52.茂木健一郎:脳は0.1秒で恋をする
脳が分かれば
自分が分かり
恋がわかる!?
この本は結構面白いです。
たとえば、なぜ一目ぼれが生じ、それが運命的な出会いになりうるかという問題。
このメカニズムは、実は道端に落ちている縄を見て、とっさに蛇と判断するのと同じ脳の仕組みから来ています。
冷静に分析して判断するのは、大脳新皮質のはたらきですが、とっさにそれが蛇からもしれないと判断するのは、脳の古い部分である扁桃体のはたらきによるものです。なぜなら、もしもそれが本当に蛇であった場合、大脳新皮質が冷静に判断するまで待っていては、危険を回避することができないからです。
「人類は自らの生命にかかわるような一大事件に対しては、時間差を設けて二段階の情報処理を行うように進化してきたのです。」(p40)
現代では必ずしもそうとは言えませんが、太古の時代には男と女の出会いも、動物のオスとメスの出会いも、出会った瞬間を逃すと二度と出会えないかもしれないものでした。
これが一目ぼれのメカニズムです。もちろん、蛇のように見えるものが本当に蛇であることもあれば、そうでない縄の場合もあります。したがって、一目ぼれの相手が必ずしも運命の人とは限りませんが、脳を本気にさせ、検討させるというはたらきを持つことに変わりはありません。
同じようにして、「男脳」と「女脳」の違いが語られます。
脳梁という右脳と左脳をつなぐはたらきをする部分がありますが、女性の方が男性よりも、この部分が太く、そのために、人の喜びや悲しみへの共感能力が高い傾向があるのです。
そこから、時に感情のままに言葉を吐き出す女性と、冷静かつ論理的に考えようとする男性のかみ合わない会話も生じるのです。
男性の場合には、古代から現代に至るまで、その社会でのはたらきから、共感能力をシャットダウンしても、責任を果たし、社会の秩序を保つような行動を身につけざるを得ませんでした。感情と行動を切り離すことを身につけてきたのです。
しかし、この男女の脳の差は、統計的有意差と呼ばれるもので、全体としてみればそのような傾向があるとしても、個別に見た場合にはそれがあてはまらない場合も少なくありません。地図を読めない男もいれば、地図を読むのが得意な女性もあるのと同じです。
以下、
●男性の恋は「別フォルダ保存」であり、女性の恋は「上書き保存」であるのはなぜか?
●「嫉妬」とは「ある人に属する資源が、どう配分されるか」の問題である。
●恋愛は、正解のない究極の「不良設定問題」である。
●理想のパートナーとは、「自分と似ていて共感できる人」でありつつ、「自分とは全く違う側面を持っている人」。さらに、偏りを持つ自分の不足部分を補い、全体性を回復してくれる「癒し」を与えてくれる人。
●後悔することが、変化への適応能力を育て、自分を成長させる。
●英国紳士に学ぶ恋愛マナー:相手のどんな不条理な要求にも耐えられるインテリジェンス。
●相手の不在をどれだけ味わうことができるかが、恋愛のバロメーター。
●人から愛される人の条件は、自分と折り合いがついていること。
といった問題が、脳の仕組みの観点から語られます。ただし、この脳科学の成果に基づいての著者の考えも、ある時点から科学であることもやめ、経験に基づいた思弁となっているので、絶対の真理というものではないことはいうまでもありません。
- 脳は0.1秒で恋をする/茂木 健一郎
- ¥1,155
- Amazon.co.jp
お勧め度:☆☆☆☆ 80点
著者:茂木健一郎 書名:脳は0.1秒で恋をする 出版社:PHP 2009年7月刊
茂木健一郎さんの文章は、個々の文章は論理的に見えるものの、全体の構成は関連事項をどんどん継ぎ足し、次のテーマに流れてゆくようなゆるやかなものです。相互に関連しあった主題群のパッチワークのようなもので、音楽や文学に似た構成と言ってもよいかもしれません。ですから、著者の主張よりも個々に言及された主題を自分の中で、勝手に発展させたり、自分の中の他の主題や自分の経験と関連づけながら、楽しむというのがよい読み方です。科学者の著作としては桁違いに多くの部数が、多くの本に関して売れ、読まれているのもこのためでしょう。えて、一連のPHPによるシリーズ化された本の装丁は、書店でもひときわ目を引く存在です。同じ著者によるものだと人目で分かり、しかも色が違うのでまだ買っていないことも一目瞭然。最初に述べた「扁桃体」のはたらきをうまく、本のセールスに結びつけたよい例であると思います。
音楽の時間 2 [長富彩リサイタルより]
2010年4月6日
この日、3月31日でアメブロを卒業されたピアニストの長富彩
さんのリサイタルが、和光市民文化センター(サンアゼリア)大ホールで開かれました。
6時半の開場に向けてホールに向かう途中、青みを残した空をバックに、満開の桜が続いていました。
ホールにはすでに多くの方が席につき、中央部分の席はほとんど空席がない状態でしたので、仕方なく左側の席につきました。
ピアニストのリサイタルの場合、席の選び方が悩ましいところです。右側の席の方が顔は見えるけれども、指はピアノに隠れて見えません。左側の席だと、指の動きはよくわかるものの、今度は顔が見えず、背中を見つめることになります。一番よいのは、顔も指も見える中央左手寄りの座席だったのですが・・・
*********************
やがてステージに長富彩さんが現れました。
目にも鮮やかな真紅のドレスで、会場にぱっと花が開いたようになります。
そして、ピアノに腰を下ろし、弾き始めたのはラフマニノフの前奏曲嬰ハ短調 作品3-2。
誇張のない余韻豊かな響きが会場を満たす時、自然に音楽の世界の中に引きこまれます。
やがて、教会の鐘に心の波紋が反響するかのような速いパッセージにさしかかっても、安定した響きを保ち続けます。
一つ一つの音を大切につむぎ上げてきた日々の成果を一気に凝縮させるかのように。
再び静かで穏やかな鐘のような和音で曲は締めくくられます。
ブログの記事やなうの中で、何度か彩さんとコメントのやりとりをしただけに、まるでのだめを見守るミルヒーのような半ば不安な気持ちでこの会場にやってきた私でしたが、そんな不安は一掃されていました。
続いて、同じラフマニノフ10の前奏曲作品23より、第1曲から第5曲まで。
時に叙情的に、時に民族色豊かに、時に激情的に、異なる曲想を持つ五つの前奏曲を表情豊かに表現してゆきます。
そして、チャイコフスキーの「花のワルツ」では、難易度の高いトランスクリプションで高度な技巧を披露し、スクリャービンの幻想曲によって、深い内面世界への旅路を行くかのような神秘的な音のこだまの中に、前半の演奏は幕を閉じました。
前半の曲は、ピアノに精通した通向きのレパートリーが多く、その点でかなり心配していたのですが、集中力を途切れさせた観客の方は、見当たらなかったと思います。
外に出ると、すっかり夜の帳は降り、漆黒の闇がホールを覆っていました。
やがて、後半は生誕200年にあたるショパンとシューマン。
ロシアの土の色と憂愁に彩られた世界から、華やかなロマン主義の世界へと、音もきらびやかに変わります。
ショパンは、演奏されることの少ない嬰ト短調のポロネーズ(遺作)。
そして、きらびやかな音の中にも、孤独と郷愁を感じさせるマズルカ24番ハ長調へと。
さらに優美で繊細なアルペジオで始まり、一転して華やかにポーランドの舞曲を踊るようなアンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズへと進んでゆきます。
最後の締めくくりは、シューマンの交響練習曲作品13。
シューマンのピアノの時代に書かれた代表作の一つで、一種の変奏曲の形式になっています。
文学的な色合いの強いシューマンの大作の中では、最も純音楽的な構成を持った傑作です。
速いパッセージの中でも、よどみなくさまざまな音の表情を奏でながら動き続ける10本の指。
特に左手の安定した力強い動きと響きには、ひきつけられてしまいます。
最後に、シューマンの中の行動的なキャラクターであるフロレスタンそのものをあらわすようなコーダで華やかに締めくくる時、会場は感動の渦に包まれていました。
やがて鳴り響く怒涛の拍手。
大役を終えて、ほっとした表情を見せる彩さんがアンコールに選んだのは、十八番のリストのラ・カンパネッラでした。
それまでの熱気のあふれる演奏とは趣を異にして、リラックスして楽しんで演奏している様子がほほえましかったです。
最後に挨拶に立って、言葉を耳にした時のあどけなさの残る笑顔も最高でした。
長富彩、23歳。
ようやく9月にCDがリリースが決まりましたが、プロのピアニストとしてはまだスタートラインに立ったばかりです。
でも、リサイタルの直前まで、難病に苦しむ子供たちへのエールを絶やすことのなかった彼女の心の広がりは、今回のリサイタルの演奏よりももっと広いはずです。
その心の広がりを、そして深い愛を、ピアノの音で表現しきるまでには、まだ長い道のりが必要でしょう。
一人のファンとして、そしてこのブログを通じて、出会えた友人の一人として、これからもずっと長富彩さんを応援してゆきたいと思います。
*同じエントリーはリサイタル直後に書き上げたのですが、保存する段階で失敗して消えてしまい、書き直すのに今まで時間がかかりました。
**今回は会場内の撮影ができなかったので、記憶をたよりにスケッチブックに色鉛筆で走り書きしたものを、デジカメで撮影して取り込みました。女性ではないので、ドレスなどのディテールは甘いですが、満足がゆくまで描き直すとえらく時間がかかりそうなので、初稿のスケッチで間に合わせておきます。
Photo Diary 4月8日 [荒川線桜めぐり]
2010年4月8日
久しぶりの青空で、書物を捨て街へ出ようと都電荒川線に乗りました。
■荒川二丁目
煉瓦造りの建物と青空に満開の桜が映えます。
荒川線沿いにはずっと桜並木が続いています。
荒川自然公園に至る長いスロープからの眺めも最高。
■荒川遊園地前
荒川遊園地まで長い桜並木のアーチが続きます。
荒川遊園地は4時で入場できなくなりますが、桜の見所は周囲にもたくさん。
裏に回ると、隅田川沿いの桜も満開でした。
■王子駅前
日が暮れるころに、飛鳥山公園へ。一面の桜の絨毯。
そして、桜の花の間に沈む夕日を見送ります。
■面影橋
空の明るさが残るうちに面影橋より眺める神田川沿いの夜桜。
そして二つ先の仲之橋へ。ここは川底に岩盤が露呈し、ちょっとした渓谷のイメージ。
Timeline 5 [4月4日 千鳥ヶ淵]
2010年4月4日
桜がツツジや紫陽花など他の季節の花と異なる点は、空が背景になるということです。
空の色が冴えないと桜はきれいに写りません。
この日は終日曇りであったので、昼間の桜を撮るのはやめました。
そして、夜桜一本に絞りました。
毎年この時期になると出かけるのが千鳥ヶ淵です。
特に見事なのは、入り口から数十メートルばかりの区間で、手前の桜はピンク色にライトアップされ、白くライトアップされた皇居の桜とコントラストをつくりだします。
昼間は、この先にも堀の中をいくつものボートの行き交う、ビル街の中の雄大な風景が撮れるのですが、
夜はこの風景だけでもカメラに収めると気が済んで引き返してしまった私です。

















