葉を思い出した。

そうだ、「いま」なのだ。
将来、こうなりたいから「いま」を我慢するのではなく、
「いま」を懸命に生きろ。
忙しくて時間がない。だから勉強できない、
なんてことは言い訳に過ぎない。いまできることをいまやれ。
過去の不勉強が原因で、現代数学がわからない。
そんなことは仕方ない。
(当時、それはそれで、勉強しただろう?)
その知識を元に、忘れたことは忘れたことで割り切って、
1つ1つ、後悔を捨てて、勉強するしかない。
人間は忘れる。
(忘れることで助かった・心が安らいだこともあるだろう?)
忘れるものなのだ。
忘れるようなことは、その程度のことでしかないのだ。

「いま」、自分は何に取り組むべきか。
(それはわかるだろう?)
仕事である。
教員の仕事は、多岐に渡る。
そのそれぞれに全力で取り組め。
勉強したいからと、その手を抜くことは失敗につながるだろう。
(それにそれは信念に反するだろう?)
目の前にあることに全力で取り組め。
そうすれば、道が自ずと開かれるのではないか?
(いままでもそうだった。)

いまをつかめ、いまを生きろ。
今日からしばらく多忙な日々が続くが、
心を見失わないように。
いまを生きろ。
それは自分へのメッセージ。
これから先の話は作り話です。

とある私立の中高一貫の男子校で、非常勤講師を募集しました。
そこにある国立大学の大学院生(博士課程)の方からの応募がありました。
「うちの学生をよろしく。」
と人事担当の教員は電話を受けましたが、
それほど面識のない方からそう言われても、
公募で募集している講師ですから、
そう言う声1つで採用するわけにはいきません。

とりあえず、複数の方から応募があったので、
公平に試験をしました。それで面接試験になりました。
その大学院生、質問の返答が、全く的を射てません。
人事担当の教員の数人も、
目を合わせるしかありません。
決して不誠実ではないのです。
1つ1つの質問に、考えながら答えていますが、
伏し目がちで、こちらの方を見ないで返答しています。
あげくの果てに下を向いてしまいました。

「どうして本校で講師をしようと思ったのですか?」
と聞くと、
「研究室の教授に薦められたからです。」
謎が解けました。
「なるほど、追い出されるのか、研究室を。
 それで電話してきたのか、あの先生は。」

質問を変えました。
「大学では、何を学びましたか?」
彼の顔が一変しました。
「数学です。」
「数学のどの分野を。」
「○○です。まだ論文を出せる段階ではないのですが、
 とても興味深く、毎日、悪銭苦闘しています。」
「結果がでるといいですね。」
「はい。おそらく、○○が△△で、□□ですから、
 もう少し先行研究を自分なりにしっかり理解できれば、
 成果は出ると思うのです。」
「そうですか、それでは大学の数学以外、
 大学でどんな経験が、自分にとって貴重でしたか?」
また、伏し目がちになり、下をむいてしまいました。
「…。」
答がかえってきません。
「じゃあ、また数学の話をしましょうか?」
「はい」
「学部生のときに輪講していた本はなんですか?」
「それは○○です。そこから興味がでて、修士では○○を勉強しました。
 修士課程で、教授から『○○高校の講師をやれ』といわれたので、
 1年やったのですが、その講師の間、数学の勉強ができませんでした。
 修士修了で同級生の大半は就職してしまいましたが、
 私はもう少し勉強したかったので、ドクターに進みました。
 もうすぐ3年経ちますが、もう少し残ろうかと思います。
 いっぱいいっぱい残って、それでも結果が出なかったら、
 就職しようと思います。」
「どんな職種に就職をご希望ですか?やはり教員ですか?」
「…。わかりません。」
彼はまた下を向いてしましました。

面接官全員が、「オイ!」
と言いそうになってました(笑い)。
「おまえ、何しに、ここにきたんだよ。」
思わず、言いそうになりました。

面接終了後、彼には丁重にお断りの電話をしました。
よく知らない大学の先生には簡単なお手紙を書きました。
ちょっとその先生には怒りを覚えましたが、
忘れることにしました。

でも、私はこの院生がとても羨ましく思えました。
社会人としては失格かも知れないが、
これほどまでに数学に執着し、勉強をしてきた。
大学時代を後悔ばかりしている僕には、
とてもまぶしく見えました。
履歴書を見れば、中学・高校時代はサッカー部。
「高校時代はサッカーばかりしてました。
 あまりうまくなかったので、大学入学以降、サッカーはやってません。
 大学に入ったら、数学を真剣に勉強しようと思ったからです。」

私もそう思った時期がありました。
たしかに。
でも意志が弱く、数学からもサッカーからも逃げ出した時期があります。
もちろん、大学を卒業できたので、
数学にきちんと向き合った時期もあるのですが、
大学初年度の不勉強、またその後の執着心の弱さもありました。
彼は教員には向かないかも知れないが、
数学に魅入られた男。
青春のすべてを数学に捧げた男。
将来はおぼつかないかも知れないが、
数学の真の姿は私より知っているだろう。
彼のことを思い出すと、微分積分、線形代数、位相の教科書を、
書棚から取り出します。
「あらためて、現代数学を勉強できないかな?」
もはや無理だと、わかっています。
勉強にひたむきなれる時間もないでしょう。
彼が羨ましい。
もう研究室を追い出されているかも知れないが、
全く数学には関係のない就職をするかも知れないし、
もしかしたら引きこもるかも知れないが、
彼が羨ましい。
数学に見入ってしまった男。
私も、「そうなりたい」「そうしよう」と思った時期があった。
でも、できなかった。
彼が羨ましい。

以上の話は、私の創作です。
現実に、こんな彼はいません。
あしからず、ご了承ください。

昨日の読売新聞に、
「大学の先生から高校の先生へのお願い」という記事があった。
知名度と偏差値(難易度)だけで大学を選ばないでほしい、
進路指導しないでほしい、というお願いだった。

最近は、本校でもそういう風潮はあるが、
①国公立大学
②早慶上智
③G-MARCH(学習院・明治・青山・立教・中央・法政)
 と最近は言うらしい。
④都市圏の有名大学(日東駒専、大東亜帝国など)
ばかり、進学を勧める指導するらしい。
特に、進学実績がその後の入学希望者の多少を左右するので、
進学重点校などは、
「私立大学に進学しようと思うのですが、」
と学校の先生に相談すると、
「じゃあ、勝手に受けて下さい。」
と言われるらしい。
なんでも、学校の進学実績とは、
国公立大学への合格者数をいうのであって、
その数に入らない生徒には、冷たい仕打ちをするのだとか。
また、最近の私立大学の合格者の半数は、
各種の推薦入試(指定校推薦・自己推薦・AO入試)での合格者らしく、
基礎学力の低下とそれに基づく学習意欲の減退に、
大学は頭を痛めているのだとか。
まあ、それは入試を多様化し、
学力検査の軽減で人気を少し集めたのだから、
自業自得とも言えなくもない。

その記事であったのは、
指定校推薦で入学してきた生徒が、
自分が入った学科が、何を勉強するところかも知らない、
とか、
学校の先生が、「おまえはここにしろ」って言ったから、
とかで、入学してきて、困っているというのあった。

実は、これは他人事でない。
本校でも、指定校推薦で推した生徒が、
進学希望の理由書にとんちんかんなことを書き、
面接でとんちんかんなことを答えたらしく、
私を含む数人の先生が、その大学に陳謝のために訪れる、
という一件が数年前にあった。
まあ、嘘をつけないうちの生徒にホッとするところもあるが、
そんなんだったら、
多少、ペーパー試験が不安だからって、弱気になって推薦出すなよ、
って言いたかった。

とはいう自分も、
高校生の頃、「まあ、ダメもとで推薦試験、申し込んでみるか。」
としたので、人のことは言えない。
まあ、ダメもとだったので、不合格だったが切替は速かった。
それでも、2週間くらいは受験勉強が停滞したし、
だったら、もう少し進路について考えても良かったかな、
と思うことはある。


先頃、
「大学の面倒見が悪かったので、
 一生懸命勉強して入学したが、寂しい思いをし、
 危うくドロップアウトしそうだった。
 だから、教え子や我が子たちは、面倒見の良い大学に入れたい。」
と書いたが、
一方で私も問題はあった。
酒を覚え、入学後しばらくは、新歓ムードもあり、
ふしだらに飲み歩いたこと。
また、その後の体調不良や学習意欲減退で、
大学入学当初、授業をサボりまくったこと。
テストを途中退出したり、結局、1時間も出席しない科目もあった。
授業に出られないのは、
実は、別の義理を果たすため、という言い訳もあるのだが、
とにかく二十歳になるまで、
僕の大学生活は、半分は自分のせいで、ボロボロだった。

貧しい農家の息子が、
バブルで華やぐ都会の私立大学に行くのものではない。
よくある、つくりの安いドラマのように、
自堕落な学生になってしまう。
事実、私の周辺には、留年生が数多くいたし、
卒業できずに、実家に戻った人もいた。
「ちょっとおまえ、連絡してみろよ。」
と言われ、勇気を出して、田舎に帰った先輩に、
「これからどうするんですか?」
と直球の、ぶしつけな質問をしてしまったこともあった。
一方で、塾の講師で自信をつけ、
大学を年限いっぱいかかって卒業し、
いまや有名予備校のカリスマ講師となっている友人もいる。
なんでも年収はタレント並みとか。
他人の人生はわからないものである。
そういう私も、教師という手堅い商売に就いているのだから、
アヘン窟のような学生のたまり場でタバコを吸いながら、
つまらない漫画やゲームで一緒に時間をつぶしていた、
当時の友人たちは、
「うまいことやりやがって」と思っているかも知れない。
この場を借りて、謝罪しておこうか。
「ごめん。俺、実は根は真面目だったんだ。
 今はちゃんとやってます。
 あっ、そんな、ちゃんとでもないか。
 けっこう、自分なりに頑張っています。」

話は戻って、
新聞で、大学の先生がそういうものの、
実は知名度と偏差値以外で、生徒は選びようがない。
とにかく、
とても授業だけでは解けそうもない問題が出題されるので、
こちらも授業だけでなく、補習や講習をして、
対策をとらねばならない。
生徒も、そう。
強いて大学選択の基準を示せば、
「大学で何を学びたいか?」
でもこれだって、難しい。
とりわけ、学部名や学科名が、
「環境情報」とかだと、「環境」と「情報」?
なにがなんだかわからない。
どこの大学だが、「国際経営情報学部」っていうのがあったが、
「国際+経営+情報(コンピュータ)」ってことか、と思った。
一方で、東大のように、
入ってから「進学振り分け」で自分の所属学科を選べる大学もある。

また高校生は(高校は)、大学入学の準備のためだけにあるわけではない。
甲子園を目指したり、文化祭に燃えたりと、
その青春を謳歌する資格や権利も、高校生にはある。
きちんと、
「うちの大学に来れば、こういうことが学べます。」
もっと言えば、
「うちの大学は、ここにあります。○○駅から徒歩○分で、
 4年間とも、当たり前ですが、1つのキャンパスで学べます。」
というくらい、広告・広報には力を入れてほしい。
本当に、自分の大学に来てほしいのならば。
だいたい、1,2年次は郊外のキャンパスで、
3,4年次は都心のキャンパスって制度ってなんだよ?
単位落としたら、2つのキャンパスを往復しなきゃならないじゃないか?
そういうところが、学生本意じゃないんだよ。
だって、小学校とか中学校とかで、上級生になったら、
キャンパスが変わるってないだろ?
不自然じゃないか?

話は変わって、
首相も替われば、政治思想も変わるのか?
こっちは衆議院の総選挙も出来ないうちに、
首相が次々替わり、今度の首相は、規制緩和路線からの脱却とか。
その間成立した、無意味な教員免許更新制。
さきほど、今年のパイロット講習を受けてきた人の話を聞いたが、
ほんとアホなことをするらしい。
お手玉の回数を競うとか、竹とんぼをつくり、また競うとか。
サラダやカレーも作るらしい。
そしてその間に、大学の先生の、リアリティーのない話を聞かされるとか。
なんでも、大学の先生も、
「現場の先生にアカデミックな教育論を話しても無駄だ。」
とか言っているとか、また教務主任からは、
「あまり単位を出さないと、人気が落ちて、
 更新講習会の申込者が減るから、
 パイロット講習の受講者は99%合格にしろ。」と言われているとか。
おいおい、頼むよ、ほんとに。

話を戻して。
団塊世代ジュニアの私たちは、
中学時代・高校時代に、
「勉強しないと、高校に入れない・大学に入れない。」
と脅されてきた。
ところが今は、規制緩和でどんどん大学が出来て、
キャンパスや体育実技が出来る施設がなくても、
大学と認可されるような、「ほんまかいな」という名前の大学も出来て、
まもなく、大学入学希望者は、大学を選ばなければ、
必ず大学に入れるという、定員数=大学入学希望者数という、
「全入時代」を迎えるらしい。
とどのつまり、大学の乱立である。
全く、政策はおかしい。
第2次ベビーブームのときは大学の数が足りなくて、
合格できずに泣く泣く就職した友人もいるというのに、
いまや定員割れをしている大学も数多くあるという。
それで、一方で、
知名度だけで大学を選ぶな、というのは暴論だ。
いつどの大学がつぶれるのかわからないのに、
あまり知っている人がいない大学に入学するのは勇気がいる。
知名度がイマイチでも入学してほしいなら、
せめて入学後4年間は破綻しない保証と、
就職の心配はさせないだけの、リクルート力は持ってほしいものである。

とにかく、
他人のせいにしないように、
生徒も私たち教員も、大学の先生も頑張るしかない。
たしかなものが何もないのだから。
先日、「大学には、実学よりも教養教育を求む」という記事を書いた。
翌日、朝日新聞の折り込み新聞「GLOBE」で、
「大学で何を学ぶか?」
という特集をしていたので、興味深く読ませてもらった。

イタリアの教養大学の記事、
アメリカのリベラルアーツ・カレッジの記事、
イギリスの市民大学の記事、
どれも何か、心に引っかかるものがあった。
いまも、このグローブはバックの中に入れ、
暇があれば、開いている。

実はこの特集で、日本の大学についても、
「大学での教養はいかにあるべきか?」
と、東大の先生にインタービューしている記事があるのだが、
これがどうも、他の内容に比べ、薄っぺらい。
日本の教養に対する理解の浅さに比例するようだ。

とはいう私も、「教養とは何か」と聞かれれば、
返事には窮する。

ただ、都心の大規模私立大学の一角で、
ぽつんと数学の講義を聞き、
わけもわからず板書を写していた、あの寂しさは忘れられない。
「俺はこんなコトがしたくって、
 大学に入いるため、視力を落とすまで勉強してきたのか?」

それで一方、
なぜ、欧米の大学の教養教育に羨ましさを感じるのか。

それは少人数教育、だと思う。
未熟な大学生なりにも、
大学の先生と向き合って、自分の意見を表明できる機会がある、
のだという。それが羨ましいだと、今日の帰り道、気がついた。

日本では、
知識もなく、ろくに本も読んでいない学生(学部生)と大学の先生が、
議論するなんて考えられない、と思われる。
事実、私も教育学の大学院で、
いくつかの講座で意見を表明する機会を得たが、
教育心理学の先生と教育工学の先生は、
一大学院生の意見なんて聞くものではない、っていう態度で、
とても感じが悪かった。

特に教育工学の方の先生は、
「あの人、おかしいだろ。」
と思ったので、信頼のおける友人や、話のわかる教授にそっと聞くと、
「あの人には関わらない方がいい。」
と言われた。やはり、私の感性はそれほどずれていない。

大学院に入って、やっと意見表明できる、なんて。
それでも一学生の意見に耳を傾けず、
自分の独善的な論を一方的に90分も話すなんて。
(それも、ほとんどが思い出話。
 それもつまらなくて、ちらちら本を読んでいれば注意され、
 「私の話を聞かなければ、単位を出さない」と言われる始末。
 よっぽど出ていこうか、と思ったが、
 同じゼミの先輩の修士論文の副査に決まっているという。
 私の態度で、ゼミの先輩の審査がおかしくなっては困る、
 ということから、残念ながら、軍門に下った。
 ホント情けない話。
 教育工学については、次年度新しく赴任した、
 当時、助教授だった先生の指導を受けることが出来、
 満足できた。助かった。
 いま思うと、あのゼミは良かった。刺激に満ちていた。
 あの本が良かった。イスラエル人学者の書いた本(英語)
 たしかタイトルは、「シンボル・システムズ」。)
不幸だ、不幸すぎる。

私立大学に進んだのが失敗だったのか?
学費が最高級に高い割には、
「この大学は、
 学生一流、サービス二流、教授は三流、って噂です。」
なんてことを、一般教養の教授が、学生の人気をとるためにいう始末。
たしかに事務員の方の態度は冷たく、
いま勤務する学校の事務の方と比べることも出来ない。
(うちの事務の方は丁寧に対応してくれる。
 まして女性の方は、美人の方が多い。
 知り合いの他校の先生が来たとき、マジ、ビックリしていた。
 ハッキリ言って、自慢です。)
院生になることで、状況は一変し、
それまでの学費の損失分のサービスは受けた気がするが、
最近では、博士課程は学費免除とか、
それどころか奨学金を出す、というところもあるらしい。

日本の大学、とくに東京の私立大学の、
「学部はマスプロ教育、学部生はネギをしょった鴨、
 お金を運んでくれる人。
 受益者負担の御旗の元に、苦しい庶民の懐から、
 新キャンパス建設の費用をがっぽり貢いでもらいます」、
のような考えがとても嫌だ。

東京にあるという、本家アメリカの大学を参考したという、
いくつかのリベラルアーツ・カレッジが羨ましい。
大学に入ってから、主専攻と副専攻が決まられるらしい。
私も迷っていた。
大学に入ってから、専門が決められるなら。
(もちろん東大などに入れればよかったわけですが。)
また、初年度のゼミ(少人数)での学習が充実しているという。
未熟でも、自由に思索し、意見を表明できるというのは、素晴らしい。
なにか資格を得られるということに代え難いものである。

自分が大学で、ずいぶんと孤独感にさいなまれ、寂しく、
またドロップアウト寸前だっただけに、
せめて自分の子ども達には、そういう思いをするような、
高校や大学には行かせたくない、と思っている。

センター試験の自己採点の結果も、
各予備校から返ってきて、
いよいよ国立大学も出願の時期になりました。
私立大学はもうすぐ締切ですかね?
朝日新聞の願書締切の広告も少なくなってきた気がします。

またちょっと、自分のコトを振り返ります。
いま、教員をやっているので、
勉強に熱心な学生だったかというと、
実はそうでもありません。
いつか、進路決定のエッセイを書きました。
そこでは、数学の教員になる可能性がある道を選びましたが、
実は受験勉強に疲労困憊していました。
(いま思うと、『鬱』だったかも。)
とくにセンタ-試験で失敗した数学については、
「もう、いいかな。」
と思っていたところもあったのです。
当時は、バブル崩壊前夜。
なんとか理科系の大学に進学できたので、
数理科学をしっかり勉強し、
コンピュータをマスターし「SEなる!」
と言っていた気がします。
とにかく、
「カタカナ」の職業に就きたいと思っていました。
それが「教諭」と、
いまは漢字二文字の職業ですから、
また変わればまた変わるものですね。

ですから、実学です、私が大学に求めていたのは。
大学には就職のために行く、という感も強かったです。
できれば高校卒業と同時に働き、自立したかったですが、
コネもカネも、また生きる術も持たない田舎者ですから、
大学で社会で生きるスキルを身につけ、
なにか華やかな職業に就き、
都会をカッコイイ車で颯爽と走る抜ける。
そんなイメージもありました。

いつだったか、大学の講演で、
「演劇」の研究をしている教授の話を聞いてびっくりしました。
そんなコトを研究して、就職が出来るのか?
もっと社会の役に立つ何かを4年間で学ぶなくて良いのか?
と思ったところがあります。
せっかく取り始めた「教職課程」は、
2週間も立たないうちに、
「これは(教員は)、俺に向かない。」
と一度、中断しています
(数年後に、事務室にお願いして、再受講しています。)

途中で私は、「思想の転向」をします。
最近読んだ、大学の先生の書いた新聞記事を読んで、
考えが変わることもありました。
簡単に言えば、
「大学はいかに生きるところかを考えるところだ。」
と思うようになっています。
まあ、自分の性格から、
また、これまでのコトも含めて、
考え方も大きな振幅があるので、
これも確定とは言えないところがありますが、
最近は、そう考えています。

大学3年のとき、
「俺はコンピュータに向かない。」
と確信しました。
そうなると、振幅は大きく、
「もうコンピュータ関連の科目の聴講はやめよう。」
となりました。
正確には、「性格がコンピュータ言語に向かない。」
と感じていました。
あれほど、Macintoshが欲しくて仕方なかったのに。
(その願望は最近、成就しました。
 コンピュータ言語に未練があった時期もありましたが、
 最近、それは老後の楽しみにしています。)
それで私は「教育」に傾きます。
自分の受けた教育を振り返り、
自分だったらどんな教師になれるか、なるべきか。
そこから自分の生きる道について、
真剣に考えはじめました。

でも、新聞広告を見ると、
ほんと大学っていうのは、
いろいろなことが学べるのですね。
最近は、
カタカナやいくつかの言葉の組み合わせの学部名もあって、
「情報環境学部」あるいは「環境情報学部」
「グローバルスタディ」とか「リベラルアーツ」
「コミュニケーション&コンピュータ」とか、
一目で何が学べるか、というのもわかりません。
どちらかというと、実学志向なのですかね。

話は変わって、
先日、若い先生が「旅行記」なる手記を発表しました。
「外国語教師は、多くの外国を見るべし。」
とそこには書かれていました。
「ほう、そういう考え方もあるのか。」
と正直に、そう思いました。
苦学生だったので、海外旅行とか、
あまり考えたことはありません。
大手の企業に勤めれば、海外出張とかもあるだろうからと、
一応、英語の学習には努めていましたが、
「世界を見て回ろう。」
なんて、考えも及びませんでした。

中学生の頃、「イレブン」という月刊のサッカー雑誌がありました。
そのうち廃刊になってしましましたが、
当時の特集で見た「ヨーロッパ3大サッカー杯」のカラーページは、
衝撃でした。
「いつかヨ-ロッパでサッカーをしてみたい。」
と本気で思いました。
いまでも、目を閉じれば、
そのルンメニゲ選手(西ドイツ代表)の咆哮の写真が浮かんできます。
「そうか、世界を見て回る、っていうのもいいな。」
とあらためて思いました。

自分の子ども達のことを考えます。
それほどお金に困るわけでもないですし、
(もちろん余裕があるわけではありませんが)
彼かに継がせる生業もあるわけではありません。
子ども達には、鬱屈としていない、
大学生活を送らせてあげたいと思います。
自由な精神で。
そして、自分はいかに生きるべきか、と考えて欲しいと思います。
もちろん、本校の生徒にも、そうしてほしいと思いますが、
いろいろな考えの保護者がいることは、経験から知っていますし、
教員が何か1つの進路を押しつけられるものではありません。

でも、大事かなあ、こんな時代だからこそ。
たしかな何かを自分で見つけること。
そう思っています。
それはカリキュラムとか資格とかからは、
遠いものかも知れませんが。


時事テーマのせいか、アクセス数の多さにビビった。Σ(゚д゚;)
まちがって、このブログに迷い込んだ人、ごめんなさい。

ところで、
「もうセンター試験・数学の感想については書かない。」
と先日、書きませんでしたが、
もう一言だけ。

やはり、あの問題、特に数学Ⅱ・Bの問題について、
批判的な意見は私だけではありませんでした。
職場の同僚教員でも、
「この数年で最悪の問題。」
「センター試験というテストにそぐわない問題。」
というコメントも聞かれました。

「もう、何もいえねぇヽ(`Д´)ノ。」
ふざけているように見えますね、ごめんなさい。
しかし、なんて言っていいのか。
解いた後、っていうか解いている間の嫌悪感。

センター試験のマークシート形式、
国立大学の1次試験だけでなく、
私立大学によっては入試代行試験。
参加大学の多さから、いろいろな意味づけがされ、
また誰もが解ける問題から、誰もが解けない問題まで配列。
過去問にあまり似ないようにとか、
追試験や、数学Ⅰ、数学A、数学Ⅱ、そして追試験など、
範囲の限定がある問題を、一年間で多数作成など、
作る方のストレスも相当のものであると、聞いています。
それでも、…。
あれが、数十万人が解くセンター試験の数学の出題。
やはり、
言葉が出てきません。

あれが数学の問題のすべてではありません。
これから各私立大学、各国立大学の個別試験が始まります。
(うちも中学入試、高校入試がはじまります。)
(作成はもう終わっていると思いますが、
 試験監督、採点業務、ごくろうのことと思います。)
とにかく、その数学の問題が、
創意工夫と数学への愛(信仰)にあふれていますように。

数学は難しい学問だと思います。
私自身、学生時代、それから逃避しようとしました。
でも、どんな数学でもよいのです。
みんなの心に数学を。
数学のあるべき姿は、
数学自身がその人の心に形作ると思います。
私たち教師の出来ることは、自分の見えるように、
数学を表現するだけ。

マークシート試験批判の記事が、数学セミナー最新号にあった、
と思いだし、ページをめくりました。
桜美林大学・芳沢光雄教授の記事。
論点は違いますが、インドの国立大学の数学の試験が、
全問証明問題というのは、背筋が伸びる気がします。

うちの生徒も、幾何の試験の前、
「証明問題、何問でますか?」
とよく聞きます。
「裏面は全部、証明!」
と答えますが、生徒からすれば、証明は面倒くさいのか。
それでもなお、証明問題を出題します。
それが数学。

がんばれ、数学教員。
だれかが、
「こんな問題でいいの?」
っていわなければ、数学教育がダメになる。
がんばろう、数学教員。

センター試験、解きました。
体調も悪く、集中力も散々。
計算ミスも多発し、満点狙いの、以前の意欲もどこへやら。

毎年、解いているつもりですが、
いつもこんなんでしたたっけ?
勉強してきたいろいろなコトが問える(特に計算)、
よく練られた問題だとは思いますが、
目的がそればかりで、なんとも…。

正直、解いて、
「これが、事実上の全国数学学力試験…。
 みんな、この問題を目指して勉強し、
 この問題を解いて、『数学とはこういうものだ』と思うのか…。」
と考えると、切ない思いがこみ上げてきます。

実際、
センター試験はそういう意義の試験と定義されたものではないですが、
そういう面もあると思います。
そう考えると、
『これが数学か?』
と思えてきます。

もちろん俯瞰してみれば、
今回の確率の問題や空間ベクトルの問題は、
「なるほど」
と思えるかも知れませんが、
どうしても序盤・中盤の、
あのマス目に沿った解答の作成が、…ね。

思い出しました。
たしか、毎年、こんな気持ちになっています。
センター試験を解いたあとは。
もう、問題について考えるは、やめようと思う。
先週の金曜日の深夜、悪寒に襲われた。
土曜日、朝起きても体調の悪さは変わらずだが、
この日は休めない事情があったので、無理に出勤した。
担任しているクラスでも、大量の欠席。
数人はインフルエンザ。
午後の仕事を終えて、急いで帰宅し、布団に潜り込む。

おそろしいほどの悪寒がカラダを襲う。
暖房をいくら入れても寒い。
両足の足の裏が攣っている。
腰が痛い。
頭痛もする。
何も考えられない。

日曜日、朝9時の時点で体温38.6℃。
小便は、普段ありえない、オレンジ色。
俺のカラダで何が起きている?
「インフルエンザ?」

休日診療に、妻に連れて行ってもらった。
「インフルエンザではないでしょう。
 症状が軽すぎます。」
年老いた医者は、めんどくさそうにそう言った。
それはそれでホッとした。
薬をもらい、また、布団にくるまれ、気を失った。
足の裏のケイレンはまだある。

月曜日、マスクをして無理して出勤すると、
今度はクラスで大変なことが起きていた。
「先生、クラスの半分の人数が来ていません!」
あまりの登校者の少なさに、報告に来た生徒がいた。
同時に欠席の連絡表が、大量に。
教員室の先生方の耳目を集める。
「え~?。」
朦朧とした頭に、起きている現実が入ってくる。
教室に行くと、現実がハッキリしてくる。
クラスの半数のものが欠席。
その半数がインフルエンザ、また残り半分が風邪。
教務主任から通達が来る。
「今日から3日間、学級閉鎖。」
歓声を上げる元気な子たち。
可及的に速やかにクラスの子を帰すと、私も仕事がなくなった。
早退した。
もう一度、別の病院に行って、インフルエンザの検査を受ける。
やはり陰性。
インフルエンザではない。
帰宅し、日溜まりの部屋で寝た。
足の裏のケイレンはなくなっていった。

しかし、本当に怖かったのはこれからだった。
月曜の朝、
日曜日の夜まで元気だった小学生の娘が熱を出した。
月曜日、学校を休ませ、病院へ妻が連れて行った。
やはり風邪。
インフルエンザの検査には引っかからなかった。
しかし、火曜日の未明から事態は急変する。

火曜日、あいかわらず体調のすぐれない私は、欠勤した。
娘は40℃近い熱を出し始めた。
かかりつけの医者が、熱冷ましを処方してくれるというので、
厚着をして、薬をもらいに行った。
薬を飲ませ、寝かせつける。
妻と私は軽い昼食をとる。

しばらくして、娘が何かを言いはじめた。
ソファでぐたっとしていた私。
「@☆★○●◎◇◆□■△▲▽※!!」
ビックリする妻。
「トイレなの?トイレに行きたいのね?」
うなづいたのか、そうでなかったのか。
それでもトイレに行かせた。
そしてまた寝かしつけた。
布団は居間に敷いて置いた。
妻の話では、トイレの使い方もわからない、
パンツも自分で脱げないようであったという。
目つきがおかしい。
1点を見つめている。
何を言っている?
言動がおかしい。
あれこれ心配にしているうちに、息子を幼稚園へ迎えに行く時間に。
「娘を見ていてね。」
妻が息子を迎えに行った。

娘の様子が明らかにおかしい。
何を言っている?
「パパがわかるか?」
娘の返答はない。
いや、すごく遅く、ある。
記憶障害か?
手の動かし方がおかしい。
足の動かし方もおかしい。
「寝てて、いいんだよ。」
「@☆★○●◎◇◆□■△▲▽※!!」

何?
「○○くん(親戚の子)と遊んだ。」
遊んだのは正月のことだ。
今は遠くに離れている。
娘に何かがおきている。
高熱のせいか、それとも、薬(熱冷まし)のせいか?
妻を大急ぎで呼び戻す。
「娘がおかしい。さっきよりもおかしい。
 うちの子がどうにかなってしまうのではないか?」
救急車を呼ぶか、思案している。
妻が息子を連れて帰宅した。
娘を見ると、
寝ていた。

相談し、かかりつけの医者に電話する。
救急車はそれからでもいいだろう。
「インフルエンザかも知れませんね。」
あっ。
検査の結果から、娘はインフルエンザじゃないと思っていたが、
たしかに。
あの小さな医者の待合室で、
診察を受けた後にうつされることもある。
そうか、あの高熱を出した未明から、
娘はインフルエンザを発症していたのか!
そうなると、あの意味不明な言動・行動が、
タミフルが原因かどうかという、異常行動・妄想?
うちの娘はタミフルを摂取していないので、
異常行動の原因はタミフルではない。
高熱か、インフルエンザ・ウイルス。

目を覚ました娘。
視線が普通に戻っている。
「医者に診てもらおうか?」
返事をする娘。
娘が元に戻っている。
脱力した。
かかりつけの医者に診てもらい、あらためて、
インフルエンザの罹患しているかの検査。
検査の結果は、「インフルエンザA型の感染あり。」
特効薬「リレンザ」を処方してもらう。
まだ10代でない娘だが、
熱セン妄(異状行動・妄想)をみせた子には、
タミフルは処方できないのだそうだ。

いまはすっかり元気になった娘。
しかし、熱が下がっても、
まだ2日間はインフルエンザウイルスを他の人にうつす可能性があるので、
自宅で静養している。

あれがインフルエンザ。
インフルエンザという病気の恐ろしさを、本当に見た気がした。
インフルエンザA型の流行は予想されなかったのか、
我が家では全員予防接種を打っていたが、娘は罹患した。
また、A型には予防接種は効きにくいという。
それでも、症状が軽くて済むという。
軽くて、あれなのか。
やはり、怖い病気であるインフルエンザ。

娘のかかりつけの医者は、娘の罹患した理由を「私」ではないか、
と疑ったという。
私自身、自分はインフルエンザでは?と思ったし、
あのカラダの倦怠感・腰の激痛などは、風邪とは考えにくい。
それでも、ベテランの医者の見立てと、
別の医者の検査では、陰性だった。

私自身は、インフルエンザに罹患したことはない。
学校での集団予防接種のあった時代。
このような大流行は考えにくかった。
しかし、時間の針を巻き戻し、集団予防接種は難しい。

リレンザの処方に慣れた娘。
味はなかなか、らしい。
なにもかもが元にもどった。

私はまだ、精神的も体力的にもいまひとつ。
センター試験(数学)も、まだ解く気にならない。
健康第一。
今年の大寒は、カラダでなく、心も震えた。
病気に罹ることの怖さを、あらためて知った、寒い日だった。
寒いですね、ほんと、寒いですね。
厳冬期って言葉が真から理解できます。
一方でこの厳冬期は、各入学試験のシーズン。
今週末は大学入試センター試験。
本校の生徒だけでなく、全大学受験生の健闘を祈ります。

ごぶさたしています。
数学教師のマスター・ロベルトです(修士・教育学)。
決して仕事をしていなかったわけでありませんが、
新学期早々、
生徒の前で説得力のある話をせねばならず、
その原稿づくりと本番、そして反省(後悔)をしていました。
週が明け、しばらくたったので、
メンタルもフィジカルも回復傾向です。

一方で、この年末年始は趣味についてのもう1つのブログを
毎日更新していました。
そちらはまったく仕事に関係がないので、
気楽に思ったことを書け、発表できます。
こちらもそうですが、
このブログという、Web日記みたいなものは、
私の精神衛生上、たいへん有効なソフトです。
そのうち、私の子ども達が見るようになったら、
ちょっと考えねばなりませんね、おそらく。

幾何の授業は、
三角形の合同が終わったので、
平行四辺形などの性質に入りました。
最初の幾何のしんどいところを終えたので、
あとは雪だるま式に、
どんどんと定理が増えていく感じです。
もはや一介の数学教師にとっても当たり前のことですが、
こういうのを再構成していくことが生徒にとっての学び、
だと思います。
同時に、その教室の中で、生徒の理解を媒介とした、
教師にとっての新たな学びというのも、あると思います。

それにつけても感じるのは、
数学の強固さ。
先日、
検定教科書の前書きになかなか良いことが書いてあったので、
生徒に朗読させました。
いつもは素通りしてしまうようなところですが、
短くても、言葉が平易でも、内容の濃い文章でした。
作り手の熱意が感じられました。

たしか孔子が論語で、
「我、四十にして惑わず。」と言った気がしますが、
たしかに、たしかに。
話題のアラ40の私ですが、
最近は欲も脂身も少しずつとれてきた感じがします。
自分の力量の少なさを少しずつ認めることができるようになり、
また後悔ばかりだった自分の半生も、
いや、そのときそのとき、自分はベストの選択をし、
考えられる限り、良い職場・良い同僚・よう仲間に恵まれている、
と思えるようになりました。
閉塞感をもたらしているのは、自分の心と目。
そして時代に飲み込まれる感性。

テレビのニュースや新聞報道にあるように、
明日の職や食、住居に困るような人がいる中で、
自分がいかに恵まれていることか。
またあのような社会状況に対して、
「自分はそうでなくて良かった」ばかりではなく
自分に何かできることはないか、
と考えられるようになりました。

考えられる限り、
いまの自分のできることは募金など寄付行為と、
将来、官僚や議員になるかもしれない生徒たちに、
優しい心を伝えること、だけです。
自分もそうであったように、
世界が明るいと見るか、くらいと見るかは、
その人の心と目に掛かっていますから。

今年もよろしくお願いします。