団塊Jrのプロレスファン列伝 -142ページ目

女子プロレス列伝~愛しのブル様~

どうも!!

今日はボクの思い出話、聞いてもらおうかなぁ~・・・ちょっと、いいかな。

ボクは部活の都合で高校時代は寮で過ごした。

厳しい運動部だったから・・・ホラ、3年生になって試合がなくなったら普通引退ってことで途中からもう部活はやらないもんでしょ?でもウチの部は後輩指導ということで引退させてはもらえず、3年生になっても日々部活をやらされていたんだよね。それこそ卒業式前日まで。

試合という目標もないし大学に進学するわけでもない。なのにキツイ練習を行う・・・高校生って一番遊びたい時期だよね。それももう終わりに近づいているときにサ・・・

「せめて3ヶ月くらいでも自由に過ごせたらな・・・あーあ・・・ぜんぜん高校生らしいこともできないで、このまま高校生活も終わっちゃうのかぁ・・・」

なんて思っていた、そんな高3の冬だった。ボクの寮の近くに全女(全日本女子プロレス)が来ることを知ったんだ。

プロレスは無論好きだった。でも寮生活、1年生は雑務に終われ、2年生で雑務はなくなるにしろテレビの優先権はやはり3年生。でも、3年生になったからって好きなテレビはそうそう見られるものでもなかったんだ。だからプロレスは週刊プロレスか週刊ゴングで情報を得るだけで精一杯だったんだ。

「そうかぁープロレスも見ていなかったなぁ。自転車で片道20分ほどのところにある町営の体育館か・・・よーし、ちょっと思い出作りに、こっそり見に行っちゃおう!」

ボクはせつない高校生活に少しでもいい思い出をと・・・この全女の興行を観に行くことにしたんだ。

時は91年初頭。あの頃の全女はクラッシュギャルズが抜け、ブル中野とアジャ・コングがトップの座を争って抗争している頃だった。忘れもしない90年11月14日、横浜文化体育館。ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチで対決し、金網最上段から放ったあのギロチン・ドロップ・・・クラッシュなき後の全女が最も熱かった時代だった。だからボクはすごく楽しみにしながら会場へと向かったんだ。

会場に着くとすぐに入場券を購入した。実は女子プロ初観戦のボク。いろいろ会場を回りながら見たかったから券は立見にしたんだ。

開場まで時間があったので、ボクは全女の移動バスなどを見ていた。ほー、これが・・・と見ていると若手がせっせと雑用をこなしているのが頻繁に目に入った。ウチの部活と一緒で新入りはどこも大変なんだなぁーと眺めていると髪の長い、水着にTシャツだけを着た大柄の選手が目の前を通過していったんだ。しかも前を横切る際

「すいません、失礼しまーす」

と、軽く会釈して・・・なんと礼儀のいい。しつけにも厳しいのは有名だったが、さすが全女だなぁーと感心しながらその選手の後姿をよく見ると髪の毛、青緑色・・・この体型にこの髪型?んんん!?あ、あれはブル様じゃないか!!

なんて腰の低い控えめな女性なんだ・・・しかも水着にTシャツ姿がわかいすぎる。ソソる・・・

いやいや!!にしても、あれがアジャ相手に金網最上段から4mも落差のあるギロチンやった人と同じなのかぁ!?信じられないが・・・

なんか・・・いい♪

ボクはそれまでブル中野に対してなかった淡い気持ちに芽生え始めていた。これは試合が楽しみだ。早く見たい!!

やがて開場されボクは立見しながら会場内をうろうろしていた。このときはまだ若手だった井上貴子や海狼組(マリン・ウルフ)というタッグチームで試合に出ていた、髪もショートでボーイッシュだった北斗晶もいた。でも!今やボクはブル様に夢中。早くブル様を見たいー!!

と、試合も後半。よいよブル様の6人タッグマッチが始まることになっあ。

若手を引き連れ黒いマント風コスチュームに身を包み、先ほど見た髪形とはうって変わってロックバンドのBUCK-TICKなみに髪の毛を立てて、あの独特のメークのブル様が!顔つきも勇ましい。ブル様だ。これはギロチンやったブル様だ!!

やがて試合が始まると

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うぉぉー!!

「コノヤロー!!」

「テメー!!」

やはり女帝だ・・・これがブル中野だ!!

6人タッグ、最後はあの横浜を思い出さすかのようなトップロープからのギロチンでブル様がフィニッシュした。すごい・・・これがブル様のギロチンか・・・やっぱりすごい。

さて、それまでの試合はみんな技もすごく、なにより受身のうまさに感心して見ていた。男子の試合では見られないような信じられないような角度で投げを放ったりするが女子の選手は受身がちゃんと出来ているのに驚かされた。これは本当にすごいと思った。しかし紙一重であるのも確かと思った。

当時女子選手には首や腰など、いわゆる首・背骨系の怪我が多かったんだ。すごい角度で、しかも落差のある投げを行う・・・受身が取れているので投げられる本人は痛くなくとも毎回では首や背骨にダメージは蓄積される。それがいつか・・・そう考えると怪我が多かったのは、やはりこのあたりが原因だったのかもしれない。

それと、やはり女子ということでいまひとつ、技に重みが足りないなぁーと感じた。でもこれは仕方がない。そのかわり男子にできない早い動きや女性ならではの柔軟な技が豊富なのだから・・・

しかしこのギロチン他、ブル様の試合を見てその辺の考えはかき消された。早いし重みもある。女子プロのヒールとして長年行われてきた凶器攻撃を行わない、技で相手を追い込むニュースタイルの女子ヒールの真骨頂を見た気がした。

それにしても、これがさっき会釈しながら失礼しますって言った人と同じとは・・・

いい♪ますます、いい♪

やがて全試合が終わり、お客さんも会場を後にしだした。ボクも帰ろうと出口に向かっていったその頃、会場の片隅でグッズの販売が始まった。しかしこれがただの販売ではなかった。これは獄門党というヒールの軍のグッズ販売だったんだ。

この頃は今のように女子プロも男性ファンばかりでなかった。会場には昔ならではの女性に憧れる女性、ベビーフェイスを応援する女の子のファンが大勢いたのでヒール軍の獄門党のグッズ販売にはそう人は集まらなかった。

しかしそれは好都合だった。そう獄門党、それはブル様の軍団だったらだ!もしかしたらブル様がいるかもしれない・・・行くしかない!!ボクはその売り場に急いだ。まばらに獄門党の売り場に並ぶ人々・・・その中に、ああーブル様がいたァー!!

即座に並ぶとボクはペンケースのようなものを買った。それにはブル様と、後にユニバ(なつかしのユニバーサル・プロレス)に参戦し男性ファンに大ブレークした、ついでになぜか萩原聖人とウワサにもなった長谷川咲恵(この頃獄門党だった)のサインが入っていたが、そんなこたァーどうでもいい。目標はブル様である!

あーブル様が目の前にいる・・・

試合後のブル様は髪を下ろしサングラスを掛け、その日初めて見た格好と同じようなTシャツ姿だった。

ボクはブル様に

「あのーお写真撮らせてもらっていいですか?」

とかなりテレながら言ってみた。すると

「はい、どーぞ」

おおお・・・なんてかわいい声なんだ・・・ボクは写真を撮って

「ありがとうございます!」

と、お礼を言ってその場を立ち去ろうとした。すごく満足だったからもう行こうとしちゃったんだ。するとそこでブル様から信じられない一言が発せられた。

「あのー・・・握手を・・・」

んんおおおブル様ぁー!!

行こうとしたボクを呼び止め握手だなんて・・・しかも握手なんて、普通ファンからいう言葉なのに、行こうとしちゃったボクを呼び止めてしてくれるなんて、なんてやさしい・・・

この日いた北斗や山田敏代なんかはファンとのやりとり、握手やサインなんかのそれを見てると明るくフレンドリーに接していたけど、このブル様の腰の低い、丁寧でソフトな対応は一体どこから・・・もはや根がやさしいとしか思えない。きっとブル様は本来悪役なんかやる人じゃないんだ。かわいくてやさしい、素敵な女性なんだ・・・

ブル様は握手してくれた。その手は柔らかくて凄く温かかった。

今でも忘れられないあの日のブル様・・・高校時代、高校生らしいことはほとんどできなかった。しかし最後に高校最後に最高の思い出ができた。あの日、ブル様に会えて本当によかった。

名レスラー伝~テキサスブロンコ!テリー・ファンク~

というわけで今回の名レスラー伝はテリー・ファンクです!


テリーといえばやはり昭和52年の12月のオープンタッグ選手権での決勝、ザ・ファンクスvsブッチャー、シークが最高でしたね。


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これですね~


ボクはリアルでは見なかったんだけど、中学の終わりごろにあの試合をビデオで見て、これは生涯のプロレスベストバウトに入るわぁー!!と大興奮したなぁ。あのテリーの姿には心を打たれましたね。熱かったんです!!なんでファンがテリーに熱狂し大人気だったかあの試合を見ればわかる気がするなぁー。


と・・・今でこそ語っていますが、実は小学校の頃はボク、テリーが大キライだったんだ。


ボクがテリーを見てた頃ってのはテリーがブロディ、ハンセンに毎回メタメタにやられてる頃だった。そりゃもうひどいもんだった。試合していても攻撃している時間帯がないんだ。とにかく常にやられているんだよ。で、そのやられ方もオーバーアクションで・・・相手のパンチ一発におおげさに飛び跳ね転げまわるから見ていて本当に腹が立った。しかも試合が終わりハンセンらが引き上げると急に元気になりリング上から挑発したりするんだ。なんてザマだ・・・テリーの全盛期を知らないボクは、これがかつてのNWA世界王者なのか?といつも疑問を持ちっぱなしだった。


そしてさらに疑問だったのがテリーのファンだった。


ボクがテリーに対する気持ちがいやな一方だったから・・・というわけでもなかったが、あのブッチャーとの抗争を知らなかった時代のボクにはなぜ人気があるのか不思議でたまらなかった。それも普通のレスラー人気とはちょっとちがう、異様なまでの人気である。それは何かっていうと・・・テリーの女性ファンに対しての疑問だった。


あれはファンクラブの人たちなんだと思うんだけど・・・テリーのファンの女性がまんまチアガールみたいな格好で会場に現れ、テリーが入場するときにスピニング・トーホールドに合わせてボンボン(って言うのかな?あのチアガールが手に持っているワサワサしたやつは)を振って踊たり、試合中にそれを振って応援するという後にも先にも例のない現象があったんだよね。


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テリーを応援するチアガール隊のみなさん


これはアメフトやバスケットならアメリカの青春映画なんかには付き物で、男の子がそれをやって、女の子がチアガールやって恋愛して・・・なんてのはよくあるけど、プロレスにノリノリの本場アメリカのファンだって過去にプロレス会場でここまでしたヤツはいないはずだ。


ボクは当時小学生だったが、あの頃の基本はアントニオ猪木。だからプロレスはまず男の強さ!!というストロングスタイルの心構えが念頭にあったので、やられまくりのテリーにこれほどのファンがいたのも疑問だったし、このアイドル歌手を扱うようなテリーのファンの行動は全く理解できず見るたび腹立だしい思いにさせられていたんだ。


やがて・・・テリーは引退することになった。そりゃいいこった。テリー嫌いのボクは本当にそう思った。が、しかしこれがまたムカつかさせた。なんと日本で引退するという。しかも引退までのシリーズに


“テリーファンクさよならシリーズ”


というワン・シリーズを設けるという・・・


そう、それはワン・シリーズで興行とし日本中のみなさんに最後の雄姿を見せた上で、最終戦で引退試合をするという異例のものだった。


当然、全日本プロレスのテレビ中継は毎週テリーが主役にてオーバーアクションでやられまくりである。あームカつく!!こりゃもう倉持アナウンサーのテリーやめてくれ!!テリーやめてくれ!!という名実況にちがった意味で同賛だ。テリーさっさとやめてくれ!!と、何度も思った。


そしてやっとこ最終戦。引退試合はゴールデンで特番という待遇下。ザ・ファンクスとして相手はスタン・ハンセン、テリー・ゴディだっあ。


これで最後のリング・・・テリーはやられながらもこのシリーズになかった攻撃を見せ大奮闘した。チアガールも最後のテリーに無我夢中でボンボンを振る!!そして最後はトップロープからのダイビング・ローリング・クラッチ・ホールドでゴディからフォール勝ち!!テリーは引退試合を勝利で飾ったんだ。


試合後、会場が暗くなりテリーとドリーにスポットライトが当てられた。たくさんのカメラのフラッシュが光る中、テリーがマイクを掴んでファンへ最後のメッセージを述べる・・・


団塊Jrのプロレスファン列伝

「ホーぁーバぁー!!ホーぁーバぁー!!ホーぁーバぁー!!ホーぁーバぁー!!サヨナぁラー!!グッバイアイラぁビュー!!」


テリーは涙ながらに絶叫した。そして


「いままでありがとう!!」


「テリーやめないで!!」


というたくさんの止まない声援の中、テリーは手を振ったのである。その姿にチアガール隊はもちろん、蔵前のファンは涙をそそられた。


そして・・・


ああ・・・これまで散々テリーにムカつきイヤだったボクも、これで最後かと思うとなんだかテリーがいとおしくなってきてしまった。無くして初めて気づくとはこういうことだったのか・・・


昭和58年の夏の終わり、ボクは少し大人になった気がした。


しかし・・・テリーは1年後、あっさりとカムバックした・・・


おいおいおい!?ヒザがもうダメだから引退を決意して、ひとシリーズを引退シリーズにして、あれだけ引っ張って引退試合もゴールデンでやってファンも嫌いだったおれですらホーぁーバぁー!!に感極まったんだぞ!?なのにそりゃーあんまりじゃないか・・・


テリー・・・名レスラーだなぁ・・・


さようならエリオ・グレイシー

どうも、流星仮面二世です。

グレイシー柔術の父、エリオ・グレイシーが亡くなったそうです・・・

すっごく・・・胸が詰まる思いです・・・

90年代、突如表舞台に登場し、瞬く間に世界の格闘技界に大きな影響を与えたグレイシー柔術。


マウントポジション、マウントパンチ、アルティメット大会の創設、開催。グレイシー柔術がなかったら総合格闘技、今の形にならなかっただろうな・・・


いや、形どころか、総合格闘技自体が続いてなかったかもしれないな・・・


ヒクソン、ホイスなどのグレイシー一族はもちろん、たとえスタイルがちがってもグレイシーの技は多くの選手が使い、そして受け継がれていきます。


だからグレイシー柔術は不滅です。


だから・・・安心して旅立ってください。


さようならエリオ・グレイシー。


団塊Jrのプロレスファン列伝

心よりご冥福をお祈りいたします