マーシー山本教授のゆるゆるクラシック日記

マーシー山本教授のゆるゆるクラシック日記

マーシー山本のお仕事の報告やクラシック音楽の豆知識をお届けします。

今回はショスタコーヴィッチのヴァイオリン協奏曲第1番の3楽章4楽章についてお話しします。

ヴァイオリン協奏曲第1番 の第3楽章カデンツァは、単なる「独奏技巧の見せ場」ではありません。

むしろ、この協奏曲全体の“精神的中心”とも言える存在です。

そして、そのまま第4楽章へ 切れ目なく突入することで、作品全体に巨大なドラマが生まれます。


まず、この協奏曲全体の構成を簡単に見ると、以下のような4楽章構成です。
1. 夜想曲(Nocturne)
2. スケルツォ
3. パッサカリア
4. ブルレスケ

特に重要なのが、第3楽章「パッサカリア」です。
第3楽章「パッサカリア」とは、同じ低音主題を繰り返しながら、その上で変奏が積み重なっていく古い作曲技法です。
ショスタコーヴィチはここで、重々しい低音主題を繰り返します。


ファ#-ソ-ラ-ミ
この楽章は、以下の雰囲気を思わせる、極めて深刻で暗い音楽です。
* 葬送行進曲
* 運命の歩み
* 圧政の重圧
* 内面的苦悩

特に金管がコラール風に鳴る場面には、まるで国家や巨大な権力のような圧迫感があります。
その巨大な音楽が頂点に達したあと、突然オーケストラが沈黙し、独奏ヴァイオリンだけが取り残されます。
そこから始まるのが、あの長大なカデンツァです。


●カデンツァの内容
このカデンツァは非常に異例です。
普通の協奏曲のカデンツァは「ソリストの超絶技巧披露」や「楽章終結前の華やかな見せ場」として置かれることが多いですが、この作品では役割がまったく違います。
ショスタコーヴィチのカデンツァは「独奏者の内面独白」なのです。


1. パッサカリアの苦悩を引き継ぐ
冒頭では、第3楽章の重苦しい雰囲気を引き継ぎます。
低音域で呻くような旋律、重音、暗いトリル、苦悩するような音型。

まるで「人間が巨大な圧力に押し潰されそうになっている」ようです。


ショスタコーヴィチ自身、スターリン体制下で常に恐怖と監視の中にいました。
そのため、このカデンツァはしばしば以下のように解釈されます。
* 抑圧された個人の叫び
* 孤独な精神
* 生き延びようとする意志

2. 次第に狂気的エネルギーへ変貌
しかし、このカデンツァは単なる悲嘆で終わりません。
中盤以降、以下のように変化していきます。
* 音階が激化
* 重音が増大
* リズムが鋭利化
* 運動性が増加

ここで重要なのが「静的なパッサカリア」から「運動的なブルレスケ」への変化が始まっていることです。
つまりカデンツァは、第3楽章の終わりであると同時に、第4楽章の序章でもあるのです。


3. 独奏者が“世界を変形”させる
このカデンツァでは、独奏ヴァイオリンが音楽の世界そのものを変えていきます。
重苦しい世界が、次第に歪み、加速し、興奮し、狂騒へ変化する。

まるで一人の人間が、内面的エネルギーによって世界を突破していくようです。


ここが非常にショスタコーヴィチ的です。
切れ目無く第4楽章へ入る効果は最大のポイントです。
カデンツァの最後でエネルギーが極限まで高まると、突然、第4楽章「ブルレスケ」が爆発します。

この attacca が極めて重要です。


1. 精神の爆発
第3楽章までの抑圧・苦悩が、第4楽章で一気に噴出します。
そのため第4楽章は、単なる陽気な終楽章ではありません。
* 笑い
* 狂気
* 皮肉
* 自暴自棄
* サーカス的狂騒
が混ざった、非常に危険な音楽です。
ショスタコーヴィチ特有の「笑っているのに怖い」世界です。


2. 聴衆に息をつかせない
もしここで拍手や休止が入ると、緊張が切れてしまいます。
しかし、切れ目無くすることで「深刻な瞑想」→「狂気的興奮」へ、一気に転落します。
聴衆は逃げ場を失います。


3. “勝利”なのか“仮面”なのか
第4楽章は表面的には華やかです。
しかしショスタコーヴィチでは、明るさはしばしば「仮面」です。
* 本当に勝利したのか
* ただ狂乱しているだけなのか
* 権力へのアイロニーなのか

これらのことが曖昧なのです。


その曖昧さを成立させているのが、カデンツァからattaccaで突入する構造です。
もし切れていたら「普通の終楽章」になってしまいます。

 

今回の動画

今回取り上げたショスタコーヴィッチ作曲ヴァイオリン協奏曲第1番の2楽章にでてくる、作曲者自身のアルファベットを忍ばせた件を初心者にもわかりやすく解説します。


▶2楽章に出てくる音型のDSCHとは何か?
まず、この作品の鍵になるのが 「DSCH(ディー・エス・ツェー・ハー)」という音型です。
これは作曲者ドミートリ・ショスタコーヴィチ自身の“音によるサイン(署名)”です。


音名にするとこうなります。
ドイツ音名で書くと:
* D → レ
* Es(E♭)→ ミ♭
* C → ド
* H(B)→ シ


つまり
D – Es – C – H(=D–E♭–C–B)


▶なぜ自分の名前になるの?
ドイツ語での綴りを使います。
* D. Schostakowitsch(ショスタコーヴィチのドイツ語表記)


この中から音名として読める文字を抜き出すと:
D – S(Es)– C – H


つまり
 「D・S・C・H」=ショスタコーヴィチ自身になります。


第1番ヴァイオリン協奏曲・第2楽章での意味
▶どこで出てくる?
第2楽章(スケルツォ)は激しく皮肉的な音楽ですが、その中にこの「DSCH動機」が登場します。


▶ どういう意味?
これは単なる遊びではなく、 「これは私(ショスタコーヴィチ)の音楽だ!」 「私はここにいる!」という強いメッセージです。


時代背景が重要
この曲が書かれたのは、ソ連の厳しい統制時代(スターリン時代)。
作曲家は自由に表現できず、批判されると危険な状況でした。


だからこそショスタコーヴィチは、表向きは従っているように見せながら音楽の中に「自分の存在」を隠すという方法をとります。

その象徴が DSCH です。


▶ 音楽的な効果
この第2楽章では:
* 音楽がどこか「不気味」「皮肉っぽい」
* 笑っているようで怖い


その中でDSCHが出てくると「作曲者本人が顔を出してくる感じ」になります。
* DEbCB=DSCH=ショスタコーヴィチ自身の音のサイン
* 第2楽章では
  「自分の存在を主張するメッセージ」として登場
* 厳しい時代の中での
「隠された自己表現」


このフレーズが出てきたら、“あ、ショスタコーヴィチ本人が出てきた!”と思って聴いてください。

音楽の中に“作曲家の影”が見える瞬間です。

 

今回の動画

https://youtu.be/0piqdTQdOSs

ショスタコーヴィッチ 

其の1: 神童から革命交響曲


ドミートリー・ショスタコーヴィチは、1906年にサンクトペテルブルクで生まれました。

幼少期から音楽的環境に恵まれており、母親がピアニストであったことから、自然にピアノ教育を受け始めます。

 

幼い頃から耳が非常に良く、聴いた旋律をすぐに再現できる能力を示し、周囲を驚かせました。

9歳頃にはすでに作曲にも手を染め、小品ながらも独自の発想を持った作品を書いていたと伝えられています。


彼の才能を決定的に示したのは、13歳でペトログラード音楽院に入学したことです。

これは当時としても非常に早い入学であり、明らかに「神童」として認識されていた証拠です。

ここで彼はピアノをレオニード・ニコラエフに、作曲をアレクサンドル・グラズノフのもとで学びます。

 

グラズノフはその才能を高く評価し、音楽院内でも特別に目をかけられていました。

ショスタコーヴィチは和声や対位法、管弦楽法といった専門技術を急速に吸収し、学生時代からすでに高度な作品を書き上げていきます。


彼が「神童」と呼ばれる理由は、単なる早熟さにとどまりません。

音楽の構造を論理的に把握する力と、同時に鋭い感情表現を結びつける能力を、極めて若い段階で兼ね備えていた点にあります。

 

特に1926年、わずか19歳で完成させた交響曲第1番は、卒業作品でありながら驚異的な完成度を誇り、国内外で大成功を収めました。

この作品により、彼は一躍ソビエトを代表する若き作曲家として名声を確立します。

単なる技巧ではなく、風刺や皮肉、劇的構成を巧みに織り込んだ音楽は、すでに独自の個性を明確に示していました。


しかし、その後の道は決して平坦ではありませんでした。

1930年代に入ると、ソビエト連邦では芸術に対する統制が強まり、「社会主義リアリズム」が公式の美学として強制されるようになります。

ショスタコーヴィチは革新的で時に鋭い表現を志向していたため、体制との緊張関係が次第に高まっていきます。

 

その象徴的な出来事が1936年のプラウダ批判です。

彼のオペラ《ムツェンスク郡のマクベス夫人》が新聞「プラウダ」において激しく非難され、「音楽ではなく雑音」と断じられました。

 

これは事実上、スターリン体制からの公式な糾弾であり、彼の生命や地位すら脅かす重大な危機となります。

この批判を受けて、彼はそれまで書いていた交響曲第4番の発表を取り下げ、自己の音楽語法を大きく見直さざるを得なくなりました。

 

こうした状況の中で生まれたのが、1937年に完成した交響曲第5番です。

この作品は「正当な批判へのソビエト芸術家の創造的回答」という副題を掲げ、表面的には体制の要求に応える形をとっています。

 

旋律はより明快で、構成も古典的な均衡を保ち、聴衆に理解されやすい音楽へと転換しているように見えます。
しかし、その内面には深い葛藤と二重性が込められています。

 

例えば終楽章の勝利的な音楽は、単純な歓喜ではなく、強制された喜び、あるいは皮肉を含んだ勝利とも解釈されてきました。

このように、表向きは体制に従いながらも、内面的には複雑な感情や批判精神を忍ばせる手法こそが、ショスタコーヴィチの真骨頂といえます。


結果として交響曲第5番は大成功を収め、彼は再び公的な評価を回復しました。

しかしその成功の裏には、芸術家としての自由と生存の狭間で葛藤する姿がありました。

 

幼少期から神童と呼ばれた彼の才能は、このような極限状況の中でさらに深化し、20世紀を代表する作曲家としての地位を確固たるものにしていくのです。

 

今回の動画

https://youtu.be/cEyT_FHwUzM

今回の「おはクラ」では、映画『ベニスに死す』について取り上げました。

この映画では、グスタフ・マーラーの交響曲第5番第4楽章「アダージェット」がとても重要な役割を果たしています。

もともとこの作品は、トーマス・マンの小説をもとに、ルキノ・ヴィスコンティが映画化したものです。

映画では、主人公は「作家」から「作曲家」に変更されており、マーラー自身の姿が重ねられています。

マーラーの交響曲第5番の中で、第4楽章「アダージェット」は少し特別な存在です。

弦楽器とハープだけで演奏される美しい音楽で、妻アルマへの愛の気持ちを言葉なしで表現したものだといわれています。

しかし映画では、この音楽は「愛」ではなく、「人生の終わり」や「失われていく美しさ」を表すものとして使われています。

物語の舞台は、病気(コレラ)が流行し、どこか退廃的な雰囲気のヴェニスです。

主人公の作曲家アッシェンバッハは、そこで完璧な美しさを持つ少年タッジオに出会い、強く惹かれていきます。

このとき流れるアダージェットは、ただのBGMではありません。
主人公が追い求めてきた「芸術としての理想の美」と、目の前にある「現実の美しさ」との間で苦しむ気持ちを表しています。

映画の最初から最後まで、この音楽は何度も流れ、主人公を「死」へと導いていくような役割を果たします。

また映像も非常に印象的です。

主人公の老いが進んでいく様子や、崩れていく姿が丁寧に描かれ、その美しい音楽と重なることで、「美しさの頂点は、同時に滅びの始まりでもある」というメッセージが伝わってきます。

音楽が美しく感じられるほど、現実の暗さや死の気配が強くなるという対比もこの作品の大きな特徴です。

この映画によって、マーラーのアダージェットは世界的に有名になりました。
もともとは個人的な愛の音楽でしたが、映画の中では「理想の美を追い求めた人間の悲劇」を表す、より大きな意味を持つ作品へと変わっています。

ラストシーンで主人公が静かに息を引き取る場面に流れるアダージェットは、ひとつの時代の終わりを見送るような、壮大で深い音楽として響きます。

 

今回の動画

https://youtu.be/mnqQ7ZNH8Q0

今回はマーラー とアルマについて語ります。
マーラーとアルマは、単なる夫婦の物語ではなく、20世紀音楽史に刻まれた芸術と愛のドラマです。


■ 出会い(1901年 ウィーン)
グスタフ・マーラー とアルマ・マーラー の出会いは、1901年、ウィーンの社交界。
アルマは若き作曲家志望(しかも絶世の美女)で当時は画家の グスタフ・クリムト などと付き合っていました。


一方マーラーは、ウィーン宮廷歌劇場の指揮者で既に名声はあるが、気難しく孤高な存在でした。


正反対の二人が強烈に惹かれ合います。
その後、電撃的な結婚をします。(1902年)


出会いからわずか数ヶ月後、結婚。
しかしここで、マーラーから衝撃の条件が出されます。


マーラーはアルマにこう言います。
「家庭には作曲家は一人でいい」
アルマは作曲をやめることを求められます。


これは現代的にはかなり衝撃ですが、当時のマーラーの価値観では、自分の創作に全てを捧げたい。妻には“精神的支柱”でいてほしいという思いでした。
アルマはこれを受け入れますが、後に大きな火種になります。


■ 結婚生活と影
二人の間には娘が生まれますが、長女マリアが幼くして死去(1907年)マーラー自身も心臓病を宣告されます。
人生最大級の悲劇が連続します。

この頃のマーラーの作品(第6番以降)には、死・運命・別れの影が色濃くなります。


■ 危機:アルマの不倫(1910年)
アルマは次第に満たされなくなり、建築家の ヴァルター・グロピウス と恋愛関係になります。
これがマーラーに発覚し、ここでマーラーは初めて気づきます。


「彼女の才能を奪ってしまったのではないか」
「彼女を理解していなかったのではないか」


■ フロイトとの面会
なんとマーラーはジークムント・フロイト に相談します。
音楽史でも珍しい「作曲家×精神分析」の事件です。
この面会後、マーラーは、アルマの作曲を認め、彼女の作品の出版を支援するなど、態度を大きく改めます。


■ 愛の音楽へ:第5番との関係
交響曲第5番(マーラー) の時期は、まさに結婚前後。
特に有名なのが、第4楽章《アダージェット》


 • 弦とハープのみ
 • 極めて私的で内省的な音楽です。これはしばしば「アルマへの愛の手紙」と解釈されます。

マーラーは音楽にすべてを捧げた男。アルマは人生そのものを芸術として生きた女。
出会いは運命、結婚は情熱、しかしその内側では、才能の抑圧、喪失、裏切りが渦巻いていました。


それでもなお、第5番のアダージェットに響くあの旋律は「それでも君を愛している」という、マーラーの不器用で切実な告白なのです。

 

今回の動画

https://youtu.be/UOCHD6xuE_M

今回はリスナーから質問のあった金管楽器の管に溜まる水滴についてお話しします。

正体は「唾」じゃないの?
結論から言うとほとんどが“唾”ではなく「水蒸気が冷えてできた水」=結露です。
人が息を吹き込むと、その息は温かい(体温に近い)水分をたっぷり含んでいます。


◆ 楽器の中で何が起きているのか?
楽器の中ではこんな現象が起きています。
① 温かい息が管の中へ入る
② 金属の管は外気で冷えている
③ 急に冷やされる
水蒸気が液体に変わる(=結露)
つまり、冬に窓ガラスに水滴がつくのと同じ現象です。


◆ なぜ溜まるのか?
金管楽器の管は長くて曲がりくねっています。
途中に「低い部分(くぼみ)」があります。

そのため、そこに水が集まります。特に
    •    トランペット
    •    トロンボーン
    •    ホルン
などは構造上たまりやすいポイントがあります。
水が溜まると音が「ボコボコ」「ビャッ」と不安定になります。


◆ 本当に唾は入っていないの?
ゼロではありません。
マウスピース付近には多少の唾液が混ざる
ただし大部分はやはり「結露した水」なので安心してください。


◆ マーシー教授のひとこと
金管楽器はまさに「人間の体の延長」。
息の温度、湿度、体調までも音に影響します。
つまり楽器の中の水滴は「演奏者の存在そのものの証」でもあるのです。
 

今回の動画

https://youtu.be/rdIVuagRNYI

今回は「作曲者は誰だ!」特集のヒントになりそうですが、ジョン・ケージについてです。


クラシック音楽と聞くと、ベートーヴェンやモーツァルトのように「美しいメロディ」が思い浮かびますよね。

ところが20世紀に、その常識を大きく覆した作曲家がいます。

それが ジョン・ケージです。


彼の最大の特徴は、「音楽とは何か?」という問いそのものに挑戦したこと。

普通の作曲家が“どんな音を作るか”にこだわるのに対し、ケージは「そもそも音でなくてもいいのでは?」と考えました。


その象徴的な作品が有名な《4分33秒》です。

この曲、なんと演奏者はピアノの前に座るだけで、一切音を出しません。

 

では何が音楽なのか?

実は会場のざわめき、咳払い、空調の音など、周囲の“偶然の音”そのものが音楽になるのです。


初演当時は「ふざけている!」と大批判。

しかしケージは真剣でした。

彼は「完全な無音は存在しない」と考え、人間が“聴こうとする姿勢”そのものが音楽だと伝えたかったのです。


またケージは「プリペアド・ピアノ」という独特な手法も生み出しました。

ピアノの弦にネジやゴムを挟み込み、まるで打楽器のような音を出す方法です。

 

これにより、ピアノ1台でオーケストラのような多彩な響きを作り出しました。
彼の音楽は一見すると難しそうですが、本質はとてもシンプルです。


「音楽は特別なものではなく、日常の中にある」ということ。
例えば、雨の音、電車の音、人の話し声。普段は気にも留めない音に耳を澄ませると、そこに新しい“音楽”が見えてきます。


ジョン・ケージは音楽の枠を広げただけでなく、私たちの“聴き方”そのものを変えた作曲家です。

もし少し疲れた日があれば、静かに周りの音に耳を傾けてみてください。

もしかすると、あなたのための《4分33秒》が始まっているかもしれません。

 

今回の動画

https://youtu.be/3Hqr1OenJ60

今回は現代音楽の12音技法について語ります。

少し難しいですがお付き合いください。

12音技法(じゅうにおんぎほう)は、20世紀の作曲家たちが「新しい音楽のルール」を模索する中で生まれた作曲技法です。

初心者の方には少し難しそうに感じられますが、考え方はとてもシンプルです。


まず前提として、西洋音楽には「ド・レ・ミ…」にあたる12個の音があります(ピアノの白鍵と黒鍵を合わせた1オクターヴのすべての音)。

それまでのクラシック音楽(バッハやモーツァルト、ベートーヴェンなど)は、これらの音の中から「ドを中心にする(ハ長調)」など、特定の音を中心に据えて音楽を作っていました。

これを「調性音楽」といいます。


ところが19世紀末から20世紀初頭にかけて、その「中心となる音(主音)」の感覚がだんだん曖昧になっていきます。

その流れの中で登場したのが、オーストリアの作曲家アルノルト・シェーンベルクです。

彼は「いっそのこと、すべての音を平等に扱えばいいのではないか」と考えました。


ここで登場するのが12音技法です。
この技法では、12個の音を「1回ずつすべて使う」並び(これを「音列(おんれつ)」といいます)をまず作ります。

たとえば、「ド→ファ→ミ→シ♭→…」のように、12音を重複なしで並べた順番です。

 

そして作曲では、この音列を基本ルールとして使い、勝手に特定の音ばかりを強調しないようにします。

つまり、どの音も「主役になりすぎない」ようにするのです。


さらに面白いのは、この音列をそのまま使うだけでなく、いくつかの変形が許されている点です。

代表的なのは次の4つです。

・原形(そのままの順番)
・逆行形(後ろから前へ逆にする)
・反行形(音の上下関係をひっくり返す)
・逆行反行形(逆行+反行)


このようにして、ひとつの音列から多くのバリエーションを生み出しながら曲を構築していきます。

まるで「1つのテーマをパズルのように変形していく」イメージです。
では、なぜこんな技法が生まれたのでしょうか?


それはロマン派の時代に音楽がどんどん複雑になり、従来の調性のルールでは整理しきれなくなったためです。

シェーンベルクは「無秩序に聞こえる音楽にも、しっかりした秩序を与えたい」と考え、この12音技法を編み出しました。

つまり「自由に見える音楽の中に、見えないルールを作る」試みだったのです。


ただし、初めて聴く人にとっては「メロディーがつかみにくい」「不思議な響き」と感じることが多いのも事実です。

これは私たちが普段、調性音楽に慣れているためです。

しかし、仕組みを知って聴くと、「同じ音列が形を変えて現れている」ことに気づき、知的な面白さが見えてきます。


シェーンベルクの弟子であるベルクやウェーベルンもこの技法を発展させ、それぞれ独自の音楽世界を築きました。

特にベルクは、12音技法を使いながらも感情的でドラマティックな音楽を書いており、初心者にも比較的親しみやすいと言われています。


まとめると、12音技法とは「12の音を平等に使うためのルール」であり、調性に頼らない新しい音楽の秩序を作るための方法です。

最初は難解に感じるかもしれませんが、「音の並びを素材にした音楽」と考えると、ぐっと身近に感じられるでしょう。

 

今回の動画

https://youtu.be/ROrrMAG6YlE

今回はソナタ形式についてお話しします。

ソナタ形式は、クラシック音楽の中でもとても重要な「物語の組み立て方」です。

初心者の方には、ドラマや小説のストーリーにたとえると分かりやすいです。

①提示部(ていじぶ)
登場人物が紹介される場面
ソナタ形式の最初は、主題(メロディー)を紹介する部分です。
    •    第1主題
→ 主人公のような存在。はっきりした性格があります。
    •    第2主題
→ もう一人の人物。主人公とは違う性格です。
(たとえば優しい、歌うような旋律)


つまりここは「登場人物紹介」の場面です。
たとえば
    •    第1主題=勇ましい騎士
    •    第2主題=やさしい姫
という感じです。


ベートーヴェンの交響曲などでは
「強い主題」と「歌う主題」の対比がよくあります。

②展開部(てんかいぶ)
事件が起こる場面
ここでは、先ほど登場した主題が
    •    転調したり
    •    分解されたり
    •    いろいろな形に変わったりします。


これは物語でいうと
冒険・対立・ドラマです。
騎士と姫が
    •    戦いに巻き込まれたり
    •    遠くの国に行ったり
    •    困難に遭遇したり
するようなものです。
作曲家はここで音楽を自由に料理します。

③再現部(さいげんぶ)
物語が家に帰る場面
最後に、最初に出てきた主題がもう一度登場します。
ただし重要なのは同じ調(キー)で戻るということです。


つまり
    •    主人公が旅を終えて
    •    元の場所に帰ってくるという感じです。

第1主題

第2主題

がもう一度現れて、物語は落ち着きます。

④まとめ(超簡単に言うと)
ソナタ形式は

紹介 → 冒険 → 帰還

という構造です。

 

今回の動画

https://youtu.be/ViesiBWcLUY

今回はチャイコフスキー作曲、交響曲第4番が作曲された時期について語ります。

チャイコフスキーが1877年に完成させた交響曲第4番ヘ短調 作品36は、彼の人生の中でも最も激動の時期に書かれた作品です。

この交響曲を理解するためには、「結婚」と「メック夫人」という二つの出来事を抜きに語ることはできません。

まさにこの二つが、作品の精神的背景を形作っているのです。


1877年、チャイコフスキーはモスクワ音楽院で作曲を教えていました。

その頃、彼はある女性から熱烈な手紙を受け取ります。

差出人は元教え子のアントニーナ・ミリューコワでした。

 

彼女はチャイコフスキーに深く恋をしており、「あなたを愛しています。結婚していただけなければ私は死んでしまいます」といった激しい内容の手紙を送り続けます。
当時のチャイコフスキーは、社会的な孤独と精神的な不安に悩んでいました。

さらに、彼は自分の同性愛的傾向を隠さなければならないという強いプレッシャーも感じていました。

 

そのため、社会的体裁を保つための結婚という考えが頭をよぎります。

そして1877年7月、彼はほとんど愛情のないままミリューコワと結婚してしまうのです。


しかし、この結婚はすぐに破綻します。

結婚生活はわずか数週間で耐えがたいものとなり、チャイコフスキーは精神的に追い詰められてしまいました。

あまりの苦しさに、モスクワ川に入水して自殺を図ろうとしたとも言われています。

 

結局、彼は妻と別居し、その後二人は事実上の離婚状態になります。

この結婚は彼に深い精神的打撃を与えました。


ところが、この絶望的な時期に彼を救った人物がいました。

それがナジェジダ・フォン・メック夫人です。

 

彼女は大富豪の未亡人で、音楽をこよなく愛するパトロンでした。

メック夫人はチャイコフスキーの音楽に心酔し、1876年から彼に多額の年金を送り続けるようになります。

その額は年間6000ルーブルとも言われ、これは当時の作曲家にとって非常に大きな援助でした。

 

この支援によって、チャイコフスキーは音楽院の職を辞め、作曲に専念することができるようになります。
メック夫人とチャイコフスキーの関係は非常に特別なものでした。

二人はおよそ14年間にわたって手紙をやり取りし、その数は1200通以上にも及びます。

 

しかし、二人は「決して直接会わない」という奇妙な約束を守り続けました。

偶然顔を合わせそうになると、お互いに避けたとも言われています。

精神的には非常に親密でありながら、現実には距離を保つという不思議な関係でした。


チャイコフスキーは交響曲第4番をメック夫人に献呈しています。

彼はこの作品について手紙の中で詳しく説明しており、冒頭の金管楽器による強烈な動機を「運命」と呼んでいます。

 

彼はこう書いています。

「これは幸福を妨げる運命の力であり、ダモクレスの剣のように頭上にぶら下がっているものです」。

この「運命」のモチーフは、交響曲全体を支配する象徴として登場します。

 

第1楽章では圧倒的な力で鳴り響き、第2楽章では孤独な感傷が広がり、第3楽章ではピッツィカートだけによる幻想的なスケルツォが現れます。

そして終楽章では、ロシア民謡「白樺は野に立てり」を用いた祝祭的な音楽の中で再び運命の動機が現れます。

つまり、この交響曲は「人生の苦悩の中でも人々の中に入れば喜びを見いだせる」という思想を描いた作品なのです。


このように交響曲第4番は、破綻した結婚という個人的悲劇と、メック夫人という精神的支援者の存在の中から生まれた作品です。

もし結婚の混乱がなければ、このような激しい運命の音楽は生まれなかったかもしれません。

また、メック夫人の支援がなければ、彼はこの作品を完成させる精神的余裕を持てなかった可能性もあります。


つまり交響曲第4番は、チャイコフスキーの人生における苦悩と救済のドラマがそのまま音楽となった作品と言えるでしょう。

結婚の破局による絶望と、メック夫人との精神的な友情。

その二つの出来事が重なり合って、この激しくも感情豊かな交響曲が誕生したのです。

 

まさにこの作品は、チャイコフスキー自身の魂の告白とも言える交響曲なのです。

 

今回の動画

https://youtu.be/CpAfs196AOo