12/31 おはクラ放送後の呟き | マーシー山本教授のゆるゆるクラシック日記

マーシー山本教授のゆるゆるクラシック日記

マーシー山本のお仕事の報告やクラシック音楽の豆知識をお届けします。

今回は喜歌劇「こうもり」 が

出来るまでの裏話です。

「こうもり」が誕生するきっかけとなったのは、

当時パリで大成功していた

オッフェンバック(天国と地獄の作者)と、

J.シュトラウス二世の最初の妻イェッティです。

 

オッフェンバックは

ウィーンでも『美しきエレーヌ』を上演し

大成功を収めました。

 

J.シュトラウス二世とオッフェンバックが

初めて会ったのもこの頃だと言われています。

 

オッフェンバックはシュトラウスに

「あなたはオペレッタを作曲すべきだ」と、

促しました。

 

しかし、シュトラウスは

既にウィーンではスッペ(軽騎兵)の作品が

大成功を収めていて

自分がオペレッタの世界に

入る余地がないと考えていて

オペレッタの作曲には消極的でした。


そんなシュトラウスに転機が訪れたのは、

『美しく青きドナウ』を発表して

大成功を収めていたシュトラウスに対して、

各劇場の支配人等が

絶対にシュトラウスは喜歌劇を

作曲すると考えていました。

 

民衆もいつ第1作が出来上がるか

噂になっていました。

 

そして、アン・デア・ウィーン劇場支配人の

マックス・シュタイナーが

シュトラウスの妻イェッティ

(元女優で顔が広い)に

夫にオペレッタ作曲を勧めることを

依頼します。

 

魅力的な金銭提示に

これを引き受けた妻は夫を説得します。

 

そして、選ばれた台本がシェークスピアの

『ウィンザーの陽気な女房たち』でした。

そして作曲が開始されます。

 

しかし、作曲が進むにつれ、

主役を誰が演じるかで

プリマドンナの2人が激しく争うことになり、

シュトラウスに色々裏工作を行い、

これにうんざりしたシュトラウスは

怒ってこの作品の作曲をやめてしまいました。

(この台本はのちにニコライが完成)


しかしシュタイナーは諦めず、

次の台本『インディゴと40人の盗賊』を渡し

なんとかアン・デア・ウィーン劇場で

初演にこぎつけます。

 

この作品は

ある程度の成功を収めましたが

台本の不備が次第に観客に露呈されたことで、

やがて上演打ち切りに追い込まれます。

 

続いてオペレッタ第2作

『ローマの謝肉祭』が作曲され

アン・デア・ウィーン劇場で

初演されました。

 

しかし、失敗に終わります。

その失敗の翌年に『こうもり』が作曲され

大成功を収めるのでした。

 

奥さんの旦那へのケツ叩きは万国共通ですね!
メデタシメデタシ!

 

今回の動画です。

https://youtu.be/JhsIrzlX-M4