NO BOOKS NO LIFE -読書の時間―  -26ページ目

40:伊坂幸太郎:SOSの猿

孫悟空をモチーフに


現実と物語の対話を描く


物語の魔術師、伊坂幸太郎


本領発揮の異色作


 -あちこちで人々が痛い痛いと泣いている。

   この船を助けて、とSOSを発している。

   (伊坂幸太郎「SOSの猿」p76)

SOSの猿/伊坂 幸太郎
¥1,575
Amazon.co.jp

                       1

 あなたは孫悟空を知っていますか。


 その孫悟空はどんな姿形をしているでしょうか。


 ある人は、堺正章の顔を思い浮かべるかもしれませんし、


 香取慎吾の姿を思い浮かべるかもしれません。


 あるいは、それは手塚治虫描くところの孫悟空なのかもしれません。


 手塚治虫が描く孫悟空も実は一つではありません。


 コミックとアニメではキャラクターを異にしています。


 そして「西遊記」を活字で読んだ人がそれぞれに思い描く孫悟空も存在します。


 孫悟空は、いくつも姿かたちを変えながら、人の心に入り込んだ存在です。


 つまり、孫悟空は、それを知っている人の数だけ、その物語とともに実在するのです。


 そう、孫悟空の身外身のように。


 孫悟空が毛をむしって、変われと言えば、それは孫悟空の分身となるのです。


 そして、伊坂幸太郎「SOSの猿」で語ろうとするのも、実はこの身外身としての、孫悟空の物語に他ならないです。


                    2

  伊坂幸太郎においては、いつものように、異なる系列の二つの物語が交互に語られます。


  一つは「私の話」と題され、家電販売員の遠藤二郎によって語られるものです。


  彼は近所の知り合い、辺見のお姉さんの息子、眞人のひきこもりの相談を受けている。


  彼は誰かが困っていて助けを求めるのを見ると何かをしないではいられない性分であった。


  彼には、一つの特技があった。それはイタリア滞在中に身につけた悪魔祓いの技術であった。


  かつてあこがれだった辺見のお姉さんの頼みを断ることができずに、悪魔祓いの技術を頼りに、引きこもり少年の部屋へと赴くのであった。


  そうしてもう一つは「猿の話」と題され、誰かはわからない存在によって語られます。

 

  誰かはよくわからない存在の物語は、この作家において、物語の謎を解く鍵であり、たとえば『アヒルと鴨のコインロッカー』では、それが明らかにされた時点で、物語の全貌が変わってしまうほどの秘密を握っています。ですから、後に明らかにされた記述をもとに、物語を再構成してしまってはいけないのです。


  とりあえず、語られる物語の主人公は、五十嵐真というプログラマーです。彼は、株の誤発注で300億の損害を出した事件の調査にあたるために、事件を起こした取引先の会社へと赴きます。しかし、そこでも物語の地の分同様に、猿の存在がつきまといます。やがて、孫悟空はこの物語の中に出没し、主人公へと指図したりするまでに至るのです。いったい、この物語は、この猿とは何なのか?謎めいた世界に読者は途方に暮れてしまいます。


 そして、あたかもヘーゲルの弁証法のように、物語の後半では、現実を代表する「私の物語」とフィクションを代表する「猿の物語」は統一に向けて、融合し、運動を始めます。もちろん、そこに完全な統一はないのですが、二つの物語が対話をすることで、新たな真実が浮かび上がるのです。


 お勧め度:☆☆☆☆ 80点


 著者:伊坂幸太郎 書名:SOSの猿 出版社:中央公論新社 2009年11月刊


 前作『あるキング』のように、物語の仕掛けが、悲劇的な終末を予感させ、読者を救いのない閉塞的な世界に置いてしまうという欠点は、この作品にはなく、開放的な風通しのよさを持った作品と言えるでしょう。現実と物語の対話という不思議な世界を創造してしまうところに作者の並外れた力量が感じられますが、後半しつこく意識と現実の一致に関して援用されるユングの理論に関しては、いささか蛇足の感を否めません。物語は、自らの力のみで支えるべきものであり、科学による正当化など必要ないのですから。

東京スカイツリー 4 (10/01/10)

両国から見た1月10日の東京スカイツリー。


NO BOOKS NO LIFE -読書の時間― 

実は、両国駅のプラットホームから、

針の穴をも通すコントロールで、望遠撮影したものです。


NO BOOKS NO LIFE -読書の時間― 

右手の下駄のような建物は、江戸東京博物館です。

猫時間 5 <ごろごろ>

15:45


NO BOOKS NO LIFE -読書の時間― 


京都先斗町で寝る猫も


猫に変わりがあるじゃなし



東京スカイツリー 3 (2010/1/1)

1月1日。初詣で訪れた葛飾柴又から矢切の渡に向かう土手に上がると、彼方に東京スカイツリーが見えました。


NO BOOKS NO LIFE -読書の時間― 


富士山も見えたのですが、色々位置を変えても、きれいにツーショットを撮れる場所はありませんでした。


どうしても木や電柱がかかってしまうのです。

NO BOOKS NO LIFE -読書の時間― 

スカイツリーが見えない場所なら、雪化粧をした富士の姿がよく見えました。


NO BOOKS NO LIFE -読書の時間― 

39.石田衣良:チッチと子

シングルファーザーの小説家と



息子のハートウォーミングストーリー

チッチと子/石田 衣良
¥1,575
Amazon.co.jp

 「小説誌に掲載されたときの原稿料(これはキャリアによってまちまちだが耕平の場合原稿用紙1枚五千円ほど)と単行本印税、そして三年後の文庫印税。それが作家の収入の柱だった。ひとつの作品を三度回転させなければ、生活してゆくのはむずかしいのだ。もう何度も計算しているので、数字はすぐにでてきた。

 つぎの『空っぽの椅子』の場合、原稿料が二百四十万円、それに単行本の印税をあわせ、おまけに文庫二万部で一冊五百円として文庫印税は百万円。

 計四百六十六万円。」

(石田衣良『チッチと子』 p16)


 とりあえず、それらしいキャッチコピーをつけてみたものの、石田衣良の新作『チッチと子』は、その実はあまり売れない作家の懐事情や文学賞の裏側、恋愛通と言われる作家の実態など、文学界のリアルを克明に表現した内幕物の色彩が強い作品です。また、ネット上での酷評を見つめる作家の視線や思惑など、現在の作家の置かれた状況を細やかに表現しています。いわば、小説家版の「バクマン。」ともいうべき一冊。そういう意味で、物書きをめざす人にとっては、必読の一冊になるかもしれません。ただ、文学賞の候補にあがった時の狂詩曲に多くのページが割かれ読者をひきずりこんでしまうために、前半父と子の関係にうるうるし始めた読者が、おあずけを食わされ、最後につじつまを合わせたようにそこへ戻るのは、やや構成上の難ありと言えるでしょう。本人とは関わりない編集者の作業である(と作品中で著者が書いている)帯の文句にも、一番最後の盛り上がるところからネタばれ覚悟で引っ張ってくるあざとさがあり、映画の予告編風で感心できない部分があります。


 (あらすじ)

 青田耕平は十年のキャリアを持つ中堅どころの作家である。彼の作品は、デビュー以来十作を越えるが、いまだに重版がかかったことがない。彼は、妻を不可思議な交通事故で失い、息子のカケルとの二人暮らしで、作家と子供の父親役を演じる毎日であった。そんな彼を息子は、チッチと呼んで慕っていた。

 ベストセラーを出したことのない耕平であったが、根強いファンもいた。一書店での売り上げが伸びたことがきっかけでサイン会を開いたあたりから耕平にも運が向いてきた。彼の新作『空っぽの椅子』は直本賞の候補にあがり、急にマスコミの脚光を浴びるようになる。そんな彼に熱烈なアプローチをしかける書店員、横瀬香織。しかし、耕平は亡くした妻のことを今も忘れられずにいた。何よりもその死因に釈然としない思いを抱いていたのである。

 果たして、耕平は直本賞を取れるのか?そして恋の行方は?妻の死の真相とは?


 お勧め度:☆☆☆☆ 80点


 著者:石田衣良 書名:チッチと子 出版社:毎日新聞社 2009年10月刊


 「よくわかる作家の私生活」というべき一冊で、作家への過大な幻想を打ち砕き、現代の出版状況まで透視するという点では興味津々、面白く一気に読めた作品ですが、本来の狙いの家族小説とのバランスが不均衡な部分を感じました。女性関係も不完全燃焼気味、妻の死因に関しては『再生』の路線ではなく、『眠れぬぬ真珠』で使った手法を踏襲しています。おそらく、遅咲きのデビューで『池袋ウエストゲートパーク』で注目を浴びたのが37才の時、直木賞の受賞が43才の時、39才という主人公の設定は、暗中模索の時代の悶々とした思いを著者の過去から引き出さずにはいられなかったのではないでしょうか。