団塊Jrのプロレスファン列伝 -143ページ目

蘇るか!?世紀の一戦

どうもです。


今日はねー、ぶっくりよ。いやびっくりよ。あれですよ、テレビ朝日開局50周年記念で2月7日の夜7時から放送される


テレビ朝日が伝えた伝説のスポーツ名勝負~いま明かされる舞台裏の真実~


の話。そう、これで猪木・アリ戦のことをやるんだ!!これはスゴい!!


というわけでボクもやろう。


何?おめーの意見なんざどうでもいい?まぁ、そう言わずにちょっと見てってくださいよ。


さて、アントニオ猪木vsモハメド・アリの“世紀の一戦”は昭和51年6月26日に格闘技世界一決定戦として日本武道館で行われました。


ファン、関係者の間ではあまりにも有名なこの一戦は今だ語り継がれる試合です。そのため現在に至るまでに何度となく様々な検証が行われました。おかげで当時は大凡戦といわれていた試合でしたが時代と共に経緯や試合背景、そして関係した人物の裏話やエピソード談話を知ることが出来、その評価が時間が経つほど上がっていったという歴史的大試合なのであります。


この試合が行われた昭和51年、ボクは3歳だった。当時全世界に衛星中継され昼と夜に2度放送されたこの一戦。ボクの家はプロレス好きな一家だったから必ず家族で一緒に見ていたはずなんだけど、やはり3歳では記憶的につらいもんがあるなぁ。猪木・アリ戦、さすがに何ひとつ覚えていません。


この試合そのものを知ったのも遅かったですね。確か小学校3年生くらいだっただろうか?図書室に読売新聞の日本写真年間という分厚い本があり、その昭和51年度版にこの試合のことが載っていると当時から仲良しの幼馴染みの親友しんちゃんに聞き、見たのが初めてでした。


衝撃的でした。今でこそ当たり前かもしれなですが、この頃プロレスとボクシングが対決するなんて想像もつかなかったもんなぁ。


そして・・・それから何年たっただろうか?これを便利な時代と言ってしまっていいのかどうか?ボクは30代にしてついに猪木・アリ戦を見る機会に恵まれたのです。


それまで、映像の権利がアリ側にあるので世にこの試合が出るということはありませんでした。だから小・中・高、そして社会人と・・・それまでは関連本や、格闘技オリンピックや格闘技世界一という、いわゆる格闘技ブームの頃のドキュメント映画での短時間なダイジェストでしか見たことがありませんでした。それが何十年という時を超えてついにボクの目の前にフルで映し出されたんです。


ボクはフルラウンドをまさに釘付けになって見ました。


それまでボクが得た知識ではルールに縛られながらもできる限りの戦いをし、ダメージをアリに与えた猪木が試合を優勢に進めたため、判定こそ引き分けだったが実のところ猪木の勝ちではなかったのか?というような、猪木の評価が後々高くなってきて・・・というものがほとんどでした。


でも、試合を見たらボクは猪木ではなくアリに対して感じるものを得ました。プロレスファンなのにアリの方にです。それはなんてのかな・・・もちろん猪木も大ファンだからすごいと思ったけど、アリの格闘技者としての、男としてのなんたるかをあの一戦を見て感じたんですよ。


プロレスvsボクシング、単純にいえば


“殴る、蹴る、投げる、倒す、絞める、極めるvs殴る”


です。


プロレスはルールの幅が広い。理論上ほとんどなんでも許されてしまいます。もちろんそれは興行として見せる要素があってのものもありますが・・・そうでない場合、興行としてお客さんの前でやるものでなく道場でやる、いわゆる道場スパー(スパーリング)はあの当時の新日本がそうとうすごかったというのはファン、関係者なら知るところです。


だが表向きのプロレスとちがう、本質のプロレスラーの特性、技がどんなものでどういった感じなのか?すべてがどんなものなのかはレスラーでないとわかりません。ボクらが垣間見れたのは間接的に得た知識、ほんの一部にすぎないものだと思います。


それはアリだって同じ、知ることができないものであります。


いかにヘビー級らしからぬフットワークを使い高速のストレートを放つアリだって、レスラー相手に絶対に組みつかれないという保障はありません。もし組みつかれたら?そのときアリが経験したことのない倒され方で倒され、経験したことのない関節技で逆を決められるとしたら・・・それはどんなに怖いことだったでしょうか。たとえルールがプロレス技を使えないというものだとしても、ルールの間隙を縫って相手が何を仕掛けてくるのかわからない戦いなのです。


アリ・キック、そんな仕掛けのひとつだったと思います。


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アリ・キック


スライディングしながらローを放つアリ・キック。これにより、今までローを蹴られたことのないアリがローを蹴られるのです。


まさにアリが経験したことのない攻めでした。だから蹴られても防御ができない。防御できないまま想像を絶する未知の痛さが足を襲うのです。どうしていいのかわからない、ということによる精神的ダメージに恐怖、痛み・・・


でもアリは足を攻撃されダメージを受けながら、未知の技に精神的戦いを挑みながらも状況を顔や動きに出さずフットワークを使いながら、いつものように試合にパフォーマンスを入れて戦った。長くて辛い、体験したことのない15Rをそれこそ猪木同様、決められたルールの中でできる限りの戦いを最後までやったのです。


ラウンドを負うごとに変わっていったアリの表情。心境のすべてはわかりません。でもボクはどんな形であれ勝負が始まった以上、最後まで負けるわけにはいかないという男のプライドをアリに見たのだ。


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アリの左ジャブが猪木をとらえる


先にも書きましたが、この試合の世間の評価は猪木よりです。実際試合中もアリにほとんど攻撃させず足にダメージを負わせ血栓症に追い込んだほどです。確かに今までに誰も出来なかった試合を実現させ、今までにない戦法で攻撃したのは天才的だと思います。


でもボクはこの試合はアリを絶賛したい。男として最後まで勝負したアリを・・・


2月7日は猪木がフルラウンドを見ながら当時の試合を振り返るという感じで進められるようです。


どんなふうになるのか今から楽しみです。


プロレス名勝負伝~アントニオ猪木vsマスクド・スーパースター~

というわけでプロレス名勝負伝です。

説明はいりませんね、テーマそのままです。でもボクはひねくれているので


“そんな試合知らないよー”


とか“


それは名勝負なのぉー?”


とか


“もう!私と仕事、どっちが大事なのよぉ!”


というようなものが多々出てくると思いますがその辺はカンベンしてくださいね。


さて第1回目の今回は昭和56年8月6日に東京・蔵前国技館で行われたアントニオ猪木vsマスクド・スーパースターの賞金3万ドル&覆面はぎマッチです。そう、ボクが勝手に二代目として襲名している流星仮面マスクド・スーパースターの試合です。


これはねー、思い出があるなぁ・・・


なんたってマスクドが勝てば猪木が3万ドルを払い、猪木が勝てばマスクドがマスクを脱ぐ、というこの賞金3万ドル&覆面はぎマッチというのが当時8歳くらいのボクの五臓六腑には染み渡ったもんでした。


子供だったから当然賞金3万ドルがいくらか?なんて興味もなかったし、覆面はぎマッチが決まってから実況の古舘さんが、一説では正体はなんとか・・・というウワサがあります、みたいなことをいっていても誰だかさっぱりわからなかった。でも!正体不明のマスクマンが負けたらマスクを脱ぐという単純明快にしてインクレディブルな事態に興奮は抑え切れなかった。


マスクド・スーパースターは当時から大好きなレスラーだ。


あの頃、ヘビー級のマスクマンてだいたいしょぼいのばっかりだったが、マスクドはパワーがあったし動きもよく、そしてなんといっても得意技のフライング・スリーパーに惹きつけられるものがあった。相手をロープに振って、返ってきたところを大きくジャンプし左腕を相手の首に引っ掛けて倒す強烈なこの技。


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フライング・スリーパー。この跳躍!!


よく馬場さんのジャンピング・ネックブリーカードロップのパクリという人もいたが、走っていって相手の首に腕が引っ掛かってからジャンプし落とす馬場のそれとはちがい、マスクドのは相手めがけて初めからジャンプしながら跳んでいって首に腕を引っ掛けるので滞空時間が長かった。馬場のドスーンという破壊力あるネックブリーカーに対しフワっと浮く感じで相手を眠らせてしまうような・・・まさにフライング・スリーパー(空中で眠る人)で、それがなんともカッコよく好きだった。


そんなマスクドとあの頃の猪木の試合だ。しかも覆面が懸かっている。大興奮であった。


試合は12分くらいだったった。試合内容は猪木がマスクドの腕を、マスクドが猪木の首、背骨を攻め込んでいくという展開で、序盤戦はけしてデッド・ヒートというわけではなかった。


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ワンハンド・バックブリーカーで攻めるマスクド


でも試合終了間際、終盤が熱かった!!マスクドの必殺フライング・スリーパーを自爆させた猪木が延髄斬り!!そしてそのあと放った技はなんと猪木久々のジャーマン・スープレックス・ホールドだったのだ!!


賞金3万ドル&覆面はぎマッチにしてこの試合のフィニッシュがジャーマン・スープレックス・ホールドとはぁ!!


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猪木の人間橋だ!!


ボクはリアルタイムで猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドは、この試合まで見たことなかった。この頃の猪木はジャーマン・スープレックス・ホールドをほとんど使わなくなっていたからだ。


当時の相手がハンセン、ホーガン、そしてアンドレと大型の選手ばかりであったから使う機会がなかったのかもしれない・・・とはプロレス的な考えだが、この当時の猪木はかなり体調が悪かったそうなので、その辺の理由もあって使えなかったのかもしれない。しかし、どっちにしろボク的にはストロング小林戦での猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドを本で見たのが当時としては知識として精一杯。だから幼心に猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドは完全に“伝説”だったのである。


それが!!よりによってこの子供心をくすぐる覆面はぎマッチにきて198cmで130kgもある大好きなマスクド相手に“伝説”が炸裂したんだからたまったもんじゃない!!


しかもこの日、試合中に解説の桜井康雄さんが、猪木がこの試合の朝、カール・ゴッチの夢を見て、ゴッチに喝を入れられ早朝5:00に目が覚めた、と話していて・・・そして結果ゴッチ直伝のジャーマン・スープレックス・ホールドでフィニッシュだなんて桜井さん子供心をくすぐりすぎだぜェ~!!(別に桜井さんのせいではないけど)


そして感激的興奮してるのもつかの間、そうだった!!覆面はぎ!!猪木の覆面はぎが始まった!!


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マスクドの覆面が剥がされるー!!


いやがるマスクドをボディスラムで投げ覆面を取る猪木!!あああ覆面レスラーの素顔が出る!!


覆面はとうとう剥がされた。しかしセコンドの外国人レスラー(確かスタン・レーン)がタオルで顔を隠しマスクドは逃げるように控え室に帰っていった。リングでは覆面を叩きつけ踏み潰しダァー!!の猪木。


なんだ、マスクドの正体は見れないのか・・・


覆面はぎ=素顔をさらすわけではなかったのか・・・


でも日本初の覆面はぎマッチ、猪木のゴッチの夢、そして初めてテレビで見た猪木のジャーマン・スープレックス・ホールド!!なんて夢のある試合だったんだろう!!


アントニオ猪木が引退する頃、テレビでも特集やったりしたし、もちろん雑誌でも多く取り上げられた。


そんな中に必ず猪木の名勝負を・・・みたいな企画があり、芸能人やレスラー、スポーツライターなどが名勝負をピックアップしていたものだった。ジェットシン、ハンセン、アリ、ウィリーウイリアムス・・・それらは確かに名勝負だったかもしれない。ボクももちろんそう思う。でも誰に聞いても、どんな雑誌でも登場しなかったけど・・・そして猪木抜きでの名勝負を上げろといわれてもけして出てくることはないだろうこの試合だけど・・・


好きだった猪木とマスクドが戦った、夢のあったこの試合はボクの中で思い出の名勝負なのです。


プロレス絶滅講座~家族団欒・今昔~

プロレス絶滅講座なんてカテなのでプロレスが絶滅する要素を徹底的に・・・なんて思われるかもしれませんが、そういう趣向ではけしてありませんのです。これはプロレスを通して、昔はあったのに今そういうのってなくなっちゃったよな・・・という事柄をピックアップしてお送りしようというものなんですね。


というわけで一回目はプロレスと家族団欒です。


さて、ボクが小さい頃、家では週に一度は家族全員がそろう時間帯が必ずあった。


まぁそうでなくても・・・普段から家族はそろう方だった我が家であったけど・・・その日は特にそろう傾向が強かったなぁ。


そう、金曜の8時だ。


当時はテレビなんて一軒に一台しかない時代だ。だから普段はチャンネル争奪戦も盛んだったが、この日は父親も母親も兄も、そして普段ご飯を食べて風呂に入るとそそくさと布団に入って寝てしまう祖母も茶の間に来、同じテレビをみんなで見るため集結し、ワールドプロレスリングのオープニングテーマを聞いては待ってました!と身を乗り出したものだった。


ハラハラドキドキと興奮しながら応援したり、あまりの流血や反則にびっくりしたり・・・毎週みんなで一つのものを見ながらワイワイとすごし、番組後でも今日のはすごかったなぁーなんて興奮を引き継ぎながらみんなで話して楽しい時間を過ごしたものでした。


ボクの場合はプロレス中継がそれだったが、何もそればっかりというわけではないと思う。テレビが一台しかない時代はみんなでひとつの番組を見るのに家族そろって・・・なんて光景はあったんじゃないかなぁ?


たとえばドリフの8時だよ全員集合、それに欽ちゃんの番組とかかなぁ・・・今そういうのってなくなっちゃったよな。昔は毎週、今でいうサッカーのワールドカップの中継みたいなノリが・・・家族みんなでテレビを通した団欒の時間帯があったのにな・・・


家族団欒、考えさせられる言葉だ。そう今、家族みんなが顔を合わす時間、いわゆる団欒というのは昔に比べなくなってきているそうだから・・・


核家族化とはよいものなのか、悪いものなのか?そんな答えを出せるはずもないが、時代が進むにつれ家族の住む空間は変わってきた。朝は出勤、登校にと時間に追われいそいそと朝食をする。昼食は当然家では食べず、夕食は各々帰宅時間によってまちまちだ。だから親の帰宅が遅く、子供だけで作り置きされたおかずを温め夕食を食べることも珍しくなければ、逆に子供は塾やら部活やら遊びやらで帰宅が遅く親だけで食べているなんてことも珍しくないらしい。慌しい朝に疲れ果てた夜、そして失っていく家庭という名の時間か・・・


そうはいっても同じ屋根の下に暮らす人々。まったく全員そろわないというわけでもないようだが、やはり会話はひと昔よりないという。PC、携帯、ゲームなどが蔓延る今の世の中では家族同士が全員顔を合わせても、四六時中それらを操る状況を作り出してしまい会話がないというのだ。


先日家族でマクドナルドに行ったら小学生が三人、席に座って食べていた。しかし会話はまったくない。三人が三人、ニンテンドウDSをやっていたのだ。通信させてるならまだしも各々ちがうゲームである。時折りポテトをほおばりながら無言でひたすらDSを操る小学生・・・その姿に


「せっかく集まったんなら三人で遊べばいいのに・・・」


と奥さんと話しながら、おれらの小さい頃はこんなことしたっけな・・・みたいな話をした。そして同時に今は便利な時代だが、それらが作り出してしまったこの悲しい副産物的シーンに、その子らの家庭内をほんの少々垣間見た気がした。 


不景気といえど世の中はどんどん便利になっていく。テレビが一家に一台ということもなくなった。それどころか今では車でも携帯でも見れるようになった。デジタル放送もかなり浸透してきた。そう、便利になってきたのだ。でも消え去っていく風景があるのも忘れてはならない。家族みんなが顔を合わせてひとつのことに語り合えたことを忘れてはならないのだ。